「あきちゃん……これは一体……」
まるで時が止まったかのように、追いかけてきていたはずの死者は動かない。
「この祠は、壊された。それが一体なんの役目を持っていたのか、わからないよね」
「わかんない……わかんないよそんなの」
「教えてあげる。ほら、おいで」
そう言うと、あきちゃんは手を広げる。
私は吸い寄せられるようにあきちゃんの方へと歩いていく。
「良い子……私のために、壊してくれたんだよね」
「うん……あきちゃんと、ずっと一緒に居たかったから」
それを聞いたあきちゃんは、嬉しそうに目を細める。
「ならよかった……これからは、ずっと一緒だからね」
彼女は優しく私を抱擁する。
私の全てを包み込む。
臆病で弱い心や、すぐに疲れる貧弱な身体、まともに動かせない頭にすぐに痛む胃。無駄に空気を吸い込んで苦しくなる肺に、人前に立てない心臓、私の嫌なところ全部、全部全部包み込む。
「あきちゃん……あきちゃん……」
何度も彼女を求めるように名前を呼び、抱きしめ返す。
こんなカンペキな彼女が、私であるなんて信じられなかった。
「あきちゃんは……私なの?」
「違うよ? あたしは明穂。篠宮 明穂。しーちゃんはしーちゃん、あたしはあたし。でしょ?」
それは今私が求めている答えそのものだった。
だからこそ、彼女は私に真に都合の良いカタチで現れたものなのだと逆に納得させられた。
「今、私たちはどうなってるの? 他のみんなは、どうなってるの?」
「見た通り。ぜ〜んぶ止まっちゃった。町の人は、この祠はあっちの世界とこっちの世界を繋ぐ道標だって、そう言ってたでしょ?」
「う、うん……」
「あれは勘違い。本当はそうじゃない」
「だったら……どうしてこんな風に死んだ人たちがこの町に……?」
「この祠があるからこの町に死者が来るんじゃない。いつだってどこだって、年中絶えず死者はそこらにいて、自由気ままに過ごしてる。でもこの祠は、死者の魂たちを閉じ込めていた。お盆の期間の間だけしかこの町では死者は動けない。その代わり、実体を伴って動くことができていた。だからその期間に死んじゃった人がいると、それと同類になっちゃうの」
「それが、あってはならない……」
「しーちゃんは、昔お盆にこの町で死んじゃった。だから死んだまま実体を持っていて、祠に封じられる前に町を出ちゃったから死ねなかった」
「あきちゃんは……その時に……」
「……だから言ったでしょ? あたしはあたしだよ」
見え透いた嘘だ。
でも彼女は、それだけは譲ろうとしなかった。
あきちゃんを、一人の人間として見たい私の意志を尊重するみたいに。
「でも、なんで止まっちゃったの? 祠は魂を封じてたものだったなら、みんな解放されて肉体を失うんじゃ……」
「そう。肉体を失って、そうしてみんな魂になる」
「え……?」
ようやく気がついた。
あきちゃんは、初めからそのつもりだったのだ。
「だ……騙したの?」
「違うよ。あたしたちはずっと一緒。止まった世界でふたりきり。例えるのなら、もう列車が出たあとの駅のホームみたいな。世界は既に、あたしたちより向こうに行っちゃった。数秒後には、きっともう周りのみんなも、あたしも、しーちゃんも……みんなみんな消えてしまっているけれど、ここは、ここだけは、消えることはない。祠を壊した瞬間に生まれた歪みにあたしが作り出した、誰にも冒せない、あたしとしーちゃんだけの世界なんだよ」
肉体を失って魂だけになることは、全部の死者が望んでいることではなかったのかもしれない。
この町の人たちは、そんな風にして帰ってきた死者たちから何かしらの恩恵を授かっていたに違いないのだ。
その全ての因習を、私たちの都合で打ち壊した。
ただ、ふたりでこの世界に閉じこもるために。
「……すごい、すごいよあきちゃん!」
私はあきちゃんを再び抱きしめた。
「この世界なら、誰にも邪魔されない……バカにされない……笑われない……後ろ指を刺されない……! あきちゃんとだけ、大好きなあきちゃんとだけ居られる!」
「あ、いきなし言うのズルい。ね、しーちゃん。あたしも大好き」
そういってあきちゃんははにかむ。
「ずっとこの町で暮らそう? 時間が止まっていても、夜は来なくても、あたしたちなら、いつまでも一緒にいられるよね?」
あきちゃんは私を否定しない。私を受け入れてくれる。
なら、それだけでいい。
私を否定するものなんて、いらない。
この世界に、あってはならない。
「……うんっ!」
私は子どもの頃に戻ったかのような清々しい気持ちで、あきちゃんの誘いを受け入れた。