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第20話

一真は夢を見ていた。


夢の中、あのパーティーの裏庭は、陽射しがちょうどよくて心地よかった。

彼は電話をかけに行くことなく、大きな木の下に立っていた。

その視線の先では、白いワンピースの少女が、小さな鳥の巣をそっと枝に戻している。


彼女は軽やかに木から飛び降り、スカートの裾についた埃を払う。

そして顔を上げたその瞬間、二人の視線がかち合った。


彼はゆっくりと近づき、低く、どこか甘さを含んだ声で口を開く。


「こんにちは。風間一真です。君の名前、聞いてもいい?」


少女はぱちくりと瞬きをし、ふっと顎を上げて小さく笑った。


「へぇ? どうして?」


「君が、すごく綺麗だったから。」

彼が微笑むと、少女の耳の先がほんのり赤く染まる。


「……そこまで言うなら、特別に、私と知り合うチャンスをあげてもいいわよ。。」


彼は思わず吹き出しそうになった。

――なんだこの子、可愛すぎる。



夢の中の物語は、まるで最初から決まっていたように進んでいった。


彼が彼女に愛の告白。

彼女はツンとしながらも恋人関係を受け入れた。

恋が始まると、彼は彼女をとことん甘やかし、彼女は彼の腕の中で思いきりわがままを言って甘えていた。


やがて二人は結婚し、祝福の中、指輪を交換する。


彼がそっと口づけを落とすと、彼女は真っ赤な顔でささやいた。


「風間一真、一生、大事にしてよね。」


「もちろん。」彼は笑って頷いた。




「風間さん? 風間さん!」


医師の声が、甘く幸せな夢を強引に引き裂いた。


一真は、ばっと目を開けた。

視界に映ったのは真っ白な天井。

背中と胸に走る鋭い痛みが、現実であることを突きつけてくる。


――結婚も、恋も、なかった。

あったのは、ズタズタに傷ついた現実だけ。


「……美月は?」かすれた声で問う。


「庭にいます。」


その言葉を聞いた一真は、看護師の制止を振り切ってベッドから身を起こした。

ふらつく足を引きずりながら、よろよろと庭へ向かう。


降り注ぐ陽光の中に、美月は静かに佇んでいた。

指先でバラの花をそっとなぞり、その横顔は光に照らされて、息をのむほど美しかった。


彼は一歩、踏み出そうとする。

だが、その直前――彼女は携帯に向かって、ふわりと笑みを含んだ声をこぼした。


「……うん、私も会いたい。」


一瞬で、一真の体中の血が凍りついた。


その声には、かすかな甘えが混ざっていた。

彼が、いまだかつて一度も聞いたことのない、柔らかくて優しい声だった。


「……ねえ、あなた。」


美月の声は囁くように小さかった。

だがそ言葉、鋭い刃のように一真の胸に突き刺さる。


一真は衝動のままに彼女へ駆け寄り、その手首をがしっと掴んだ。


「……今、何してた?」


驚いた美月は一瞬目を見開いたが、すぐにいつものように冷静さを取り戻し、ふっと眉を上げる。


「なにって……旦那と電話してただけ。悪い?」


「旦那って呼ぶな!」

声がかすれ、怒りとも哀願ともつかない赤く染まった眼差しで彼女を見据える。


「呼ぶけど?」

彼女は冷たく笑い、挑むように繰り返した。

「旦那、旦那、旦那――」


そのたびに、一真の顔から血の気が引いていく。


そして、ついに。


目尻が赤く染まり、震える声で、彼は言った。


「……美月、俺を壊さないでくれ。」


美月は言葉を失った。


――彼女の前にいるのは、これまで見たことのない風間一真だった。

傲慢さの欠片もなく、まるで、砕けたガラスのように痛々しい彼。


「……全部、報いなんだろうな」

かすかに笑いながら、彼は言う。その笑顔は、泣き顔よりも悲しかった。

「俺のこと、殺してくれてもいい。……けど、そんなふうに遠ざけないでくれ。」


美月の喉が詰まり、言葉が出なかった。


けれど、一真はすぐに表情を戻し、穏やかな声で続けた。


「昨日、そばにいられなくてごめん。」


一拍置いて、彼はそっと彼女の手を取る。


「――今日は、君のためにサプライズを用意した。」



夜が訪れた。

美月はある屋上の特設ステージにやってきた。


最初はショーか何かだと思っていた。

だが、場内に司会の声が響いたとき、その予想は粉々に打ち砕かれた。


「さあ今夜のスペシャルショー! 風間一真VSブラックストリーム!」


「……は?」

美月は立ち上がり、

「あんた……正気!?」


一真は静かに微笑んだ。


「君が受けた傷、俺が返す。」


鉄柵が開かれ、黒い巨獣が唸り声とともに飛び出してくる。

一真は素手のまま、猛然と突進してくる獣へ身を投じた――!


「一真っ!!」


叫ぶ美月の声が届く間もなく、一真は地面に叩きつけられ、牙が腕に喰い込む。

鮮血が飛び散る中、彼は唸りながら拳を振り上げ、獣の目を一撃で打ち抜いた!


観客たちの間に、驚きの声が広がる。

だが、それでも戦いは終わらない。


肉を裂き、骨を噛み砕くような咆哮の中、

一真は一歩も退かず、ついには犬の首を両腕で締め上げ、息の根を止めた――



場内は、静まり返っていた。


血に染まった身体のまま、彼はふらつきながら美月の前へと歩み寄り、

そして、膝をつく。まるで騎士が女王に跪くように。


「十箇所……噛まれた。」

傷だらけの顔を上げ、彼は掠れた声で言う。

「十倍返しだよ、美月。」


「これで……俺を許してくれる?」


美月の指先が、かすかに震えた。


「……ほんとに……あんた、どうかしてる……」


一真はその言葉に、ふっと笑う。

彼女の手を取り、自分の血に濡れた頬へそっと当てながら――

その目には、狂気と優しさが同時に宿っていた。


「俺はもう、壊れてる。」

「でもね、美月――君だけが、俺を救えるんだ。」

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