夢を見た。
・・・・・・キミの心臓が止まる夢を。
なんだ、ただの夢じゃないか。
そんな強がりとは裏腹に、全身の冷や汗は引いてくれない。
正夢だとか、予知夢だとか。普段からそんなことを信じているわけではない。
ただ、なぜか。なぜだろうか。
今日だけは、「これはただの夢だ」と切り替えることができなかった。
***
放課後。二人並んで歩く帰り道。終わりかけの桜の花びらが風に飛ばされている姿が、春の終わりを感じさせる。
温かかったり寒かったり。日によってその姿を変える春の陽気は、気まぐれにワタシを振り回すキミに似ている。
「でさ~。そこでガマガエルの奴、なんて言ったと思う?」
「ガマガエル」。うちの学校で技術科教師を務める小太りの中年男性に対して、生徒間で密かにつけられた蔑称。今のご時世めっきりいなくなったとされているはずのパワハラ教師で、生徒たちからは当然蛇蝎のごとく嫌われている。カエルだったりヘビだったりサソリだったり忙しい奴だ。
そんなガマガエルに対する愚痴が止まらず、ワタシのことを蜂の巣にせんばかりの勢いでマシンガントークを繰り広げるキミ。
なんだ、元気そうじゃないか。やっぱり、あんな夢なんて杞憂にすぎないに決まっている。今日の漢文の授業で習ったばかりの言葉になぞらえ、自分を安心させようとした。
だが、なぜだろう。心のもやは晴れてはくれない。
「ねえ、聞いてる・・・・・・?」
少し不機嫌そうなキミの声。ずっと隣を歩いていたのに久しぶりに凝視したその顔は、ふくれっ面でむくれていた。
「うん、聞いてたよ。ガマガエルでしょ?」
「その話ならもう終わったよ」
あれ? いつの間にかガマガエルはどこかに消えてしまったようだ。いけない。そんなに考え事にふけっていたのか、ワタシは。
「どうしたの・・・・・・? 今日、なんか変だよ?」
ついには様子のおかしいことまで悟られてしまった。鈍感がセーラ服を着て歩いているみたいなキミに悟られてしまうほどだなんて、今日のワタシはよっぽど変だったのだろう。
「別に? なんでもないよ」
我ながら苦しい誤魔化し方だとは思う。しかし、今のワタシには誤魔化す以外の選択肢ははなから無い。「キミが死ぬ夢を見た」なんて、わざわざ本人に言って何になるんだ。
「嘘」
そう一言だけボソッと呟いたキミの澄んだ両の瞳が、ワタシを捉えて放さない。
「また、何か隠してるんでしょ?」
今日のキミはやけに鋭い。名探偵の霊でも降りてきたのだろうか。
でも、「また」なんて心外だな。普段隠しているものなんて・・・・・・いや、一つだけあるか。
「別に・・・・・・隠し事なんて・・・・・・」
「じー」
万事休す、蛇に睨まれた蛙か。その両瞳で見つめられて、ワタシがキミに勝てた試しはない。
「わかったわかった。ちゃんと話すから・・・・・・」
おとなしく白旗を振って降参宣言する。勝ち目の無い戦いはしない主義。
「わかればいいんだよ、わかれば」
でも、そんなに誇らしげにされると、やっぱりちょっと話したくなくなるな・・・・・・。
「笑わないで聞いてよね・・・・・・?」
「笑うわけないじゃん」
そう言って真顔に戻るキミだけど、すこしばかり信用ならない。
まあいいか。いっそ笑い飛ばしてくれた方が、こんな夢馬鹿馬鹿しいと思えるようになるかもしれない。
だから、ワタシは。包み隠さず。今朝見た夢のことを、キミへと話した。キミがどこかに逃げないように、両の瞳を見据えながら。
「何? そんなに私のこと好きだったの? このさみしがり屋さんめー」おそらくかけられるであろう言葉はこのあたりだろうか。
「そっか・・・・・・。話してくれて、ありがとう」
しかし、実際に告げられたその言葉は、予想からずっとかけ離れた神妙なものであった。
なんで? なんでよ?
どうしてこんなときばかり、そんな真剣な目をするの? そんな悲しそうな目をするの?
確かに「笑わないで」って言ったのはワタシだ。でも、そんな真剣に受け止められるくらいなら、いっそ笑い飛ばしてくれた方がよかった。その方がワタシだって、「あんな夢くだらない」と笑い飛ばせるかもしれなかったから。
そんな風にされたら・・・・・・まるで肯定されてるみたいじゃん。
滴が一つ。ざらつくアスファルトの上へと零れ落ち、儚く消える。
そんなワタシのことを見かねてか、キミの小さな手のひらが、ワタシの頭をそっと包む。
「大丈夫だよ。・・・・・・私はどこにも行かないから」
そんな優しい声をかけられたせいで、ワタシの感情の堰は決壊する。にわか雨は土砂降りへ変わり、アスファルトの一部だけにシミを作った。
視界が滲んで不明瞭なせいだろうか。優しく微笑んでいるはずのキミの表情は・・・・・・なぜだかひどく悲しいものに見えた。
***
その日の夜。また、夢を見た。やっぱりキミの心臓が止まる夢。
***
通学路。いつもの時間に珍しく、キミの姿が無い。
別にいつもだって待ち合わせしているわけではない。だから、ワタシ一人で歩いていく。
車道側には、今日もけたたましいサイレンを鳴らして爆走する救急車。大病院へと向かうためのルートとなるこの通りでは、別に珍しい光景でもなんでもない。
だから、きっと・・・・・・。一瞬だけよぎった嫌な予感だって、きっと気のせいに決まっている。
***
教室。珍しくキミの姿が無い。
昨日まで元気そうだったけど、風邪でも引いたのだろうか。バカは風邪引かないなんてよくいうけれど、キミはバカなのによく風邪を引く。だから、あの言葉は嘘だったんだろう・・・・・・。
チャイムが鳴ると、アマガエルが教室に入ってくる。
「アマガエル」。ワタシたちのクラスの担任の愛称。「ガマガエル」と顔は瓜二つだけど、駄肉の付き方がやや控えめ。それに性格は真逆で優しいから「アマガエル」。
そんなアマガエルが、やけに神妙な面持ちで口を開こうとする。
また誰かが何かやらかしたのだろうか。お世辞にも偏差値の高いとは言えないうちの学校では、耳を疑うような珍事件が度々起きる。ロッカーの壁を蹴って穴を開けただとか、女子トイレに濡れたトランクスが落ちていただとか。
でも、そんな高校にも、もう通い始めて2年だ。今更何をお出しされても、そうそうは驚かない自信がある。それがいいことなのかどうかはさておいてだ。
意を決したかのように、ついにアマガエルがその口を開いた。
そこからお出しされた言葉は・・・・・・まさに耳を疑うものであった。
***
それから後のことは、正直まるで覚えていない。
ただ、頭は潰れるように痛い。いや、首だろうか、背中だろうか。身体全体がもう訳わからないほどに痛むせいで、どこがどう痛いのかすらもはっきりしない有様だ。
ここは、いったいどこだろう。ただ真っ暗で、何も無い。
ワタシはただ、あの嘘つきのバカを探しに来ただけなのに、どうやらとんでもないところに送られてしまったみたいだ。
いや、バカはワタシだ。天国だなんてたいそうなもの実在するわけがないし、もしあったとしても、そこにキミがいるなんて確証はどこにもない。それにもしも天国が実在し、かつキミがそこに行ったとしても、後を追いかけたところでワタシが行くのは地獄の方に決まってるじゃないか。
今頃パパとママは何を思っているだろうか。親不孝も甚だしくて、合わせる顔もあったもんじゃない。どのみち、もう会いたくても会えないけどね。
「なんで来ちゃったの・・・・・・? ・・・・・・バカ」
どこかから、聞き覚えのある声がする。ずっとずっと、探していた人の声。
辺りを見回してみても姿は見えない。
ただ・・・・・・確かに声がした。今はもう、それだけで充分だ。
「せっかくの再開なのに一言目がそれ? わざわざ探しに来てあげたのに。・・・・・・何が『私はどこにも行かないから』さ・・・・・・この嘘つき・・・・・・」
「別に嘘つくつもりなかったもん」
「でも嘘ついたことに変わりはないからね?」
「だからって・・・・・・」
「皆まで言わないで。もう死んじゃったものは仕方ないじゃん」
「まあ・・・・・・そうだね」
「だからさ、笑ってよ」
・・・・・・もう、顔なんか見えないけどね。
すでに感覚なんて無いワタシの身体は、永遠の中へと溶けていき、徐々に一つとなっていく。
「今度はちゃんと・・・・・・ガマガエルの話聞いてあげるからさ」
「だから、その話はもう終わったって言ったじゃん。ていうか、やっぱり聞いてなかったんじゃん、私の話。・・・・・・ふふ」
ああ・・・・・・やっと笑ってくれた。
もうワタシの身体は、ワタシの言うことすらも聞いてはくれない。
ただ、この常闇の中で、永遠の春をキミと漂うのだ。