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第38談 手招きする者たち

 私が小学生時代の夏休みに、同級生の加藤浩二郎君(仮名)の家に泊りで遊びに行った時に、彼のお父さんのTさん(仮名 当時30代後半くらい)から、聞いた話です。



 私の子供時代の話なので、記憶に頼っての紹介となります。


 細かい所は、当時の話と異なっている箇所があるかと思いますが、投稿する前に加藤君にも原稿を読んでもらい「大体合ってるよ」とのお墨付きを頂きました(笑)。




 ……時は1980年代後半。あの夏の夜は、とても蒸し暑かったと記憶してます。


 夕飯を食べ終えた私は、食卓のテーブルで加藤君と2人だけの怪談大会をしていました。


 そんな私たちの他愛ない「怪談ごっこ」をビール飲みながら聞いていたTさんが、不意に笑いながら口を開きました。


 「お前ら、怖い話が好きなんだな。それじゃ俺が体験したとっておきの怖い話を聞かせてやる……」


 Tさんの表情と口調が妙に迫力があったので、部屋の空気が一変したような気がしました。


 錯覚かもしれませんが、室内の扇風機の風が一瞬止まったような気さえしたのです。


 Tさんがゆっくり語り始めたその話は、私にとっては一生忘れられないものとなりました。


 1982年の冬。東京・千代田区で起きた「ホテルニュージャパン火災」。33人もの命が失われた、戦後最悪のホテル火災事故のひとつとして、今も語り継がれています。

 事故の原因は、宿泊客の寝タバコだったとされてます。しかし、それ以上に、ずさんな管理体制や経営方針が被害を拡大させたとも報道されています。


 その事故から、2週間後くらいのことです。


 夜勤を終えたTさんは、勤務先からの帰路、いつもの道を歩いていたはずなのに、なぜか迷子になってしまったような感覚があったと語っていました。


 時間は午前4時。夜の帳はまだ降りたままで、空には星も見えず真っ暗闇でした。


 「気づいたら、全然知らない通りに出てたんだよな。酔ってもいなかったのに、なんであそこ歩いてたのか、よく分からないんだ。しかも、奇妙なのは周りの音が聞こえないんだよ。自動車も走ってたのに、エンジン音も全く。一瞬、世界中から音が無くなったような気がしたぜ。不思議だろ?」


 Tさんいわく‶その通り〟は、音が聞こえないばかりではなく、街灯の光も妙に弱々しかったそうです。


 夜明け前の空気のせいなのか、それとも別の‶何か〟に引き寄せられたのか、自分だけが何か別の世界に迷い込んだような……そんな妙な感覚があったと語ってくれたのは、私は忘れていません。


 そうして、気づけば、Tさんは‶あの場所〟の前に立っていたのです。 

 ホテルニュージャパンの、黒く焦げた廃墟の前に……。


 焼け焦げたコンクリートが、まだ夜の闇の中に鈍く浮かんでおりました。割れた窓ガラスは風を受けてわずかに軋み、すすけた壁には、過ぎ去った炎の痕が生々しく残っていたようにも見えたそうです。

 すると、焦げた金属と煤の混じった匂いが、じわりと鼻孔にまとわりついてきました。


 その直後、何かの気配を感じたTさんは、ホテルの4~5階辺りの窓に目を向けました。


 当時のホテルニュージャパンの4~5階部分には、割れた窓ガラスがいくつもあり、その隙間から街灯の光が差し込んでいたそうです。

 壁や床に直接届いた淡い橙色の光が、廊下の奥へとぼんやり続いておりました。


 そこで、Tさんは、光を遮るように動く、幾つもの“人影”を見たそうです。


 1人、2人……いや、もっと大勢いました!


 10人以上の人影が、ホテル廊下の奥をゆっくりと歩いておりました。


 全員、薄暗い室内にいたので、1人1人の顔は見えません。


 Tさんが妙に気味悪いと感じたのは、誰1人として話さず、まるで催眠術にでもかかったように、一定のリズムで歩いていることでした。


 Tさんは、その様子が「おかしい」と思うまでに、少し時間がかかったと言っていました。


 最初は、何かの作業員と思ったのだそうです。


 よくよく考えると(あり得ない!こんな廃墟で、こんな時間に!)


 そう思った直後、人影たちは、まるでTさんが見ている事に気が付いたかのようにピタリと歩みを止め、一斉に廊下の窓から彼を見下ろしたのです!

 そして、人影の全員が、Tさんに向かって、無言で〝おいで おいで〟と手招きをしてきたそうです。


 ……その手の動きは、異様だったそうです。


 人間の腕というのは、そんなに長くはないはずなのに、あの時見た彼らの手は、まるでゴムのようにぬるりと動き、薄暗いのに手招きする仕草がハッキリ見えたとTさんは語ってくれました。


 次の瞬間!背後で〝ガリガリガリガリッ!!〟と、地面を裂くような音が鳴りました。


 振り返ると、道路にバイクが倒れていました。1人の男性が、バイクの横でうずくまり、呻いていたのです。


 アスファルトにはブレーキ痕が生々しく刻まれ、タイヤの焦げた匂いが、Tさんの鼻をつきました。 

 Tさんは慌てて駆け寄り、「おい、大丈夫か!?」と声をかけました。


 その男性は、血の気の引いた顔で、震える声を絞り出して、こう言いました。


 「な、何なんだよ!!らは……!」


 次の瞬間、彼は意識を失ってしまいました。


 救急車を呼び、彼は無事搬送されたそうですが、あの男性がTさんと〝同じ人影〟を見て、事故を起こしたのかは分かりません。


 Tさんは、最後に静かに言いました。


 「あれはきっと、ホテルの火事で死んだ人たちだったんだよ。あの世に一緒に行ってくれる〝仲間〟を探してるのかもしれないな……」


 Tさんが話し終えた直後、部屋の外で風鈴がひとつ、〝チリン〟と鳴りました。


 その音が、やけに大きく感じられるほど、私と加藤君は怖くて何も話せなかったのを昨日のことのように覚えてます。


 やがてTさんは、ぽつりと、独り言のように呟きました。


 「不思議なことに〝あの夜〟以来、‶あの音が聞こえない通り〟に行けないんだよ。行こうと思っても、どうしてもたどり着けないのさ」


 Tさんは〝行けない〟んじゃなくて、〝呼ばれなかった〟んだと私は思います。


 廃墟となったホテルの廊下を歩く彼らが〝手招きした相手〟に選ばれなかったからこそ、Tさんは私たちにこの話を語ることが出来たのではないかと。


 あの窓辺にいた影たちは、今もまだ、誰かを〝選びながら〟手招きをしてるのでしょうか?



 ホテルニュージャパンの跡地には、今では新しいビルが建っています。

 しかし、今でも時折、怪奇現象に遭遇したという人の体験談が報告されています。


 火災で無くなり、いまだに成仏出来ない人々の霊が漂っているのかもしれません。



 もしも、もしもですよ?アナタが深夜の街角で、何の気なしに高層ビルを見上げた時。

 誰もいないはずの窓の向こうから、そっと手招きされていたとしたら?



 その時は、決して手を振り返さないでください……。


 『余談:他にもある!ホテルニュージャパンの怪奇体験』


 ホテルニュージャパンの怪異は、Tさんの体験だけではありません。


 その中から、有名な体験談を、以下に軽く紹介します。


【その1】


 かつて火災で命を落とした妊娠中だった女性の霊が、6階の一室に佇んでいた……そんな報告が後を絶たなかったそうです。


 夜の静まり返った廃墟で、窓の向こうからこちらをじっと見つめていたというその姿。彼女は、お腹を庇うように両手を添え、言葉ではなく、目だけで「助けて」と訴えていたといいます。


 見た人は皆、なぜか胸の奥が苦しくなり、その場を離れたあともしばらく視線の感触が消えなかったと証言している。

【その2】


 火災後の跡地を訪れた者たちの間では、車の窓ガラスやボディに、無数の手形が浮かび上がる現象が報告されています。

 主に深夜に、誰も触れていないはずのガラスに小さな手や大きな手、そして爪を立てたような形など……。



 まるで〝そこにいた〟と主張するかのように幾重にも重なる手形が現れたそうです。


 拭いても消えず、じっと見つめていると〝手の数が増えていく〟ように錯覚した……そんな声さえもあります。


【その3】


 怪奇現象ではありませんが、ビートたけしさんが、ホテルニュージャパンに宿泊しようとしたが持ち合わせがなく、別のホテルに宿泊して難を逃れたというのは有名な話。


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