目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
神様、殺しちゃいました。
神様、殺しちゃいました。
小判鮫
BL現代BL
2025年05月26日
公開日
9,728字
完結済
孤独な僕の前に、神様が現れるお話。

第1話

 僕は孤独である。教室の端っこで、ただ息をしていた。カーテンの隙間から零れた光が、机上に陽だまりを作っている。僕はその陽だまりの中で目を瞑った。これが僕にとっては定番の、休み時間の過ごし方だ。

 ────なんて、人間達はうるさいんだ。


 僕はいつだって一人ぼっちだ。群れられないと生きていけない動物とは違う。そう、プライドを持って生きている。プライドという言葉で着飾らないと、僕は精神不安定になってしまう気がしてならない。


 「ねえ、君。俺を殺してくれないか?」


 帰り道、意味もなく寄り道をした罰が当たったのか、変な大人に絡まれてしまった。僕はもう中学生なので、防犯ブザーすら持っていない。


 「何で死にたいんですか?」


 適当に話を聞いてやって、満足してくれれば帰してくれるだろう。そんな軽率な考えで、僕は彼の深淵へと足を踏み入れた。


 「俺が殺されれば、この腐った世界が終わるからさ!」


 彼は自分の死の瞬間を想像して、まるで長年の夢が叶うかのように恍惚としていた。僕は彼の言うことがさっぱり分からなかった。興味がなかった。へえ、と相槌だけしといた。


 「君は全人類死刑になればいい、と思っているだろう?」


 突然、ぐっと僕の胸ぐらを掴んで、額同士をくっ付け、目線を一直線に合わせて、その覗き込んだ瞳孔から、僕の思考を読み取った。彼の超能力に吃驚した。僕は思わず、両手で彼を突き飛ばして、用水路へと落としてしまった。


 「あっ……だ、大丈夫ですか?」


 手を差し伸べた先の彼は、用水路の中で尻もちをついていて、何故かそこで「あははっ!」と豪快に笑っていた。


 「やっぱ、人間って面白いね!」


 「笑ってる場合ですか??」


 こんなにもズボンがびしょ濡れになっちゃって、灰色のスウェットが黒くなっている。これはちょっと、僕のせい──てか100%僕のせいなんだけど──また変なプライドのせいで謝れずにいる。


 「気にしないでいいよ。今日はお天気が良いからね」


 彼はしゃがんで、僕の俯いた顔を覗き込むようにして、本当に何ともなさそうに、そう言った。でも、これだって僕のプライドが許してくれない。


 「僕の学校のジャージ、もし良かったら使ってください」


 カバンから引っ張り出した、しわくちゃのジャージを素っ気なく手渡した。


 「ふふっ、ありがとう」


 素直に感謝を伝えられるのに慣れてなくて、なんだか歯痒かった。僕が目を泳がせている内に、彼はすぐさまスウェットのズボンを脱いで、僕のジャージへと着替えていた。


 「パンツ、見えてましたよ」


 「いやーん、見られちゃった♡」


 と彼はふざけた女声を出して、恥ずかしがるフリをする。微塵も恥ずかしくないくせに。


 「きっもw」


 そんな彼を見ていると、何だか笑えてきた。


 「清野せいの?」


 「清野きよのですよ」


 「下の名前は?」


 「瑛心えいしんです」


 「そっか、エイちゃんだね」


 とニコッとした笑顔を向けられた。あだ名なんて、幼稚園生の頃ぶりに付けられた。


 「そういう貴方は?」


 「俺は神様だからなあ。格好良く『ルシファー』とかにしとく?」


 なんて、提案されたけど、


 「それ、堕天使ですよ」


 とツッコまずにはいられなかった。それを言うなら「ゼウス」でしょ。って内心めっちゃ笑っちゃった。


 「あ!俺のこと馬鹿にしてるな?本当に、神様なんだからな!」


 僕に向かって指差してきて、釘を刺された。


 「わかったよ。ルシファー」


 と僕が揶揄うと、「ああ、もう!」って不貞腐れた顔して怒ってた。神様って案外、子供っぽいんだと思った。


 僕に友達ができた。自称神様の友達だ。その友達はスマホを持っていなかったので、「今日と同じ時間に同じ場所で会おう」と言って、別れた。その日の夜は、次の日が楽しみで眠れなかった。「明日はどんなことを話そうか?」そんなことを悩んでいる夜は久しぶりだった。


 おかげで授業中はとても眠い。日当り良好の特等席にいる僕は、さっきから欠伸が止まらなくて、あぁ、涙が出てきた。


 「エイちゃーん、エイちゃんいる?」


 はっ!!、とその声で完全に目が覚めた。う、嘘でしょ……?嘘であってくれ……!!


 「あ!エイちゃん見っけた!」


 僕は学校のみんなにこんな狂人と友達だなんて思われたくなくて、机に思いっきり突っ伏して、狸寝入りをしていた。だけど、駆け寄ってくる足音がどんどん大きくなってくる。


 「エイちゃん、寝たフリは良くないよ」


 うわっ!!彼の大きな手で肩を持たれ、耳元で囁かれた。またこの背筋が凍るような感覚。彼の低い声で全てお見通しだと伝えられると、僕は逃げ出したくなるほど恐怖を感じる。


 「ご、ごめんなさい。ななな何の用ですか。早く帰ってください……!」


 「ジャージ、ないと困るでしょ?」


 その神様はわざわざ僕のジャージを届けてくれたのだ。何だか決まりが悪くなって、僕はそのジャージを受け取ると、


 「あ、ありがとう……」


 と嫌な顔して受け取った気がする。彼の甘ったるい匂いがするジャージを僕は枕にして、また机に突っ伏した。


 「またね、エイちゃん」


 それだけ言うと、彼は何事もないように帰っていった。教室内はしばらく沈黙に包まれた。


 「清野、次からはジャージ忘れるなよ?」


 先生が馬鹿にしたように笑って、僕を名指しした。教室内が僕を嘲笑う声で満たされた。


 「すみません……」


 僕はこの世界が嫌いだ。みんなみんな、僕の敵ばかりだからだ。教師は僕のことを見下していいと生徒達に教えているみたいだ。僕は劣等感しか教わってきていない。


 僕はまた寄り道をした。ぼーっと虚空を見つめている彼が道端に座っていた。彼は日がな一日、こんなところにいたらしい。


 「何してんの?」


 と僕が笑うと、


 「君を待っていたんだよ」


 と神様は僕に微笑みかける。


 「変な奴」


 少し棘のある言い方をしてしまった。


 「俺は人間じゃないからな」


 また虚空を見つめて、ため息をついた彼。


 「良かったです。貴方が人間じゃなくて」


 そんな彼の隣りに僕は座った。


 「何で?」


 「わかってるくせに。僕は全人類死刑になればいい、と思ってるんですよ?」


 「うん、それはわかってるよ」


 「貴方が人間だったら、僕は貴方を死刑にしなければなりません」


 僕は神様の手に自分の手を重ね、神様に誓いを立てるように真剣に話した。


 「君はこの俺に死んで欲しいとは思わないの?」


 彼はそのキョロっとした真ん丸の両目で不思議そうに僕を見つめ返してきた。


 「お得意の読心術で僕の心を読んでみたらどうですか?」


 僕は挑戦的な目で彼を煽った。


 「やめとくよ。人間の気持ちなんて知らない方が得策だ」


 彼は怖気付いたように僕から目を逸らして、手のひらをひらひらさせた。僕はつまらなくなって、唇を尖らせて頬杖をついていると、彼は突然バッと立ちあがって、道路の真ん中に突っ立った。


 「何してんですか?」


 「車を待っているんだ。俺を轢いてくれる車を」


 「こんな田舎道には来ないですよ。ほら、こっち来てください」


 と拒む彼の腕を引っぱって、先程座っていた場所に強引に戻した。瞬間、僕の背後をトラックが猛スピードで通り過ぎた。「ね?」という彼のしたり顔。


 「……未来予知もできるんですか?」


 「まあ、神様だからね」


 こんな冗談が本当に聴こえる。こんな人間が本物の神様に見える。こんな偶然のバーナム効果に僕は魅せられてしまっている。


 「じゃあ、僕の将来はどうなってますか?」


 手に汗を握りながら、僕は恐る恐る尋ねてみた。


 「君は俺を殺すよ。きっとね」


 そう言って、彼は嬉しそうな顔をする。僕はその顔をぶん殴りたくなった。冗談を言うんじゃない、と。


 「神様でも、わからないことはあるんだね」


 一息、深呼吸をして怒りを鎮めた。


 「いいや、神は全知全能だよ」


 「そう。僕の知っている神様は馬鹿っぽいけどね」


 「それ、俺のこと貶してる?」


 と馬鹿な神様は、僕に懐疑的に聞いてきた。


 家に帰ると、母が心配そうに僕にこう言う。「帰るのが遅かったね」と。僕は「何でもないよ」とだけ言い、自室に籠った。



 僕は毎日、神様と会った。そして、その日あった出来事を日記に綴った。例えば──今日は神様とコンビニまで歩いた。神様は働いていないので、コンビニで万引きをして帰ってきた。僕は怒って、彼に全部元に戻すように言ったが、彼は好物のりんごジュースだけは手放せないらしく、何度言っても聞く耳を持たなかった。僕は渋々、お小遣いを募金箱に入れて罪悪感を和らげた──などだ。記録をしてみると、何だか僕が迷惑をこうむってるような文章ばかりになってしまった。森に探検をしに行ってはムカデを掴んだ彼に追いかけられたり、公園のブランコで遊んでは彼の悪ふざけで怪我させられたり、散々なことばかりだ。でも、その時の僕は心から笑っていた。その感情は日記に綴らなくとも鮮明に覚えている。だから、今日も僕は神様に会いに行く。


 「こんにちは、神様」


 「やあ、人間。俺はバイトを始めたんだ」


 「何のバイトですか?」


 「空き缶を拾うバイトだよ。ある人間に良いことを教えてもらったんだ。空き缶一個を三円で買い取ってくれるんだって」


 と、ある程度空き缶が集まっているゴミ袋を誇らしげに見せられた。


 「もっと効率的に稼げばいいのに」


 僕はコンビニバイトが時給1080円だと知っている。


 「別にお金が必要なわけじゃない。やりたいからやるんだよ」


 そんな彼の想いに僕は賛同して、一緒に空き缶拾いを始めた。空き缶を集めてみると、この世界は随分と汚れているんだと知った。


 「誰だよ、川にこんなゴミを捨てた奴は」


 僕は空き缶と同時にゴミを拾う彼を見習って、空き缶とは別に様々なゴミを拾っていた。人間への憤りを撒き散らしながら。


 「悲しいね。元は綺麗な川だったのに」


 神様は何処か、情けなさそうに微笑んだ。


 「僕がこのゴミを捨てた人間にこのゴミを着払いで届けます」


 「ふふっ、エイちゃんは面白いね!」


 「そうじゃないと気が済みません」


 日が沈んだ頃、ゴミ袋は四袋にもなった。空き缶は一袋分にしかならなかった。川はある程度綺麗になって、彼はその川に足を入れた。


 「あははっ!冷たいよ、エイちゃん」


 自分から入っていったのに、冷たいと喚いているのが何だか滑稽だった。


 「僕は絶対に入りませんからね!」


 「何でよ〜!ほら、おいで」


 彼は濡れた手で僕の手を掴んだ。彼の指先はとても冷たかった。


 「冷たっ!」


 僕は反射的に手を引っこめた。


 「いいからいいから」


 「何も良くない!!」


 結局、彼の押しに負けて、僕はわざわざ靴と靴下を脱いで、冷たい川の中にそっと足を入れた。けど足を滑らせるのが怖くて、彼の手をぎゅっと掴んで離せなかった。


 「ね?気持ちいいでしょ?」


 彼は余裕たっぷりの表情でそう聞いてきたが、僕には気持ちよさを感じる余裕すらなくて、


 「絶対に手を離さないでくださいよ!?」


 「離さないよ。てか、離せるわけないじゃん」


 僕がしがみついてるからね!!って脳内で補足しては、とても嫌味なようにしか聞こえなかった。


 「待って、もう大丈夫だから……」


 僕は両足を川に入れて、安定する足場をやっと見つけた。と思ったのだが、強い突風でバランスを崩して、彼を道連れにしながら、川の中へ。


 「あははっ、またびしょ濡れじゃん!」


 僕は浅瀬に尻もちをついた程度だったので、さほど濡れなかったが、彼は川の淵に思いっきり顔からダイブしてしまったみたいで、ズボンから髪の毛までびしょ濡れだ。


 「大丈夫!?怪我してない??」


 僕は気が気じゃなくて彼の方をじっと見ていると、彼が濡れた髪の毛をかきあげた瞬間、その額から血を流していることがわかった。


 「血、血がでてるよ……」


 僕が殺人現場を目の前にしたかのような顔面蒼白で彼にそのことを伝えると


 「ん?あぁ、こんなの大丈夫だよ。なんてったって、俺は神様だからな」


 って彼は全く気にもとめてないような顔して、川の水でその血を洗い流している。


 「僕のせいだ……。ごめんなさい、僕のせいで……!」


 「ふふっ、何でそんな絶望した顔してんの??」


 彼は僕の両頬を包み込むように両手を添えて、口角を上げながらそう聞いてきた。


 「だって、もう僕とは友達でいたくないって!僕は貴方と一緒にはいられないって!!」


 僕は小学生の頃、ドッジボールで傷つけた過去の友達のことを思い出していた。あの時、その友達は泣いてしまって、それからというもの、まともに口も聞けなくなってしまった。


 「どういうことだよ。俺はまだ君と一緒にいたいけど、君はそうじゃないの?」


 「僕も一緒にいたいけど、だけど……!!」


 一度、傷付けてしまったら、その傷は治らないと知っているから、僕はもう……。


 「俺はエイちゃんの傍にいるよ。俺がエイちゃんにかけた迷惑の数々、もう忘れたの?」


 その時、ハッと僕は気付かされた。日記に綴られた彼の迷惑の数々。僕はそれを笑って許せていた。


 「じゃあ、僕のことを許してくれるの?」


 「許すも何も、エイちゃんは何も悪いことしてないよ。これも素敵な思い出だね」


 その笑顔がやけに煌めいていて眩しかった。


 「ううっ……うわーん!!」


 僕はびしょ濡れの彼に抱きついて、また涙で彼を濡らしてしまった。彼の血液が僕のシャツに赤い染みを付けた。それでも僕は嬉しかった。


 辺りは真っ暗になっていて、僕らのみすぼらしい格好など誰も気に止めていなかった。そもそも、こんな田舎道では誰ともすれ違うことすらなかった。


 「ほら、星が綺麗に見えるね」


 と夜空を見上げた、月明かりに照らされる彼の横顔のが、僕には綺麗に見えた。


 「とても、素敵な夜ですね……」


 僕はロマンチストな彼に感化され、拙いロマンチックで返した。


 「今夜は眠れそうにないよ」


 「何故ですか?」


 「こんな素敵な夜に眠るなんて、もったいないからさ」


 彼は両手を広げて脚をリズミカルに動かした。まるでワルツを踊るように。そして、彼は僕に手のひらを向けて跪く。王子様に踊りを誘われたシンデレラのような気分だった。僕は彼の手を取って、慣れないステップでワン・ツー・スリー。道路の真ん中、二人でクルクル回る。


 「今夜は僕も帰りたくないです」


 「じゃあ、俺の家来る?」


 その言葉に身体がピタッと止まった。しばらく答えが出なくて、沈黙が続いた。


 「……きっとそこは、天国なんでしょうね」


 僕が行けるような場所じゃない。僕はこれ以上の幸福を拒んだ。


 「いいや、ただの六畳一間だよ」


 「ふふっ。それじゃあ、行きます」


 僕は彼の六畳一間に招かれた。彼の部屋は足の踏み場がないほどではないが、ごちゃついていた。


 「りんごジュース、飲む?」


 彼は冷蔵庫を開けて、何処に座ればいいかわからず立ち尽くす僕に聞いてきた。


 「あっ、お構いなく」


 「ふふっ、何だよそれ。よそよそしくして」


 彼は聞く前から答えがわかっていたように、りんごジュースをグラスに注ぎ、お酒の缶とともにテーブルの方へと持ってきた。


 「突っ立ってないで、こっちおいで」


 彼は座椅子をポンポンと軽く叩いて、僕に座るよう合図をする。彼は座布団に座っていて、僕が座椅子に座るのは、何だか気が引けた。


 「他人の家なんて、初めて来たから……」


 「落ち着かない?」


 「うん……」


 「じゃあさ、エイちゃんの好きな音楽を流そう!」


 彼はCDプレーヤーを取り出してきて、テーブルの上にそれをそっと置いた。


 「これ、Bluetooth対応?」


 「ん?何それ」


 あ、そうだ。この人はスマホ持ってないんだった。そのCDプレーヤーは結局、Bluetoothに対応していなくて、彼の持っている数十枚のCDから気になるものを僕が選んで流した。


 「へぇ、エイちゃんはこういうのが好きなんだあ♡」


 お酒を飲んだ彼はいつもに増してねっとりとした言い方をした。


 「見た目でしか選んでないですけどね」


 「ジャケ買いってやつだね〜」


 「買ってもないですけどね」


 酔っていない僕は冷笑して返した。


 「エイちゃん、お腹空かない?」


 「確かに、空きましたね」


 「待ってて。作ってあげる」


 とテーブルに手をついて威勢よく立ち上がった彼は、千鳥足でキッチンまで歩いていく。


 「大丈夫ですか?」


 「うん、大丈夫……」


 キッチンに寄りかかって、項垂れている。そんな彼一人に任せてはおけなくて、僕は彼を手伝おうと冷蔵庫を開けた。


 「お酒ばっか……」


 その冷蔵庫に僕は衝撃を受けた。半分をお酒が占めていて、その他には卵と納豆とりんごジュースしか無かった。


 「卵と納豆、どっちがいい?」


 彼が僕の肩を持って、僕の背後から冷蔵庫を覗き込む。


 「その二択しかないんですね」


 「不満?」


 彼は僕の肩から手を引いて、ふと僕が振り返ると、彼はやけに扇情的な顔をしていた。


 「そうじゃないです。普段からこんな食事をしているんですか?」


 「そうだよ。悪い?」


 「悪いですよ!健康に悪いです!」


 僕は感情的になって、きっぱりと言い張った。


 「ふふっ、俺は神様なのに何でそんなことに気を遣わないといけないの?」


 「貴方は……!!」


 ふらふらとしている彼の胸ぐらを掴んで僕は、口を濁した。「貴方は人間で、神様なんかじゃない」と僕が口にしてしまったら、貴方が消えてしまうような気がして言えなかったのだ。


 「何?言ってみなよ」


 その挑発的な態度に、僕の怒りが頂点に達して、彼を殴ってしまった。


 「ざまぁみろ」


 それが僕の第一声の感想だった。彼は僕から二歩距離を置いたそこで立ち尽くし、殴られた頬にその骨ばった手を添えていた。


 「……ふふっ」


 しばらく沈黙が続いた後に、彼は奇妙に口角を上げた。


 「気持ち悪い」


 そんな彼を見ていると、何だか全てが馬鹿馬鹿しくなってきた。


 「じゃあ、殺してよ」


 彼は懇願するようで、でも八つ当たりをするかのように、僕にその言葉をぶつけて微笑んだ。僕は変なプライドのせいで、この感情をうまく言葉にはできなかった。僕はゆっくりと彼にナイフを刺すように、ただ彼をぎゅっと抱きしめた。


 「僕は全人類死刑になればいい、と思ってます。理由は、全人類が僕の敵に思えてならないからです。僕は勉強ができません。教師は僕を嘲笑います。クラスメイトは僕を無視します。母親は僕を産んだことを後悔しています」


 「へぇ、生きづらいね」


 彼は僕の頭を撫でながら、まるで他人事のように薄っぺらい感想を述べた。


 「だから、貴方だけが僕の味方です。貴方は僕と笑ってくれる。僕を見てくれている。僕のことを許してくれる」


 「そっか。俺は神様だもんね」


 貴方はまた神々しい笑顔で笑ってくれた。


 「はい、僕の僕だけの神様です」


 僕も彼につられて、笑った。



 深夜二時。卵かけご飯を二人で食べて、彼は何錠もの内服薬を酒で飲み込んだ。その投薬袋で彼の本名を知ってしまった。僕は瞬時に目を逸らして、見ていないフリをした。


 「ねぇ、エイちゃん。もしぃ、もしもだよ?俺が人間だった場合、エイちゃんは俺を殺してくれるの?」


 彼は相当酔っ払っていて、僕の肩に頭をのせて、夢物語を話すようにそんなことを聞いてきた。


 「何でそんなにも死にたいんですか?」


 彼が死を口にする度、僕の中で謎の怒りがふつふつと湧いてくる。


 「んーとね、今が最高に幸せな瞬間だからさあ、何かこのまま死にたいの」


 彼はぼんやりと虚空を見つめていた。


 「幸せならいいじゃないですか、それで」


 「……俺さ、久しぶりに友達ができたんだあ。『エイちゃん』という子でね、一緒にいるとぉ、とーっても楽しいのっ!でもね、エイちゃんはまだ若くて、これから色んな世界を知って、たくさんの人間と出会って、俺のことなんか……たぶん、忘れちゃうの」


 「忘れないよ。ずっと友達でいるからさ、」


 死なないでよ。それがどうしても口に出せない。


 「俺は彼に『大きな嘘』をついたんだ。神様だって、嘘をついた。きっと彼は『俺が神様じゃない』とわかると、失望するに違いない。俺の『虚栄心』が、俺の首を絞めているんだ」


 それらの言葉は僕に向けられたものではなかった。ただの独り言のようで、神への懺悔のようだった。そんな人間の彼は、僕とよく似ている。

 ────そっか、僕がプライドだと思って大事にしていたのは、ただの虚栄心だったのか。


 「まっすぐ僕の目を見てください」


 僕は彼に命令をした。彼は眠そうな目を擦りながら、僕の肩から頭を起こした。そのまま床に倒れ込んでしまいそうな彼の身体を、僕はしっかりと掴んで、彼の目を見つめた。


 「なーに?」


 彼はふにゃっと笑った。


 「貴方は神様じゃない。けれど、僕にとって貴方は神様よりも尊い存在です」


 そうだ。僕はずっと、これを伝えたかったんだ。


 「ふふっ、どういうこと?」


 彼は意味不明だと言わんばかりに嘲笑って、首を傾げた。


 「理解できるまで何度でも言いますよ。貴方は神様じゃない。けれど、僕にとって貴方は神様よりも尊い存在です」


 「ウザい」


 彼はとても嫌そうな顔をして、僕の顔を手で押し退けた。そんなのではめげない僕は、顔が歪みながらでも、その言葉を復唱した。


 「僕にとって貴方は神様よりも尊い存在です……」


 「はあ、そんなこと本気で思ってるの?」


 諦めて肩を落とした彼は、ため息混じりにそう聞いてきた。


 「思ってますよ!!……ほら、どうぞ。信じられないのなら、僕の心を読んでください」


 僕は両手を広げ、プライドも恥も全部捨てて、無防備な心を曝け出した。しばらく沈黙が続いて、彼の顔が徐々に赤くなっていく。


 「……俺は人間でもいいんですか?」


 彼は目頭に涙を浮かべ、俺に許しを乞うように問うてきた。


 「いいに決まってるじゃないですか。僕の心の何処を見たんですか?」


 僕は揶揄うように彼に微笑みかけた。


 「俺は、俺には……何にもないんだ……!心を読む能力も未来予知の能力も、全部、嘘だ……!!ごめん、嘘なんだ……。俺は、神様じゃないから、ただの弱い人間だから……」


 彼は大粒の涙を流して、ぐしゃぐしゃの顔で、僕から逃げるように後退りをしていた。


 「大丈夫です。貴方の良いところ、僕はいっぱい知ってます」


 僕は彼に駆け寄って、その頭を撫でた。


 「俺の良いところ、って?」


 「笑顔が素敵なところですよ。だから、笑ってください」


 僕がお手本を見せるようにニッと笑うと、彼は涙を流しながら笑ってくれた。


 「こんなので、本当にいいの?」


 彼は不安げな涙ぐんだ声で、けれども笑顔は絶やさないで聞いてきた。


 「はい!写真に撮って、永久保存版ですね」


 僕がスマホを構えて、彼の珍しい笑顔を撮ろうとすると、


 「ふふっ、何だよそれ」


 って、いつも見てる、僕がふざけた時に見せる笑顔に変わって、でもやっぱ、シャッターは切った。この笑顔につられて、一緒に笑うのが最高なんだ。



 午前四時。僕は眠くなってきて、座椅子の背もたれを倒して、ほぼ横になっていた。


 「見て。この前、腹にナイフを刺したんだ」


 彼は服をまくりあげて、その肋骨が浮きでている細くて薄い身体を見せた。そこには白くて大きな傷が刻まれていた。


 「何やってんの?」


 僕はその傷を見ていると、怒りを通り越して悲しくなってきた。


 「でも、死ななかった。だから、俺は神なんじゃないか、って」


 思い出したように笑った貴方を、僕は虚しい言葉で喩えた。


 「可愛らしいですね」


 「君は、神殺しだね」


 そんな僕を褒めるように、彼は僕の頭をぐしゃぐしゃにして撫でた。


 「どうしてですか?」


 「人間の俺を、もっと知って欲しくなった」


 彼は僕の手首を掴んで、自分の傷跡に僕の指先を置く。僕はその傷跡の凹凸にちょっぴり興奮した。


 「これからたくさん教えてください。僕は貴方の傍にいますから」


と手を彼の方へと伸ばしたままにしていると、彼はその手を掴んで、指を絡めてきた。


 「今朝はよく眠れそうだよ」


 「何故ですか?」


 「こんな素敵な友と一緒に眠れるなんて、とても贅沢なことだからさ」


 彼は鼻歌を歌いながら、僕と繋いでいる手をメトロノームのように左右に動かす。


 「夢の中で二人で贅沢三昧しましょう」


 僕は半分、夢見心地で彼と会話をしていた。彼は子守唄のようなゆったりとした歌を歌う。りんごジュースが飲み放題、なんて変な歌詞で。


 「てかさ、死刑にしなくていいの?」


 彼は彼自身を指でさして、死刑にならないとわかりきった顔で、冗談っぽく僕に尋ねてきた。


 「ふふっ、失敬ですね」


 こんなくだらない冗談、神様ですら口を歪ませる。けれど、彼は凍り付く空気を笑い飛ばしてくれた。同等の立場で笑ってくれる存在が、僕には神様よりも尊い。

 ────僕は彼の本名を呼んで、にっこりと笑った。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?