「何ぼさっと突っ立ってんだ! 死ぬぞ!」
グレンの怒鳴り声が聞こえて、おそるおそる目を開く。
すると、二メートルくらいある猫が私の前に立ちはだかり、次々と飛んでくる斧を弾き返していた。
猫はグレンみたいに二本足で立っていて、黒と白のハチワレ模様。けれど、グレンとは違って赤いスカーフを身につけ、上半身には鎧、手には炎に包まれたナックルを付けていた。水色と黄色のオッドアイの瞳は、燃えるような赤。
グレンとは背丈も目の色も違うけど、でもさっきの声はたしかに……。
「え、もしかして、グレン……?」
「そうだ。だけど、今のおいらのことはフレイムって呼んでくれよ」
グレンはナックルで斧を殴り返しながら、私を見ずにそう言った。
「流星くんがノワールで、グレンがフレイム? 何がどうなってるのか全然分からないよ」
「流星のことは分からんが、戦う姿のおいらがフレイムと思っておけばいい。……クッ、次から次へと」
話している最中にも、またノワールから斧が飛んできて、グレ――フレイムが顔をしかめる。
「おい、瑠璃! 今は細かいことを気にしてる場合じゃない! さっさと逃げないと、本気で殺されるぞ!」
ナックルで斧を弾き飛ばし、フレイムが叫ぶ。
「う、うん。だけど、足がすくんじゃって……」
私だって、早く逃げたい。
流星くんが私を殺そうとしてるなんて信じたくないし、いきなりノワールとか言われても理解出来ないけど、今はとにかく逃げなきゃいけないんだと思う。
だけど、さっきから足が震えて動かないんだ。
それに、逃げるって言ったって、ひたすら闇が続いている空間のどこに逃げればいいの?
ガクガク震える足をどうにかしようとしている間に、フレイムの腕にノワールが投げた斧がかすった。ちょうど鎧がついていない位置に当たり、フレイムの黒い毛から血が流れる。
「フレイム!」
すぐにフレイムに駆け寄りたいのに、足が動いてくれない。
助けを求めて周りを見ても、仮面で顔を覆ったノワールの姿しかない。優しかった流星くんも、私たちを助けてくれるような人もどこにもいない。
どうしよう……どうしよう……! このままじゃ……!
涙が溢れて、目の前がにじむ。
「しっかりしろ、瑠璃! 泣いてる場合じゃないぞ!」
フレイムがこちらを振り返り、檄を飛ばす。
「お前が諦めたら、終わりだ」
「え……」
「ここはお前の夢の中、願えばなんでも叶う世界だ。お前の心さえ強くあれば、ノワールにだって勝てる」
ボタボタと血が流れている右腕を押さえながら、フレイムは私の目を見据える。
「さあ、願え! 瑠璃!」
願う? 何を?
私なんかに何が出来るの?
現実では、緑川さんや流星くんが話しかけてくれても、いつもまともな返事さえ出来ない。
今だって、命がけでフレイムが私を守ってくれているのに、ただ泣いているだけしか出来ない弱い私なんかが……。
「無駄だ。いくらフレイムが瑠璃を信じていても、そいつ自身が自分を信じていないからな」
ノワールが冷たく言って、またこちらに鎖が巻きついた斧を飛ばそうとしていた。
「ノワール、もうやめて! グレンを傷つけないで……! もしあなたが流星くんの一部なら、あなたにも誰かを傷つけてほしくないの!」
気がついたら、私は泣きながら叫んでいた。
一瞬、ノワールがためらったような気がした。
けれど、すぐに斧を握り直し、こちらにそれを投げる。
させないよ、ノワール。
私は、弱い。ノワールに言われた通り、現実から逃げているし、自分を信じてない。
だけど、だけど……!
――フレイムを守りたい。それから、私の不用意な一言で流星くんを傷つけてしまったのなら、ちゃんと謝りたい。フレイムも流星くんも守って、二人の傷を癒したい。
涙ながらにノワールを見据えた瞬間。
涙も蒸発するぐらいの熱に包まれたと思ったら、静寂が訪れ、ひんやりとした空気で満たされる。そして、私とフレイムの周りを青く透き通った水の膜が覆っていた。