「敵艦見ゆ! 方位A63-B。画像詳細は圧縮通信で送信完了!」
母艦からの応答が、頭蓋内に埋め込まれた通信チップを通じて響く。
『了解! 直ちに帰投せよ! 幸運を祈る、カーヴ!』
私は頷き、操縦桿を握り直した。亜光速戦闘機「シルバーファング」のコックピットは、私の第二の皮膚だ。
フライ・バイ・ライトの柔らかなフィードバックが指先に伝わり、まるで機体と私が一つの生命体のように感じられる。
この時代、敵を捕捉するレーダーと、それを妨害する電波技術は、終わりなき技術戦争を繰り広げていた。妨害電波が優勢な今、敵の位置を特定するには、こうして危険を冒し、敵陣深くに潜り込む必要があったのだ。
「よし、帰るか!」
データ送信を終え、機首を母艦へ向ける。だが、その瞬間、頭上の暗闇に二筋の光条が閃いた。敵の警戒機だ。私の存在を嗅ぎつけたらしい。
「ちっ、しつこい奴らだ!」
フットペダルを力強く踏み込み、動力炉に追加エネルギーを送り込む。シルバーファングのエンジンが咆哮を上げ、機体は一気に加速。背後から迫る光条を振り切るため、私は全神経を集中させた。
【警告】『敵射撃管制システムに捕捉されました』
副脳の無機質な声が脳内に響く。
ロックオンされた瞬間、背後からレーザー機銃の嵐が襲いかかってきた。赤い光の奔流が、虚空を切り裂く。
「南無さん!」
私は操縦桿を力一杯捻り、機体を急旋回させる。Gフォースが全身を締め付け、グラスファイバー製の筋膜が軋む音が聞こえる気がした。
だが、シルバーファングは私の意図に忠実に従い、敵の攻撃を紙一重で回避する。
「よしよし、いい子だ!」
数度の急旋回で敵機を振り切り、逆にその背後を取る。照準サイトに捉えた敵機は、まるで逃げ惑う獲物のようだ。
私は静かに呟く。
「お利口さんだ…」
レールガンのトリガーを引く。タングステン榴弾が唸りを上げ、敵機に吸い込まれる。刹那、敵機は眩い爆炎と共に四散した。
【報告】『撃墜確実』
副脳の声が淡々と告げる。私はさらに二機を仕留め、通算撃墜スコアを998に伸ばした。満足感と疲労が混じる中、母艦への帰投を開始する。
「ふぅ…」
敵の警戒網を抜け、自動航行システムに切り替えた私は、コックピットの収納からサンドイッチを取り出す。
だが、一口噛んだ瞬間、顔をしかめた。
「…マスタードを入れ忘れたな、アイツ!」
馴染みのコック、若い新兵が用意したサンドイッチは、私の期待を裏切っていた。
戦闘後のアドレナリンが引く中、食事は私にとって唯一の「人間らしい」報酬だったのだ。スパイスの刺激がなければ、疲れた体は満足しない。バイオロイドとはいえ、生体パーツの多い私の体は、こうした小さな喜びを求めていたのだった。
【警告】『燃料バルブ破損』
副脳の警告音が、眠気を吹き飛ばす。だが、私は焦らない。戦闘後にはよくある軽微な故障だ。応急処置を施せば、母艦までたどり着ける。
――ドン!
その瞬間、機体を揺らす激しい衝撃。コックピットの警告灯が赤く点滅した。
【非常警告】『機体重度破損』
背中に鋭い痛みが走った。グラスファイバー製の筋膜が裂け、脇腹から鮮やかな赤い血が溢れ出す。酸素をたっぷり含んだバイオロイドの血液だ。
生身の人間なら即死だっただろう。だが、私の体は頑強に作られている。医療用冷凍スプレーを傷口に吹き付け、モニターで被害を確認した。
「…宇宙ゴミか。どうも運が悪いな」
どうやら、艦艇の装甲片とでもいうべき巨大な破片と衝突したらしい。
自動航行システムの限界に苛立ちつつ、応急修理を試みるが、状況は絶望的だった。動力炉は深刻なダメージを受け、燃料と酸素の残量も尽きかけている。母艦への帰投は、もはや不可能だった。
「ついてないなぁ……」
ぼやきながら、緊急信号を母艦へ発信。危険な燃料ユニットを切り離す。
撃墜され、遭難するのはこれで64回目だ。古参兵の私には慣れたものだった。
冷静に作業を進めながら、ふと外の景色に目をやる。
青い星が、暗闇の中で輝いていた。
「…綺麗な星だな」
モニターで確認すると、知的生命の存在は確認されていないが、水と大気を持つ惑星のようだ。だが、シルバーファングの損傷は深刻で、大気圏突入に耐えられる状態ではない。この星が、私の墓標になるのだろう。
私はコックピットを冷凍睡眠モードに切り替えた。万が一の救助に備え、生命活動を最小限に抑える。バイオロイドの体は、機械と生体の融合だ。死への恐怖は薄い。それでも、ふと呟く。
「あと2機だったな…」
通算撃墜記録1000まで、あと2機。兵器として生まれた私の人生は、こんな数字で締めくくられるのか。皮肉なものだ。
機体が大気圏に突入し、赤熱する振動がコックピットを包む。私は冷凍睡眠モードに身を委ね、低体温の眠りへと落ちていく。青い星が、静かに私を飲み込んでいった。
☆★☆★☆
【通知】『生命活動を再開します』
副脳の無機質な声が、脳内に静かに響く。まるで遠い海の底から浮上するように、私の意識がゆっくりと揺り起こされた。
……どれだけの時間が過ぎたのだろう?
冷凍睡眠モードの記憶は曖昧で、時間の感覚は霧のように薄れている。だが、体に異常はない。
バイオロイドの自己修復ナノマシンが、傷ついたグラスファイバー製の筋膜や生体パーツをほぼ完全に再生していた。脇腹の裂傷も、まるで夢だったかのように消えている。
「……ここは、どこだ?」
目を開ける前に、まず違和感に気づいた。軍の簡素な医療ベッドとは程遠い、柔らかく沈み込む感触。まるで雲に包まれているような、過剰なまでの快適さだ。
ゆっくりと瞼を上げると、視界に飛び込んできたのは、木目が美しい天井と壁だった。無機質な戦闘機のコックピットとは対極的な、温かみのある空間。まるで古い時代から切り取られたような部屋だった。
私は、繊細な刺繍が施された天蓋付きのベッドに横たわっていたのだ。
視線を巡らせると、壁には色鮮やかな絵画が掛けられ、彫刻が施された木製の家具の上には、釉薬の輝く壺が静かに佇んでいる。
まるで貴族の館のような、時代錯誤の豪奢な部屋だった。この星に知的生命はいないはずではなかったか? モニターのデータは誤りだったのか、それとも…。
「ふあぁ~」
思わず大きなあくびが漏れる。戦場で鍛えられた警戒心はどこへやら、体の疲れが一気に解放されたような安堵感に包まれた。
私は上体を起こし、部屋を見回す。
だが、その瞬間、小さなノック音が扉から響いた。
「…ん、目覚めたようだな?」
低く穏やかな声とともに、扉が静かに開く。そこに立っていたのは、70歳ほどの老人だった。白髪を丁寧に整えたその姿は、上品な威厳を漂わせている。
深い藍色のローブをまとい、手に持った杖には奇妙な光沢の石が埋め込まれていた。まるでこの部屋と同じく、時代を超越した存在感のようだった。
「お前は…?」
私の声は、かすかに掠れていた。バイオロイドの喉は感情を映すが、この老人に対する好奇心と警戒心が、言葉に滲み出ていた。