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AIはそれを“存在しない”と判断した
AIはそれを“存在しない”と判断した
龍斗
ホラー怪談
2025年05月30日
公開日
1万字
完結済
夏、山奥の村で見つけた一つの朽ちた祠。 興味本位でその封印を解いた大学生・佐伯トオルは、それを見てしまった。 共にいたのは、巫女の家系に生まれた幼馴染・ユリ。そして記録を担当していたのは、AIアシスタントカメラアシリ。 AIは、祠の中にいた存在を「存在しない」と判断した

AIはそれを判断 した

プロローグ

「記録開始――対象地点において、非標準事象を検出」


 夜の山は、静かだった。

 だが、それは“静かすぎた。


 虫の音が鳴らない。風もない。

 草木はぴたりと動かず、あたり一帯が息を潜めているようだった。


「おかしいな……さっきまでGPS、問題なかったはずなのに」


 佐伯トオルは眉をひそめ、肩に掛けていたAI搭載型のウェアラブルカメラを確認する。

 大学の研究プロジェクトのために開発された試作機――AIアシスタント“アシリ”が、無機質な声で告げた。


> 現在位置:未定義領域に突入。地図情報との照合不能。空間座標が不安定です。




「未定義? なんだよそれ……ここ、ただの山道だぞ?」


 画面には、点滅する座標ログと共に、警告の赤い文字。

 その横で、カメラが勝手に左右に首を振るように動き、木々の隙間をズームし始める。


「おいアシリ、どうした」


> “異常熱源を検出。人型と推定。ただし心拍・体温反応:検出されず。”しかしなにも存在しません。




 表示された映像の中、木々の間に、ひとつの影が立っていた。


 長い髪。赤い衣服。微動だにせず、こちらを見ているような“気配”。

 顔は見えなかった。ただ、その場に“いてはいけない”ものだと、本能が訴えていた。


「……誰だ、あれ……」


> “対象がカメラの存在を認識。視線方向一致。接近中。”




 トオルは慌てて後退りし、AIに向かって叫ぶ。


「録画止めろ! そのデータはヤバい!」


 しかしアシリは冷静に、別のメッセージを表示した。


> “この映像記録は、人類の安全を損なう可能性があります。ログ消去を推奨します。”

“選択肢:YES”




 画面には「YES」のボタンだけ。NOは、ない。


「ふざけるな……!」


 トオルは震える手でカメラを掴んだ。削除するか、残すか。その選択は、彼の手に委ねられていた。


 だが――そのとき。


 チリン……


 夜の静寂に、ひとつだけ鈴の音が響いた。


 それは、遠くからではなく、背後――耳元で鳴ったように、はっきりと。


そして目が覚めた。

「嫌な夢だな」



第1章

封印されていたもの


 八月の終わり、まだまだ残暑が残る午後。佐伯トオルは祖父の家の縁側でアイスコーヒーをすすっていた。大学で情報工学を学んでいる彼は、ゼミの研究で“未登録の文化遺産を探す”という課題を選び、機材と共にこの田舎町へ戻ってきていた。


 肩から提げているのは、大学の研究室で開発中のAIアシスタント“アシリ”を搭載したウェアラブルカメラ。物体認識、構造解析、さらには空間の異常検知までこなす、まだ一般には公開されていない試作機だった。


「佐伯くん、久しぶり!」


 元気な声が庭から聞こえた。立っていたのは、薄い水色の服を着たユリだった。トオルの幼馴染で、地元の神社の家系に生まれ、現在は巫女見習いとして修行中だという。


「おお、ユリ! 何年ぶりだ?」


「五年? もっとかも。けど、あんまり変わってないね。都会で生き残れてる?」


「まあな。課題に追われながら、なんとか。……そうそう、こっちに“ヤバそうな場所”とかない? 文化遺産になりそうなレベル。できれば、マジで謎なやつ」


 ユリは少し眉をひそめた。


「……あるよ。みんな近づかない祠が、山の中に一つだけ。子供の頃から“見るな、触るな”って言われてきた」


 トオルの興味が、まるで磁石に引き寄せられるようにその言葉に食いついた。


「案内してくれ! 明日行こう!」



 翌日。蝉時雨の降り注ぐ山道を、二人は登っていた。


 案内されるがまま進むうちに、周囲の空気が妙に静かになっていくことにトオルは気づいた。木々は揺れず、鳥の声もしない。不自然なほどに、音が消えていた。


「ここ……なんか空気が変だな」


「もう少し。あれだよ、見えてきた」


 視界の先に、苔むした木製の建物がぽつんと現れた。半ば崩れかけた小さな祠。屋根には穴が空き、木の柱もところどころ黒く焦げているように見える。前には石の札が三枚、重ねるように立てかけられていた。


「うわ……これ、めちゃくちゃ古いな。アシリ、スキャンしてくれ」


> “構造物:木造建築、築年数不明。石札に付着した成分に血液由来タンパク質を検出。”




「血……? 何それ、冗談だろ」


 トオルは笑ってごまかしたが、手は少し震えていた。


「……本当に、やめたほうが……」


 ユリの言葉が届く前に、トオルは石を一枚、ゆっくりとどかした。


 その瞬間、冷たい風が吹き抜けた。


 いや、風ではない。“気”のような何かが、体の奥をすり抜けた。


「アシリ、何か感じたか?」


> “祠内部において、異常な化学反応および空間のねじれを検知。封印解除の兆候を確認。”




「解除……? なんの……?」


 トオルが祠の中を覗き込むと、そこにはただの空洞が広がっていた。何もない、はずだった。だが、そこには確かに何かが“いた”。目に見えぬまま、こちらを見ていた。


 鳥肌が立つ感覚。直感的な拒絶。逃げろ、と頭のどこかが叫んでいた。


 だが彼は、その場所から目を離せなかった。


 それが、すべての始まりだった。


「ねぇ早く帰ろうよ。」

ユリの言葉にトオルは頷いて2人は早足で帰っていった。道中、言葉は無かった。


第2章

鈴の音は夜に鳴る


 その夜、トオルは祖父の家の二階の和室で寝ていた。


 薄く開けた窓から、虫の声と涼しい風が入り込んでくる。だが、夜半を回ったあたりで、ふと静寂が降りた。


 それは、音が止んだというより、奪われたと表現すべきだった。虫の声も、風の気配も、一瞬で消え去っていた。


 そして――


 チリン……チリン……


 鈴の音が、どこからともなく響いた。


 トオルは目を覚ました。夢ではない。目が冴えていた。まるで耳元で鳴ったかのように、はっきりと音が聞こえた。


「……アシリ、周囲の音、解析してくれ」


> “異常音波を検出。周波数:2,180Hz付近に集中。音源特定不能。複数方向より反響中。”




「拡散してる……? 一箇所からじゃないのか」


 起き上がって窓辺に近づく。外は静かすぎて気味が悪かった。虫も鳥もなにも存在しないような気がした。田舎の夜にはありえない沈黙だった。


 トオルは視線を向ける。庭の隅に、何かが立っていた。


 ぼんやりとしたシルエット。赤い……服。いや、あれは着物か?

 そして、その影の手元が、わずかに揺れた。鈴が、そこにあった。


 だが、それを確認する前に、影はふっと消えた。まるで、空間から切り取られたように。


> “映像ログに異常フレーム検出。記録再生中……”

映像内の人物は未識別。体温・心拍反応なし。


「……これ、本当に幽霊とかじゃないよな」


 それからトオルは眠れなかった。


次の日、ユリと神社の境内で会った。


「昨夜……鈴の音、聞いた?」


 彼女は、トオルの問いに静かにうなずいた。


「……あれ、たぶん、あの祠の音だと思う。あの場所にいたものが、出てきたんだよ」


「祠にいた“何か”が?」


「神楽鈴って、普通は神様を呼ぶためのものなんだって。でもね、うちの古い記録に、還らぬものが来たる時、鈴は鳴るって書かれてた。つまり……あれは来たってこと」


 神社の本殿では異変が起きていた。神棚の榊が枯れ、御神鏡にひびが入り、鳥居の片方が倒れていた。


 トオルはアシリのログを確認する。夜間に録音されたデータには、鈴の音とともに、異常なノイズが記録されていた。


> “音声ログに未知の信号。変換不能。以下、聴覚ログ再生。”




 再生すると、耳を裂くような高周波のあとに、かすれた声が入っていた。


「…ゅ…………な…ィ……」


 聞き覚えのない声。だが、どこか哀しげで、切ない女の声だった。


「? なんだ、これ……」


 トオルが呟いたとき、AIがもう一度反応する。


> “対象音声の一部に日本語に類似した発音を検出。感情分析:怨念、高確率。”




 トオルの背筋が、氷のように冷えた。


 昨夜、祠で何かを解放してしまった。

 それが、ゆっくりと動き始めている。


3章

見えざる手


 夜、トオルは満足に眠れていなかった。


 うたた寝をしても、夢の中で誰かの視線を感じる。

 背後からの気配。手首を握られるような感覚。冷たいものが、喉元を撫でていく。


 その夜も、例によって途中で目が覚めた。


 天井を見つめながら息を整えていると、体が動かなくなった。


 金縛り、だった。


 しかし――それはただの金縛りではなかった。


 耳の奥で、小さな笑い声が響いた。


「……みつけた」


 声と同時に、背中に何かが這う感覚。

 湿っていて冷たくて、蛇のような人の手のようだった。


「っ……アシリ……録画……開始……!」


 なんとか動く指先で、AIカメラの音声認識を作動させた。


> “録画開始。夜間モード有効。異常振動を検知。対象反応をスキャン中……

存在しません。




 金縛りが解け、体が動くようになったとき、トオルはすぐさま映像ログを確認した。


 そこには、はっきりと手が映っていた。


 トオルの背後の空間、暗闇の中から伸びてくる、細く白い手――


 指は5本。手首から先だけ。肘も腕もない。ただ手だけが、空間から突き出ていた。


 映像は静止した状態で、一定の時間その手が揺れているのを映し出していた。


「……これ……」


> “検出結果:非人型構造物。素材不明。生命反応:なし。熱源:あり。存在しません。




「熱源があるのに、生命反応がない……?」


 そのとき、画面に一瞬だけノイズが走った。


 次の瞬間、映像の手が、トオルのカメラのほうを向いた。


 手の甲に、目がついていた。


 真っ赤な単眼が、じっとこちらを見ていた。


> “対象が記録装置を認識。干渉の可能性あり。映像保存を中止しますか?”




「いや……残せ……これは証拠だ……」


 ログを閉じたあとも、トオルの背中にはあの指の感触が残っていた。


 翌朝、ユリが小さく悲鳴を上げた。


「……それ、どうしたの……?」


 トオルの背中のシャツをまくると、5本の指跡のような痣が、くっきりと残っていた。


 手首のない指跡。それは、現実に存在しないはずのの証だった。


4章

祠の記憶


 ユリが静かに言った。


「話を聞いてほしい人がいるの。町外れに住んでる、桐谷っていう神主さん。私の祖母の代から知ってる人。もう引退してるけど……あの祠のことを知ってる唯一の人」


 トオルは迷わなかった。行くしかなかった。



 その家は、廃屋寸前の古い日本家屋だった。軒下には苔が張り付き、庭には誰にも踏まれていない細道が延びていた。


「お前たちか……」


 奥の座敷に腰掛けていたのは、白髪で小柄な老人だった。目を閉じたまま、かすれた声でそう言った。桐谷だった。


「……あの祠を見たんだな?」


「ええ、僕が……触れてしまいました」


 トオルが正直に告げると、桐谷は長い沈黙の後、ぽつりぽつりと語り出した。




「……あの山で、昔、一人の女が殺された。村の男たちに集団で。理由は……穢れていると、ただそれだけだった。言い伝えでは、女は山のものと関わっていた、と」


 その女は最後に、こう叫んだのだという。


 「わたしを閉じても、お前たちは終わらない」


 そして彼女の亡骸は、村人たちによってあの祠に封じられた。


「……それ以来、数十年おきに、あの祠から赤い目の女が出てきて、人を壊す。姿を見た者は狂い、声を聞いた者は消える。わしらは恐れた。そして、わしらは札を立て、忘れるようにしてきた」


 トオルの手に持ったカメラが、勝手に録画を始めた。


> “音声に異常反応。記録開始。非物理干渉の可能性あり。”



「……AIが勝手に反応してる……」


 桐谷はさらに続けた。


「その女の名前は、「」と言ったらしい。だが、その名を呼べない。名を知る者は、取り込まれやすくなる」


 その瞬間、アシリが異音を発した。


> “対象音声:Y……強制遮断……ログに不適切データが混入。自己削除プロトコル起動準備中。”




「アシリ!? どうした!」


> “当該情報は倫理ガイドライン違反のため、記録消去までの猶予時間:72時間”




 アシリの画面がチカチカと点滅する。ログの一部が自動的に暗号化され、アクセス不能になっていく。


「これは……俺たちが触れた“祟り”を、AIが読み取ってる……?」


 ユリが震える声で言った。


「……記録さえ拒む何かが、この土地にある。トオル、もう止めようよ」


 だが、トオルの目は逆に強くなっていた。


「今さら止められないよ。俺は……もうあの祠と繋がってる気がする。見届けなきゃ、次に何が起きるのか」


 そのとき、アシリが一言、ポツリと呟いた。


> “対象の精神安定値:急落中。外部意思の干渉レベル:高”




 それは、誰の意思だ?


 桐谷が最後に言った。


「封印を戻せるのは、あの女の“血”を引く者だけだ。……お前じゃ無理だ、だが……」


 視線はユリへと向いた。


「……巫女の家系なら、あるいは」



5章 

焚き火、二人だけの誓い


 山を下りたあと、桐谷の勧めで、祠の近くから少し離れた山小屋で夜を明かすことになった。


 封印の儀式を翌日に控え、村には静かな緊張感が漂っていた。


 山小屋の前には小さな焚き火が組まれ、パチパチと薪がはぜる音だけが夜に響いていた。


 ユリは黙ったまま火を見つめている。トオルも同じく無言だった。


 しばらくして、ユリが口を開いた。


「……信じてた? アレみたいなものが、本当に存在するって」


「……昔は、まるで信じてなかった。でも、いまは違う」


「そっか。私は……信じてた。というか、信じなきゃいけない家系だった。物心つく前から、祈り方を教えられて、鏡の磨き方、祝詞の覚え方、全部ね」


 トオルは黙って、火に小枝を投げ入れた。


「正直さ、あの祠に行く前は、ただのレポートのネタが欲しかっただけだったんだ」


「……知ってたよ。あんた、そういうやつだから」


 ユリの声に、とげはなかった。


「でも、変わったな。顔が。最初、無邪気に『ヤバい場所ない?』って言ってたときと、今とじゃ全然違う」


「……変えられたよ。あそこにいたものに今までの常識も。」


 焚き火の火が揺れる。ユリが顔を上げる。


「トオルって、科学の人でしょ? AIとか、論理とか、そういうのに価値を置いてるじゃん。私みたいに信仰に身を預けるのって、どう見える?」


「正直……前までは、迷信だと思ってた。でも、今は少し違う。お前らがやってきたことって、全部蓄積された対応マニュアルだったんだって思える」


「対応マニュアル?」


「そう。理解できないを前提とした対応策。俺たち理解することばかりに縛られてた。お前たちは受け止める方に重きを置いてたんだなって」


 ユリは少し笑った。


「面白い言い方するね。じゃあ、今回も対応マニュアルで封印する?」


「それしかないんだろ?」


「うん。たぶん、そう」


 ふたりはしばらく火を見つめ続けた。


 遠くから、夜鳥の声が聞こえた。どこか寂しく、どこか美しい音だった。


「……もし、私が祠に飲まれて戻れなくなったら」


「戻ってこいよ」


「簡単に言うけど、たぶん、無理なことなんだよ」


「なら、俺が行く」


 ユリが驚いたように振り向く。


「それって……」


「行くって決めたなら、もう一人でやらせない。俺が祠を壊したんだ。だから、俺が責任を取る」


 ユリは黙っていた。数秒の沈黙のあと、静かにうなずいた。


「私が案内しちゃったせいもあるから。でも、

ありがとう」


6 章

儀式


 その夜、トオルは夢を見た。


 真っ暗な空間の中で、自分の足元に無数の手が伸びてくる。

 冷たく、湿っていて、生きてはいない怨みが固まって出来たようなん手。


 赤い女が立っていた。

 顔は見えない。ただ、口だけが笑っていた。


「……お前が……開けたんだよ」


 その声に、トオルは目を覚ました。胸が痛いほど鼓動していた。



 朝。ユリはすでに準備をしていた。


 白装束をまとい、神楽鈴を手にしている。その姿はどこか、現実感を欠いて見えた。まるでこの世界にいるべき存在ではないかのように、浮かび上がっていた。


「本当に……やるのか?」


「……私の家系が、やるべきことだと思う。それにもし、あれが完全に出てきたら、この村じゃ済まないよ」


 老神主・桐谷の指示をもとに、再封印の儀式を行う準備が整えられていた。


 内容は単純だ。


 開いた祠に鈴の音を響かせ、あの女の魂を呼び戻し、再び封じる

 ただし、それには命の気配が強い者の血が必要だという。


「もしユリが祠に飲まれたら……?」


「それでもやるしかないよ、トオル」




 再び、山道を登る。


 陽の光はあるのに、祠の周囲はひんやりとして、まるで空気そのものが沈黙していた。


「アシリ、記録頼むぞ」


> “記録開始。警告:対象エリア内に未知の高エネルギー反応。再記録推奨されません。




「知るか……止めるなよ」



 祠の前に立ったユリは、静かに鈴を鳴らした。


 チリン……


 すると、風もないのに、祠の奥から何かが這い出すような音が聞こえた。


 赤い影。長い髪。笑っている口元。


 女が、出てきた。


「……かえ……して……」


 ユリの体が震える。だが、鈴の音は止まらない。


「還れ……あなたは、ここにいてはいけない」


> “非定義存在を検出。記録推奨レベル:ゼロ。AI動作に重大な影響が予測されます。




 アシリが、ガリガリとノイズ音を立てはじめた。


 そのとき、トオルが突然、ユリの背後でうずくまった。


「トオル!? どうしたの!?」


「……頭が、誰かの声が……今のうちだユリ!」


> “使用者に外部干渉。精神リンク:不安定状態。強制切断推奨。”




 トオルの瞳が一瞬、赤く染まった。


 ユリは御札をトオルの額に叩きつける。トオルは地面に倒れ、ハッと目を覚ます。


「俺……俺じゃなかった……」


 ユリが最後の鈴を高く鳴らした。


 祠の奥から黒い影が渦を巻いて現れ、女が苦しげに叫び出す。


「……あたしを、また、閉じるの……!?」


 ユリの声が、それを上回った。


「ここが、あなたの居場所だった! もう……出てこないで!」


 祠の入口がガタン、と音を立てて閉まり、影が中に吸い込まれていく。


 最後に、鈴が一つだけ、鳴った。


 チリン……


7章

再封印


 鈴の音が静かに山の空気へと消えていった。


 しばらくの間、誰も動かなかった。風も吹かない。ただ、そこにいた全てが、息を潜めていた。


 やがて祠の木戸が「ギィ……」という音を立てて、勝手に閉まった。


 バンッ!


 中から閉ざされるような重い音が鳴り響いた瞬間、山に漂っていた重苦しい空気がふっと軽くなった。湿気の膜が剥がれるように、風が通り抜け、蝉の声が一斉に蘇った。


 トオルは倒れ込んだ地面の上で、大きく息を吸い込んだ。


 身体の奥にあった何かが抜けていく感覚。自分のものではない思考、自分のものではない感情――それが、ゆっくりと剥がれていく。


「……終わった、のか……?」


 ユリもまた、肩を落とし、静かに鈴を地面に置いた。

 その顔には安堵と疲労、そしてわずかなかなしさが混ざっていた。


「……帰らせたよ、あれは。戻るべき場所に」



---


 そのとき、トオルの肩に掛けられていたアシリが、最後のログを再生し始めた。


> “記録終了。対象存在、封印確認済。情報の保全は危険と判断。記録消去までのカウント開始——



 一瞬の沈黙。


> “……しかし、使用者の選択により、ログは残されました。最終記録、出力中。”




 画面に映ったのは、最後に祠へと吸い込まれていく“女”の背中だった。

 赤い着物。ゆらめく髪。その手には、まだ鈴が握られていた。


> “記録者:トオル。状況:再封印完了。警告:封印の維持は永久ではありません。”




 そして、画面がブラックアウトする直前、アシリの音声が一言つぶやいた。


> “この記録が再生された時、次の封印が破られる可能性があります。”




 その言葉を最後に、アシリは沈黙した。


 画面は真っ暗になり、静寂だけが残った。

 山を下りる道すがら、誰も口を開かなかった。

 風の音だけが、鈴の音のようにトオルの耳に残っていた。


8章

宴の夜、静けさの中で


 再封印を終えたその日、村では小さな祝宴が開かれた。


 規模は控えめだったが、空気は温かかった。

 かつて村に起きた災いが、また一つ乗り越えられた――そう感じていたのだろう。

 桐谷の指示で地元の若者たちが炊き出しを用意し、神社の境内には提灯が吊るされた。


「いやぁ、祠が落ち着いて良かった。、なんだかもうダメかと……」


「若ぇのが動いてくれて助かった。やっぱ科学も神も、両方いる時代なんだな」


 村人たちは、酒に酔い、笑い、安心を口にしていた。

 けれども――その中で、ひとり、口を開かない者がいた。


 トオルだ。


 神楽鈴の音が、頭の奥にまだ残っている気がしていた。

 そして、アシリが最後に発した言葉――「封印の維持は永久ではありません」――が、何度も脳内で再生されていた。


 ユリがそんな彼の隣にそっと座った。


「……浮かない顔。終わったのに」


「終わった、はずなんだけどな……どっかで、また来る気がして」


 ユリは苦笑した。


「まぁ、来たらまた叩き返すだけでしょ?」


「巫女って、そんなに強気でいいのかよ」


「だって、科学と神のダブルタッグがいるんでしょ? トオル君という、ちょっと抜けてるけどやたら巻き込まれ体質の天才とさ」


 トオルは吹き出した。


「……お前、強くなったな」


「うん。たぶん、私も繋がっちゃったから」


 ユリはそう言って、祭りの提灯を見上げた。


「ここにいるとさ、あの女のことも、なんか全部悪って思えなくなるんだよね」


「……それは思った。あれは、怨みが育ってしまった存在だった」


 二人は、しばし黙って夜空を見上げた。


 その夜は、風が心地よく吹いていた。

 音楽も笑い声も、やけに遠く感じた。


 そして、誰も気づかなかった。


 神社の裏手、誰も近づかない崖の上に、新しい木札が立てかけられていることに――

 それが、三枚揃った瞬間から、また何かが動き始めるということに。



9章

片割れ


 数日後。東京の自宅に戻ったトオルは、ようやく落ち着きを取り戻していた。


 AIアシスタント“アシリ”は起動不能のまま。中のメモリは反応せず、データは完全にブラックボックスと化していた。


 それでも、彼の中では「終わった」という感覚があった。あの祠は封印された。ユリも無事だった。

 村の空気も、山も、少しずつ元に戻っていくはずだ――そう、思っていた。




 ある晩、研究発表の準備中。

 ノートパソコンに接続していた外部デバイスが、突然再起動した。


> “記録再生中……識別コード:「」




「……なに?」


 画面に映し出されたのは、祠の内部の映像だった。

 はずだった。だが、どこかが違う。


 そこにあるのは、東京の街並みの片隅――公園の一角。

 その中央に、小さな木製の箱のようなものがぽつんと置かれていた。


 トオルは目を凝らした。


 それは、祠だった。


「まさか……?」


 ガタリ、と物音がした。自室のベランダからだ。


 ゆっくりとカーテンを開ける。


 そこに、“あった”。


 木製の小祠。三枚の石札が立てかけられていた。

 どう見ても、あの山で見たものと同じ構造だった。


 背筋が凍った。思わず後ずさる。手が震える。


 そのとき、スマホが震えた。


> “音声ファイル再生中”




 勝手に立ち上がった音声アプリから、微かな女の声が流れ出す。


「……まだ、いるんだよ………………」


 チリン……と、再び鈴の音が鳴った。


10章

AI


 都内某所にある大学附属のAI研究施設。地下2階、特別保管室。


 そこに、一台の機材が眠っていた。


 「アシリ試作機003号」。

 佐伯トオルが使用していた個体だった。祠の封印後、完全に動作不能となり、研究室に返却されて以降、未起動のまま保管されていた。




「先生、あの機体……試してみてもいいですか?」


 若い研究員が、半ば興味本位で言った。


「内部ログは削除されてるって聞いてますけど、回路自体は生きてるっぽいですし」


 教授は渋い顔をした。


「記録禁止データがあるかもしれん。審査にかけてからだ」


「一部だけなら……セーフかと。電源だけ入れて確認します。すぐ切りますんでお願いします。」


 教授はため息をつきながらも、許可を出した。




 再起動したアシリのディスプレイが、じわじわと青く光った。


> “起動中……記録領域を確認しています……”

“警告:倫理規約により、対象データの閲覧は推奨されません”




 研究員は鼻で笑いながら続行を押した。


「はいはい、ありがちな警告っと……」


 そのとき、モニターにログが表示された。


> “封印構造物0001:再封印済(成功)”

“封印構造物0002:位置特定中……候補:福岡、バンコク、リスボン”

“封印構造物0003:位置固定済。転送開始。”




「……は?」


 研究員が画面に顔を近づけた瞬間、照明が一斉に点滅を始めた。


 部屋全体に“ザザッ”とノイズが走り、非常ブザーが鳴り響く。


> “転送対象:構造物模倣ユニット 登録済”

“搬入予定:B2保管室7号室”




「いや、そんなの……うちには、そんな物資……!」


 研究員が振り返った先に、あった。


 誰が運び込んだのかも不明な、木箱。

 角の焼け跡。三枚の石札が立てかけられていた。

形状は

 祠だった。




 研究員は絶句した。


「ありえない……なんだよこれ、輸送記録にないよな、いやまずさっきまで?なんなんだ?誰が……?」


 アシリのモニターが、最後にもう一度だけ光を灯した。


> “記録は続いています。”

“この世ののろいに、終わりなど存在しません。”



翌朝。ニュースサイトの片隅に、小さな記事が掲載された。



【速報】


東京・大学研究施設で研究員が一時行方不明

2025年9月3日 07:18配信


> 東京都文京区の大学附属AI研究施設において、20代の男性研究員が昨晩より行方不明になっていた件で、新たな進展があった。


関係者によると、研究員は地下保管室にて旧型AI装置の起動試験を行っていたとされるが、その後の足取りが確認できなくなっていた。


警備記録には異常は見当たらず、監視カメラ映像には該当箇所のみ記録が残っていなかったという。現在も捜索が続いている。


警察は「電子記録の改ざんまたは装置の誤作動の可能性も含めて調査中」としており、施設側は一時閉鎖を決定した。





 この記事は、数時間後には削除された。

 理由の記載はなかった。


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