ハンバーグを二個完食して満足げな溜息を吐いた凛花は、何気なく壁の時計を確認した。
時刻は夜の十時近い。
だというのに、母が帰ってくる気配はなかった。
凛花は正面に座る父へ向って言う。
「お母さん、遅いね。今日は保健室が込み合うような騒ぎはなかったはずだけど」
凛花の母であり異世界で女神をしていたイリスは癒しの力があるため、異世界ゲート管理会社アトラスの保健室で働いている。
「今日は飲み会があるといってたよ」
「あぁ。だからか」
凛花は頷いて窓の外を見た。
イリスはピンク色ベースの虹色の髪にピンク系の白い肌、しなやかで細い体に巨乳となかなか目立つ容姿をしている。
身長も凛花より高くて裾の長いズルズルしたドレスを着ているから、空中に浮いているとかなり大きく見える。
特に白いドレスは闇に薄っすら浮かび上がって怖いほど夜に映える。
「お母さん、そこに浮いてるよ」
「えっ⁉」
父であるクラトスは、驚いて凛花が指さす方向を見た。
「イリス⁉」
クラトスは慌ててテーブル横にある掃き出し窓を開けた。
「ふふふ。ただいまー」
上機嫌でだらしない笑顔を浮かべたイリスは、ふわふわと浮いたまま室内に入ってきた。
そのままふわふわと飛んでリビングのソファに辿り着くと、ポスンとおりてデロンと横に寝そべった。
完璧な酔っ払いである。
凛花は呆れながら言う。
「お母さん、お帰り。今夜もご機嫌だね」
「うふふ。そりゃあご機嫌よ。こんな可愛い娘がいるのだもの。凛花ちゃぁ~ん」
ただでさえピンク寄りのイリスの白い肌は、よりピンク色になっていて無駄に色っぽい。
「大丈夫かい?」
心配したクラトスが、ソファの脇に屈んでイリスを覗き込む。
「うふふ。大丈夫よぉ。こちらの世界のお酒は美味しいわよねぇ。ついつい飲みすぎちゃうわぁ~」
「また空きっ腹で飲んだんでしょ? ダメだよ、体に悪いよ」
「大丈夫よぉ、クラトス」
なんだかイチャイチャしだした両親を、凛花は半眼で眺めた。
(仲が良いのはよいことだけど、娘の前でイチャイチャするのはやめて欲しい~)
凛花はわざとらしく音を立てて食後のお茶を飲んだ。
「お酒は外で飲んでも、ご飯はなるべく家で食べたいわ。わたくし、あなたの作ったご飯が食べたいのよぉ~、クラトス」
イリスは甘えるようにクラトスに言った。
ソファに脱力した状態で寝そべっていなければ、クラトスにしなだれかかってスリスリしそうな雰囲気だ。
(お母さんは、毎回ソレだから。お父さんも嬉しそうだし。それで家庭が平和なら、それならそれで……)
凛花がそう思えるのには
「イリスがそうしたいなら、そうすればいいけど。オレはご飯の支度をしてくるから、しゃんとして席についてね」
「は~い」
クラトスに言われて、酔っ払いの見本のような返事をしたイリスは、寝そべった姿勢から起き上がるとソファにだらしなく座った。
そして右手に力を込めると、自分の体に振りかけるように動かした。
「
イリスは自らに治癒を施して、すっかり酔いを醒ますとスッと立ち上がった。
クラトスも、凛花も、突っ込むことすらしない。
毎度のことなので慣れてしまったのだ。
女神は勝手に自分も癒せるので、体調を本気で心配する必要はない。
イリスは凛花の隣の席に腰を下ろしながら、キッチンに立っている夫に聞く。
「ねぇ、クラトス。今日の晩御飯はなぁに?」
「ハンバーグだよ」
「やったー」
(なんか反応が、私と似ている気がする……)
素直に喜びを表す母を見て、凛花は複雑な気持ちになった。
クラトスはイリスに夕食を用意すると、同じものを自分の席の前に置いた。
2人でイチャイチャしながら食事をしている光景を眺めながら、凛花はなんとなく呟く。
「私も別棟を建てようかなぁ」
「えっ、なんで⁉」
「オレは反対だよ、凛花っ」
両親は素早く反応した。
(だから私は独立していないわけだが……)
凛花も29歳。
しかも異世界ゲート管理会社アトラスは給料だけはいい。
いつまでも親元にいるのは変だというのは、凛花自身も分かっている。
「だって龍治は別棟を建てて、両親とは別に住んでるでしょ? 私もそろそろ自立しないといけないかなって……」
凛花が言い終わらないうちに、被せるようにイリスが言う。
「だって龍治君は、男の子でしょ? 男の子なら、1人暮らしでも大丈夫よ」
「そうだよ、凛花。龍治君は【気】も使えるし、武闘派じゃないか。でも凛花はか弱いし。女の子の1人暮らしは危ないよ?」
クラトスもイリスに同調してコクコクと頷きながら言った。
勇者と女神の夫婦は地球世界で生まれた娘を、とても弱々しい存在だと思っている。
(こっちで生まれたせいか、両親に比べたら弱いけど……過保護すぎでは?)
凛花はちょっと呆れながら言う。
「1人暮らしというのも大袈裟じゃない? 同じ敷地に別棟を立てて住むだけなんだから」
「別棟なんて建てなくても、凛花は一人娘で1人っ子なのだから、一緒に暮らしていても問題はないでしょう?」
「そうだよ。女の子が1人暮らしなんて不用心だよ。悪い男に狙われるかもしれないし!」
(いや、勇者が庭で鍛錬しているような敷地に、どんな悪い男が侵入できると?)
凛花はスンとチベスナ顔になった。
「ここに住んでいたら家事だって、しなくていいんだぞ?」
「そうよ。お父さんの作ったご飯、美味しいでしょ?」
その意見には凛花も全く同意である。
「そうだろ、そうだろ。お父さんの料理は世界一だからな」
「ええ。そうよ。だから別棟の話はナシよね、凛花?」
両親に詰め寄られ、凛花は頷くしかなかった。