4月1日の朝。
ほぼ毎朝、こうやって温泉街を散歩して歩いて住民の皆に挨拶するのが恒例になっている。
先日、月面都市と日本政府の友好行事の一環として、大福は隣の市の動物園で月面動物園の月面ペンギンのメスとお見合いをした。検疫の都合で、訪問中の中央首都の動物園にいる彼女とは大きなスクリーン越しの出会いになったけど、好奇心旺盛で利発なメスペンギンと大福は意気投合し、2羽とも大いに盛り上がった。
付き添いの月面動物園の担当者も喜び、大福のお嫁さんとして地球に正式に移動する計画が本格化した。結果、なるべく早い時期に人鳥温泉街に小さな動物園を新設する事になり、全宇宙征服連盟の日本支部のエーテル所長と温泉街の代表責任者が、認可だ許可だ予算だと走り回っている。
大々的な開園セレモニーは大いに人鳥温泉街の宣伝集客に役立つだろう、と住民は期待している。
人間たちの盛り上がりを感じつつ、大福はずっとお嫁さん候補のペンギンの名前を考えていた。
お見合いの後メスペンギンは月面動物園に戻ったけれど、地球に移動してくる時に新しい名前をつける事になっている。名前を募集する計画もあったけれど、大福は不満だった。
自分にお嫁さんが来る事が宣伝に使われるのは一向に構わないけど、でも名前ぐらいは自分が考えてお嫁さんにプレゼントしたかった。
しかし、自分は人間の言葉が話せない。さて、この希望をどう人間たちに伝えたものかと、大福は少々悩んでいた。異星人である全宇宙征服連盟のエーテル所長はかなり自分の心を察してくれるけれど、中央首都に長期出張中で今は不在である。
大福が中央通りの外れにある噴水広場に来た時、馴染のある声で呼びかけられた。
「よお大福、元気そうだな」
見ると、諜報員がきっちりとしたスーツを着込んでベンチに座っている。今日はトレンチコートは着ていないようだ。
大福はテトテトと近づいて、羽をぱたぱたさせて挨拶した。この諜報員とは仲がいいのだ。
「この間のお見合い、上手くいって良かったな。エーテル所長が張り切っているし、多分盛大に結婚式をやる事になるだろうな。お祝いを贈るから楽しみにしてろよ」
大福は期待で羽をぱたぱたさせた。
「今日はエイプリルフールだけど、お前をかついでいる訳じゃないからな」
諜報員は大福から視線をそらすと、青空を見上げた。
「エイプリルフールか。俺の誕生日は4月1日なんだよ。でも本当の誕生日じゃない。
ずっと昔の4月1日に月面都市で大きな爆発事故があったんだ。事故じゃなくて爆弾テロだったのかもしれないが、今もはっきりしない。
その時、大勢の人間が巻き込まれて死んだ。俺の家族もみんな死んで、生き残ったのは俺と子犬だけだった。俺が生き残ったのは奇跡だと言われたけど、さあどんなもんかな。
俺が覚えているのは、腕の中の子犬を抱きしめていた事だけだ。
多分色々と目撃したんだろうな。でもその時子供だった俺には悲惨すぎる光景だった。そこで、大人たちは俺に精神治療を受けさせた。記憶を消す治療だ。俺は何も覚えていない。4月1日より前の事は何も覚えていないんだ。大人になって家族の事や俺の記録を読んだ。でも何ひとつ実感が無い。
俺の記憶が始まるのは、あの時の4月1日からなんだよ。だから俺は、いつも4月1日は何もしないで遊んでいるんだ」
ペンギンの大福は、ベンチに座る諜報員の膝に頭を乗せて、じっと彼の顔を見上げた。
――何だか諜報員が遠くに行ってしまうような気がした。
そんな大福を見て、諜報員は我に返ったようになって、笑顔を見せた。
「心配するな。ただの昔話だよ。その時、俺と一緒にいた子犬は俺と一緒に成長して、ちゃんと天寿を全うした。今は月面都市の動物霊園で眠っているよ」
諜報員の笑顔を見て、大福は安心した。諜報員は、大福の頭を軽く叩いた。
「さて、そろそろカフェが開店する時間だな。モーニングとしゃれ込むか。一緒に来ればお前にも何か奢ってやるよ」
ベンチから立ち上がった諜報員は、うーんと背を伸ばした。
「ここは本当にいい所だなあ。思い切って移住してこようかな。エーテル所長と星系管理委員会の連中に渋い顔をさせるのも面白いよな。まあでも先に上司の許可を取らないとだけど」
ペンギンの大福は、カフェで諜報員にお嫁さんのペンギンに名前を贈る件を相談しようと思った。一所懸命に訴えれば、きっとわかってくれるだろう。
何せ彼は諜報員なのだ。
ウグイスの鳴き声を聞きながら、諜報員とペンギンはのんびりと並んで歩き出した。