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第7話

「ここか……」

 けたたましいサイレンの音に導かれるように現場に到着した団は、目の前に広がる光景に思わず声を失った。

 雑居ビルの一角が、まるで爆撃でも受けたかのように瓦礫の山と化し、壁には大きな穴がいくつも空いている。

 激しい戦闘があったことを物語っていた。――にもかかわらず、だ。

 周囲には避難した民間人が騒然とした様子で見守っているものの、怪我人は居なさそうた。そして、ビルの入り口には、すでに拘束され、うなだれている異能犯罪者の姿があった。ホワイトの隊員が数名、淡々と事後処理にあたっている。

 あまりに整いすぎた終着に、団はぽかんと立ち尽くした。無線を聞いてから現場まで、十分とかかっていなかったはずだ。その短時間で、完全に鎮圧したというのか。一体誰が? 右京だろうか? いや、彼のやり方はもっと……。

 混乱する団の耳に、不意に乾いた足音が聞こえた。見上げると、ビルの内部から続く階段の上から、見慣れたホワイトの隊服を着た人物が現れる。――時親要だった。

 少し乱れた紺色の前髪を指先で払いながら、要はまるで散歩でも終えたかのように軽やかな足取りで階段を下りてくる。彼の隊服には、瓦礫の破片や埃が少しついている以外、特に大きな損傷は見当たらない。

 要は団の姿を見つけると、いつもの明るい笑顔を浮かべた。そして、まるで何事もなかったかのように肩を竦める。

「遅かったね、団くん。もう終わっちゃった!」

「いや、終わったって……。俺が無線聞いてから来るまで、十分くらいしか経ってませんけど」

 団は目の前の光景と要の呑気な口調とのギャップに、さらに困惑した。

「あはは、十分もあれば充分、充分」

 要は軽快に笑いながら、瓦礫の上からひょいと飛び降りた。着地する際にわずかに膝を曲げただけで、身のこなしも軽い。団の前に着地すると、「終わっちゃったし、あとは事後処理班を待ってお茶でもして帰る?」と呑気に笑う。

「お茶……ですか?」

「うん、お昼食べ損ねたんでしょ?」

 団は、要のその確信を得た言葉に目を見開いた。そんなこと、声に出してはいないはずだ。なぜ、この人はそれを知っている?

「え、なんで知ってるんですか! 言ってないですけど!」

「あはははは」

 要は楽しそうに声を上げて笑う。

「いや、あははじゃなくて!」

 団は全く状況が掴めず、要の顔をまじまじと見た。この人が、たった十分で、あの異能犯罪者を無力化し、しかも民間人への被害をゼロに抑えたというのか。どうやって?

 右京の異能の力技ではない。かといって、団のように身体能力で制圧したわけでもないように見える。一体どんな能力を使えば、こんな芸当ができるんだろうか。

 混乱と疑問と、そして得体の知れない感嘆が、団の胸中に渦巻いた。要を見ていると、全てがお見通しで、常に何手も先を読んでいるように感じられる。


 連れて来られたのは、ホワイト基地の近くにある一軒の喫茶店だった。

 あれだけの爆発が起きた任務の直後に静かな喫茶店。拍子抜けと言えば拍子抜けだが、要が「奢るよ」と軽く言ってくれたので、団は要おすすめのオムライスを注文した。

「ここ、雰囲気いいでしょ」

 団は頷きながら周囲を見渡した。昼時を過ぎていたためか、店内はほとんど貸切状態だ。

 料理を待つ間、団は気になっていたことを口にする。

「そういえば……要さんって情報局の人ですよね? 現場にも出るんですか?」

 さっきの現場での手際の良さを思い出しながら尋ねる。事後処理半への的確な支持や、民間人への避難誘導など、どれをとってもそつなくこなしており、あれだけの動きができるなら、情報局という肩書きにとどまるのはもったいないと感じていた。……もっとも、団はその「情報局」が何をしている部署なのかも、正直よく知らないのだが。

「うん、まあ。総務も兼ねてるしね」

 要は相変わらず飄々と笑う。

「総務って、なんでも屋なんですね……」

「あはは、総務だからってのは冗談! 情報局は情報収集と分析がメインの仕事だよ。俺の場合はちょっと特殊だから、たまに現場にも顔を出すんだ。……それに、」

 そう言って、要は少し悪戯っぽい表情を浮かべた。

「今、特局の主力二人――まあ“バカ共”って言ってもいいかな――が不在だからさ。こうして時々、穴埋めに呼ばれるってわけ」

「バカ……ですか?」

 団は思わず聞き返した。たしかホワイトには“エース”と呼ばれる三人がいると聞いたことがある。その一人が右京だと犬飼から教わっていた。

 団は、右京の冷たい視線を思い出す。あの藤崎の一件で投げつけられた言葉が脳裏に蘇り、団は自然と顔をしかめる。――あんな恐ろしい人物が、他に二人もいる。しかも、要はその二人を「バカ」と呼ぶ。一体、どんな連中なんだ。

 そんなことを考えているうちに、テーブルにふわとろオムライスとビーフシチューのセットが運ばれてくる。見た目も香りも申し分ない。だが、団は要の異能のことが気になって仕方なかった。

「それで、さっきの現場の話ですけど……どうして、あんな短時間であれだけのことができたんですか?」

 要はミートソーススパゲッティをフォークでくるくると巻きながら、あっさりと答えた。

「俺の異能、時間を巻き戻せるんだよね」

「………………は?」

 団の手から、スプーンがぽろりと落ちた。衝撃的すぎる一言に、脳が処理を拒んだ。

「じ、時間を……巻き戻す……!?」

 食欲なんて吹き飛んでいた。団は言葉を失い、ただ目を見開いて要を見つめる。

「うん。ただし、十分だけね」

「十分……って、それでも充分すごいじゃないですか……!」

「まあ、便利っちゃ便利だよ。ミスしても、十分前ならやり直せる。でもね、記憶があるのは俺だけなんだ。巻き戻された時間のことは、他の人には何も残らない」

 さらりと語るその口調に、どこか寂しげな響きが混じる。

「だから、他の人からすれば、俺だけが妙に“知ってる”状態になるんだ。たとえば、君がお昼食べ損ねたこととか」

「あ――」

 団は思わず声を上げた。要が、なぜ自分が昼を食べていないと知っていたのか。それは一度巻き戻す前の時間で、団がそれを口にしていたから。

「……本当にすごいです、要さんの異能」

 団は心からの感嘆を漏らした。戦いの最中に失敗を分析し、次の瞬間には『正解』を選んでやり直す。圧倒的な攻撃力ではない。でも、だからこそその慎重さと戦略性が際立っている。

「じゃあ……さっきの現場も、何度も……?」

「まあ、回数制限とかもあるから、何回もできる訳じゃないけど……被害が出ないルート、最短で相手を無力化できるパターン、いろいろ試して、その中で一番いい結果を選んだ」

 肩をすくめながら、要は苦笑する。

「まあ、あの爆発はどうしても防げなかったけどね」

「でも、それでも……あれだけの爆発があったとは思えないくらい、周囲の被害は少なかったです! 民間人も無事で……チートじゃないですか、それ!」

 団の瞳には、純粋な憧れが宿っていた。自分の力任せな戦い方とはまるで違う。知性と判断力、それを支える異能。そして、何より結果を出している。

 だが、要はその視線を受け止めるように微笑んで、少しだけ目を伏せた。

「……そんないいもんじゃないよ」

「え?」

 戸惑う団に、要はフォークを皿に置き、まっすぐ目を向ける。その瞳の奥に、どこか陰を帯びた光が浮かんでいた。

「時間を巻き戻すってことはさ、一度『間違えた』ってことなんだよ。誰かを救えなかったとか、守りきれなかったとか……何かしら後悔がある」

 声が、少しだけ低くなる。

「だから俺は、いつも『後悔の記憶』を抱えたまま、正解だけを選んでる。周囲にとってはうまくやったように見えるかもしれないけど……裏側には、選ばなかった結末がいくつもあるんだ」

 要は短く、ため息を吐いた。

「……それって、結構しんどいよ」

 団は言葉を失った。自分一人だけが知っている、失敗の記憶。誰にも共有できない過去の傷を、要は何度も重ねてきたのだ。

 団は、皿の上で冷めかけたステーキに目を落とし、それからゆっくりと顔を上げた。さっきまで抱いていた憧れは、ただの羨望ではなくなっていた。もっと深く――その背中にある痛みすら、尊敬する気持ちに変わっていた。

「それでも、要さんのおかげで、あの現場では誰も傷つかなかった。それが全てじゃないですか?」

 その言葉に、要はふと遠くを見るような目をして、それから、ゆるく笑った。

「……そうだね。うん、そう思うよ」

 どこか、自分に言い聞かせるような声だった。団はふと、時親要という男の、本当の深さに触れた気がした。

 要の力は、優しさと覚悟の上に成り立つ、とてつもなく尊い力だったのだ。

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