目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
トラックに轢かれて転生したのに…何かがオカシイ
トラックに轢かれて転生したのに…何かがオカシイ
竜蓮
SF空想科学
2025年05月19日
公開日
6,374字
完結済
転生したら家族がいた。 でもこの「幸せ」は、なにかがずれている。

「……こっちが正解だったのに──」

意識が混濁している。

世界の輪郭が、にじんで見えない。

不規則に襲ってくる激痛で拳を握る。


今思えば、冴えない人生だった。


子どもの頃は“神童”だと持て囃され、いわゆる優等生だった。いや、ガリ勉か。

親が学歴コンプレックスを拗らせていたせいで、俺の記憶では友達と遊んだ時間より、塾にいた時間の方が圧倒的に長かった。

神童だと? ——同級生たちが恋だの青春だのしている間、俺は必死に勉強していたんだ。

中学、高校と、ずっと受験のことだけを考えて生きていた。

好きな女の子がいたこともあるが、目を合わせることすらできなかった。


“青い春”とやらを犠牲にして勉強した結果、第一志望の大学に合格できた。


さぞ、親も嬉しかっただろう。別に親のことを恨んではいない。

心のどこかではわかっていた。俺には勉強しかないと。

親は道を広げてくれていたのだろうが、視野の狭い俺には一本のレールしか見えていなかったのだ。


第一志望の大学に合格しても、そこで待っていたのは解放ではなく、次の戦場だった。

地元ではそれなりに優秀だったが、全国から集まった“神童崩れ”たちの中に放り込まれた。

天才と変人と狂人が入り混じった研究室で、日々、課題に追われる生活が始まった。


本当は、星の話がしたかった。

宇宙が好きだった。

けれど、学部生の頃に選べるテーマなんて限られている。

結局、隅っこで粛々と基礎データを取るだけの毎日だった。


それでも、腐らずに頑張った。

「ここで評価されれば、研究職の道が開ける」──そう信じていた。


学費を捻出するために、家庭教師のバイトをこなしながら、

修士課程、博士課程へと進んだ。

親は大学の先まで考えていなかったらしい。


指導教員は悪い人ではなかったが、

俺がやりたい研究にはまるで興味を示してくれなかった。

指導の合間に、ポツリと

「君は器用なんだから、もっと現実的なテーマを選んだ方がいいよ」

なんて言ってたっけな。

──じゃあ、何のために博士号なんて取ったんだよって話だ。


同級生とは、付き合いがなかったわけじゃない。

飲み会にも、たまには顔を出した。

仲間外れにされるほど孤立していたわけでもない。

……でも、誰かの記憶に強く残るような存在でもなかったと思う。


恋愛もまあ、しようとはした。

院生のとき、同じ研究棟にいた女子に淡い好意を抱いていたことがある。

けれど、きっかけも、勇気もなかった。

目が合うたび、話ができるたび、舞いあがっては胸が痛くなった。食事に誘うことさえできずに、彼女は卒業していった。


それでも、人生には良いこともあった。

宇宙や物理が大好きだった子どもの頃からの夢。

科学者にはなれた。

夢は叶った。宇宙の謎を解き明かして歴史に名を残す──ノーベル賞も獲っちゃったりしてな。

そんな希望に満ちた時期も、確かにあった。


だが、現実は違った。


オトナのしがらみ。限られた予算。

理不尽な研究費の配分。

足の引っ張り合い、忖度、派閥争い。

そこそこの業績を出しても、研究テーマは選ばせてもらえなかった。


「ここで成果を出せば、次は君の自由にできるから」──

その言葉を、何度信じたことか。


嘘つき野郎め。呪ってやる。


ああ、アインシュタインのように、世紀の大発見をしてみたかった。

どんな気分だろう?

今この宇宙の理を知っているのは、世界で自分ひとり──

しょうがない、愚かな民衆どもに教えてやるか、って感じ?


そういやアインシュタインって、二度結婚したあげく、その後も節操なく他の女性に言い寄っていたらしい。

おかげでノーベル賞の賞金を元妻に取られた。かっこいい。

まったく、こいつもろくでもない人間だな。

それに、死後に自分の脳をスライスされて保存されるとか……絶対にごめんだ。


あ、墓とか全く考えていなかったな。

きっと葬式の喪主は父親がやってくれるだろう。

最低限の保険には入っている。葬式代は心配ないはずだ。

保険会社からちゃんと親に連絡してくれるだろうか。


クソ。月面葬でも予約しておくべきだったか。

——普通の墓なんて、ダサすぎる。


同僚と関係者で、まあまあ葬式の人数は集まるだろうから、親の世間体も悪くはないだろう。

同僚はその後、飲み会でもやってどんちゃん騒ぎか。

誰も俺との思い出なんか語るまい。

唐揚げにかけたくないレモン汁を、勝手にかけられて嫌な思いをするやつがいますように。



……おい。俺の自宅PCはどうなるんだ!?


フォルダ名『論理哲学』。

あれをクリックするやつはいるだろうか。

大丈夫だ、変な性癖はない。いたって普通だ。

年上のお姉さん系なんて、普通だろ?


いや……エロゲだけは恥ずかしい。死ぬ。


クソ! クソ! こんなはずじゃなかった。


道路に飛び出した子どもを助けてトラックに轢かれるだと? 漫画かよ。

他人なんてどうでもいいし、ましてや子どもなんか嫌いだったのに。

こんなどうしようもないおっさんより、未来ある子どもを助けるように──

そんな本能みたいなものが、細胞に刻まれているんだろうな。人間ってやつは。


クソ。


これが、今際か。

もう拳にも力が入らない。あの子を突き飛ばした時に何かの拍子で握っていた、地球儀のキーホルダーが音を立てて転がっていく。返せなくて申し訳ない。

恐怖に脳を支配されそうで、思考を止めたくない。

何も見えない。

──聴覚が最後まで残るって、本当だったんだな。


ピーー……とか、鳴っていやがる。

心臓が止まっても、意識はあるのか。


知り合いも、家族も──誰も、間に合わなかった。

急だったしな。


……父さん。母さん。ごめん。


俺は──

俺は、何かを遺せたのだろうか。


突然、世界から切り離されるような感覚が襲ってきた。

孤独の、本当の意味を、ようやく知る。


そして、徐々に抑えられなくなった恐怖が、

水面に広がる波紋のように、静かに、確実に、広がっていった。



……静かだった。


音がない。匂いもない。

闇ですらない、何もない空間。


皮膚がない。骨も、血も、ない。

だが、“意識”だけが、まだ──どこかに、在る。


そのことに気づいた瞬間、

私は、自分が「私」だったことを思い出した。


──いや、“思い出しかけた”。


名前。思考。時間。

それらが、絹のように静かに剥がれていく。


“私”が輪郭を失っていく。


焦り……のようなものが生まれかけて、消える。

感情が、概念になる。

概念が、光に変わる。


皮膚の代わりに、情報が流れ込む。

宇宙のすべてが、肌に触れてくる。


言葉が消えた。

だが、“理解”だけは、残った。


太陽のコロナ。地球の核。星間ガスの流れ。

銀河の震え。空間のひずみ。時間の伸び縮み。


それらは“見えた”のではない。

“理解された”のだ。瞬時に。無条件に。完全に。


理解が、美しすぎて、苦しかった。


快楽にも似た圧力が、思考の残骸を潰していく。

情報が押し寄せる。波ではなく、洪水でもなく──全方向からの光圧。


現在が、ない。


過去が“見える”。未来も“見える”。

だが、今はない。

“今”とは、生前、脳が作り出していた錯覚だったのだ。


この世界では、すべての可能性が同時に“視える”。

無数に分岐した世界線を、観測できる。


──まず、子どもを助けなかった世界を視た。


事故の瞬間、私は立ち尽くしていた。

運転手が何かを叫んでいる。だが、その声は私には届かない。


その後、人生に劇的な変化は訪れなかった。

ただ、わずかな罪悪感と、大きな後悔だけが、

人生の底に澱のように沈み続けていた。

私は目立った業績も残せず、静かに、孤独に死を迎えた。


──だが、興味深かったのは、その三百年後だ。


愚かにも、自分たちの存在を宇宙に向けて発信し続けていた人類は、

やがて──超文明の知的生命体に見つかってしまう。

まるで、狩人が潜む暗黒の森で、稚児が無邪気に誰かを呼び続けていたかのように。


恒星間航行可能な超文明だ。敵うはずがなかった。

もちろん人類は抵抗したが、戦争と呼べるのかすら疑わしい。

戦いは一方的な蹂躙で、凄惨を極めた。

命乞いの意思が伝わることさえなく、彼らは──たった一人の例外もなく、人類をこの宇宙から消し去った。

七百万年続いた人類史は、わずか七日間で幕を閉じたのである。


最後に残ったのは、憎悪と悲痛と絶望。

そのすべての思念が渦を巻き、怪物のような存在となって私に襲いかかってきた。


──呑み込まれる前に、視るのをやめた。



———次に、子どもを助けた世界を“視る”。


彼は無事に成長し、青春を謳歌した。

ある女性と出会い、家族を持ち、穏やかな人生を歩んだ。

やがて、彼は科学者となる。

命を救ってくれた、名前も知らぬ“しがない科学者”に憧れて──。


彼は何度も、私の墓に足を運んでくれていた。

楽しかったことも、辛かったことも──すべてを、墓前に語っていた。


やがて家族を連れてくるようになってからは、

手を合わせたあと、やんちゃな男の子ふたりが墓石のまわりで追いかけっこを始める──それがいつもの光景になっていた。


「お父さんの研究はね──」

彼はよく、子どもたちに語っていた。


その人生を“理解”した瞬間、

情報の塊となったはずの私の中に、言葉にできない──けれど確かな、誇りのようなものが芽生えた。


彼は晩年、

人類が長らく追い求めてきた宇宙の謎──“ダークエネルギー”の片鱗に触れた。


彼の死後も、その意志は受け継がれていく。

やがて人類は、その正体を掴み──地球の技術は、新たな時代を迎えた。


先の世界線とは異なり、この未来では──

人類は超文明の知的生命体とのコンタクトに成功していた。

戦争は起きていない。

同等レベルの文明同士は、戦わない。


なるほど。

──ダークエネルギー。

理解した。


世界のすべてが“視え”、すべてを“理解”できる。

いや、もしかしたら最初から──知っていたのかもしれない。


……だが。


この“意識体”となった今でも、

どうしても“視えない”場所がある。


やはり、そこだけは特別らしい。

情報が完全に遮断されている。


どうせ他に知りたいことなど、もうない。

“そこ”に入れば、きっと二度と出られない。


だが、迷いはない。

まがりなりにも──私は、科学者だったのだ。

確かめずにいられるものか。


情報の流れが裂けるように、境界面が見えた。

あらゆる因果が終点を迎える空間。


もしかしたら──

アインシュタインも、ホーキングも、そこにいるのかもしれない。





天の川銀河の中心。

その、巨大な暗黒の静寂に私は向かっていた。


周囲には、もう星も光もなかった。

あるのは、曲がった空間と、ねじれた時間の感触だけ。


この先は———

まだ、行ける。まだ──観測できる。


視界がゆがみ、前後も上下も消えた。

加速という感覚が消え、“近づく”という概念までもが剥がれ落ちていく。


そして、境界に触れた。


──事象の地平線。


私という存在が、観測者であることをやめる空間。

すべての情報が、外の宇宙へ還らなくなる境目。


超えた瞬間、何かが爆ぜた。

知覚できない何か。情報が一切ない。

違う。“情報”が空間を歪ませていた。


空間が裂ける。

時間が崩れる。

因果律が反転し、光すらも中心へ落ちていく。


私は、点になった。


重さも、広がりも、意識さえも──潰れ、折れ、引きちぎられる。


あまりの密度に、存在という概念が解けていく。

思考も、記憶も、圧縮され──


物理法則が一切通用しない”何か”の中——

解けた糸が逆再生のようにまた織り重なる。

時間がマイナスへ流れていく。

あるはずのない光が現実の輪郭を描きはじめた。




──そして、“目を開けた”。


白い天井。

朝の光。

となりで眠る妻。

リビングには、笑い声。

男の子が二人、じゃれ合っている。


まるで、ずっと夢を見ていたようだ。

永遠のような、それでいて一瞬のような。

どんな夢だった? 思い出せない。

あまり良い夢じゃなかった気もするが……なぜか、救われたような気もした。


「お父さん、今日も遅いの?」

食パンのくずをこぼしながら、息子が聞いてくる。


「あぁ……今日は遅くなるかもな」

息子の眉毛が、額の真ん中でくっつきそうになった。

隣では兄がにやにやしている。

妻がこちらを見て、何かを言おうとした、その前に。


「冗談だよ。お前の誕生日、忘れるわけないだろ」

彼女がふっと笑う。


最近は仕事もうまくいっている。

こんな何気ない毎日こそ、俺が求めていた幸せだ。


「今日は、いつもより早く帰ってくる。待ってろよ」

「やった!やったー!」

息子はちょっと芝居がかった調子で言うと、

とびきりの笑顔を見せてくれた。

いつもより、少し早く家を出た。

仕事にかまけて──あろうことか、息子の誕生日プレゼントを買い忘れていたのだ。


「お父さん、なんか落としたよー?」

長男に呼び止められ、地球儀のキーホルダーを見せられる。

「なんだ、それ。俺のじゃないぞ」

「あ、そう。じゃあ貰っちゃおうかなー」

言いながら長男は弟と一緒に学校へ行った。


朝の光が心地いい。いつもの、慣れた道。

軽快に流れる、陽気な音楽。

誕生日プレゼントは何を買おうか。

息子が一番喜ぶもの、か。

あいつもいつの間にか大きくなった。

あまり子供扱いもよくないだろう。



──刹那。


何かが、目の前に飛び出した。


思考が止まる。

右足が反射でブレーキを踏んでいた。

タイヤが地面を掴み、トラックが痙攣する。

シートから伝わる衝撃で、何が起きたのかを理解する。


陽気なラジオは、止まらない。

血が、凍る。


トラックを降りた。

前方に──誰かが、腰を抜かしたようにへたり込んでいる。


見覚えのない、けれど、知っている顔。

その男の目を見た瞬間、

永遠のような、それでいて一瞬のような情報が、脳を貫いた。


甦る。

すべてが、甦る。

あの絶望の世界線が、口を開けて笑っていた。


叫んでいた。自分でも気づかないうちに。

自分への怒りと落胆、軽蔑が混じる。


「なんで──なんで助けなかったんだよ!!」


お前が轢かれて、俺が不幸になる世界線。

そして人類が救われる世界線。

いや──この子が、生きて幸せになる世界線。


「……こっちが正解だったのに──」















──後ろから子どもの泣き声が聞こえる。


振り向くと、身体が勝手に走り出していた。

子どもを抱きかかえる。

タイヤに潰されたランドセルが、視界の端に転がっていた。


「大丈夫か!? ケガはないか!?」

返事はない。ただ、泣き声だけが胸に響いた。


さっきまでの怒りも混乱も、今はもうどうでもよかった。


かつての俺に、言った。声は震えていた。

「救急車! 早く!!」


──病院の待合室。

前世で俺が死んだ場所かもしれない。

そんなことをぼんやりと思いながら、彼を見ていた。


彼は──かつての“俺”は、確かに助けていた。

子どもを庇うように、後ろから突き飛ばしていた。

でもこの世界線では、かつての俺は死ぬはずだ。

何かが…ずれたのか?


──無数の世界線の、その“隙間”。


前世の記憶は曖昧で、死後のあの体験も夢のようだ。

だが、あの怪物のような人類の思念だけは、強烈に記憶に焼き付いている。


「……本当、良かったです。あの子が無事で」

かつての自分と話すという奇天烈な体験。

だが、不思議と落ち着く。


「……ああ。お前が押し出さなきゃ、助からなかった」

なんとなく、敬語は使う気になれなかった。


こいつのPCの中の『論理哲学』という名のフォルダも、

宇宙が大好きだったことも、知っている。


──まったく。こいつも、ろくでもない人間だ。


だけど……親友になれる気がする。

なんせこいつは俺だ。

そして、二人でこれからやるべきことがある。


理由はわからないが、このままではあの子が科学者にならないという事が”わかる”のだ。

なにかがずれている。

そうなればあの世界線がやってくる。


「あの、すみません……そろそろ仕事に戻らないと……」

彼は腕時計を見ながら立ち上がった。


俺は、おかしな感覚をまだ拭えないまま彼の目を見る。


「なぁ……話がある。今度飲みにでも行こう。赤ワイン、好きだろう?」


かつての俺が困惑した顔で俺を見る。

俺は続けて言った。


「あの子を科学者にする。」


「……え?」


「世界を救うんだよ——」



──END

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?