災厄で大勢死ぬまで、あと三十秒だった。
ビルの屋上で爆発する黒煙。悲鳴。パニック。
人々が押し合い、逃げ惑い、祈りながら空を仰いだそのとき……
突然、神城シロウは上空に現れた。
「……おーみんなパニックだー、でもタイミングバッチリの登場だね!!」
パーカーの裾を翻しながら、神城は余裕たっぷりに呟いた。
眼下には、ビル群をなぎ倒しながら暴走する怪物――
この世界では”精霊”と呼ばれる発生原因不明の災害。
だが、神城シロウにとっては所詮「素材の良い見世物」に過ぎなかった。
「カメラは……よし、3機あるな。ちゃんと撮っておいてね」
上空で撮影ドローンを操作しているメディアの目線をひと睨みする。
「さあ、始めようか!!」
空間が揺れる。”結(ゆい)”の奔流が彼の身体を中心に渦を巻く。
青白く輝く巨大なエネルギーの玉が6個、空中に浮かぶ。一つ一つの中心には渦のように流れが確認できる。一つ一つが神城が作り出す“結(ゆい)”が渦巻くエネルギーの塊である。
“結(ゆい)”とは漫画でいうところの魔力や気、チャクラと同じような概念。“結(ゆい)”は人間の望みを全て叶える事ができる希望の力。
「奴はAランクだから6個でいいかなー」
まるでファンに向かって実況するかのような口調で、神城は手をかざす。
空中に浮かぶ6つのエネルギーの玉が一斉に光を増し、彼の指の動きに呼応して流れるように飛び出す。
その軌道は、あまりに滑らかで、あまりに美しかった。
轟音。閃光。空間が裂ける。
精霊――その巨大な異形は、体を穿たれ、細かく砕け、そして静かに蒸発する。
同時に沸き起こる拍手、歓声。スマホのフラッシュ。ドローンがその瞬間を捉え、SNSで「#神城シロウ」が瞬時にトレンド入り。
「さすが勇者ランキング1位!」
「シロウ様ー!カッコいいー!こっち向いてー!!」
シロウは群衆の大きく手を振って声援に応える。
「応援ありがとう!!たくさん写真とってSNSに上げてねーー!!」
だが実はその顔に浮かぶ微笑も、ただの仮面。
本当は知っているのだ――称賛の声も、ランクの順位も、自分が最強であることを現す指標に過ぎないことを。
(俺が“最強”でいるのは、誰かを救いたいからじゃない。自分の価値を、消さないため)
正義? 救済?
そんなもの、どうでもいい。
シロウはただ、“最強であること”だけを必要としていた。
それを失った瞬間、自分の存在価値も消える――
シロウは無意識のうちに、それを恐れてた。
パーカーのポケットに入ったスマホがバイブ音を鳴らす。
通知には『アミちゃん』と言う文字が見えて、シロウは静かにニヤついた。
『ニュース見てます!!また世界救ったんですね!!カッコよかったです!今日夜空いていますか??家で待っています。ps:カメラには気をつけてください』
(おっしゃー!!人気女優のアミからお誘いきたー!!世界救うの最高かよ!!)
叫ぶような心の声とは裏腹に、実際の神城の表情は変わらない。にやりと口元を上げただけだ。
ポケットからもう一つのスマホを取り出し、自分のチャンネル『神城シロウちゃんねる』用に撮影していたドローン映像を即時確認。自分が結を放つ角度、カメラの抜き、残光――全て計算通りだった。
「よし!今日の角度は完璧!これなら編集チームにわたせば割と早くアップできるかも!」
ついでに自撮りを一枚撮ると、SNSに「#最強勇者」「#世界救いました」とタグをつけて投稿した。
イイネはすぐに1万を超えた。反応も最高。アンチも沢山いるがそれも人気の証だ。
(これから特番で放送局いかなきゃ……早めにいくか……)
シロウは空中をひと蹴りし、群衆と都心を見下ろしながらその場を離れた。
東京湾の水平線の先には、夕日が沈もうとしていた。
オレンジ色の空。美しい光景。まったく心は動かない。自分がいる限り当たり前の世界だと思っているから。
少しばかり空を飛んで、目的地の放送局に着くと、待っていたとばかりに大勢の報道陣がシロウに向かって駆け出してきた。
カメラのフラッシュが焚かれるたび、神城レイは完璧な笑顔を作る。
そんなシロウに報道陣は口々に質問を投げかける。
「今回の精霊は強かったですか!?」
「Aランク精霊を倒した感想をお願いします!?」
「我が社から質問から答えてください!!」
(はは、勇者ランキング1位の活躍は視聴率いいからみんな必死だわなー)
♦︎
「あー!!疲れたー!!」
0時を超えた深夜にシロウは高級車に乗り込んで首を回す。もちろん助手席。運転をするのはマネージャー。
「アミちゃんの家にお呼ばれしたから近くに止めて」
「そうですか……」
ピシッとスーツを纏ったマネージャーの田所は少しため息を尽きながら頷いた。
「止めないの?」
「いや、私が止めても、あなたは止まらないでしょ……」
「さすが……よくわかってらっしゃる……」
マネージャーの田所とは長い付き合いになる。神城は24歳。”勇者”を始めて勇者事務所に入ったのが18歳だからもう6年になる。
シロウはランキング上位の勇者の中ではかなり若手になる。マネージャーの田所は神城より10歳年上の34歳。
「今日の夜は、世界を救ったご褒美ってことで!」
放送局の特番出演に、雑誌のインタビュー、SNSの撮影……Aランク精霊を倒し世界を救ったのに予定通りスケジュールをこなしてしまった。
「世界救ってー、人気女優からお誘いが来てー、仕事も完璧でー、今日の俺……完璧すぎっしょ!!フォッ!!」
シロウはマネージャーと2人きりの車内で豪快に叫ぶ。田所は無反応だけどどうでもいい。
人気女優の私生活に関われることも、自分の“最強”の証のように思えた。
(……でも、いつからだっけな。こんなに当たり前になったの……)
ふと、そう思う自分に気づく。謎に浸る時間は別に嫌いじゃない。
人気女優アミの家は、都内にある。有名人が集まるタワーマンションの一室。車はその近くに止めてもらった。
助手席のドラを開こうとした時、マネージャーの田所に呼び止められた。
「何?なんか言いたいことあるの?」
「神城さん……、どうか周囲の警戒を怠らないようにお願いしますよ。カメラがどこにあるか分かりませんからね。世界救ってニュースになった男が、次の日女性問題でニュースになるなんて笑えないですから……」
「分かっているって!安心してよ。一般人に見つかるようなヘマはしないよ」
そう言って、シロウはドアを閉めるのと同時に姿を消した。一瞬にして姿が消えた神城に驚くこともなく田所はため息をついて車を発進させた。
もう時間は深夜1時。都会のど真ん中だというのに周囲には人がいない。
「こんな人いないなら、姿を消す必要もなかったんじゃね」
シロウはひとりでに呟く。
今のシロウの姿は『姿がみえなくなる”願い”をこめた”結”』を身体に纏っているお陰で周りからは目視できない状態になっている。
“結”は”願い”と”現実”を結ぶ力の源。使用者が求めるように結は性質、形を変化させる。
強い願いほど、多くの結が必要になる。だからなんでも叶うわけではない。だが神城シロウは”最強”であることが、自身の結で叶えられない願いを叶えてしまえるたった一つの方法だと思っている。
(才能も人気も在る今の俺は全てを手に入れられる。これからもずっとそう……)
深夜の風が、神城の髪を揺らす。
結をまとった体を突き抜けるような冷たい風。
なぜか、そのときだけ、微かに背筋が冷えた気がした。
「神城シロウだな……」
声は冷たい風の中に紛れていた。だが、確かに届いた。
ふと足を止めた神城は、目の前の路上に目を向ける。チカチカと路上ライトが点滅するそこには、ひとりの男が立っていた。
パーカーのフードを下ろしながら、シロウは眉をひそめる。
「……誰?ファン?それとも記者?取材ならアポ取って」
「俺は……お前の未来を変えに来たのさ」
不気味に口元を吊り上げた男は、まるで影そのものが立ち上がったような存在だった。目は焦点が合わない。
「ははっ、意味わかんねー……ああ、まさか、迷惑系配信者か!?やめとけよ!時代にあってない。尻すぼみするだけだぞ……て、あれ?……でもおかしいな……」
シロウは違和感に気づいた。
(こいつなんで俺のことが見えているんだ?)
今の神城は『姿がみえなくなる”願い”をこめた”結”』を身体に纏っている……一般人からは目視できない状態のはず……。
「あんた……同業者か……?」
シロウの言葉に男は笑みを浮かべた。
「ヒントをやる……お前が嫌いな者だ」
同時に男が手をかざした。瞬間、空間が軋んだ。まるで現実の膜が破れたかのように、巨大な一つの結の塊が男の頭上に現れる。
「ちょっと待て……この大きさ、上位ランカーレベル……」
シロウは眉をひそめながら、男の頭上に浮かぶ“結(ゆい)”の塊を見上げた。それは空間の法則すら捻じ曲げるような密度と威圧感を放っている。その大きさは神城の作る結の塊と同等のものだった。
(やばい、やばい、こんな都会のど真ん中でこんなの暴発されたら……)
(アミちゃんどころじゃなくなるーー!!楽しみにしてた人気女優との一晩なのにーー!!!)
男の目が、狂気に染まる。
強烈な破裂音のような音が鳴り響く。
次の瞬間、男の方が後方へ吹っ飛んだ。
男のいた場所には、拳を突き出す神城の姿があった。
「何が起きた……」
男は口から血を流して、瞳孔を開いて起き上がるのに必死な様子だ。
「起き上がれるのね……肋骨2、3本は折れていると思うけど……それ以上手加減できないしね!」
男はまだ起き上がれずにいる。両腕で身体を持ち上げようと必死だ。
シロウがしたことは結で足の筋肉を強化しただけ。
目にも止まらぬ速さで殴り飛ばせるだけの筋力を獲れるように"結"に"願い"を込めただけにすぎない。
急な筋肉の強化に全身が対応できるのは神城が”最強の勇者”だからできること。
結が使えるだけでは”最強”にはなれない。結の使い方、知識、経験で、100%の力を出せるようにするのがプロの”最強”。
「まぁいいよ!今日は見逃す!俺、用事あるし……」
(こいつを勇者庁まで連れていくのも面倒くさい)
「やっぱ……俺じゃ、無理か……」
血に濡れた口元を歪めながら、男は笑った。
「……けどな、これだけは、残しておいてやる」
男の身体から、黒い“結”が吹き出した。それはまるで呪詛のように、周囲の空間を侵しながら渦巻いていく。
そして、男の手には”結”で作られたナイフが握られていた。
「お前は今後、最強の勇者なんかじゃない……弱くなれ……そして醜く泣き叫べ!!」
同時に男は自らの首をナイフで切り裂いた……。
その瞬間、シロウの視界がぐにゃりと歪んだ……。
自分の周囲の“結”が波打つ。制御していたエネルギーが暴走し、まるで意思を持った何かがシロウの存在そのものに干渉してくる。
「……あ、れ……?」
身体のバランスが崩れた。視点が急激に落ちていく。手が、足が、短くなる。
服が大きく見える。
指が、肉球に。
声が、出せない。
(ちょ……っと、待っ……なんだよ、これ……!?)
光が弾けた。
その場にはもう、神城レイの姿はなかった。
代わりに残っていたのは――
一匹の白い猫。
その猫は、何が起きたかも理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
そして……真横を走り抜けた大型トラックの突風に巻き込まれ、猫は弾かれるように路地裏のゴミ捨て場へと落ちた。
そのまま、意識は闇へ落ちていく。