もうすぐ日が暮れる。
草だらけの山道を1人で歩いていると、ほんの少し前まで家族だったはずの人たちの声が、聞こえてくる気がする。
——今朝は、どんなふうに家を出たんだっけ。
いつもと同じように朝ごはんを食べて、いつも通りに「行ってきます」と家を出た。それから中学校へ行って——。でも、学校が終わって、アパートへ帰ってからが、いつもと違っていた。
私が帰ると、家の中のものが全てなくなっていた。
自分の部屋を覗くと、そこにあったはずの勉強机も、ベッドも、よそ行きの服も消えていて、くたくたになった部屋着や、ノートが床に散らばっているだけ。
何が起こったのか理解できずに、呆然と部屋の中を眺めていると、手書きのメモが落ちていることに気が付いた。そこには、学校の近くにある児童養護施設の名前が書いてある。
「なんで、施設の名前を……」
メモに書いてある文字は、母さんの字だ。なんで母さんは児童養護施設の名前だけを書いたのだろうか。
家具がなくなっていて、家にいるはずだった母さんと、3歳の弟もいない。でも私は、引っ越すなんて聞いていなかった。
そういえば——平日の朝なのに父さんがいた。いつもなら、私よりも早く家を出るはずなのに。
「もしかして私、捨てられた……?」
そうとしか考えられない。弟は連れて行ったのに、私は置いて行かれたのだ。
「私は、父さんと血が繋がっていないから……?」
そうだったとしても、母さんは違う。私を産んだのは、母さんだ。それなのに私を置いて行ったのだろうか。
ドン!
突然、玄関の方から大きな音がして、身体がビクッ! と跳ねた。
「笠原さーん! いるんでしょ?」
「借りた金は、返してもらわないと困るんですよねぇ!」
——えっ、お金……? もしかして、お金を返せないから、私を置いて逃げたの?
また、ドン! ドン! と大きな音が響いた。
「笠原さーん!」
玄関の外で、男の人たちが叫んでいる。2人共、すごく機嫌が悪そうだ。
——どうしよう……逃げた方がいいよね……?
私は静かに、ベランダから外へ出た。男の人たちに見つからないようにアパートの敷地を出て、そのまま中学校がある方へ走る。
段々と呼吸が苦しくなって、涙が出そうになった。
「どうして、こんなことになったの? なんで私が、逃げないといけないの……!」
10分ほど走ると、メモに書いてあった児童養護施設の前に着いた。
同じクラスにも、施設から通っている子がいる。親がいなくても、施設にいれば、今まで通りに普通の生活ができるはずだ。
「ここで暮らしたいって、言えばいいのかな……」
施設の門までは5歩程度なのに、遠く感じる。まだ状況がハッキリと理解できていないのに、着いてしまったのだ。
——私はこのまま施設に入って、今までと変わらずに学校へ通って、卒業したら、自分の力で生きて行くしかないんだろうな……。
でも家族は、私を捨てたことを忘れて、幸せに生きて行くのだ。
私だけがつらい思いをして。
あの人たちは幸せで。
門を開けようとしていたが——手が止まった。
「……なんで、私を捨てた母さんの言うことを聞いて、施設に入らないといけないの……?」
それに、あの怖い人たちがここへ来たら、私はどうなるのだろう。親でさえ私を捨てたのに、施設の人たちが私を守ってくれるとは思えない。
もしあの人たちに捕まったら、私は売られてしまうのだろうか。それとも、殺され——。
「そんなの、イヤだ!」
その時ふと、亡くなったおばあちゃんから聞いた話を思い出した。
今は誰も住んでいない山向こうの村には、願いを叶えてくれる神様がいる、と聞いたことがある。
「神様にお願いをしたら、助けてくれるかな……」
今までは神様なんて信じていなかった。だって、神様がいるなら、私はもっと幸せだったはずだから。こんなつまらない毎日を送ってはいないはず。
でも今は、いるかどうか分からない神様でも、信じてみたくなる。
もうすぐ暗くなるけれど、もう門限を気にする必要はないし、山の中で迷子になっても心配する人なんていないのだから、行ってみてもいいかも知れない。
「おばあちゃんが言っていたのって、学校の裏山のことだよね」
私は山の方へ向かって歩き出した。
学校に着いて裏へまわると、山の中に続いている細い道があった。
山の向こう側へ行くのに、どのくらいの時間がかかるのかは分からないけれど、ここを抜けないと、神様がいる村には辿り着けないのだと思う。
「考えていても、仕方ないか……行こう」
私は柵を乗り越えて、山の中へ入って行った。
コンクリートで舗装されていない道は歩きづらい。草だらけで、古くなった木が倒れている場所もある。
制服のままで飛び出してきたので、スカートの裾は枝に引っかかって破れてしまったし、足には傷がどんどん増えていく。
それでも、山の中で立ち止まるのは嫌だった。
こんな何もない山の中で、誰にも気付かれずに死にたくはない。それに、突然親に捨てられたのに、文句の一つも言えずに寂しく死ぬなんて、私が可哀想だ。
ずっと歩き続けて、辺りが夜の闇に包まれた頃。
急に、開けた場所に出た。月明かりがあるので、屋根のような三角のものがいくつもあるのが見える。多分ここが、おばあちゃんが言っていた村だ。
「どこかに、お祈りをする場所があるのかな。探してみよう……」
全く人けのない村の中。私が草を踏む音と、虫の鳴く声しか聞こえない。
そういえば、私は暗いところが怖いはずなのに、今は何も感じない。どうしてだろう。急に大人になったのか、それとも、星空と満月が綺麗だから、この暗闇と廃墟が気にならないのか——。
「ん? あの家……。明かりがついてる……?」
村の1番奥にある小さな家は、なんとなく明るく見える。