夜行バスにゆられること約3時間。時おりうたた寝をしながら馬宮(まみや)は夜光町にやって来た。バスから降り立つと目の前に寂れた商店街が広がっている。
馬宮は手にした黒地に実家の近所にあるテーマパークに行った時に買った狐のマスコットキャラクターのデザインがはいったトートバッグを見る。中には着替え数日分と財布。あとは最低限の持ち物しか入っていない。
(なにか仕事……探さないとな)
馬宮は明日のことを考えてため息をつく。長年の実家暮らしに飽きて両親の反対を押しきって家を飛び出してきたものの、どこにも行くあてはなかった。
ひとまずバス乗り場にある明かりのついた待合室に入り、誰もいないのを確認してから椅子に座る。トートバッグの内側のポケットからバスの中ではデータ料金節約のために機内モードにしていたスマートフォンを取り出すと早速接続を切り替え、インターネットに接続してアルバイトの募集がないか探し始める。
(ん、なんだこれ)
馬宮はふと偶然開いたあるWebページの募集内容に目をとめる。内容は「夜光町四丁目夜間警備求ム。」これだけだった。他にはアルバイト先の住所と電話番号以外は何も書かれていない。
馬宮はページを下まで指でスクロールして見てみたが、特になくただの真っ白なスペースがあるだけだった。念のために書かれた報酬金額を確認してみると……。
(はあ……嘘だろこれ。5日間で100万だって?!)
馬宮はページを二度見して、念のため画面のスクリーンショットを数枚撮った。もしこれが詐欺だった場合の証拠になるからだ。馬宮は続けてアルバイト先の住所を検索エンジンで打ちこんで探してみる。場所は町のはずれにある今は稼働していない玩具メーカーの工場だった。最近は眉をひそめるような物騒な事件も多いのできっと夜間の警備が必要なのだろう。
馬宮は悩んだ末、そのWebページに書かれた電話番号に電話をしてみることにした。仕事内容について詳しく聞こうかと思ったのだ。数回のコール音の後に担当者が通話に出たので、馬宮はどもりつつもなるべく丁寧に「仕事に応募してみたい」ということを伝えた。
「あ、あのう……。それで、仕事の内容をお伺い……したいのですが」
『ああ。あれが全てですよ。仕事はウチの工場の夜間警備です。馬宮さん、失礼ですが……お仕事の経験は?』
「あ、えっと……不定期で、Webでドラマや映画のあらすじ記事を書くライターの仕事をしてます。昨日まで実家で暮らしてたので外に出て働くのは初めてです……」
『なるほど。では……今からこちらに来ることはできますか?ちょうど今夜は私1人しかいないので、見回りを手伝っていただけると大変ありがたいのですが』
それは採用されたのだと気がついた馬宮は担当者に「はい!」と勢いよく返事をする。腕にはめたスマートウォッチの画面を見ると23時30分だった。
「わかりました。今から向かいます。あの……お名前は何とおっしゃるんですか?」
『……これは失礼。仁礼野(にれの)です。ではお待ちしていますね』
*
馬宮は再び電車とタクシーを乗り継ぎ、アルバイト先の夜光町四丁目にある「夜光町プレイタイム・ファクトリー」にたどり着いた。廃墟となった工場は静まりかえっていた。中に人の気配は感じない。入口には頑丈な鉄のシャッターが下ろされていて「関係者以外立ち入り禁止」という黄色と黒の予防線のようなテープがあちこちに貼られている。馬宮はシャッターの前に立ち、備え付けられたインターホンのボタンを押した。
『……はい。どちらさまですか?』
「あのう……応募した馬宮です」
『ああ。馬宮さん。今入口のシャッターを開けるのでちょっとだけ待ってください』
インターホンごしから仁礼野の声が消えると馬宮の目の前のシャッターが軋んだ音を立てて開いていく。半分ほど開ききったところで奥から走りよってくる人影があった。人影は担当者の仁礼野だった。工場のロゴが入った野球帽のような紺色のキャップとくしゃくしゃになった作業着を着た仁礼野は馬宮を見ると安心したような表情になって頭を下げた。
「こんな時間にお呼びしてしまって本当にすみません馬宮さん……。さあ、とにかく中へどうぞ」
「はい、ありがとうございます。あの……電話で聞いたよりもその……お若いんですね」
馬宮は電話の声から勝手に仁礼野を初老の男性としてイメージしていたので実際に会ってみて雰囲気がまったく違って驚いた。
「え?ああ……そうですか?今年の誕生日で60ですよ。還暦」
「ええっ?とても……そんなふうには見えないですよ」
黒いマスクで隠されていない顔の上半分や作業着の袖から見えている肌には張りがあり、皺も少ないのでぱっと見は40から50代くらいにしか見えない。髪は冬に降る雪のように真っ白だ。
「ありがとうございます……。私、あまり人に自分の容姿を誉められたことってないので……なんだか照れてしまいますね」
仁礼野が照れ隠しに頭に被ったキャップをいじる。その間に馬宮の背後で入口のシャッターが閉じられた。入った時は住宅街の明かりがあったがシャッターが閉まるとほとんど暗闇だ。
「ああ……すみません。夜間でも節電しているので中はとにかく暗いんですよ。今ライトをつけますね」
仁礼野はそう言うと作業着のポケットから自分のスマートフォンを急いで取り出して照明を点灯させる。一筋の照明が照らし出す足元はうずたかく積もった埃と何かの残骸か瓦礫が山になっていた。馬宮は危うく床から飛び出した鉄板に激突しそうになり、仁礼野に助けられた。
「気をつけてくださいね。ああいうのが他にもいっぱいありますから。ある意味でもう罠ですよ……トラップ」
「ですね……。気をつけます」
仁礼野は話しながらチッ、と床の残骸を見て忌々しげに舌打ちした。作業着に細かな傷があるのはおそらくこれが原因だろう。仁礼野と馬宮が工場を奥へと進んでいくと小部屋にたどり着いた。
「ここが休憩室兼仕事部屋です」
「うわ、明るいし涼しいですね……!」
「ここだけはエアコンがないと夏場は熱中症で死にますからね。特別です。あ、馬宮さんちょっとこっちに来てください」
小部屋には小型のLED照明が点いていたが薄暗かった。馬宮は仁礼野が手招きするのでそちらに行くと何かが印刷された紙の束をクリアファイルごと手渡された。
「仁礼野さん、これは?」
「ここの夜間警備のマニュアル……みたいなものです」
仁礼野は部屋の照明をリモコンを使って最大にすると、ぱらぱらとめくりながら早口で馬宮に注意事項を説明し始めた。それによると内容はだいたい下のようなものだった。
①夜間警備は毎日24時から翌朝の6時まで
②夜間警備中の不慮の事故や怪我については運営会社はいっさい責任を負わないものとする
③担当者は必ず2人1組で行動すること
④仕事の内容は一切他人に口外しないこと
まだ他にもあったが馬宮が憶えられたのはそこまでだった。仁礼野は一通り説明すると大きく息をつき、デスクの上に置いていた天然水のペットボトルを手に取ると一気に飲み干した。
「ええと……ざっとあんなかんじなんですが大丈夫ですかね?とにかく困ったら私に聞いてください。一応全部頭の中に入ってるので。じゃあ、あとは……あそこに行きましょうか。ついてきてください、こっちです」
仁礼野は小部屋の壁際に設置された監視カメラのモニター画面のうちの1つを指さす。ショーが行われるような舞台ステージの上には馬宮の持っているトートバッグに描かれたようなマスコットキャラクターの姿をした等身大の着ぐるみ……のようなものが横一列になって並んでいた。
「仁礼野さん、待ってください!」
馬宮はモニターに映っているのが一体何なのか検討がつかなかったので考えるのを諦め、小部屋を出て仁礼野の持つスマートフォンの光を追って走りだした。