特別とはなんだろうか?
学園の真っ白な廊下を歩きながら藤崎は考えた。
藤崎文香は自分自身がごくごく普通の女であることは自覚している。
教室とは反対側、校庭の見える窓に写った自分は長い黒髪もお団子にしてまとめたごく普通の髪型であり、眼鏡をかけていて目鼻立ちは普通。後ろの『特別』と反射する窓ガラスを通して目が合って笑いかけられる。
慌てて目を逸らし、まるで窓の汚れが気になっていたかのように水魔法を使い、窓ガラスを洗い、風魔法で乾かしてみせる。後ろでほおと感心する声が聞こえ急に恥ずかしくなり、慌てて教室への歩みを早めるが、これくらい女からすれば当たり前だ。
そう、藤崎は魔法教師としてもごく普通であることも自覚している。
勿論、この国の中でもトップクラスの学園の教師であること。
それは特別といえるのかもしれない。
だが、この学園に在籍する教師は数十人。その中でも藤崎が秀でた存在ではない。
そう、例えば、秀でた存在というのなら。
1年生の時点で誰よりも才能を持ち3年間トップを走り続けている【女帝】と呼ばれる生徒や、その女帝を継ぐ者として皆からの尊敬を集める2年生の藤崎のクラスの学級委員である才女や、1年ながら複数の魔法を操る天才少女などは特別といえるであろう。
あるいは、
ふと足を止めて藤崎が振り返る。
すると、藤崎の後をついてきた足音も止まり、首を傾け不思議そうに藤崎を見つめる。
「……? どうかされましたか?」
目にかかる程度に伸びた黒髪が斜めに垂れその隙間から見える少年の黒い瞳は飽くまで純粋に藤崎の行動に疑問を持っているだけのようで、それが逆に藤崎を焦らせる。
「あ、あ、えーと、なんでもないのよ。えーと……」
「厳島です、厳島一刀(いつくしま・いっと)ですよ、先生」
そんなのは当然覚えている!
そう叫びたい衝動を抑えて、藤崎は、
「そうよね、いっとって珍しい名前だから覚えやすいわね」
などを誤魔化し再び歩き始める。
覚えやすいどころではない。そもそも男の名前など『数えるほどしかいない』のだから。
その上、イット等という珍しい名前であれば、すぐに覚えた。いや、藤崎は何度も何度も一刀の転校に関する書類を確認した。
男が、私のクラスに来る!
藤崎はその事実に混乱し、恐怖と悲しさと怒りと少しばかりの嬉しさと給料アップによるやる気とその他諸々の混沌たる感情に支配された。
この学園では1学年に9クラス。大体各クラス30人程度なので、男子が入ってくる確率は3分の1程度。
4月の時点では藤崎のクラス9組には男子はおらず、隣のクラスである8組にいた。
4月の2年9組では、せっかく共学に来たのに2年生になった今年もか、とあからさまに失望する生徒達もいたが、下手な騒ぎが起こらないという安心感に藤崎はほっとしたのを覚えている。
9クラス中3人、3分の1に当たらなくてよかったと。
何故なら、2年8組のようにいなくなってしまった時のリスクが大きすぎるから。
そう、8組には、いた。
いたのだ。
いなくなったのだ。
その時の8組の荒れようは正しく地獄絵図、学級崩壊、クラスウォー、とにかくひどいものだった。安心安全ラブ&ピースがモットーの藤崎にとって災いの種は来ないに限ると思っていた。
だが、来てしまったのだ。
男が。
彼女のクラスに。
今まで平穏でごくごく普通の男子のいない平和な教室だったのに。
今、藤崎にとっては、魔の巣窟、地獄、S級ダンジョンにすら見え、足が震える。
9組に辿り着き、藤崎は、まるで自分が転校生かのような気分で張り裂けそうな胸を押さえ、大きな深呼吸を繰り返す。その藤崎の様子を見たせいか隣の彼も少し緊張した様子を見せる。
「緊張しますね。オレ、じっちゃんばっちゃんしかいない田舎育ちで学校も一人きりだったので」
一刀の言葉に、そういうことじゃない。ちがうちがうそこじゃない、と言いたいが今はそんな事をやってる余裕すらない。
特別とはなんだろうか。
藤崎は意を決して地獄の門、もとい、教室の扉を開ける。相変わらずの女子たちの華やかな香りが溢れ、さっきまでの爽やかな、それでいて男性的な香りが特別だったことに気付く。
そう、特別とは、彼のことだ。
教室中の女子がざわつく。それはそうだ。
彼は特別だから。
2000年。藤崎が丁度生まれた年。
世界中で謎の穴が生まれ、その穴の先には漫画やゲームのようなダンジョンが存在した。
そして、そのダンジョンの中には魔力が満ちていて、人々は主にダンジョンの中ではあるが魔法が使えるようになり、魔石と呼ばれる新燃料が発見され世界は湧いた。
だが、それも一瞬のこと。ダンジョン発生し魔法が使える者が現れ始めるとほぼ同時に、男だけがどんどんと死んでいく奇病が流行った。
その上、何故か『男子が生まれにくくなった』。
2030年現在の世界の男女比は1:99。
そう、彼は男という特別。
「はじめまして! オレの名前は厳島一刀です! 田舎育ちなんですがついこの前から東京にやってきました」
その上、男なのに努力をし続けてきて一応手続き上おこなっただけの転入試験でもほぼ満点。
男子はやらなくてもいいダンジョン試験でも圧倒的な実力を見せつけ色んな意味で職員室に大混乱を生み出し、面接では唯一の問題発言を除けばとんでもなく素晴らしい人格の持ち主である成績優秀文武両道の特別な存在。
「それと、オレの住んでいる田舎にはじっちゃんばっちゃんしかいなくて」
「!!!! 厳島君! それは面接の時に言わない方がと……!」
そう、彼は特別。
男であることを笠に着て偉ぶったり、女子に怯えたりしない。
何故かインターネットさえも使った事のない田舎育ち世間知らずの男の子。
ほぼ高齢者しかいない村の唯一の希望と言われ、村の期待を一身に背負い上京してきた男子高校生。
「オレは、ここに嫁探しにやってきました! どうか、よろしくお願いします!」
藤崎は思った。
私も特別だあ。
こんな特別な男子を受け持ち、目の色を変えた女獣達をコントロールしなければならない稀有な運命に導かれた超特別な存在なのだと。
目眩がしてふらつくと、一刀がすかさず支えてきて思った。
あ、爽やかでいい匂い、と。
そして、
その後に聞こえてくる阿鼻叫喚は聞こえないふりをし、心の中で呟いた。
もうどうなってもいいや、と。