目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第6話『佐倉 玲奈』

 これは私が調べ上げた真実。

 そこに私情は挟んでいない。


 そう自分に言い聞かせているけど、心のどこかでざわめくものがある。


 ―――あの事件から数日が経った。


 3年B組の教室で起きた出来事を思い出すたび、胸の奥で冷たいものが蠢く。


 事件の直後。 

 数人の教師たちが騒ぎを聞きつけて、教室に飛び込んできた。


 割れた蛍光灯の破片が床に散らばり、腐った花瓶の水と獅子堂の糞尿の臭いが混ざった空気の中、生徒たちは恐怖と興奮で口々に叫んでいた。


 『獅子堂が突然倒れた』

 『伊藤がやった』

 『アイツは化物だったんだ』


 ――と。


 叫び声が飛び交う中、伊藤君は静かに席に座っていた。

 手に持った花瓶をそっと机に戻し、視線を床に落としていた。

 嵐の中心にいるのに、どこか別の場所にいるような、そんな顔で。


 教師たちは混乱を抑えようと必死だった。


 獅子堂は意識を失ったまま担架で運ばれ、救急病院へ。


 残った生徒たちは別室で事情を聞かれた。


 どの生徒も伊藤君の事を訴えていたが、教師たちはそんな話を鼻で笑った。


『化物? バカバカしい。いい加減にしろ』って。


 結局、事態は『伊藤と獅子堂が喧嘩し、獅子堂が重傷を負った』で片付けられた。


 証拠は曖昧で、目撃者の話もバラバラだったけど、獅子堂が倒れた事実は動かせず、伊藤君は傷害を理由に謹慎処分を受けた。


 今も彼は学校にいない。


 謹慎がいつまで続くのか、誰も教えてくれない。


 あの教室の異様な空気、獅子堂の裏返った目、そして私の頭に響いた「血堕螺陀」という音――それらは全部、教師たちの『喧嘩』という言葉で塗り潰されたのだ。


 …………。

 獅子堂はその後、学校に姿を見せなくなった。


 噂では、精神的なショックで入院したとか、家族ごとどこかへ引っ越したとか。

 誰も真相を知らないし、誰も彼の話をしなくなった。

 まるで、獅子堂という存在が、教室の記憶から消されたみたいに。


 ただ、あの事件は伊藤君をからに変えた。

 いじめっ子たちは静かになり、机の落書きも消えた。

 でも、彼が学校にいない今も、彼の名前は学校中に広がっている。


 廊下で囁く声、好奇心むき出しの視線。

 彼の不在が、かえってその存在感を大きくしている。


 私の霊感が告げている。


 あの日、伊藤君の内に何かがいると確信した。


 濃い影、揺れる空気、そして時折聞こえる『血堕螺陀』という囁き。

 あれは幻聴じゃない。


 危険だと分かってる、でも――私は正体を突き止めないといけない。


 だから、こうやってメッセージを残している。


 私に何かあったとき、誰かが気づいてくれるように。


 正直、今の伊藤君に近づくのは怖い。

 でも、放っておけない。





 だから私は今、




 彼の家の前にいる。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?