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第6話 雫石志麻

「かしさしななな、かしさしなななぁあああ、あああぁ亜阿嗚呼ああああゝ」


 炎に包まれたゆき婆ちゃんが達磨のように丸くなって石畳の上を転がっている。


 祠から出た呪詛と怨念の塊は、巨大な祠の形をしている。それはまるで手足が生えた漆黒の祠。


「洗脳されていても、魂は死ぬ間際の現世への未練や苦しみは残る。過去贄となった者達の怨念が消える事はない」


 漆黒の祠は鶴ちゃんへ宿ったアヤシロ様の魂を視ていたんだろう。やがて、進行方向を変え、祠は村の方向へと歩いていった。


 実態を成した怨念の祠が歩く度、大地は震動し、身体が跳ねる。祠の怨念が去る中、炎に囲まれる私とひかりちゃん。


「どうしよう」

「心配はないわ」


 動揺するわたしを余所にひかりちゃんは落ち着いた表情で階段の方を見ていた。次の瞬間、階段付近に白い煙が噴射され、炎が消失する。


 消化器を持って現れたのは……郵便屋さん、雫石志麻さんだった。


「鶴子ちゃん、茉莉乃ちゃん逃げなさい」


「志麻さん! ありがとうございます」


 私とひかりちゃんは互いに頷き、志麻さんの前を通過する。そして、階段を何段か駆け下りたタイミングで後ろから声を掛けられる!


「ひかり? ひかりなの?」


 ひかりちゃんが脚を止める。今の彼女の姿は鶴子にしか見えない筈。でも志麻さんは娘の魂を感じ取ったのかもしれない。ひかりちゃんは志麻さんの方を振り返らず、ひと言。


「お母さん、あのとき護ろうとしてくれてありがとう」

「……!?」


 志麻さんは双眸ひとみに浮かぶ雫を拭い、腰に身につけていたものを私へ向けて投げつけた。


「これ、返すわ」

「これは!」


 あの時、ひかりちゃんへ渡したお守り。ひかりちゃんが贄とされた後、形見として志麻さんが持っていたのかもしれない。


「ありがとうございます、志麻さん」

「早く行きなさい!」


 私はひかりちゃんの手を強く握る。黙っていたひかりちゃんが我に返り、再び歩みを進めようとする。


「ひかり! 後であなたの元へ向かうわ!」

「……うん、待ってる」


 志麻さんの言葉が何を意味するのか……私はこの後知ることとなる。



 鶴ちゃんの家も村も、阿鼻叫喚に包まれていた。怨念の祠が歩いた跡が黒い炎に包まれ、消し炭となって消えていく。


「ぐぎがげごぉおおおお」

「かしさしななな、かしさしなななぁあああ」

「たたり祟たたらたちみわたちみわたちみわーーー」


 呪詛を浴びた村人は喉を掻きむしり、飛び出した目玉は充血し、体内から蒸発した血液は朱い蒸気となって昇華し、やがて干からびて肉体が朽ち、叫声を上げながら滅んでいく。


 私達は村を見下ろせる丘の上に座って、ただただ村が滅んでいく様子を見ていた。


「さて、そろそろこの子の魂を返さないとね」

「鶴ちゃんは無事なの?」


「ええ、怨念と呪詛は対象しか滅ぼさない。この子は大丈夫よ」

「そっか」


 よかった。鶴ちゃんの魂が無事で。阿鼻叫喚の渦巻く中、私とひかりちゃんは笑い合う。そう、忌まわしき因習の歴史も、これで何もかも終わるんだ。


「じゃあ、みんなで一緒に帰れるんだね」


 徐ろにひかりちゃんが立ち上がる。


「信仰を亡くした神の存在は消えるの」

「え?」


「わたしは此処でお別れ」

「そんな!」


 せっかく逢えたのに! 全てを思い出したのに! 私はひかりちゃんの両肩に手を乗せ、彼女を揺さぶる!


「またお別れだなんて! ひかりちゃんはいいの? 私は嫌だよ!」

「いいの。だって、わたしを待ってる人が居るから」


 ひかりちゃんの指差した先に宙へ浮かぶ白い一点の光。それは志麻さんの魂だった。志麻さんは優しく微笑み、ひかりちゃんへ手招きをする。


 そして、鶴ちゃんの身体から白い光の塊が飛び出し、小学生姿の透明なひかりちゃんが志麻さんの方へゆっくり飛んでいった。


 しっかり手を繋いだ母と子は、私に向かって深々とお辞儀をする。


「清浄なる魂よ、あるべき場所へと戻り給え。かしさしななな。河岸幸志七那かしさしななな


 私が手に持った人参キャラのストラップが強い光を放ち、私と鶴ちゃんの身体を包み込む。真っ白な世界に包まれる中、遠く声がしたような気がした。


 また……逢おうね――




「茉莉乃ちゃん、3番テーブルに日替わり持っていって!」

「はーい瑠奈先輩!」


 あれから半年の月日が流れた。


 この日は土曜日。バイト先のカフェのランチタイムは大繁盛。瑠奈先輩の手早い指示の下、私たちはホールを駆け回っていた。


「鶴子ちゃんは5番テーブルね!」

「はい、分かりましたー!」


 あの後、那由多村を脱出した私と鶴ちゃん。目を覚ましたのは私の家だった。一体どうやって帰ったのかは憶えていない。以来、鶴ちゃんは私のとして同居生活をしており、同じカフェで働いているのだ。


「菫ちゃん4番注文いってー。こらシン、からあげくんも! ハンバーグと日替わりまだー?」


 バイトリーダーの瑠奈先輩はみんなの憧れ。私もあんな風に捌ける人になりたいな。


「すいませーん、ウーバーイーツです。104番です」

「はーい、今行きま〜す」


 えっと、104番は日替わり定食とトンカツ定食か。私は用意されていた袋をウーバーイーツの担当さんへ渡そうとする。すると、被っていた帽子を取ったその子は確かに私に向かって微笑んだ。


「久しぶり、茉莉乃ちゃん」

「え? 嘘?」


 私は持ち上げようとした袋を思わずテーブルへ置いてしまう。色んな感情がこみ上げて来て、私の視界が滲む。


「ひかりちゃん……なの?」

「うん。今の名前は明里あかり。魂だけアヤシロ様が送ってくれたの。お母さんも一緒だよ」

「ひかりちゃん!」


 思わず抱き合おうとした私達だけど、瑠奈先輩の視線が合ったので、黙って袋を渡す。


「104番ですね。こちらです」

「ありがとうございます。またお願いします」

「はい、またお待ちしています」


 ウーバーイーツ姿のひかりちゃん、明里ちゃんは私へ手を挙げ、配達へと向かったのでした。




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