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第4話

社会人になって、もうすぐ一年。


慣れない事務仕事にくたびれながらも、

毎朝ちゃんと起きて、駅まで歩いて、遅刻せずに会社に行く――

それだけでも「昔の自分からは想像できない」と、少しだけ誇らしく思える。


病院にはもう通っていない。

薬も、とっくに卒業した。

たまに不安が顔を出す日もあるけど、それでもちゃんと生活できてる。


そして、今日――


わたしは、自分の意思で、あの人に会いに行く。


待ち合わせのカフェに、彼は先に来ていた。


紺色のジャケットに、落ち着いた目元。

それでも笑ったときに見せる、あのやさしい光は変わらない。


「久しぶり、ひよりちゃん」


「……うん。ひさしぶり」


名前を呼ばれるのは、まだ少し照れる。

でも、昔のように胸がぎゅうっと痛むことはない。


それよりも今は――この時間を大切にしたいと思える。


先輩――結城さんは、今、大学を卒業して新卒で働いている。


すれ違いの時期を越えて、何度か連絡をとるようになって、

「また会いたい」とわたしから言った。


それは昔のわたしじゃ、絶対にできなかったこと。


でも今は、ちゃんと伝えたい。


「……あのとき、ありがとう」


「うん」


「今でも、思い出すよ。あの教室のこと。先輩が止めてくれてなかったら、きっとわたし……」


「もう、いいんだよ。それはもう過去だ」


その言葉が、どれだけ救いだったか。


わたしは、そっと彼のカップに手を重ねた。

驚いた顔をしながらも、彼は手を引かなかった。


「今度は、ちゃんと……好きになっても、いい?」


「……俺も、それを言おうとしてた」


ふたりで、静かに笑い合った。



電車を待ちながら、わたしたちは隣に立つ。

並んだ影が、夕陽に長く伸びていた。


昔のわたしなら、手をつなぐことすら怖かった。

でも今は――自然に、彼の指を探せる。


小さなぬくもりが、指先に返ってきた。


その手を握りながら、思った。


これは、あの頃の“狂気”じゃない。

“依存”でもない。


ただ、静かに想い合って、

ちゃんと歩幅を合わせていける、本当の恋。


そしてわたしたちは、同じ電車に乗り込んだ。


「愛してる、なんて言葉はまだ言えないけど――これはきっと、ちゃんと始まった恋だ。」

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