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第3話 いつでも君のそばにいる

 なんとはなしに顔を向けると、小さな女の子が葉書を手に近くのポストに駆け寄るところだった。

 しかし、女の子は何を思ったのか、その手前でピタリと立ち止まり、そのままじっとポストを睨みつけている。

 そのままタップリ一分以上はそうしているのを見て、奏杜は興味を持って立ち上がった。

 女の子を脅かさないように、適度に足音を鳴らしながら、ゆっくり歩み寄ると女の子は奏杜に気づいて顔を向けた。いかにも利発そうな子で、すぐに会釈をしてくれる。

 それに会釈で応えると、奏杜はやさしく声をかけた。


「どうしたの? 手紙を出すなら、そこに入れるだけだよ」


 見たところ女の子が手にしている葉書には切手も貼られていて、不備は無さそうだ。

 そもそも女の子が躊躇っているのはそういう理由からではないらしく、強ばった顔で声をひそめて答えてきた。


「噂があるの」

「噂?」

「うん」


 女の子はポストを真っ直ぐに指差しながら、それを口にする。


「あれは人食いポストだって」

「人食いポストか」


 奏杜は苦笑しながら、その何の変哲もないポストを眺めた。おそらくは、ちょっとした都市伝説か怪談の類いだろう。

 地元の陽楠市はその土地柄ゆえに怪異が多発していたが、この街に来てからはその手の話にはまったく縁がない。

 それこそ益体もない都市伝説ならば、度々耳にするがどう考えても作り話で、本物の怪異を知る者からしてみれば失笑ものの話ばかりだった。


「大丈夫だよ、どう見てもただのポストだ」

「でも……擬態してるだけかも」

「難しい言葉を知ってるね」

「漫画で読んだことあるの」

「なるほど、漫画は勉強になるよね」


 しみじみとうなずいてみせると、女の子はようやく決心が付いたのか、恐る恐る郵便ポストに近づいて、手にした葉書を投函口へと伸ばす。

 その瞬間――奏杜は女の子の身体を背後から抱きかかえて全力で後ろに跳んでいた。

 突如として大蛇のように伸びてきたポストの大口が、奏杜の眼前で獲物を捉えきれぬまま噛み合わされて火花を散らしていた。



「なるほど、卒業と同時に正義の味方も卒業ですか」


 エイダはアイスのスプーンを手に小さくうなずきを繰り返す。

 それを見て朋子も立ち上がって冷凍庫を開くと、二つ目のアイスを取り出してフタを開けた。よく冷えた固いバニラをスプーンですくいながら、今の話に補足を加える。


「べつに強制されているわけじゃないから、柳崎先輩みたいに活動を続けている人もいるけどね」

「ああ、あの人たちは円卓でも有名ですよ」

「すごいよね、世界を裏から支配する組織にさえ、注目されているなんて」

「いや、支配しているわけではないですが……」


 べつにその言い回しが気に障ったわけでもないだろうが、エイダはふと手を止めると、窓の外に広がる青空をぼんやりと見つけた。


「けど、正義の味方って、卒業するようなものなのでしょうか?」


 エイダが考えていたのは、そちらの話だったようだ。

 円卓の正式な騎士である彼女は、おそらく生涯の大半を怪異との戦いに費やす覚悟だ。一般的な地球防衛部の部員と立場は違えども、彼女にとってはそれが正義の味方としての在り方なのだろう。

 少し気になって朋子が問いかける。


「いい加減だと思う?」

「いいえ。いくら金色の武具アースセーバーによって戦う力が得られるとはいっても、基本的にあなたたちは一般人です。むしろ、キレイさっぱり足を洗えるのであれば、その方がいいでしょう。ですが……」

「ですが……?」

「もし、卒業生のみなさんが卒業した後で怪異と出遭ってしまったら、はたしてその時、彼らは一般人でいられるでしょうか?」

「それは……」


 朋子は卒業していった先輩たちの顔をひとりひとり思い浮かべていく。

 彼らならどうするのか。

 一般人らしく、その場から逃げ出すのか、あるいは……。

 なんとなく答えは分かりきっているように思えた。



「ひっ……!」


 遅ればせながら女の子が悲鳴をあげる。何が起きたのかを理解するのに多少の時間が必要だったのだろう。

 奏杜は、女の子を抱えたまま、さらに公園の奥へと後ろ向きに跳躍した。

 大蛇のように伸びた怪物の根元はポストの場所に固定されているようだが、そこからさらに身体を伸ばして公園の中まで追いかけてくる。


「いやはや、こいつは失敗だったね。どう見てもただのポストだなんて言ったけど、こいつは立派な怪物マリスだ」

「マリス?」


 驚きとともに女の子が奏杜の顔を見上げた。初めて見た怪物の存在以上に、その正体を知っている人がいたことが意外だったのだろう。


「人々の負の想念が――いや、簡単に言うと、これは世界が悪い夢を見ている状態なんだよ」


 ややこしい原理を話しても子供には理解しづらいと考えて、奏杜は自分なりの言葉で言い直した。


「世界が夢を……?」

「そう、悪い夢だ」


 目の前で鎌首をもたげているポストのバケモノは見るからに怖ろしいはずだが、女の子は意外に落ち着いていた。とはいえ、女の子の肝が据わっているわけではなく、奏杜の落ち着きが女の子の恐怖心を和らげているのだろう。


「ど、どうしよう、お姉ちゃん? お巡りさんに通報つーほーする?」

「いや、どちらかというと必要なのは正義の味方だね」

「でも、そんなのはテレビや漫画の中にしかいないってパパが……」


 女の子の言葉に奏杜は片方の眉を軽く吊り上げた。

 怪物の動きに注意を払いながら、女の子の姿を視界の端に捉える。やはり怖いものは怖いらしく、小さな肩を震わせている。

 微かに目を伏せ気味にして微笑むと、奏杜は顔を上げて真っ直ぐにポストの怪物に向けて、その上で女の子に告げた。


「いいや、正義の味方はちゃんといるよ」

「ホント……?」

「ああ、彼らはきっと今この瞬間にも世界のどこかで戦っているし、それに……」


 自分もそうだと言いかけた者の、さすがにマリス相手に丸腰では心許ない。

 そう思った瞬間、奏杜の耳に再び澄んだ鈴の音が聞こえた気がした。

 聞き覚えのあるそれが何の音であるのか――それを自覚した時には、奏杜は右手を高々と天に向けて、その名を呼んでいた。


「アースセーバー!」


 誰に教わったわけでもないが確信を持って口にした言葉が、劇的な現象を引き起こす。

 掲げた手の先で眩い金色の光が生まれ、夏の陽射しを圧倒するかのように、一瞬、世界を金色に染め上げた。

 ポストの怪物がおののくように身を引く中、光はすぐに消え失せたが、奏杜の目の前には金色に輝く棒状の物体が浮かんでいる。


「剣!」


 女の子が叫んだとおり、それは鋭利な刀身を持つ金色の細剣レイピアだ。

 奏杜は素早く剣に手を伸ばすと、手に馴染んだその柄をしっかりと握りしめる。

 力強くもやさしげな魔力が手の平から全身に注ぎ込まれ、身体に秘めていた戦士としての細胞が目を覚ますのを感じた。

 奏杜は旧友をに向けるかのような眼差しを金色の細剣レイピアに向ける。


「久しぶりだね、ヴァージル」

「ヴァージル?」

「そう、わたしが金色の細剣かれに付けた名前だ。その力によって光り輝くもの――即ち、ヴァージル。良い名前でしょ?」


 奏杜の言葉に女の子は目を輝かせて答える。


「うんっ、カッコイイ!」

「ありがとう」


 笑顔で告げると奏杜は金色の細剣レイピア鞘から引き抜く。鞘を滑る刃が鈴のような音色を響かせた。


「さあ、郵便ポストさん。目覚めの時間だ」


 不敵な笑みで告げると、ポストの怪物はいきり立ったかのように唸りを上げる。

 奏杜は女の子を下がらせると、その狙いを自分に惹きつけるために間合いを詰めた。

 ポストの怪物には見たところ眼球らしき部位はないが、奏杜は戦士としての感覚で、その視線が自分に向けられているのを感じ取っている。

 もし敵が狙いを女の子に変えても、すぐに対処できるだろう。

 むしろ、そんな隙を与えてくれるのなら、なおさら容易く始末できるが、ポストの怪物も、そこまでバカではなかったらしく、より危険な奏杜に狙いをつけたようだ。

 鎌首をもたげるように一度頭を高く上げると、怒濤の勢いで振り下ろしてくる。

 それは常人ではとても反応出るような速さではなかったが、奏杜は軽くステップを踏んだだけで、その攻撃をかわすと、手にした金色の細剣レイピアによって、やたらと長い身体を引き裂いていく。

 相手の勢いを利用する形で、そのまま刃を振り抜くと、刀身から魔力の光が星屑のように飛び散った。


「キレイ……」


 女の子が感嘆の声をあげる中、致命傷を受けた怪物がアイテールに還元されてかき消えていく。

 やや芝居がかった所作とともに刀身が鞘に戻されると、金色の細剣レイピアもまた光となって消えていった。

 束の間の奇跡だったわけではない。

 物言わぬ金色の細剣ヴァージルだが、彼から流れ込んできた魔力が言葉以上に雄弁に告げていた。


『私はいつでも君のそばにいる』――と。


 まるで十年来の想い人に愛を告げられたかのように胸が熱くなるのを感じる。

 今にして思えば、あの涼やかな音色は彼の囁きだったのだろう。


「お、お姉ちゃんって、いったい何者なの?」


 女の子が興奮冷めやらぬといった顔で訊いてくる。

 奏杜は片目を閉じてウィンクすると、当然のように答えた。


「もちろん、正義の味方さ」

「すごい、本当にいてくれたんだ!」


 さらに瞳を輝かす女の子の前で、奏杜は眼下の街並みへと目をやった。

 平和そのものといった眺めだが、やはりそこにもマリスは潜んでいるのだろう。

 もちろん、それに対処できる人間は自分だけではないが、だからといって素知らぬ顔をして被害者が出ることになるのはいただけない。

 今回の件にしても、もし奏杜がここに来なければ、この女の子は怪物に食われてしまっていただろう。運が良かったと言ってしまえばそれまでだが、正義の味方がこういった場面に出くわすのは必然に思える。マリスが世界の見る悪い夢とするなら、その逆もあって然るべきだと確信するからだ。

 それに気づいてしまえば、やはりじっとしている気にはなれない。


「まあ、やっぱりこういうのがわたしらしいよね」


 考えてみれば、地球防衛部で活躍していた高校時代も、奏杜はべつに正義の味方を演じていたわけではない。ただ当たり前に自分らしく生きていただけだ。

 そんな自分が正義の味方なのだとしたら、やはり正義の味方というものは、なろうとしてなるものではなく、やめようとしてやめられるものでもないのだろう。

 ふと思うのは、こんな自分を知ったら、笑顔で送り出してくれた顧問がどう思うかだったが……なんとなく、笑ってうなずいてくれる気がした。

 彼もまた正義の味方をやめられないひとりなのだから。


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