「お兄さん、イル・ディラストでしょ」
一人の少年が俺に声掛けてきた。
「なぁに?俺に殺されたいの??」
「馬鹿言うなよ。……警察だ。君を殺人容疑で逮捕する」
と警察手帳を見せられた瞬間、俺は咄嗟に殺さなきゃという強迫観念に襲われた。普段ならば警察は雰囲気で察せて下手に絡みなんかしないのに、こんな少年を利用するなんて警察も汚いな。俺は少年の頭をグッと下に思い切り下げて、ナイフで首筋を一突き、したはずだった。
「へぇ、賢いじゃん」
俺が下げた頭を上げようとせずにそのまま屈んで、もっと下に下げてナイフを避けた少年は、俺の両足を蹴り払った。それをジャンプして躱して、少年の額を一蹴した後、俺は倒れ込んだ少年の上に跨って、ゆっくりとナイフを振り上げた。その瞬間、カチャリという音。喉元に冷たい鉄の感触。
「お前が僕を殺す時、僕もお前を殺すだろう」
銃口が俺の喉仏に当たっていた。
「あははっ、ここまで追い詰められたのは初めてだ!」
この俺が追い詰められているという状況がありえなさすぎておかしくて、つい馬鹿笑いしてしまった。しかし、笑っていても依然状況は変わらなくて、そのもどかしさで更に笑えてきた。そんな自分が一番恐ろしかった。
「ふふっ、狂ってるな」
俺につられたように笑うそいつに妙な情が湧いてきて、思わずこんな質問をしてしまった。
「君のが狂ってるよ。殉死したいの?もっと良い死に方したくない??」
「そんな誘い、僕には通用しないよ」
そいつは強かな眼差しで俺を真っ直ぐ見つめていた。
「そう。じゃあ、いっせーので一緒に死のうか」
とナイフを握っている手に再び力を込めたその時、そいつは冷静さを欠かないまま、ふと口を開いた。
「でも、一つ提案がある」
「何?」
「僕の犬になれ」
意味のわからないことを言われ、また俺は笑ってしまった。
「ふふっ、それはどーゆーこと?」
「新たな更生プログラムがあるんだ。簡単さ、目には目を歯には歯を殺人犯には殺人犯を。君には御国の犬の犬として、働いてもらいたい」
「それで?俺にメリットは??」
馬鹿馬鹿しくて付き合ってられないが、何処かでこいつの隙ができるのを狙って、会話を続けた。
「ない。けれど君が今ここで死んでも誰も悲しまないだろう。むしろ、喜ぶ奴ばかりかもしれない」
「別にそれで良いけど?」
死んだ後なんか、わかんないんだし。
「君はもっとうまく生きられるはずだ。少しは死んでから誰かに悲しまれるような人間になれ」
真剣な顔で俺にそう訴えかけてくるこいつを本当にぐちゃぐちゃにしてしまいたかった。俺はもっとうまく生きられるだと?じゃあ、最初からそうしてくれよ。
「あぁ、わかったよ」
と俺はナイフを手放し、両手を上にあげた。こいつが油断して銃を下ろした瞬間に、首を絞めて殺してやる。そう心の中で復唱していると、そいつは銃を構えたままゆっくりと上体を起こして、俺をぎゅっと抱きしめたのだ。
「よし、良い子だ」
「……は?」
俺はお前を殺そうとしてたんだぞ?何呑気な顔して、そんな優しい声で、俺の背中を撫でてくんだよ。
「何だ?驚いた顔をして」
いくらなんでも無防備すぎる。今なら簡単に殺せる。そう、簡単にな。だけど俺は、
「何で俺のことを良い子だなんて言うの?」
とそいつの背中に腕を回して、泣きそうな声色で情けない顔でそんなことを聞いていた。
「君はまだ変われるから。変わろうとしてるって、僕は信じてるよ」
性善説の元で成り立っているようなこいつのお花畑脳味噌に、「ふふっ、馬鹿じゃないの?」なんて内心思いながら、何だかまだこいつが生きる姿を見ていたくなって、今だけは殺すのを見逃してやった。