放射線保護のドアの赤いランプが三回点滅した後、ゆっとりと開いた。フィルターを通った空気が、地下都市特有の金属の匂いを運んで来る。長井淳はフードの襟元を引き締め、ギルドホールに足を踏み入れた。ここは『スティーラの翼』ギルド第7支部—地下城入り口に最も近い拠点だ。
ギルドホールの壁に設置されたホロスクリーンには、地表のリアルタイム映像が流れていたー砂塵舞い上がる廃棄世界、放射能の嵐がほえ、変異生物の不気味な影がちらつく。『大沈降』災厄から三十年、地上はもはや生存圏外だ。今や全ての資源は地下城に依存し、その危険もまた同じ穴から湧く。
「ちょっと通して」。長井淳は担架を運ぶ二人の救護班をかわすように体を横にずらした。担架上の人は右腕が肘から先がズタズタに。傷口から異様なバイオルミネセンスが漏れていたー典型的な放射能狼の爪痕だ。こんなシーンは地下城では珍しい光景ではない。
ミッションボードには完全武装の傭兵でごった返していた。その装備品は、どう見ても異なる勢力の混成だ。旧式の軍用防弾チョッキを着た者、手製の変異獣皮甲をまとった者、そして最も目立つのは騎士団の紋章を佩用した連中だーその制服には、地表時代の貴族の紋章がかすかに残っていた。
「ミッションB-47」。長井淳はIDカードをスキャナーに載せた。「セクター7トンネルの変異型クモ類を掃討しろ」。
スタッフー防護メガネをかけた若い女性ー彼を見上げながら言った。「変異クモの群れが先週、探査隊を全滅させたのは知ってるでしょう」。彼女は壁に新しく貼られた告示を指さした。そこには六人の隊員が無惨に絶命した様子が生々しい筆致で綴られていた。「当ミッションはB+クラスに指定変更済みだって」
「ルール的には個人でBランクのを取っていいんだ」。長井淳の声は冷静そのものだった。「地下城行動綱領 第17項」
女性職員は眉をひそめながら資料を表示させた。「初めてなの?なら、規定で能力テストを受ける必要がある」。彼女が示した黒鉄の腕輪に、鈍く輝く紋様があった。剣を貫く一本の試験管ーーこのギルドが求める戦闘と知性の有後を暗示する紋だ。この刻印は大沈降が生み出した新たな世界の「証」なのだ。
危険は地核放射線に由来する。放射線によって変異した怪物たちは「ポスト地表時代」における人類の最大の脅威となっていた。しかし同時に、資源と機会もまた放射線からもたらされていた。怪物の体内に生成されるエネルギーを宿した霊石は、人類社会に必須の動力源を供給するだけでなく、並外れた能力を持つ「進化者」たちをも生み出していた。
そして長井淳ーー彼こそが『選ばれし者』の一人であった。不幸なことに、彼のステータス表示にはーー
【氏名:長井淳
身分:庶民
職位:なし
異能:戦闘
エネルギーランク:ブラックアイアン級】
「ブラックアイアン級か」。女性は冷たい笑みを浮かべながら表示を確認すると、吐き捨てるように言った。「底辺のザコよ」。
ホールの中に『ゲラゲラ』という笑い声が響き渡った。
「だから、言っただろう、こんなガキにできるわけないって!」
「ブラックアイアン級、3歳の甥っ子の方が強いんじゃない」
「ガキ、フラックアイアン級ってどんなレベルか知ってる?」肉付きの悪い顔をした男が近づいてきた。胸の黄金の徽章をわざとらしくピカピカに磨き上げている。「ポスト地表時代なめぇか?『戦闘力5のカス』ってレベルだ」。放射能でボロボロのネズミですら倒せねぇぞ。
長井淳は嘲笑の言葉を静かに聞き流すと、黙ってミッションチップを端末に差し込んだ。冷たい機械音が響いた:「ミッションコードB-47、登録完了。実行権限を確認。警告:死亡率67%//チーム編成必須//単独行動=死」。
「あなた頭おかしいわ!? 地下城法で決まってるのよ、自殺行為は阻止できるって――」
「補則第三十九条」長井淳は冷静に割り込んだ。「成年探索者の自己責任権限だ」。「19歳と3ヶ月。法的には成人だ」、そう言って、彼は携帯端末に映したIDをちらりと見せつけた。
ホールが突然静寂に包まれた。痩せた少年が淡々と免責同意書に署名を終えるのを、場内の誰もが固唾を呑んで見守っていた。彼が踵を返そうとした瞬間、またもあの禿げ頭の巨漢が立ち塞がった。
「ほう、せっかちな餓鬼だこと。地獄行きの切符でも買ったか?」金歯が光る不気味な笑み。「おじさんたちが命のやり方を教えてやろうか?授業料は安いぞ」
数秒の沈黙の後、長井淳はようやく頭を上げた。その目は希有な薄灰色――まだ夜の名残を宿した暁の霧のようだった。「どけ」って。彼は言った。
なぜか、禿げた大男の笑みがこわばった。彼は無意識に半歩下がったが、気がついたときには、長井淳は自動ドアを通ってホールを出ていた。
「クソッ、こいつ何様のつもりだ!」禿げた男は逆上して怒鳴った。「一時間も持たねえぞ、あんな野郎!」
「30分も持つかよ!?」
「20分で終わりだ!最近変異クモの群れが狂暴化してんだ…先週も青銅級のパーティーが食われてるぜ!」
スタッフは首を振りながら、長井淳のテスト記録をアーカイブに登録した。「ブラックアイアン級か…せっかくのいい顔してるのにもったいない」。
時間が刻々と過ぎていく。ホールの人影は減るどころか、ますます増えていった。誰もが、身の程知らずのブラックアイアン級のザコが担架で運ばれてくる瞬間を見たがっていた――もし遺体が見つかればの話だが。
日が傾き、地下城の照明システムが自動的にナイトモードに切り替わった。禿げた大男はすでに5本目のビールを飲み干し、「俺が一人で変異狼王を仕留めたときの話」を大声で語り始めていた。
その瞬間、自動ドアが静かに滑り開いた。
濃厚な血腥さが一瞬にしてホール全体を覆い尽くした。ホール内の会話がぴたりと止み、数十の視線が一斉に入口へと集中した。
自動ドアの前に立つ長井淳は、全身血まみれだった。フード付きの上着はボロボロに引き裂かれ、その下からは蒼白い肌と無数の深さ異なる傷痕が覗いていた。最も目を引いたのは、彼が引きずってきたもの――小型車ほどの大きさのクモの死骸だった。トゲだらけの八本の脚は無力に地面を引きずられ、歯の浮くようなきしみ音を立てていた。
重い沈黙が5秒間、ホールを支配した。
そして長井淳が手を放すと、蛛王の死骸が「ドスン」と床に叩きつけられた。血に濡れたミッションチップを、呆然とするスタッフの目の前に置くと、彼はカウンターへと歩み寄った。
「完了だ」渇きで嗄れた声で彼は言った。「群れは37匹。この王級変種を含めてな」。放射線熱傷で嗄れながらも、その声は異様にクリアだった。「ギルドの報酬表に基づき、王級変異体の特別ボーナスは15万ポイントだ」。
ホール全体が水を打ったように静まり返った。女性職員の手が宙に止まった。その瞬間、検知器が甲高い警告音を発した――長井淳のポケットにある<蛛王霊石>の放射線量が、黄金級基準値を突破していたのだ。
「まさか…そんな…」禿げた大男がぼそりと呟く。「蛛王だぞ…ミスリル級ですら苦戦する相手なのに…」
長井淳は周囲の騒ぎなど一切気に留めなかった。彼は静かにスタッフの送金を待ち、新規作成されたギルドカードを受け取ると、さりげなく出口へと歩き出した。人々は自然と道を開き、血まみれの少年に近づこうとする者はいなかった。
ドアを踏み出そうとした瞬間、痩せぎすの男が突然叫んだ。「待て!思い出した!最近地下城で噂のあの新人……ブラックアイアン級なのに高級モンスターを単独討伐してるって……まさかこの人、長井淳じゃないか!?」
長井淳の足取りは乱れなかった。自動ドアが背後で静かに閉じると、沸き起こる騒ぎの声は遮断された。