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第7話 赤と衝動

「さかさまさまっていうのはね、全てをさかさまにしてしまう神様なんだ」


 舞台の階段に腰掛けて、十燈は面に触れつつそんな事を言った。

 そうでしょうね、と言いかけた颯希も、神妙な彼の空気に黙って続きを促す。

「本来、さかさまさまはいい神様じゃないんだよ」

「え?」

「みんなが〝さかさま〟を意識しているのは、さかさまさまを怒らせないためなんだ」

 思わぬ言葉に、颯希は言葉を失ってしまう。

 村の人があんなにも【さかさまさま】【さかさまさま】と言っていたのだから、やることなす事「さかさま」なのにも、いい意味があるのだろうと颯希も無意識に思っていたのだろう。

 まさか、「さかさま」にする事で【さかさまさま】を怒らせないようにするだなんて、そんな意味があるのは考えもしなかった。

 でも、確かに、村の人達がやっている「さかさま」は、決して気持ちの良いものではない。

 泣き顔の遺影も、仏壇へのお供えも、どちらも颯希には「気味が悪い」と映っていたし、逆さ暦だってまったく意味がわからなかったのだ。

「え、でも、奉納舞ですよね? それに、十燈さんは印花が出て、印花は縁起がいいって、おばさんが……」

「そうだね。縁起はいいな。印花が出た者が奉納されれば、向こう100年は村も栄えるというし」

「そんっ……」

 そんな、という言葉は途中で千切れてしまって、颯希は続きをどう口にすべきかわからなくなってしまった。

 綜真が、綜真が……言っていた。前に印花が出たのは、随分昔の事だ、と。

 印花に敏感な老人たちと、随分昔に出たという前の印花。そして、向こう100年は村が栄えるという話……それって、それってつまり、前の印花が出た人は今の老人たちが若い頃に奉納されてしまったんじゃあないのか?

 それって……生贄とか、人柱とかいうものなのでは?

 いくら山奥の限界集落だからってそれはない! アニメじゃないんだから!

 つい最近友達の間で流行ったアニメ映画も、田舎の村の地下で悪いことが起きていて良い妖怪がそれを退治する、なんてのがあったけれど、まるでそれと一緒じゃないか。

 颯希はもう、どこまで何を信じればいいのかわからなくなってしまった。

「それ……冗談、ですよね?」

「うん、嘘」

「はっ!?!?」

「今どきそんなファンタジーあるわけないだろ? いい子は早くお家に帰りなさい」

 は? はっ!?

 思わず立ち上がって、何度も同じ声を出してしまう。十燈はその声を聞いて笑っていて、その笑顔が綺麗だとかかっこいいとか、もうなんか気持ちがぐちゃぐちゃだ。

「嘘だったの!?」

「いくらこんな限界集落でも、そんなオモシロホラーは起きないよ」

「あー完全にやられた! 雰囲気にやられた! 十燈さんが綺麗すぎて、もう絶対そういうキャラだと思ったのに!」

「颯希ちゃんも美人さんだよ?」

「あ、これ上から目線だ! わたし知ってる!」

 ギャンギャンと騒いでいる颯希は、楽しそうに笑う十燈に完全に遊ばれていた。

 地団駄を踏んでも大きな声を出しても、するりするりとかわしていく十燈にはまるで勝てる気がしない。ほけーっとしている綜真の兄だと思っていたら、とんだ狐じゃないか!

 完全に騙された恥ずかしさと、美人さんだと褒められた嬉しさと。颯希はどの感情を表に出せばいいのかさっぱりわからない。

 そうだ、全部ウソ。そうに決まってる。

 あの腐った供物は祖父がボケ始めているせいだろうし、泣き顔の遺影だって村ぐるみの風習と言われればそういう事だってあるだろう。なのにそれらをあたかも因習のように受け取ってしまうなんて、もう完全にアニメの見過ぎだ。影響されすぎだ。

 悔しいし恥ずかしくって唇を尖らせると、笑っていた十燈の指先がそっと、颯希の尖った唇の先に触れる。


「さかさまさまは、赤い目の子が苦手なんだ。君は綺麗な赤色の瞳をしているから、何も問題なく、ここから帰れるよ」


 ――だけど、それは、彼の“冗談”のうちのどれに分類されるのか、わからなかった。

 噛みついてやろうと口を開きかけた颯希は、さっきまで笑っていた人とは思えぬ十燈のその言葉に口を閉ざす。

 十燈は薄っすらと微笑んで、階段に置いていた面と薄布を持って危なげない足取りで広場の方に去っていく。彼の行く方にはオレンジの灯籠が立っているからきっと暗くはないだろうが、まるで灯籠に向けて歩いているような姿はすごく――儚く見えた。

 どこまでが嘘だったんだろう。

 十燈の背中を見送って冷静になると、まるで十燈と居た時間が夢の中だったのじゃないかと思ってしまうくらいに頭がふわふわとしていた。

 蝉の声がやっと聞こえ始めて、じっとりとした空気を思い出して汗が出てくる。

 帰ろう。そう思ってやっと足を前に出していくと、自分の周囲が思ったよりも暗かった事にもようやく気付いた。さっきまでは白っぽい光が包んでいた気がする広場もすっかり暗くなっていて、益々十燈がさっきまで本当にここに居たのかと、思ってしまった。

 冷静になれ、と言う自分が頭の中に居る。

 それと同じように、全てを忘れろ、という自分も居る。

 【さかさまさま】は赤い目が苦手、なんて、ピンポイントすぎる話を信じるべきかどうか、迷う。あれもまるで十燈の慰めのような気がしてくるし、十燈が語ったならば真実なのではとも思ってしまって。

 ダメだ、こういう時に深く考えてはいけない。

 颯希は頭をブンブンと振って藪蚊から逃げると、急ぎ足で家までの道を歩いた。下駄で歩くのはちょっと不便な、砂利道だった。


「颯希! どこに行ってたんだっ!」


 もう少しで家、という所まで来た時、突然背後から大きな声をかけられて颯希は飛び上がってしまいそうに驚いた。

 何事かと振り返れば、汗だくの綜真が小走りに来て、颯希の眼の前で止まるとハァハァと荒い息を整える。なんだなんだと首を傾げると、不思議そうな颯希の顔に呆れたのか、綜真は今度は深い溜め息を吐き出した。

「こんな夜中にどこに行ってたんだ。おばさん、心配してたぞ」

「あー……ちょっと、オレンジ色の光が気になって」

「オレンジの光?」

「そうなの。なんか、ポツポツとオレンジの光が森の中に見えてさ。それを追っかけてったら、裏盆踊りの会場で踊りの練習してる十燈さんに会ったよ」

 何も嘘は言っていないのに、綜真は変な顔をして颯希を見下ろしている。

 オレンジ色の光も、十燈に会った事も、どっちも本当の話なのに。確かにこんな夜更けに庭から出ていったのは一歩間違えば大事件だが、村から外にだって出てはいない。

 どこに行っていたのかというのも、十燈に聞けば明白だろう。そもそも、村の大人たちだって通夜振る舞いで騒いでるのにちょっと抜け出して何が悪いのだろうか。

「まぁでも……目撃しなかったのは良いこと、か……」

「は? 何が?」

「家に戻ればわかるけど……知っても良いことないぞ」

「何それ」

 なんだか思わせぶりな事を言う綜真に、颯希はまた唇を尖らせた。

 こういう話し方はよろしくない。ついさっき、綜真の兄にしてやられた直後なのだ。またおかしな事を言われるに決まってる。


「あのさ、勇太、わかるか? リュウの飼い主の。あの子――亡くなったって」


 は?

 今度は、十燈の時とは違う音の「は?」に、自分でも驚いてしまって足が止まった。どういう事だ、と聞こうにも、何があったんだと聞こうにも、どうにもこうにも声が出ない。

 祖母が死んだ。日田さんも今朝、死んでいるのが見つかった。

 それに加えて――今度は子供?


「怖いわぁ……自分トコの犬を噛みついて殺したんでしょ? それで狂って死んだって……」

「自分の舌ァ噛んで、血で溺れて死んだって……」

「やーだわ、やっぱり赤が村に入ったせいやないかしら……」

「もうすぐ裏盆踊りやのに、こんなことが続いて、ねぇ……」

「迎え灯籠も少し赤くなってたって……」

「無事に奉納が終わればえぇけど……」

「くわばらくわばら……赤い花は全部抜いて燃やしましょう」


 フラフラと家に入る颯希の背中に、どこからかこちらを見ているような話し声が聞こえてくる。

 すぐに綜真が後ろに立って颯希を隠してくれたけれど、その声は、悪意は、視線は、ちゃんと颯希に突き刺さっていた。

 ただでさえあの男の子の事で頭がいっぱいなのに、「村に赤が入ってきたから」だなんて、そんなの、そんなのは――どうしろっていうんだ。わたしは来たくなかったのに。

 叫びたくなる気持ちを何とか深呼吸で押し留めながら庭に回った颯希は、下駄を脱ぐ時に垣根に赤い飛沫のようなものが飛んでいる事に気がついて、込み上げてくる吐き気をなんとか、飲み込んだ。

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