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僕は、オオカミさんの影を飲む
僕は、オオカミさんの影を飲む
葵ひかり
恋愛現代恋愛
2025年06月02日
公開日
1,405字
連載中
「芦屋くん。私、ちゃんと綺麗?」 「綺麗だよ、すごく」 俺は、親友の彼女と一緒に住んでいる。 彼女への責任を果たすために。 ※プチコン04・背徳の締め切りに間に合えって気持ちで書いています。たぶん間に合いません。

第1話 親友の彼女

 高校三年生の冬。


「私、好きな人ができたの」


 ベッドから身を乗り出すようにして、彼女は僕を覗き込んだ。

 さらりと、彼女の絹のような黒髪が落ちて、僕の頬をくすぐる。


「責任。取ってくれるんだよね?」


 冷たい手が、僕の頬を包む。無理やり上を向かされた首が痛い。

 僕を見下ろす、大きな瞳。ふ、とその瞳から輝きが失われた。真っ黒な空洞に、吸い込まれてしまいそうだった。

 大神おおかみさんは、静かに微笑むと、優しく僕に唇を重ねた。甘い空気を、ただ、送り込むように。




 大学二年の夏。

 俺には、一緒に住んでる人が、いる。


「……はっ」


 空気が口から洩れる。額から落ちた汗が垂れて、シーツに丸い染みを作った。

 俺の腕の間で、揺すられて、頬を紅潮させた彼女が、満足そうに笑っている。


「ね、芦屋あしやくん」


 ぐしゃぐしゃになったシーツの上。情事を終えて、微睡むように枕に頭を預けていた彼女――大神さんは、他愛ない話をするように、口を開いた。


「彼氏ができたの」

「そ、うなんだ」


 ペットボトルの蓋を開けようとした手が、汗で滑った。


「おめでとう」

「ありがとう」


 ふわり、と彼女は微笑んで、小さな形の良い唇の端を可愛らしく上げた。


「芦屋くんも知ってる人だよ」

「え、誰だろう」

天崎観月あまさきみつきくん。ね、芦屋くんも、知ってる人でしょう?」


 名前を聞いて、一瞬、どくんと心臓が跳ねた。知ってる、と返す声が震える。

 天崎は、大学に入ってから初めてできた友達だ。何かと気が合って、親友といっても良い。


「知らなかった」

「うん?」

「二人が付き合ってるって」

「昨日からだから」


 今日、日曜日だし、と大神さんは続ける。


「明日、報告してもらえるんじゃないかな」


 なんてことのないように彼女は言う。


「どこで知り合ったの?」

「前期の倫理の講義が一緒なの。グループワーク、よくやるから。それで」

「そうだったんだ」


 そうなの、と大神さんは上機嫌に頷いた。優しい人だよね、と彼女は言う。恋心は、確かに、そこにあるのだろう。


「……天崎は、知ってるの?」

「私たちのこと? 知るわけないじゃない、教えないよ」


 ん。と俺は頷く。頷く、というよりは、俯いた、に近いかもしれないけれど。


「じゃあ、もう……この機会にさ、俺たち、こんなの、やめ……」


 辞めよう、と続けようとした。

 恋人でもないのに一緒に住んで、身体を重ねる関係。好きな人や恋人がいるのに、それはあまりにも不誠実で、おかしい。


 けれど、それは、言わせてもらえなかった。

 大神さんの据わった目が、俺を見ていた。それだけで、喉の奥がキュッと締まる。ペットボトルを握る手に、じんわりと汗が滲んだ。


「責任、取るって言ったのは、芦屋くんだよね」

「……うん」

「じゃあ、ちゃんと、私が幸せになるまで、責任取って」


 それを拒む言葉は、絶対に吐いてはいけない。


「私、本気で天崎くんのことが好きなの。だから、ちゃんと、責任。取って」

それが、彼女を傷つけた俺の責任で、決して破ってはいけない、約束。


「分かったなら、こっちに来て」


 大神さんが手招く。

 ベッドに手をつけば、スプリングが軋んだ。

 彼女の長い髪を避ける。白磁のように滑らかな背中には、裂くように残った大きな傷痕があって、そっとそこに唇を落とした。大神さんの吐息が震えるのが、間近で聴こえた。


「芦屋くん。私、ちゃんと綺麗?」

「綺麗だよ、すごく」


 その言葉に嘘偽りはない。

 けれど、大神さんは、決して俺を、許してくれない。

 許されたいなんて、きっと、おこがましい願いだ。


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