人鳥温泉街のケーキ屋「スチームライジング」の店長でお菓子職人である真由美さんは、溜息をついた。朝一番で届いた、温泉街の自治会からのお知らせ回覧メッセージを携帯端末で読んだせいである。
『おはようございます。先日の定期健康診断で、専門医より温泉街のマスコットペンギンである大福の太り過ぎが指摘されました。当分の間、甘い食べ物は控えさせたいと思いますので、各自ご協力をお願いします。人鳥土産物屋:海田』
あーあ。せっかく、大福君の好物のマカロンの新作を試食してもらおうと思っていたのに。
朝の日光が差し込むリビングのテーブルに突っ伏した所に、夫のガストンが鼻歌を歌いながら熱いカフェオレを運んできた。真由美さんは砂糖無しだが、ガストンの方は砂糖がたっぷり入っている。ケーキ職人である彼の脳内に、甘さ控え目の文字は無い。
「どうした? 朝からしおれて。何かつまらないクレームでもあったのか?」
「んー違うの。ペンギンの大福君、お医者に注意されてしばらく甘い物が駄目って海田さんから回覧メッセージが回ってきたの。大福君にマカロンを食べてもらうのが私も楽しみだったから、ちょっとがっかり」
ガストンは眉をひそめた。甘い物が食べられない? 彼にとって禍々しい言葉である。だがもちろん健康は何より大事だ。たとえペンギンであっても。
「そうか大福君が。でも仕方ないな。言葉が話せないペンギンなんだから、なおさら周囲の人間が食事や栄養に注意してやらないと」
「うん、そうだね」
真由美さんはガストンが淹れてくれたカフェオレを啜りながらうなずき、ぽよんとふくよかな夫のお腹を突いた。この際だ.。カロリーが低くて、でもしっかり甘い小さなお菓子を作ろうかな、と真由美さんは考えた。
同じ時刻、人鳥温泉街のマスコットペンギンである大福は、むっつりとした表情で遊歩道をテトテトと歩いていた。
昨夜、大福の世話役である海田から「当分の間甘い物を食べるのを禁止する」と申し渡されてしまったのだ。大福は賢いペンギンなので、羽を振り大声で鳴いて抵抗した。が、全く聞き入れてもらえなかった。
いつものように朝の散歩に出たけど、今日は中央通りを歩く気がしない。既に温泉街の住民皆にお知らせが回っていると海田が話していた。大福が挨拶に訪れると皆がくれる、マカロンやイチゴ大福やティラミスやシュークリームなどが食べられなくなってしまったのだ。
ペンギンの大福は賢いけれども、でも自分の健康のために甘い物が駄目、というのがどうしても理解できなかった。ペンギン用のご飯は美味しくてもしっかり食べていいのに……海田の意地悪ではないのはわかっているけども……。
しょんぼりしながら見晴らしのいい場所にあるベンチに近づいた時、全宇宙征服連盟日本支部のエーテル所長が立っているのに気づいた。眼下の人鳥温泉街を眺めながら、携帯端末に何やら記録しているようだ。エーテル所長は仲良しだけど、甘い物関係の人では無いので、大福は一応挨拶しようと近づいた。すぐに足音に気づいた所長が振り向いた。
「おや、大福。おはよう。気持ちの良い朝だな」
エーテル所長も朝の散歩なのか、普段のスーツ姿とは違いポロシャツにスニーカーという恰好である。
「妻にお花見大会の桜の映像を送ったら気に入ってな、他の景色も見たいと言うので撮影していたのだよ」
話しながら少し元気のない大福に、エーテル所長はああそうかと気づいた。エーテル所長は異星人のせいか、地球の人間よりもペンギンの大福の精神状態や願望を察するのに長けている。
「海田君からの回覧メッセージを読んだよ。しばらく甘い物を食べない事になったそうだな」
大福はエーテル所長を見上げて、不満げに小さく鳴いた。
「気持ちはわかる。だがな、生き物は食べた物が元になって身体が構成されている。大福の好物のマカロンを食べると、今の大福には不都合な栄養が身体中を巡ってしまって、それは大福に良くない事だ」
エーテル所長の説明に、大福は首をかしげた。
「マカロンも、それを大福にくれる人も何も悪くない。もちろん大福も悪くない。ただ大福がこれからも楽しく過ごすために、しばらく我慢をしなければならない。君ならば出来るだろう?」
大福は、じっとエーテル所長の顔を見てから、羽を小さくパタパタさせた。
「海田君も大福のために専門医と色々と打ち合わせをしている。何より彼が一番心配しているのを忘れないようにな」
その時、大福の右足に巻いている細いリングがピカピカ光った。海田からの人鳥土産物屋に戻って来いという合図だ。大福は納得できたせいか、だいぶ元気を取り戻してエーテル所長に挨拶をして、テトテトと歩いて去った。その後姿を見送りながら所長は呟いた。
「やれやれ。私もしばらく、大福にマカロンを奢るのを止めるようにしないとな」
それから数日後。
何とか甘い物を我慢できるようになり、前のように温泉街を朝の挨拶に回るようになったペンギンの大福は、人鳥神社の境内の隅で健康マニアの宮司に勧められた方法で身体を動かしていた。頑張って羽を振りお腹を捻る大福に、誰かが声をかけて来た。
「ああ、いたいた。大福君」
動きを止めた大福がそちらを見ると、お菓子職人である真由美さんが白い箱を手に立っている。
大福は真由美さんが大好きなので、喜んで近づいた。この人はいつも笑顔で良い匂いがする。でも、今朝挨拶をしたのに何の用だろう?
「大福君がマカロンや甘い物がしばらく駄目になったから、新しいお菓子を考えてみたんだ。牛乳と寒天で作った牛乳寒天。果物は入れてないし、人工甘味料だからカロリーも低いよ。保冷箱で持ってきたから食べてみてくれる? さっき海田さんにも説明して、大福君が食べる了解をもらってるから」
真由美さんが開けて見せてくれた箱の中をのぞいてみると、真っ白で四角いつるつるしたお菓子が幾つか並んでいる。真由美さんがつまんで取り上げて大福に差し出してくれたので、ぱくりと食べてみる。思いがけずひんやり冷たく、さっぱりした甘さでとても美味しい。
大福が大喜びで羽を思い切り振ると、真由美さんも嬉しそうに笑った。
「気に入ってくれて良かった。これから暑くなるし、プリン以外にもこういうお菓子もいいかなと思って。果物を入れたのをお店に並べようと思うけど、この低カロリー版も意外にお客様に喜ばれるかもね」
ペンギンの大福は嬉しくて、足をぱたぱた踏み鳴らした。
真由美さんが作ってくれるなら、マカロンでなくてもとても美味しくて嬉しいんだと、大福は気づいたのだった。
その頃、人鳥土産物屋の店頭でも、パイプ椅子に座った海田が真由美さんに貰った牛乳寒天を食べていた。
「うん、美味い」と機嫌よく独り言を言いながら、しかしつくづく大福は幸せ者だな、と考えていた。