「祠が壊れたからなんだっていうのよ。あんなものなくたっていいでしょ」
髪を勝手に切られた怒りがまだ収まっていないアリサがふんっと鼻を鳴らしながら、ぶんまわされたことで気絶してしまった使用人をその場にどさっと落とした。それに対し、声をあげた使用人は「ひぃ」と悲鳴をあげるものの、それよりも祠の方が重要なようでさらに言葉を続けた。
「あの祠は壊してはいけないのです。壊れてしまえば、なくなってしまえば、
「は?きょう?なにそれ?」
「あ、あ、あ……!」
アリサが尋ねるも、使用人は真っ青な顔をして何も言葉を発せていなかった。
ただ、口をパクパクとしてとある方向を指している。
「キャアアア!」
突如祠の方向から悲鳴が上がり、アリサは反射的に振り返った。
そして、アリサも、凍り付いた。
壊れた祠の前に立っているのは。
真っ赤な着物に黒い帯を結んだ衣を纏い。
紫の肌をした顔のない生き物。
額に鋭利な角がありそれはまるでユニコーンを彷彿とさせるが、後頭部に2本生えて対照的なカーブを描いている角は、鬼を思わせる。
髪はなく、手足は骨と皮だけで出来たように細く長く、裸足の足に指はない。
手はかろうじて人間に近い指を持っているが、1本1本が鋭利な爪のように細く鋭くなっており、あれで引き裂かれたらひとたまりもないだろうことが容易に予想される鋭さを見た目から放っていた。
ただ、右手にランタンのように摘んでぶら下げているものがあった。
それは人の心臓を思わせるような大きさの、鬼灯だった。
赤と黄色が混ざりあったような仄かな光を放つそれは、見ているだけで寒気がする。汗がじっとりと滲むほど暑い気候の筈なのに、その生き物がいる場だけは10度ぐらい温度が一気に下がったかのように寒気を覚えさせた。
「な、なに?」
アリサが乾いた声で問いかけるように声を発すると、指のない二本足で立っているその化け物は、使用人たちとアリサの方へ体を向けると、スーっと滑るように動いた。
そうして、ピタリと、アリサの前に止まった。
「……っ!」
ぞわ、と本能で命の危機を感じたアリサは咄嗟に伏せた。
「あぐっ」
刹那、アリサの後ろで尻餅をついたままだった使用人が苦しそうな声を上げた。
とにかく化け物から離れたくて咄嗟に横へ飛ぶように逃げたアリサは、使用人と化け物の方を見た。
「な」
その化け物は、鬼灯を持っていない方の左手で使用人の首を掴んでいた。そして、何もなかったはずの顔にメリメリと皮膚を裂くような音と共に口が現れ、にたりと弧を描いた。
瞬間、首を掴まれた使用人の口から白い煙が吐き出され、化け物の持つ鬼灯へと吸い込まれていく。
「ゲッゲッゲ」
それを愉快そうに見て笑う口だけの化け物に他の使用人たちは悲鳴を上げるが腰が抜けたようで誰もその場から動けない。そうこうしている内に白い煙を吐ききった使用人の肌は灰褐色へと変化していき、化け物が手を離すと同時に灰となり、消えていった。
「消え、た?」
灰となりアリサの目の前を通り過ぎていく使用人だったもの。
化け物が持っている鬼灯はそれを祝福するように光を増し、裂けるように現れた口も消える。
再びのっぺらぼうとなった紫の化け物は、音もたてず時計回りに回転し、悲鳴を上げている使用人の方へと向いた。よく見ると、両足はわずかに地面から浮いており、その化け物が宙に浮いて移動しているのだとアリサは理解した。
「ヒッ。こ、これが兇」
「鬼、鬼が、ああ、ああああ!」
使用人たちから漏れ聞こえる悲鳴から、アリサは祠から出てきたこの化け物が兇という鬼だということを察した。
それと共に、先ほどのように首を掴まれたら。
(死ぬ)
その答えに行きつき、アリサは咄嗟に祠の方を見た。
祠は屋根がなく、空洞だった部分がむき出しになっている。そこには何もないが、くぼみ的に兇という鬼が持っている鬼灯だとアリサは直感で察した。正直最初に連想したのは保健体育の教科書で見る人間の心臓の形であったが、鬼が持っている鬼灯自体がその形に似ていたのでそう思うことにしたのだ。
(あれを塞げばもしかすると!!)
咄嗟に辺りを見回したアリサは、飾りとして置かれている大きな岩を見つけた。
屋根には向かないが、あの空洞を塞ぐのには十分な大きさだ。
アリサは瞬時にそれを両手で掴むと「ふんぬらばぁ!」と気合の入った声を吐き出すことで勢いよく持ち上げ、鬼が出てきた祠の上に置いた。
すると、兇が「ギャギ!?」と謎の声を上げてその場から消えた。
「あ、うまくいって……ない!?」
鬼が消えたことで一度は安堵したアリサだが、岩がガタガタと動き始めたことで慌てて抑えた。やはり屋根のあった祠はあの化け物を封印するための役割をしていたのだ。
しかし、代用品としていびつな形をした岩をのせた程度では封印とはならないらしい。
それもそうだと納得すると共に、だからといってこの岩をどけたらまたあの化け物が出てくると思うとアリサは石を抑えること以外どうにもできなかった。
すると、祠を壊す道具となってしまっていた使用人が目を覚ましたようで起き上がり、全ての状況を察したように顔を強張らせると咄嗟にアリサの足首を掴んだ。
「か、髪を……そこに」
震える声でそう言って、アリサから切り取った髪の束を差し出した。
「え、どこ?」
「そ、そこの、引き出し、に」
そう言って、震えながら祠の土台となっている漆塗りの木の部分を指した。
(そういえば、引き出しの様に引っ張れそうな穴があったわよね?)
しかしどうして髪を入れる必要があるのだろうか?
そんな疑問が浮かぶが、考えている時間すらもない今の状況ではひとまず言う通りに木の引き出しを開けるしかなかった。
「うわ!?」
勢いよく開けたアリサは思わず叫ぶ。
開けた引き出しの中には、アリサが今握っているものと同じような長さの髪が大量に入っていたのだ。
「あんたたち一体今まで何をしてきたの!?……て聞いてる暇もないからもういいや!」
ガタガタと激しく動き続けている石をずっと抑えているのにも、流石に筋骨隆々のアリサでも体力の限界がある。
アリサはなんとか髪を入れて引き出しにしまった。
しかし、まだ石は動き続けていた。
「ちょっと!まだ動くんだけど!誰かどうにかしてよ!」
「ほ、鬼灯を!」
アリサの叫びに我に返ったように声を上げたのは、丸く刈り取られた小さい小枝だらけの場所に飛ばされた使用人だった。彼女は一度しゃがみ、何かをブチっと千切るとアリサの元へ走って来た。
「それは鬼灯の祠です!鬼灯を捧げないと鬼の兇は鎮まりません!なのでこれを上に!」
「なんかもう色々と意味わかんないけどのせればいいのね!?貰うわよ!」
差し出されたものは、鬼灯が4つほど連なった蔓。
奪い取るように受け取ったアリサはすぐさまガタガタ動き続ける石の上にのせた。
すると、石は動きをぴたりと止め、先ほどまで騒がしかったその場は静寂に包まれた。
「……終わった、の?」
「……」
誰も、何も答えなかった。
アリサは周りを見渡した。
誰もがアリサと目を合わさない。
アリサは、尻餅をついていた使用人が居た場所を見た。
そこには誰もいない。
灰褐色の灰が薄く積もっているだけだった。
「……明日、帰らせてもらうわね」
その言葉を残してアリサはその場を後にした。
沢山疑問は抱いているが、何から聞けばよいのかわからないし、とにかく疲労感でいっぱいだった。
その後、アリサは悪い夢でも見たのだと思い込むことにして部屋で泥のように眠った。
翌朝。
何故か使用人たちと会うことはなく、アリサたちを応対したのは支配人のおじいさんだった。
アリサはポニーテールにすることで髪がないことを誤魔化し、皆が楽し気に雑談する中無理やり笑顔を作って適当な相槌をうつことで”ただ楽しい旅行だった”ということにして帰路を進んだ。
その翌日。
灯り村は、消えていた。
温泉が良かったとレビューを書こうとした悠がネットで調べても出てこなくなったことで発覚した。
一度行った場所だからと住所を覚えていた理央がグーグルマップで調べたところ、山しかない場所だった。
ただ、その画像の中に。
鬼灯の実った蔦がアリサの視界に入った。
果たして、あの鬼灯の祠の中に。
まだあの鬼はいるのだろうか。
またはあの祠自体、存在しなくなったのだろうか。
その真実は、山という緑によって謎として隠され、それ以降アリサたちも思い出すことはなかった。
fin