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<人鳥温泉街短編連作> 人鳥温泉街のお花見大会
<人鳥温泉街短編連作> 人鳥温泉街のお花見大会
高橋志歩
SFSFコレクション
2025年05月23日
公開日
3,909字
完結済
温泉街に春が来ました。 未来の日本。人鳥温泉郷の中心にある「人鳥温泉街」舞台にした、ほのぼのSF短編シリーズです。 ちなみに人鳥とはペンギンの事です (この物語は創作です。登場する人物、団体、場所、出来事はすべて作者の妄想による架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません) ※カクヨムでも公開しています。

<人鳥温泉街短編連作> 人鳥温泉街のお花見大会

 窓の外から、何かの飛行音がうるさく聞こえてくる。


 その音で諜報員はぼんやりと目が覚めた。何だか寒くて背中が痛い……次の瞬間、自分が浴衣姿で畳の上で大の字になって眠っていた事に気が付いた。

 昨夜は久しぶりの休暇だったので、いささか羽目を外して飲み過ぎた……諜報員は仕方なく起き上がると、欠伸をしながら部屋の中を見回した。

 テーブルの上には酒盛りの後が残っている。しかし、酒盛りの相手と、部屋の隅に敷いてあった筈の布団がどこにも見当たらない。


 ――さて、昨夜この部屋で一緒に盛り上がったのは……。


 時計を見ると、まだ早朝である。体も冷えているし顔を洗うついでに朝の温泉を楽しむか、と諜報員は立ち上がった。泊っている客室は一階で、庭に露天風呂が付属している。けれど温泉旅館に泊まっているなら広い湯船を堪能したい。諜報員は浴衣を脱いで着替えて身なりを整えると、タオルをぶら下げて客室を出た。


 人鳥温泉街じんちょうおんせんがいで一番大きくて由緒ある温泉旅館の「雲雲くもくも温泉館」だけど、早朝なので館内はまだ静かだ。浴場に行く前に、諜報員は広い廊下を歩き、宿泊客用のサンダルが置いてある場所から「雲雲温泉館」の庭に出た。春の朝の空気を吸いながらぶらぶら歩いて、しかし一応周囲を気にしつつ、庭の隅にあるペンギン小屋の前に立つ。

 人鳥温泉街のマスコットペンギン、大福はここで寝起きしている。大福の気配は無いけど、諜報員は小屋の中を覗き込んだ。ああ、やっぱりあった。


 小屋の中に、諜報員の客室に敷いてあった布団が一式、枕も含めてきちんと置かれている。


 寝る前だったから、皺ひとつ無い。客室は一階だから、庭を通って館内を移動せずにここまで運べたのだろう。とはいえ、どうやって運んだのやら……。

 しかし、この布団をどうしたものか。小屋はいつも清潔できちんと清掃されているが、やはり人間の布団をこのまま置いておくのはまずいだろう。だけど旅館の係員に伝えていきなり撤去させるのも、ちょっと大福が気の毒だ。

 諜報員が立ったまま考えていると、テトテトと足音がしてペンギンの大福が現れた。自分の小屋の前に立つ諜報員に気が付いて、立ち止まると気まずそうに目を逸らした。

「よお、大福。おはよう。昨夜は楽しかったよ。しかしなあ、朝起きたら布団が無くてびっくりしたが、なんでまた小屋に持ってきたんだ? こんな事をしなくても、頼めば番頭さんが手配してくれるだろうに」

 大福は、ちらりと諜報員の顔を見てから、素早く小屋の中に入り込み布団の上に座り込んだ。

「おい、そうムキになるなよ。どうしてもその布団が必要なのか?」

 丸い全身と嘴で布団を押さえ込むような姿に、諜報員は諦めた。

「わかったわかった、俺から番頭さんに説明しておくよ。何とか小屋に置いてもらえるようにするから」


 諜報員は建物に戻ると、番頭の藤堂さんを見つけて、ペンギンの大福が客室の布団を小屋に持ち込んだ件を話した。藤堂さんは首をひねった。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。しかし大福がねえ。今まで旅館の備品に悪さをした事なんか無かったんですが」

「何か思いつめたような態度でしたよ。しばらく様子を見てやった方がいいと思います」

「わかりました。これから私が確認に行って対策を考えます。ああ、お客様のお部屋にはすぐに新しい布団を運びますので」

「お願いします。じゃあ私はゆっくり温泉につかってきますよ」


 それから諜報員は、誰もいない広い湯船で温泉を堪能し、同じように広い露天風呂で春の空と景色を楽しんだ。

 温泉から上がり、そのまま天井が高くて和洋折衷な雰囲気のロビーで珈琲を飲みながら紙版の新聞を読む。一面に大きく「『トリの降臨』」とあって、何の事かと思ったら月面都市の超人気アイドルTORIがついに地球の日本にやって来る! という記事だった。月から地球に来るだけで降臨ねえ、と感心してしまう。見上げる窓から見えるのは抜けるような青空で、絶好のお花見日和になりそうだ。


諜報員は、人鳥温泉街の主催で開催される花見大会に、全宇宙征服連盟の日本支部のエーテル所長に招待されたので、休暇を取ってやって来た。花見大会には大勢の参加者が必要と言う事で、エーテル所長の口利きで交通費は温泉街負担、宿泊費は自腹(但し割引あり)。荷物は必要最低限で、「手ぶら」が条件だったけども、久しぶりの休暇として温泉と花見は悪くない。


 さてそろそろ食堂に朝食を食べに行くかと諜報員が椅子から立ち上がった時、ロビーの反対側の入り口からペンギンの大福が入ってきた。

 妙な事にいつものようにテトテト歩くのでは無く、優雅な足取りで動き時々くるりと回転したりする。まるでダンスを踊っているようだ。元々大福はペンギンのくせにタップダンスが上手いのだけど、これはどう見てもワルツに乗って優雅にダンスをしている姿だ。さすがにロビーにいた他の客が注目しているけど、大福は気にしていないようだった。やがて、気が付いた従業員が声をかけてロビーからさりげなく追い出し、大福は相変わらず優雅なダンスの動きのまま庭に姿を消した。諜報員は首をひねった。


 ――あいつ、やっぱり様子がおかしいな。


 その日の昼頃。

 諜報員は花見大会の会場に向かう為に「雲雲温泉館」を出て、ぶらぶらと人鳥温泉街を歩いていた。

 ペンギンの大福も誘おうかと探したけど、どこにも姿が見えなかった。番頭さんの話では、さっさと花見大会の会場に行ったらしい。

 温泉街のあちこちに赤地に白い筆文字で大きく『天下無双』と書かれた派手なのぼりが翻っている。和菓子屋「満載堂」で温泉饅頭を注文しながら尋ねてみると、とある大手ゲーム会社の新作の広告との事だった。小規模な開発センター兼保養所を人鳥温泉街の旧街道の一番奥に開設する予定があり、今日の花見大会にもスポンサーとして参加して、ついでに広告も出しているわけだ。なるほどねえ、と思いながら諜報員は人鳥温泉街を抜け、広い平地に出た。


 目にも鮮やかな黄色の菜の花畑が広がり、その向こうに満開の桜の大きな木が見渡す限り並んでいる。

 まさに絶景だな、と諜報員は感嘆し、しばらく眺めてから人が集まっている大型の天幕に近づいた。案の定、中央の椅子に全宇宙征服連盟の日本支部のエーテル所長が座っていた。微妙な表情で紙コップで何かを飲んでいる。諜報員は前に立つと笑顔で挨拶をした。

「所長、どうも。今日はお招きありがとうございます」

「ああ来たか。まあ楽しんでいってくれ……この甘酒という飲料は奇妙な味だな」

「慣れれば美味しいですよ。それはそうと、地球連合政府の星系管理委員会の下っ端連中が温泉街に妙な施設を作るようですね」

 エーテル所長がふん、と鼻を鳴らした。

「ああ、旧街道の社員保養所の件か。どうやって活動予算を確保したのかは知らないが放置しておくさ。スポンサーとしてこの会場に押し掛けてくれば、適当なにぎやかしになるだろう」

「連中も温泉に入りたいのかもですね。そうだ、にぎやかしと言えば、ペンギンの大福は今日はお役目があるんですか?」

「もちろんだ。洋菓子屋と一緒にマカロンをお客に手渡す予定だ」

 大福のいつもの役目とさほど変わらない。ではなぜあんな奇妙な振る舞いをしているんだろう?

「何だ? 大福に何事かあるのか?」

 不審そうなエーテル所長に、大福が勝手に客室の布団を運んだり、一人で優雅なダンスを踊る様子を説明した。


「昨夜も、旅館で一人酒盛りを楽しんでいたらいきなり部屋に押し掛けてきて、何やら延々とペンギン語で歌っていたんですよね。その時はこっちもご機嫌でしたから気にしなかったんですが」

 ああ、とエーテル所長は納得顔でうなずいた。

「実はな、大福に縁談……こちらではお見合いというのかな、そんな計画が持ち上がっているんだよ」

「はあ? お見合い? ペンギンに?」

「もうすぐ月面都市からアイドルのTORIが日本を訪問する予定だが、その時に宣伝の一環として月面動物園のペンギンのメスを連れて来る。そのメスを大福とお見合いをさせて、互いに気に入ったらメスが大福の結婚相手として隣の市の動物園に正式に移動してきて、ゆくゆくはこの人鳥温泉街を夫婦で盛り上げてもらおうという訳だ。もちろんまだまだ先の話だが」

「ははあ。それで大福、嬉しいやら恥ずかしいやらで舞い上がって、何やら奇行に走っている訳ですね」

「だろうな。大福と、温泉街の代表責任者である雲雲温泉館の雲井氏に話したのは昨夜だ。これから日本政府や月面都市とも色々打ち合わせがあるし、予定は未定だと念を押しておいたが……」

 諜報員は笑いを抑えられなかった。小屋に人間用の布団を持ち込んだのは、自分の住処を大福なりに立派に仕立てたかったのだろうし、ダンスはお見合い相手と踊るつもりだったのだろう。素直な奴だ。

「月面で生まれ育ったペンギンと地球のペンギンのカップルは研究対象として興味深いそうだが、まあそういう事は抜きにして、大福のために前向きに計画を進めてやるとするか」

「そうしてやってください。顔馴染として応援しますよ」


 諜報員は、来客の応対が始まったエーテル所長から離れ、天幕を出るとペンギンの大福の姿を探した。すぐに、少し離れた所にある一番大きな満開の桜の下に立って、桜模様の薄紙に包まれたマカロンが入った籠を手に持っているのを見つけた。諜報員が近づくと、大福は嬉しそうに羽をパタパタさせた。

「大福、エーテル所長から聞いたよ。あれこれ大変だろうが、頑張れよ」


 諜報員は大福が手渡してくれた桜色のマカロンを口に入れた。優しい甘さが溶けていき、何だか気分がいい。

 満開の桜を見上げ、童謡の『春』を小さく歌いながら諜報員はゆっくりと歩き出した。

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