一真は夢を見ていた。
夢の中、あのパーティーの裏庭は、陽射しがちょうどよくて心地よかった。
彼は電話をかけに行くことなく、大きな木の下に立っていた。
その視線の先では、白いワンピースの少女が、小さな鳥の巣をそっと枝に戻している。
彼女は軽やかに木から飛び降り、スカートの裾についた埃を払う。
そして顔を上げたその瞬間、二人の視線がかち合った。
彼はゆっくりと近づき、低く、どこか甘さを含んだ声で口を開く。
「こんにちは。風間一真です。君の名前、聞いてもいい?」
少女はぱちくりと瞬きをし、ふっと顎を上げて小さく笑った。
「へぇ? どうして?」
「君が、すごく綺麗だったから。」
彼が微笑むと、少女の耳の先がほんのり赤く染まる。
「……そこまで言うなら、特別に、私と知り合うチャンスをあげてもいいわよ。。」
彼は思わず吹き出しそうになった。
――なんだこの子、可愛すぎる。
☆
夢の中の物語は、まるで最初から決まっていたように進んでいった。
彼が彼女に愛の告白。
彼女はツンとしながらも恋人関係を受け入れた。
恋が始まると、彼は彼女をとことん甘やかし、彼女は彼の腕の中で思いきりわがままを言って甘えていた。
やがて二人は結婚し、祝福の中、指輪を交換する。
彼がそっと口づけを落とすと、彼女は真っ赤な顔でささやいた。
「風間一真、一生、大事にしてよね。」
「もちろん。」彼は笑って頷いた。
☆
「風間さん? 風間さん!」
医師の声が、甘く幸せな夢を強引に引き裂いた。
一真は、ばっと目を開けた。
視界に映ったのは真っ白な天井。
背中と胸に走る鋭い痛みが、現実であることを突きつけてくる。
――結婚も、恋も、なかった。
あったのは、ズタズタに傷ついた現実だけ。
「……美月は?」かすれた声で問う。
「庭にいます。」
その言葉を聞いた一真は、看護師の制止を振り切ってベッドから身を起こした。
ふらつく足を引きずりながら、よろよろと庭へ向かう。
降り注ぐ陽光の中に、美月は静かに佇んでいた。
指先でバラの花をそっとなぞり、その横顔は光に照らされて、息をのむほど美しかった。
彼は一歩、踏み出そうとする。
だが、その直前――彼女は携帯に向かって、ふわりと笑みを含んだ声をこぼした。
「……うん、私も会いたい。」
一瞬で、一真の体中の血が凍りついた。
その声には、かすかな甘えが混ざっていた。
彼が、いまだかつて一度も聞いたことのない、柔らかくて優しい声だった。
「……ねえ、あなた。」
美月の声は囁くように小さかった。
だがそ言葉、鋭い刃のように一真の胸に突き刺さる。
一真は衝動のままに彼女へ駆け寄り、その手首をがしっと掴んだ。
「……今、何してた?」
驚いた美月は一瞬目を見開いたが、すぐにいつものように冷静さを取り戻し、ふっと眉を上げる。
「なにって……旦那と電話してただけ。悪い?」
「旦那って呼ぶな!」
声がかすれ、怒りとも哀願ともつかない赤く染まった眼差しで彼女を見据える。
「呼ぶけど?」
彼女は冷たく笑い、挑むように繰り返した。
「旦那、旦那、旦那――」
そのたびに、一真の顔から血の気が引いていく。
そして、ついに。
目尻が赤く染まり、震える声で、彼は言った。
「……美月、俺を壊さないでくれ。」
美月は言葉を失った。
――彼女の前にいるのは、これまで見たことのない風間一真だった。
傲慢さの欠片もなく、まるで、砕けたガラスのように痛々しい彼。
「……全部、報いなんだろうな」
かすかに笑いながら、彼は言う。その笑顔は、泣き顔よりも悲しかった。
「俺のこと、殺してくれてもいい。……けど、そんなふうに遠ざけないでくれ。」
美月の喉が詰まり、言葉が出なかった。
けれど、一真はすぐに表情を戻し、穏やかな声で続けた。
「昨日、そばにいられなくてごめん。」
一拍置いて、彼はそっと彼女の手を取る。
「――今日は、君のためにサプライズを用意した。」
☆
夜が訪れた。
美月はある屋上の特設ステージにやってきた。
最初はショーか何かだと思っていた。
だが、場内に司会の声が響いたとき、その予想は粉々に打ち砕かれた。
「さあ今夜のスペシャルショー! 風間一真VSブラックストリーム!」
「……は?」
美月は立ち上がり、
「あんた……正気!?」
一真は静かに微笑んだ。
「君が受けた傷、俺が返す。」
鉄柵が開かれ、黒い巨獣が唸り声とともに飛び出してくる。
一真は素手のまま、猛然と突進してくる獣へ身を投じた――!
「一真っ!!」
叫ぶ美月の声が届く間もなく、一真は地面に叩きつけられ、牙が腕に喰い込む。
鮮血が飛び散る中、彼は唸りながら拳を振り上げ、獣の目を一撃で打ち抜いた!
観客たちの間に、驚きの声が広がる。
だが、それでも戦いは終わらない。
肉を裂き、骨を噛み砕くような咆哮の中、
一真は一歩も退かず、ついには犬の首を両腕で締め上げ、息の根を止めた――
場内は、静まり返っていた。
血に染まった身体のまま、彼はふらつきながら美月の前へと歩み寄り、
そして、膝をつく。まるで騎士が女王に跪くように。
「十箇所……噛まれた。」
傷だらけの顔を上げ、彼は掠れた声で言う。
「十倍返しだよ、美月。」
「これで……俺を許してくれる?」
美月の指先が、かすかに震えた。
「……ほんとに……あんた、どうかしてる……」
一真はその言葉に、ふっと笑う。
彼女の手を取り、自分の血に濡れた頬へそっと当てながら――
その目には、狂気と優しさが同時に宿っていた。
「俺はもう、壊れてる。」
「でもね、美月――君だけが、俺を救えるんだ。」