先輩の声がするだけで、今日が“いい日”になる。
わたしの名前は白石ひより。高校一年、文芸部所属。好きなものは、甘いお菓子と、お昼寝と、結城先輩。
文芸部に入った理由? もちろん、先輩がいるからに決まってるよ。
春に入学して、部活見学で初めて先輩を見たとき――目が合った瞬間、時間が止まった気がしたんだ。本当に。ドキュメンタリーとかでよく言うやつ、アレ。
……え? 恋だったかって?
ううん、違うよ。そんな普通の言葉じゃ足りないの。
これはね、運命なの。もっと深くて、もっと強くて、もっとずっと、消えないやつ。
だって先輩、わたしのお兄ちゃんに似てるんだもん。
……ううん、正確には“似てた”んだもん。
あの人はもういないけど、先輩がいるから、もう大丈夫。わたしは寂しくない。
だから、わたしだけの先輩でいてくれたら、それでいいのに。
……なのに、さっき――
「結城くんってさ、ほんと優しいよね~♡」
「今度、放課後空いてる?」
そんな声が聞こえてきた。廊下の向こうで、先輩が女子に囲まれて笑ってるの。
やだ、胸が、ぎゅってなる。わたしの、わたしだけの先輩なのに。
あの子の名前は……えっと、たしか……。
――ふふ。あとで調べようっと。
文芸部の文化祭展示は、「部誌の配布」と「朗読会」。
正直、地味って思われがちだけど――わたしはこの準備の時間が大好き。
だって、ずっと先輩と一緒にいられるんだもん。
「ひよりちゃん、こっちの原稿コピーお願いしていい?」
「はぁいっ♡」
先輩が私の名前を呼んで、お願いしてくれる。それだけで、脳の奥がとろけそうになる。
先輩の頼みなら、紙を100枚でも1000枚でもコピーしてみせるし、夜中までだって残業するよ。
……あ、でもそれは先生に怒られちゃうかな?
機械室でコピーを取りながら、ちらっと文芸部の教室を振り返ると、先輩が誰かと笑いながら話してるのが見えた。
また、あの子だ。高瀬ユナ。クラスは2年C組。校内ではちょっと有名な読モ系女子。
「結城くん、こういう雰囲気、好きそうだよね〜♡」
「へえ、意外とそういうのも読むんだ。ギャップ萌え~」
……また笑ってる。あんな風に、わたしの知らない顔で。
指先がじんわり熱くなる。
コピーのボタンを押す手に、力が入る。カチッ。ガガガッ。
少し曲がった紙が出てきて、あわてて直した。だめだ、落ち着かなきゃ。
大丈夫。まだ“なにか”をしたわけじゃない。
ユナさんが先輩のことを好きかもしれないって、思っただけ。
だけど。
このまま放っておいたら、あの子、先輩に告白するかも。
先輩がうなずいちゃうかも。
付き合ったら――笑い合って、手をつないで、キスとか、したりして……。
やだやだやだやだやだ。
ダメ。そんなの、わたしが壊れちゃう。
紙をそっと重ねて、スマホを取り出す。
「……高瀬ユナ。Instagram、っと……あ、あった。ふふ……鍵、かかってないんだ」
思わず笑みがこぼれる。
アイコン、かわいい。彼氏いませんアピール、あざといなあ。
ストーリー、さっき更新してる。『ぶんげーぶ、だりぃ。眠い。』だって。
……眠れなくしてあげようかな。
夜。部屋の明かりを落として、ベッドに寝転がりながらスマホを眺める。
先輩とのツーショット――ではないけど、部活中にたまたま隣にいた写真。
それを拡大して、指でなぞって、そっと保存する。
でも、今夜の“お楽しみ”はそれじゃない。
今日は、もうひとつ、大事な作業があるの。
インスタを開いて、高瀬ユナのページをチェック。
さっきのストーリーはもう消えてた。でも、投稿はたくさんある。
自撮り、カフェ、部活の写真……
あ、これ先輩と一緒に写ってるじゃん。文化祭準備中ってタグつけて。
ねえユナさん、それ、誰の許可取って載せてるの?
ふふっ。
さっそく、作ったばかりの“裏アカ”でコメントしてみる。
「その男子、彼女いるよ。浮気されてるって知らないのかな?」
数分して、ユナのストーリーが更新される。
「なんか変なDMきたw 怖。誰か特定した?」
あはは、気づいてないんだ。まだ、ただの冗談だと思ってる。
でもね、ユナさん。
わたし、本気なんだよ?
次は、ユナのフォロワーリストから、男の子の名前を適当に拾って――
「○○くんに先輩と歩いてたの見られてたよ。気をつけた方がいいよ?」
DMは送信済み。すぐ既読がついた。
……あれ? ブロックされた。
そっか、ふーん……ブロック、かぁ……。
ベッドの上でごろりと寝返りをうって、スマホを胸に抱きしめる。
ねえ、先輩。
どうしてあんな子に笑いかけるの?
わたしが、いちばん、近くにいるのに。
もうちょっとだけ、ちゃんと見てほしいな。
あの子がどれだけ“邪魔”か、気づいてもらえるように。