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第21話

 暇に任せて気まぐれに資料をめくり、こっそり家から持ち込んだ自前のマシンでのんびり内職ができるはずだった倉庫勤務は、予想外というか、まったくの期待外れ。


 まず、大沢。


 あいつ、本当に仕事をしているのか、と、思うほど、足繁く通ってくる。

 なにが心配だ、なにがひとりでは寂しいだろうと思っただ。そんなどうでもいいことを口実に擦り寄られても、喜ばないのは口と態度で明白なのに、懲りることがない。


 そして、総務の面々。


 美香、エリカ、楓の三人は、ここを給湯室かなにかと勘違いしているのではなかろうか。ドリンクやおやつ片手に毎日やってくる。


 茶飲み話といえば、他人の噂と仕事の愚痴。


 私が抜けたために仕事の分担が増え大変だと、ブツブツ文句を言われても、上の命令だからどうしようもないし、元はといえば自分たちの仕事ではなかったか。所詮、サボる時間がなくなっただけだろう。噂話にいたっては、正直聞きたくもないが、おかげでひとり地下倉庫に閉じこもっているのに、社内事情の精通具合は、上にいた頃以上になった。


 もちろん、私の噂も、さらに尾ひれが付いて、ひとり歩きをしている。


 あの怖ろしい大魔王、小林統括に戦いを挑んだ命知らずの関口歩夢はついに、全社員が支持する勇者になったらしい。


 一度、篠塚課長に呼ばれ、総務課へ顔を出したが、エレベーターや廊下ですれ違う視線の痛いことといったら。こんなふうでは、おちおち休憩もできないと、ミーティングルームでのランチは早々に諦めた。


 挙げ句、どういう風の吹き回しか、江崎までもがやってくる。江崎の場合、一応は正当な理由を付けた上でのことではあるが。ただ、用事が済んだらすぐに引き上げれば良いものを、なぜか対面に座り込み、しげしげと人の顔を眺めたあと、ひとくさり嫌みを言う。


 これがまあなんとも、グサグサと遠慮なく刺さる。


 忙しなさにどうにも耐えきれず、コピー用紙に大きく『不要の者入室を禁ず』と書き、ドアに張り出してはみたものの、効果のほどは……。


 せめてもの救いは、佳恵がまだ出張中で、何も知らないこと。週が明け、佳恵が戻ってきた後を考えると怖ろしい。異動を断り、倉庫番にされたなんて、正座説教二時間コースは免れない。


 しかし、それもこれもすべて、あいつのせい。

 尊が権限を武器に、あんな公私混同の異動を目論まなければ、いまも平和に総務のお仕事に勤しんでいたはずなのに。


 まあいいや。帰宅してまで、イヤなことは考えたくない。ましてや今日は、自分への月に一度のご褒美である『豪華お取り寄せ決定日』だ。


「さてっと、今月の売り上げは、どのくらいになったかな?」


 ブラウザを立ち上げ、先ずはログイン画面でキーボードを叩き、二、三度クリック操作を繰り返す。


「おおっ! 今月は過去最高です! まことに素晴らしい売り上げで。ありがとうございます!」


 数字を確認し、モニタに向かって頭を下げた。


 モバイルアプリの開発は、趣味と実益を兼ねた、私の楽しみである。

 皆が出目金出目金と騒いでいる、あの出目金とお付き合いするゲームも、じつは私が作ったもの。ゲーム以外にも、メモ帳アプリやお小遣い帳などの便利アプリも、いくつか公開している。


 皆がおもしろい便利だと使ってくれるのをこっそりと眺めているのが楽しいから、作者が私だとは、誰にも話していない。


 じつのところ、会社勤めに戻る以前、家に引きこもったままの生活を二年も維持できたのは、このアプリたちの売り上げのおかげ。

 開発に夢中になるあまり、それまでの貯金をほぼ食い潰しはしたが、いまではそれをも回収し、安定した収入が得られるまでになった。


「うおーっ! チャリンチャリンビジネス、さいこーっ!」


 とはいえ、一度作ってしまえばあとは放置、勝手に収入が得られるものでもない。

 気まぐれな趣味でしかなかったそれが、収入を得るまでになるための試練は、並大抵のものではなかった。


 幸い、時間だけは無限にあったが、それだけでは済まない。日々、試行錯誤を繰り返し、体力もお金もすべて、開発に注ぎ込む。それを、新しいものを作るたびに繰り返すのだ。そして、完成したのちも、日々のメンテナンスにバージョンアップと、気を抜く暇は無い。

 正直こんなこと『好きじゃなきゃ、やってらんないよ』な、仕事である。


 そして、この収入の一部は、唯一の生き甲斐『食』の軍資金となる。

 ちなみに、先月は、北海道直送毛蟹を堪能。先々月は時鮭。これは、お弁当のおかずにして、ちびちびと楽しんだ。


「さて、今月は、何にしようかな……」


 早々に夏バテが気になりだすこの季節、やはり、最適なのは『肉』だろう。


「うーん、いっそ、超贅沢に松阪牛A5ヒレ肉セットいっちゃいますかね?」


 おろし生わさびと生醤油か、それとも岩塩か、と、舌舐りをしながら、購入ボタンをポチッとクリック。


 岩塩は、ある。鮫皮のおろしは確か、玲子が以前に持ってきたのが、どこかにあるはずだ。

 その後もポチポチとクリックを繰り返し、ショップサイトを徘徊。モニタに表示されるおいしそうな画面に釘付けになる。


「ウニも食べたいな……」


 キタムラサキウニか、はたまたエゾバフンウニか。これは、悩みどころだ。味の濃厚さならバフンウニだが、スッキリとした甘みのキタムラサキウニも捨て難い。さて、どっちにしよう。


 あ、でも、どちらにしろ、カツはもう懲り懲り。

 割るのは手間だし、まな板に棘は刺さるし、ハッポー箱の中で捌かれるのを待っているウニがウニウニと歩く姿には、感慨深いものがあるし。


 今回は、お手軽に塩水ウニでウニ丼と決め、いざ購入ボタンをクリックするタイミングで、シャラララとメールの受信音が鳴る。

 なんてことのないありふれた音。どうせ営業メールだからと普段ならまったく気にも留めずにいるのに、なぜかふと、この音が気になった。


「……まただよ」


 それは、私が開発したアプリの購入を希望するメール。

 そこそこ人気のアプリを公開していれば、こんなメールはしょっちゅう来る。だが、見るたびに、やはり不愉快な気分にはさせられる。


「いち、に、さん……、今日は何通来てるんだ?」


 せっかくの盛り上がりに水を差され、気分は急降下。

 アプリの購入をって……。ひとが心血を注ぎやっと完成させたアプリを、簡単に言ってくれる。

 返事をするのもバカバカしいが、黙っていれば返事をするまで送りつけられるから、腹立たしい。さて、どうしたものか。


「放置だな」


 やはり、この手の輩は、相手にしないに限る。


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