「お疲れ様です!」
俺は第三話にしてやっと少し慣れた新宿の録音スタジオを後にする。
先輩たちとも打ち解けてこれたし、音響監督からのダメ出しも大分少なくなった。
ヒロイン役とはまだ解釈違いでぶつかることもあるが、それも芝居人なら当たり前なので嬉しいもんだ。
「話はまだ終わってない、逃げるな上凪!」
コート姿で俺を追ってくるのはそのメインヒロイン様だ。
「おいおい、根古と歩いているとこなんかファンに見られたら、俺、刺されて東京湾に捨てられちゃうんですけど」
「その時は自分で泳いで戻りなさいよ」
「無茶言いなさる」
「主人公なんだからそのくらいの覇気見せなさい!」
げしっと冗談のような蹴りが俺の尻に当たる。
その後は今日のダメ出しから過去のダメ出し、これからの『誰が為に骸は起きる』のストーリーについて話ながら帰った。
足元の雪はまだ残っている。
「お、兎出永社長からメッセージだ。
先日のオーディションの件は全て丸く収めたって」
「さすがつばきちゃん、いえ、アベンジャーってとこかしら?」
むふふふと笑いながら根古は道路わきの雪を蹴った。
「まさか千本桜社を退社したSOの開発者が、今の腐敗した声優業界に反旗を翻すためにわたしたちにメッセージを送ったなんて誰が信じられる?」
「根古は投げ銭回収の女王だから目立ってたし、アニメをしたい鬱憤や紬にも恨みがあるのビシバシ伝わってたからじゃね?」
「うっさい!」
げしっと俺の尻にブーツで蹴りを入れる。
「あんたはつばきちゃんが新たに作ったプロダクションに入るとき、なんて言われたのよ」
「おれ?
……内緒だ」
上凪君、君の声に惚れてたんだ、初めてのオーディションを見た日から。
なんて言われたと根古に知られては、何を言われるか分からないので黙っておく。
「いいなさいよ!」
流石に二度目の蹴りは俺もさっと避け、根古はちっと舌打ちする。
「で、妹ちゃんはあれからどうなの?」
「どうも何も自由奔放さ、俺を千本桜家に戻すために、色々画策しているようだけど兎出永社長のおかげで、とりあえずは声優業を続けられてるよ」
「ふーん、ならいいけど」
どこか嬉しそうに根古は俺と並んで歩き続ける。
日も落ちるころ、話題が尽きた坂の途中で根古が立ち止まった。
「どうした、根古」
根古は何も言わない。
「寒いから早く帰ろーぜ、それともラーメンでも食べてくか?」
うつむいて何も言わない——とおもったら、小さく息を吐いた。
「そういえば返事、聞いてない」
「返事ってなんだ」
「何って、ほら、この作品のオーディションの時、あたしなんか言ったと思うんだけど、大事なこと」
「ああ、あれか、好きってやつな」
「う、」
「流石は根古だ。
機体も壊れてあんなピンチな状況で、役柄を忘れず、ヒロインっぽいセリフを出すとは」
俺と根古の行動はSOのシステムに完全一致で認められ、主人公とヒロインの座を勝ち取った。
それが全世界に放送されたのだから、流石の大手プロダクションも八百長といちゃもんすらつけられなかったようだ。
「兎出永社長の選別、それに我王さんの時間稼ぎ、そのどれが欠けても俺はこの仕事を勝ち取れなかった。
もちろん、根古が俺を誘ってくれなきゃ、ここまで来れなかったし、ありがとな」
根古は何か言いたげだったが、夕日に頬を染めてそっぽを向いてしまった。
今回は奇跡的に初の仕事で主人公役を勝ち取ったが、次回はそうもいかないかもしれない。
けれど声優たちが役柄を求めて集うSOでは平等に役を勝ち取れる正常化が進行していた。
俺もこれまでの量産機で参加したいと思う。
《カミナギ》に改めて乗る日は俺が俺自身の力を認めた日だ。
押し黙ってしまった根古を横目に俺は話題を探す。
「そうだ。
我王さんと社長も誘って焼肉でも食べるか、たまには」
根古は一瞬、『もうちょっとかける言葉あるじゃん?!』みたいな顔を作ってから、わなわなと震え、はあ、と大きなため息をついた。
「いやよ、今日は私に付き合いなさい。
カラオケで朝まで菓子パン討論会よ」
誰もに振りまく清楚系偽善スマイルではない。
自然な笑顔に惹かれ、俺も自然と笑顔で返してしまう。
「なんだよそれ、めっちゃ楽しそうじゃん」
「でしょ?
役者はね、どんなことでも芸の肥やしになるんだから」
根古は上機嫌に坂を上り始めた。
吐いた息も同じように空へと昇り、桜のつぼみにぶつかっては霧散した。
END