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13ramdaNEO
恋愛現代恋愛
2025年06月07日
公開日
3.5万字
完結済
妖狐の娘たちが婿探しに、縁ある青年のところへ行って婚活(コン活?)をするけれども、それどころじゃなくなって、リセットされた。

FOX

「書道でしょ?」

「いいえ、香道です」

「書道!」

「香道!」

 と、言い争う女子生徒が二名。

 書道と言い張りますのは、クールでシャープでスタイリッシュな方、柳生雲龍妃(やぎゅう・うんりゅうき)と申します。名前もすごいんですが、華奢なインテリって感じ。

 もう一方、香道と反しますは、これまた似たような雰囲気であります。こちらは、菅野日向(かんの・ひなた)と申します。軽快かつ颯爽とした雰囲気の持ち主であります。

 そんな二人の水掛け論が発生しておりますは、とある公立高校の、小さな空き教室でして。殺風景な部屋の真ん中で、バチバチ火花を散らしております。

 しかし、パイプ椅子に腰かけ、窓の外を眺めている男子生徒がひとり。

 あの諍いが聞こえているのか、いないのか。

 誰かと思えば、我等が主人公、数少ない男子生徒のひとり、三道部・部長、枳夏巳(からたち・なつみ)でございます。

 蛇足ながら、御説明いたしますと……こちらの高校、もともとは女子高でございました。昨今の生徒数減少により、共学となりまして。枳さんは、その第一期生。早いもので、今年度より無事に進級し、三年生となりました。

 もうひとつ、三道部はと申しますと、

「華道と茶道、もうひとつはね、道ってついてて、和風だったら何でもいいの」

 と、部長は静かに、やや呆れながら言い放ったのでした。

 女性二名が同時に枳さんを睨むや、やいのやいのと詰め寄ってくる。右の耳には書道で、左の耳には香道と飛び込んできた。

 やかましいったら、ありゃしません。

『もうねぇ、いまさら何だっていいじゃないの? 部員が少ない文化部をひとまとめにしたんでしょ? そうなっちゃってんだから。先輩たちが卒業しちゃってからは、華道も茶道も書道も香道も、ちゃんとやってる人、いないのに』

 などと部長は思うだけ。口論の最中に口を挟む真似はしないのです。両者の顎が疲れて、どちらともなく声を出さなくするのを待つ作戦であります。

 もっとも、両者の御言葉は、いつの間にか風向と矛先を変えまして、部長へと降り注いでおりました。

「部長のあなたがそんなんだから!」

「後輩に任せきりにしないで!」

「しかも、ひとりしかいない一年生に!」

「ちゃんと部長らしく仕切りなさいよ!」

 などなど、言いたいことを言ってくださる。

 枳さんは、ひょいと制止するが如く両手をあげた。

 綺麗な指先をしっかり伸ばして、

「おっしゃりたいことはわかります。まして、我が部を案じて下さる級友の御意見でございます……」

 そのとき、そぉっと部室に入ってきた女子生徒がおりました。例の一年生、おはぎちゃん。後ろ手に紙袋をもっております。

 部長と目が合いますと、キュートな笑顔になって、柳生と菅野の背中を見ながら、壁際へ忍び足をする。

 枳は、

「まぁ、ちょっと落ち着いてください……おや、おはぎちゃん。いいところに来たね。そんなところに立ってないで、こっちに来なさい」

 ニコニコしながら、おはぎちゃん、

「どーも、どーも」

「おはぎちゃん、今日は何をこしらえてきたの?」

 と、おはぎちゃんに問いかける部長の物腰は、孫を愛でる翁の姿同然でありました。

「うふふん、部長。カレー味のドーナツ、焼いてみたんだ」

 紙袋の口を開けて、一個、取り出して見せた。

 カレーの香が、ふんわり部室に広がります。

「おお、そうかい。ドーナツかい。カレー味とはオツだね。そうだ、御二方。ここらでちょいと、お茶でもどうだ?」

 すでに、菅野はおちゃぎちゃんの側によって、紙袋の中身を覗き込んで、個数チェックしている。

 柳生は強く眉間に皺を寄せながら、

「何を言ってるんだか。茶道の真似事だって、できやしないじゃない!」

「それを言われると、弱っちゃうなぁ、困っちゃうなぁ」

 と、枳が言えば、そのあと、おはぎちゃと口をそろえて、

「参っちゃうなぁーっ」

 聞かなかったことにしたい。

 菅野は、笑っております。いつものことですから。

 柳生は、ツンッとそっぽを向きますと、足音も高らかに教室を出ていったわけでして。

 その背中を見送りながら、

「おはぎちゃと部長って仲いいよねっ。ホンモノの漫才コンビみたいっ」

「そこは恋人とか兄妹とか、言うんじゃないの?」

 と、枳は、すでにドーナツ片手に言いますが、おはぎちゃんはニコニコしてるだけ。

「そうだ、部長。ドーナツだと口の中パサパサしないっ? おはぎちゃん、お茶とかある? ない? ないでしょ? 仕方ないなぁ、買ってきてあげるっ。ダッシュでいってくるわっ」

 なぜか、菅野は早口で言い放って、バタバタと教室を出ていった。

 部長は、深くて重い溜息をついたから、おはぎちゃんは窓辺によりかかりながら、

「今日も大変でしたね」

「あの二人、ここにきて、大声を出して、ストレス発散してるんだよ」

「そうですか? 菅野先輩は、お菓子が目当てって、こないだ言ってましたよ?」

「どうだっていいさ……しかし、カレーの香はすごいんだけど、味はまったく、いつものドーナツなんだが」

「カレー味じゃなくて、カレーシュウのドーナツですね」

「言葉だけ聞くと、あらぬ誤解を招きそうな語感だ」

 もそもそドーナツを頬張っていると、藪から棒におはぎちゃんが、

「部長って、付き合っている人、いたんですか?」

 ドーナツでむせる我等が枳ではありませんが、口の中をモゴモゴさせながら、返答までの時間を稼いでおります。即答は簡単でありますが、次の質問が出てくること明白な気配でもあります。

「いないね、ずっと前からいないよ」

「じゃあ、付き合いたい人がいるんですね?」

 ようやく、部長はおはぎちゃのほうを向いて、質問の真意を彼女から読み取ろうとする。そう簡単にわかるもんじゃございません。

 でも、おはぎちゃんは冴えたところがありますから、

「部長と仲が良すぎて、変な噂になったら、いろいろ困ることがあるんじゃないかって思うんです」

「なるほどね」

「……前、部長と同じクラスだった、確か、柿木理菜さんでしたっけ? 部長の片思いの相手」

 カキノキ・リナ、その名前がおはぎちゃんの口から出たとき、我等が枳部長は素直に驚いてしまった。

 そのとき、部室の戸が勢いよく開いて、誰かがやってきた。菅野ではありません。

「よぉ! 部長! おはぎちゃん、ちょっと借りるぜぃ」

「……し、失礼しま……す」

 来訪者は二名。枳と同じクラスではありますが、部員ではありません。勢い良いのが、油田早苗(あぶらだ・さなえ)という。占いとか、そっち系大好き人間。いつも大きなリュックに、いろいろ趣味的なものを詰め込んで登校してる。

 もう一人は、松田さん。

 松田さんは、物静かな人であります。

 この部室は、枳がどこからともなく持ってきたパイプ椅子以外は、机も椅子もロッカーの類もありません。油田は慣れた手つきでピクニックなんかで使うシートしきますと、正座して座った。

「松田さんも座って、座って。早いとこ、始めちゃうから」

「……あ、はい……」

 おはぎちゃんが、小声で部長に、

「またタロット占いですかね?」

「どうかな? なんか、いつもよりも荷物が多い気がする。なんか新しいこと始めるんじゃないかな?」

 部長の思った通り。制服のブレザーを脱ぎ捨てますと、巫女装束のような白い舞衣を取り出して、素早く羽織る。

「あ、部長! 上着、放り投げちゃいましたね」

「おはぎちゃん、今は静観だ」

「手作り感が満載の、ひらひら、出しましたよ?」

「御払棒、御幣のつもりか? あれ、紙垂が串に対して左右対称じゃなきゃいけないんだけどな」

「和風ですね」

「一応、部員として名前は連ねてるからなぁ、アブラは」

「最初、ユデン先輩って呼んじゃって、怒られた」

 二人の雑談は、松田さんには聞こえている様子。でも、油田は集中しているのか、祈祷のようなものを始めちゃっております。

 部長は聞くに耐えないって顔をしておりますと、

「お待たせっ!」

 と、ペットボトルのお茶を持って菅野が部室にやってきた。変な恰好して、座ってる奴がいる。おまけに、その前にかしこまって座ってる人もいる。

 思わず、半分笑いながら菅野は、

「ユデンじゃん? 何してんの?」

「邪魔するでない」

「三道部は、ついに神道にも足を突っ込んだの?」

 おはぎちゃんはペットボトルを受け取りながら、ニコニコしているだけ。

 我等が部長・枳夏巳は、くるりと背を向け、窓の外を見るのであります。三階の部室の窓から眺める運動部の練習風景、そのどこかにいるであろう、理菜の想いを馳せるのでありました。

 いつから、いつの間にか、彼女のことばかり、考えるようになっていた。ほろ苦くて、切なくて、胸が無駄に高鳴る瞬間がもどかしくて。この気持ちを抱えながら、遠くから思い人を見つめる時間が、カレー風味の……。

「きぇーいっ!」

 油田の奇声で、部長はがっくりうなだれたのでした。

 真剣な顔をして、油田を見つめるのは、松田さんだけ。

「うむ、出たぞ。松田の探し物は……」

「……探し……もの」

「上じゃ」

 と、天井を見上げる油田。

 部室のみんなも、なぜか天井を見上げた。

「松田の探し物は、天高く宙空に位置しておる。近いうちに、天より、その頭上へもたらされるであろう」

 唖然とする松田さんは、部長と目が合ってしまった。

 彼が何か言う前に、おはぎちゃんは、

「あのぉ、何を無くされたのですか?」

「麺棒じゃ」

「メンボウって、どっちですか?」

 とか何とか、今日のところは平和な様子であります。



 我等が枳部長は、いつも想い、そして思うのです。

 一体、自分は何をしているのか、と。

 部室で校庭を眺めながら時間を食い潰し、遠回りをしてでも、想い人と同じバスに乗り、背後から聞こえる彼女らの談笑に耳を傾ける。

 彼女が降車する姿を見送って、遠ざかる車窓から結んだ後ろ髪を眺めて、誰にも聞こえないように小さな小さなため息をつく。

 そのあと、なぜ、自分はこんなことをしているのだろう? と答えなどわかりきっている自問自答を繰り返す。

 終点の駅前で降りた後、夕闇に包まれた繁華街に身を投げ出したくなる。進路なり学業なり、他に考えることがあるはず。

 なんとなく足が向くのは、いつもの駅前の本屋さん。フラワーアレンジメントの雑誌の表紙を眺めながら、手に取るわけでもなく、また、小さなため息をつく。

 なぜか、ここ数日は目覚めが悪くなった。眠りが浅いのか、起きた後に疲労感が残る。内容を思い出せない、悪い夢を見ているような、そんな気がする。

「先輩! 先輩じゃないですか!」

 その声に振り向けば、おはぎちゃんがいた。

 笑顔が眩しい。部室で見るニコニコよりも、ずっと明るくて、弾んでいて、どことなく艶っぽい。

「わぁー、すごい偶然! ちょっと、見てくださいよ! 通販でも買えなくて、ようやく見つけた本を……」

「おはぎちゃん、ここ、店の中だから」

「あ……すんません、はい」

 そして二人並んで、バス停まで歩きます。薄闇の空の、まばらな雲は雨をもたらすのか、そうではないのか。

 バスを待つ間、嬉々として入手した書籍について語る彼女の声が、胸の中を騒がしくさせる。まっすぐで、無邪気で、慕ってくれることに、不安を覚えた。

 早く、バスが来てくれればいいのに。

「あのぉ、部長?」

「ん?」

「寝不足ですよね?」

「ん、うん、まぁ、そんな感じかな」

 枳は時刻を確かめるふりをして、彼女と目を合わせないようにした。素敵な笑顔と、その愛くるしい瞳は、彼のすべてを見透かしてしまうから。

「油田さんも心配してましたよ?」

「あいつが? ははっ」

「夏巳のヤツ、女難の相が出ておる上、何やらよからぬ陰の気が漂っておる、とか言ってましたけど」

「物真似。うまいもんだね」

 バスが来まして。会話は終わってしまいました。

 彼女の去り際、ふんわり漂ったカレーの香。

 その刹那に、枳の頭の中で何かが思い出せそうで、遠くに霞んで見えた記憶の扉が、いきなり自分の目の前に現れたような。

 頭に、肩に、足元に、気まぐれな雨粒が当たる。

 思わず見上げた空は、星も月も携えず広がるばかり。

「なんだ、天気雨か」

 この気象現象、またの名を『狐の嫁入り』と申します。



「……というわけだよ!」

 その甲高い声に枳は飛び起きますと、金色の狐面が超接近してきた。おまけにエスニックな臭いで、気持ち悪くなりそう。

 さて、我等が枳夏巳は、状況を即座に把握しまして、

『これ、夢だわ。夢の中で夢だって自覚してるわ……身体、動かねぇ、金縛りだわ。居るなぁ、俺の目の前に。これ、俺の精神の何を具現化したもんかなぁ』

 金色の狐面つけた者の装いたるや、日本史の授業で見かけた、江戸時代の宮廷女官のような女装束姿でありました。白生地に、あちこち金色のヒラヒラが眩しくもあります。もっとも、その姿の背後に開くは、金色の尾で。思わず数を数えちゃう。

「ななつ?」

「誰が七歳じゃ!」

「いや、しっぽ」

「いちいち数えるな! 恥ずかしい!」

「そう言われましても」

 狐面の者は、咳ばらいをすると、

「再三に渡って伝えてきた通り、明日より我が娘たちの婿狩りを催すことと成りしっ」

「狩り? 婿取りだったら、まだわかるんですけど」

「今は我が話してんの! いちいち口を挟むな! 質問なら、あとでまとめて聞いてやる」

「はぁ」

「かの日に、不信心なお主を、不憫に思って我が娘たちが、その身を賭して導き、守り、救ってやったこと、忘れたわけではあるまいな?」

「え? あぁ、そのっ、えぇと」

「思い出せぬのも無理はなかろう。なにせ、お主は幼き身ゆえ、そうそう覚えていられるものであるまいて」

「……なんだか、えらいことになっちゃった?」

「かの日の約定じゃ。因により縁あって運となり、結ばれし契り、ここに成就せんと欲すものなり」

「アブラに見せたいな、これ」

「ごちゃごちゃうるさいのぉ! まったく、こんなののどこかいいんだか……ったく、我等が枳夏巳よ! しかと聞けぃ!」

「あ、はい」

「我が愛娘の五姉妹が、日の出とともに……」

 けたたましい目覚まし時計の音で、枳は飛び起きまして。

 今回ばかりは、夢の内容を覚えていた。覚えていたのはよいけれど、あの金色狐面の言葉は途中まで。兎に角、五匹の狐の婚活が始まった、ということはわかっております。

「狐だけにコンカツ? って、なんか、こんなこと思いついちゃうって。もう俺ダメになってんのかなぁ?」

 変な夢を見ちゃったなぁ、くらいにしか思っておりませんでしたが。

 すでに、五姉妹の部長争奪戦は始まっていたのでした。

 なぜなら、

「おはよーございます、部長」

 と、玄関を出るなり、おはぎちゃんが立っていた。

 ぴょこん♪

 頭の上、狐耳が生えて、すぐに引っ込んだ。

「今の何?」

「あたし、末っ妹の狐ですぅ。よろしくですぅ。ささっ、御登校いたしましょう。徒歩ではありますが、お伝えせねばなりませんことが多くございます」

「あの、おはぎちゃん……これって?」

「マジでガチなコンコンです」

 おはぎちゃん、右手でコーン、やっちゃう。狐耳も、ピコピコ。さらに、そのキュートな目で訴えながら、

「先輩! 観念してくださいませ! 不安は重々承知しております。しかしながら、先輩は『こーゆーことへの類稀泣き順応性が高品質にして最高級』と、母の太鼓判が全身あちこちに押印されまくっておりますので」

「は?」

「御安心ください。そう簡単には人様に見えません」

「ちょっと待ってくれ! おはぎちゃんはっ?」

「はい、御想像通り。狐憑きの状態でございます」

 我等が枳先輩が大声で何か叫びそうになったとき、おはぎちゃんは凛々しくも左手で口を制して、

「先輩、ここ、往来だから」

「あ……すいません、はい」

 おはぎちゃん、ニコニコしながら、

「それでは、御説明いたします」


 五姉妹は所縁ある乙女に憑依し、ハートを射止めようと、様々な手段を用いてアプローチをするので、御眼鏡にかなった一名と契ってくださいますよう、お願いいたします。

一名と契りますと、他四姉妹は憑依を解き、お家に帰ります。婚活に敗北したからといって、祟ることは、よほどのことがない限りございません。どうぞ、御安心して、御選びくださいませ。


 五姉妹は二十四時間、延々と憑依し続けております。大変な妖力を消費いたします故、一日に何時間かコン睡状態によるチャージをする必要がございます。その際、くれぐれも不用意かつ不埒な真似をなさらぬよう、御注意くだされば幸いです。


 コン活において、期間は設けておりません。憑依の期間が長引きますと、人間の肉体に不都合や不具合が生じる恐れがあります。個体差はございますが、憑依を解いた際、元の生活に戻れぬ場合もございます。お早めにお決めいただきますよう、お願いいたします。


 コン活の際、妖力による妖術や呪術の類は禁止されております。人間社会にそぐわぬ行為や言動の一切を禁止、それを遵守する所存でございます。稀にではございますが、不用意に、アヤカシを挑んでくる場合もございます。その際、妖力を解放いたしまして、何らかの対策を講じることがございますこと、御了承ください。


 妖力を用いまして、妖術や呪術を行いますと、憑依そのものの接着効果が弱まります。このときは、退散させることが可能でございます。ですが、強制的に、剥がし落とすような真似をいたしますと、肉体や精神に著しい損傷を与えてしまいます。生兵法は怪我の元と申します。彼女らの身を案じるならば、くれぐれもご配慮のほど、お願い申し上げます。


 基本的に、人間一命に対して、憑依可能な姉妹は一体でございます。おひとりの方に複数で憑依いたしますと、わけわかんなくなって、うまくいかないのでございます。日替わりで五姉妹の憑依を御希望されましても、このような都合上、かたくお断りいたしておりますこと、御理解いただきますよう、お願い申し上げます。


 勝手ながら不躾に申し上げました御無礼、どうかお許しくださいませ。ひとならざる者との恋路であります故、御理解致しかねること、多数おありかと存じます。その心中をお察しいたします。しかしながら、因あっての縁にて運の生じたことなれば、理に従っていただくのが道というものでございます。


 すでに五つの道、五つの未来が在るのでございます。誰を選ぼうとも怨み辛みは申しますまい。ただひとつ、我等が枳夏巳殿の選んだ道こそ、正道とし、お仕えしてゆくのみでございます。


 我々が現世に在り続けるためには、殿の慈しみと愛が必要なのでございます。共に歩み、愛恩を育んでゆくことが叶いましたなら、ひとならざるものでございますゆえ、人智を凌駕する御多幸をお運びすること、お約束いたします。


 蛇足ながら、もうひとつだけ。

 言霊と申しまして、言葉には妖力のような不思議な力を持つ場合がございます。例えば、名前。我々は人間に名をあかすことはございません。人間に、その名を呼ばれてしまいますと、言霊の作用でもって、妖力を発揮できなくなってしまうのです。

 それが偶然の出来事であったとしても……。


 なんて話を聞いているうちに、学校に着きました。

 こんな有様ですから、授業なんか手につくはずはありません。頭の中で、ぐるぐると、今朝のおはぎちゃんの御説明が自動再生されちゃう。

 そんなんだから、

「カラタチさんっ!」

 こつんと教科書の角で軽く頭をこづかれた。

 我に帰れば、永井先生がいらっしゃる。担当教科は古文、日本史にも強い。さらに、三道部の顧問ということになっております。

「ぼんやりしてちゃダメだよ!」

 黒縁眼鏡の奥から冷たくも鋭く尖った眼光を放ちながら、御注意を受けてしまいました。そのとき漂うエスニックな香りに、くらくらっときちゃったから、

「先生から、カレー臭が」

「加齢臭?」

 クラスが、どっと沸いた。

 数名ほどの女子生徒を除いて。



 午前、昼休み、午後と我等が枳夏巳は何事もなく過ごしておりました。こうなりますと、放課後が恐ろしい。真っ先に帰宅することも考えておりましたが、如何ともしがたい。結局、今日も部室へ行くしかありません。

 浮かない顔して入りますと、すでに、おはぎちゃんが、

「部長! 待ってましたよぉ? お稲荷さん、作ってきたんですよぉ……カレー味の」

 いつもなら、それなりに言葉をかけるものの、狐耳も尻尾もチラ見しちゃったものだから、胃が痛くなってきちゃった。

「顔色がよくないですよ、部長? なんかあったんですか? 狐狸の類に悪さされたんですか?」

「煽ってんのか?」

「やだなぁ、そんなぁことないですって」

 小悪魔な笑みを浮かべております、おはぎちゃん。

「部長こそ、お決めになりましたか?」

「おはぎちゃん以外に誰が取り憑かれてんのか、わかんないままだよ」

「そうですかぁ。意外と姉様たちは慎重なのかな。それとも、身体が馴染むまで、時間がかかってるのかしら?」

「……おはぎちゃんは、どうなんだ?」

「あたし? あたしですか? あたしは、まだ独身でいたいんです」

「へ?」

「どっちかっていうと、子孫繁栄よりも、商売繁盛かなぁ。修業を積んで、お役を任せられるようになって、母上様の後を継いで、お社を大きくしたいんです」

「なるほどね」

「母上様や姉様のサポートみたいな? そんなことより、お稲荷さん、どうぞ。召し上がってくださいな」

 そのとき、部長は閃いてしまった。

「おはぎちゃん……お前、まさか!」

 言いかけたとき、お稲荷さんを口に押し込まれた。

「部長、口は災いの元ですよ?」

 小悪魔な笑みからは鋭く尖った牙が見え隠れしておりまして。細くなった眼は吊り上がり、口の中には激辛カレー味のお稲荷さん!

「我等が一族にとって、初めての試みですから。お察しいただければ、と思います」

 それ以前に、お稲荷さんがメチャクチャ旨い。

 すっごく辛いけれども、すぐに辛さが引いて、酢飯を噛めば噛むほど豊潤な味わいが広がります。

「すっごく旨い! こんなすごいの初めて!」

「部長ったらぁ。でも、姉様は、もっと美味しいんですよ。人間が食べたら、美味しすぎて、ほっぺが落ちちゃうかも。その焼けただれて落ちた頬肉が、好きなんです」

 部長が頬張りながら、おはぎちゃんを横目で見ると、妖狐顔で、舌なめずりしております。

「今、なんて言った? 頬肉が?」

「冗談ですよぉ! いつもののノリでいきましょう。漫才コンビみたいに」

「しかし、こんなに旨いのに、姉さんたちのほうが、もっと美味しいなんて」

「狐には不評なんです。辛いのがダメみたいで……二度と食わせるなって言われました」

「なるほどね」

 どこからともなく、インパクトの強い香が漂ってきております。部室を艶やかに彩るかのような、ローズの香が充満しちゃって、

「何ぃ、イチャイチャしてんだぃ? おめぇは、レースに不参加だろ?」

 フェロモンとリビドーの二重螺旋が、部室を黒薔薇の園へと変えてしまうような濃厚で芳香に、部長は眩暈がしてきちゃった。

 するすると部室のドアが開き、超絶官能的悩殺美なんて漢字をまとうかの如く、菅野さんが来たのです。

 大胆な限界露出で制服を着崩し、蠱惑的な笑みを浮かべ、悦楽を右手に、恍惚を左手に、茫然とする部長の前へと歩み寄ったのでした。

「あぁん、部長さん? 今日のあたしって、いつもの菅野と違ってぇ、魅力的じゃない?」

 剛速球のストレートな色仕掛けに、おはぎちゃんも苦笑するしかなかったのです。

 何を言うかと思えば、

「あたし、今日、排卵日なの」

 とてもじゃないけど、同世代には見えない。憑依すると、ここまで肉体も変容するのかと、関心してしまった部長でございます。

 菅野さん、どこでセットしたんだか、銀色のギャルなネイルでもって、部長の頬やら首筋やらを撫でまわしながら、

「樹になる果実からは動けないのよ? あなたの手で、鷲掴みにして、もぎとって……優しく摘まむのも、雑に激しく弄るのも、お任せするわ」

 我等が枳夏巳は、拒むとか抗うとか考える前に、脳味噌が沸騰しちまいまして。菅野さんが手招く豊満な肉体へと、手を伸ばしそうになりました。

 が!

「姉様、コン前交渉はルール違反だよ」

「何言ってんのさ! あたしゃ、自分の得意分野で勝負するって言っただろ? 憑依の相性もバッチリだったんだっ。憑この女の抑圧された欲望をちょいとつついてやったら、こんなんなっちまったっ!」

 菅野が両手を広げて叫びますと、ブラウスの胸のボタンが二つ、弾けて飛んでしまいました。その二つが部長の顔にクリーンヒット。

「あっ、痛っ! 痛たっ!」

「あら、部長さん。ごめんあそばせ。イタイところ、フゥフゥしてあげるわぁ」

 と、顔を近づけたとき。

 当たったボタンの痛みで正気を取り戻した、我等が部長・枳夏巳は言い放つっ!

「俺、タネウマ的なの、イヤなんだけど」

「だ、誰がタネウマなどと」

「だって、ここで、おっぱじめる気マンマンだったじゃない? 誰か来たらどうすんの?」

「そ、それは結界を張るから!」

「そんな妖力の無駄使いしないで。そういうことじゃなくてさ。これ、婚活でしょ? いくら狐でもさぁ、女狐すぎるって。欲求不満の……えーと、なんて言うの?」

 おはぎちゃん、冷静にサポートします。

「アバズレ」

「そう、それだ。おはぎちゃん、ナイスです」

 すると、菅野はうつむいてしまいまして。ぶるぶると身を震わせながら、呻き声をあげちゃう。

 違和感ある呻き声であります。

 顔をあげた菅野は、どろどろに溶けた眼をして、厚くなった唇の端から涎を一滴、

「もっと言ってぇ、もっと窘めて、もっとえぐって辱める言葉をちょおだぁぁい」と膝まづいちゃう始末。

 おはぎちゃんも、この姉の有様には流石に引いちゃった。

 ところが、我等が部長は悠然と、菅野の顎をくぃっと持ち上げますと、

「そんなに欲しいなら、もっと大きく口を開けてごらん」

「あぁ、あぁーん」

 恍惚と陶酔の板挟み、菅野がまなめかしく口を開きますと、部長は、おはぎちゃんのお稲荷さんを彼女の口に押し込んだ。

 即座に効果発動! 

 断末魔の悲鳴をあげながら飛び上がって、お稲荷さんを吐き出すと同時に、姉狐も飛び出しちまいました。

「部長、ナイスです」

「……菅野さん、大丈夫かなぁ?」

 と、見事にキャッチしたお稲荷さんを手に、床にぶっ倒れた菅野の身を案じる部長でした。

 すぐ、むっくり起き上がると、

「?」

 と、茫然としております、菅野さん。

「……お稲荷さん、食べる?」

 部長はそっと差し出すと、その香に誘われて、一心不乱にがっついておりました。

 部長は肩をすくめながら、

「せめて、誰に取り憑いてるか、教えてくれよ」

「それはルール違反です。言いませんでしたか?」

「聞いてない気がする」

「聞き逃したんじゃないですか?」

「おはぎちゃんのお稲荷さん。なんかすごいな」

「そうですね。これは予想外にして想定外」

「しかし、こんなんじゃ先が思いやられる」

「同感です。他の姉もこんなのだったら、うまくいくものもうまくいきません」

「弱っちゃうなぁ、困っちゃうなぁ」

「参っちゃうなぁ」

 何も無かったことにしちゃいたい。



 さて。この部室でのドタバタを、じいっと覗き見る乙女がおります。

 そうです、薄幸の美少女、その名は松田。

 学校の御手洗にて、便座に座って、水晶玉を手に、部室を盗み見ていたのでした。

 狐の五姉妹の真ん中で、ちょっと体力も妖力も弱めに生まれついてしまいました。そのせいか、消極的で内向的で受動的であります。

 このコン活も、あまり乗り気ではありませんでした。

 しかし、実際に人間に憑依し、松田が持つ部長の記憶を読み解きますと、胸の中に小さな炎が灯ってしまったのです。恋心に目覚めてしまった!

 生まれて初めて芽生えた感覚でした。小さかった炎は、御し難いほど燃え盛り、胸中を焦がし続けているのです。熱い熱い衝動を抱えたまま、さらに記憶を探り続けておりますと、憧れを募らせるばかり。

 水晶玉に写る様々な松田の記憶は、様々な部長の姿を映し出すのです。そのほとんどは、わりと松田とも仲が良い、油田と一緒のものでした。

 そういえば、油田は松田を、やたら気にかけてくれる、謎な存在でした。

 本当は、三道部に入部して、もっとみんなと楽しくできたなら……だから、ずっと、言葉を待っているのです。自分から、あんな楽しそうな空間へ、土足で踏み込む真似はしたくないから。

『松田さんも入部しちゃいなよ』

 待っていることを気づいてくれたなら、一緒にはしゃぎたい気持ちを察してくれるなら、こんな私を見つけてくれるなら。安心して、胸をはって、口下手な自分をさらけ出せる勇気が得られそうな気がするのです。

 部室で外を眺める部長の背中を見つめながら、何を眺めているのやら。ちょっと気になって、より遠くを探ってみようと思ったのです。

 彼は何を見ているのか?

 それを知ることは、容赦ない現実をも知ることとなってしまいました。

 部長には想い人がいる。同じように、恋焦がれて、その姿を遠くから見つめることしかできないでいる。

 あの人には、かなわない。

 否、例え、想い人が存在しなかったとしても、姉妹たちを相手に彼を射止めることなど、できようか。さらに、憑依できた肉体が『松田』とあっては、縁が遠すぎる。妖力も体力も頼りない狐では、この程度が関の山。己の不遇さを初めて呪ったのでした。

 御手洗で、鏡の写った自分を見つめて、自分に何ができるのか問いかけてみます。胸中が騒がしくなるばかりで、返答などありません。

 でも、

「あれ? まだ学校にいたの?」

 油田がひょっこり、顔を覗かせます。

「鏡の前で何してんの? ものもらいでもできた?」

 なぜか、彼女の一言と、すっとんきょうな顔で安心してしまったのでした。

「ねぇ、松田? どした? え? ちょっと! いきなり? なんで泣いてんの? どうしたのよぉ!」

 優しく抱かれながら、大粒の涙を流れるままにして、松田は騒がしい胸の内側で渦巻く言葉を、呪詛の如く呟き続けたのでした。

 どうしてこんなに弱いのか、どうしてこんなに不遇なのか、何をやってもうまくできず、練習したって工夫したって追いつけやしない。置き去りにされるだけ、自分だけ取り残されて、誰かに助けを求めたところで何の解決にもなりゃしない。何のために生まれた? 何のために生きてる? こんな思いをして生き続けることに何の意味がある? どうして? なぜ? わたしが何か悪いことをした? 親の因果が子に報いたとでも? 明日こそはと血の滲む想いでしがみついてきたのに、この仕打ちは一体何だ!

 油田は松田の頭を撫でながら、

「松田は何も悪くない。悪くないよ。強くならなくてもいい、賢くなくてもいい。弱いままでいいんだよ。あなたは、誰もが見過ごしたり、忘れてしまっている、世の中の痛みを知ることができる人なの。だから、敏感で繊細なの。ネガティブに思うことも多いけれど、それを感じることができるから、慈しみが生まれるの。慈愛や慈悲は、相手の痛みを自分のことのように感じることができる人しか、生じない。あなたは、それができるから」

 慰めてくれていることを理解したとしても、松田の気持ちは晴れそうにありません。自分が何をどうすれば、何かを変えられるのか。まったく見当もつきません。

 でも、油田は、

「そんなあなたを守りたいの」

 涙が止まってしまいました。

 この一言を、ずっと前から求めていた気がしたのです。

 松田の記憶を覗きつつ、さほど気にもしていなかった油田の存在は、想像以上に大きいものだと気づいたのでした。今まで、彼女を気にかけてくれる理由を知ったのです。

 松田は、言葉を絞り出すように、

「……かなえたい願いがある」

「なぁに? あたしに相談するってことは、オカルト系だよぉ?」

「……今、あなたの魂ごと血肉を喰らえば、世の摂理を捻じ曲げるだけの妖力を得られよう」

「そんな大袈裟なぁ。ちょっと落ち着いていてよぉ。ちゅうに病をこじらせるのは、クラスであたしひとりで十分だってば」

 笑いながら、松田を抱きしめる油田は、その変容に気づいておりません。目を閉じて、イイコイイコしております。狐的に、撫でられて気持ちよくなっちゃったし、気も大きくなった彼女ですから、耳も尾も出ちまった。

 油田の柔らかな喉笛に食らいつき、あたたかい血をすすりながら、禁忌を破ってまでも叶えたいこと……それは、一体、何なのか。

「松田ぁ、落ち着いた? そろそろ帰ろう? あんたが乗るバス、なくなっちゃうよ!」

 突き放すように松田は彼女から離れてしまったので、一瞬、気まずく思ったのでした。

「何よぉ? 慌てなくても大丈夫よぉ!」

「……んんっ」

「やけに甘えんぼさんだな、今日の松田は。仕方ないなぁ。とっておきをくれてやろうぞ? これさえあれば、大願成就、間違いなしじゃ、あっはっはぁーっ」

 取り出したのは、干物のようなもの。

「イワシの頭だよ。本物のイワシを加工したんだよ。イワシの頭も信心から。信ずる者は救われる。苦しいときの神頼みってね!」

 ぼんやりする松田の手をとって、イワシの頭を握らせて、

「さぁ、帰ろう……部室? 今日は方角が悪いから近寄らないの」



 一方、部室のほうでは、おはぎちゃんの介抱もありまして、無事に菅野は復活しました。憑依による後遺症も、悪運強く、非常に少ない。

 今日一日の記憶が曖昧な菅野ですが、お稲荷さんのおいしさに夢中。

 その間、我等が部長はといいますと、やっぱり窓の外を眺めおります。校庭を走る生徒のひとりが、立ち止まって、こっちをじっと見ている気がした。

 急に、部長の頭の中に、

「はじめまして」と聞こえた。

 紛れもなく、理菜の声でしたから、思わずのけぞってしまいます。

「こうして、離れていてもわたしの言葉を一方的に伝えることができます。御安心を……あたなの心を読むような真似はしません」

 そんなことされたら、たまったもんじゃありません。

 それ以前に、片思いの相手が憑依されていたとは!

「早いうちに伝えておこうと思いまして」

 声のトーンで、部長の胸騒ぎは最大級。

 一方、理菜は靴紐を結び直すふりをしながら、

「この女とお前は縁がない。学校を卒業したら、二度と会うこともないだろう。なぜ、そんなことを言い切れるのか。理由は簡単だ、わたしには許嫁がいる。すでに天命によって結ばれる定めにある。もっとも、母上は、愚かなことに、徹底抗戦する様子。くだらんことだ、こんな有様であるから、父上も……すまぬ、関係ない話であったな。まぁ、そういうことだから、わたしは高見の見物をさせてもらうよ。案ずるな、コン活が終われば、さっさと身を引く。今日明日にでも決めてしまえば、この女に害はあるまい。早いほうがいいぞ? わたしの妖力が強すぎるせいで、この女の身体が不安定だ。果たしてあと、何時間、耐えうるだろうか」

 一方的なメッセージは途切れてしまいまして。

 理菜は、何事もなかったように練習に戻ります。

「……あと二人、早く見つけ出さないと」

「申し訳ありません、部長。聞こえてしまいまして」

「ねぇ、おはぎちゃん。お稲荷さん、もうないの?」

 窓に手をついて、大きなため息をついた部長でしたが、今度は血相を変えて部室を飛び出していっちゃった。

 一体、今度は何事なんでしょう?



 ランニングしていた理菜は、手招く者の気配を感じて、さりげなく校庭から遠ざかります。校舎の裏手、茂みをかきわけ、道なき道をいきますと、ちょっと開けた場所に出てのです。

 その中央には、腕を組んで佇む女子生徒がひとり。すでに狐耳も尻尾も発言させて、妖力も発散させております。

「おひさしぶりですわ、姐様」

 と大胆不敵に声を発したのは、柳生雲龍妃であった!

「ずいぶん、手際がいいのね? 草刈り、得意だったの? それともバイトとかしてた?」

「何をおっしゃいますの? 一族の掟にそむいて、カケオチしようなんて、問屋が卸しませんことよ?」

「あらあら、駆落だなんてとんでもない! 誤解よ」

「問答無用、覚悟なさい」

「あたしなんか相手にしてないで。さっさと、冴えない面した部長さんを篭絡しちゃいなさいよ。あんた、得意でしょ? それが終わったら、遊んであげる」

「そうしたいところだったけど。ひとつ、気に食わないことがあるの」

「何よ?」

「さっきまで、巧妙に姿を隠していたことだっ!」

「あら? そっか、通話でバレちゃったか。失敗しちゃったなぁ。でも、それの何がいけなくて?」

「いちいちムカつくんだよぉっ!」

「ごめんなさいねぇ、こんなお姉さんで」

「今日こそ、殺す!」

「あら、いつぞやのリベンジ? 懲りないのね? どうせまた尻尾を巻いて逃げるんでしょ?」

「抜かせぇっ!」

 臨戦態勢となった柳生は牙をむいて、空に吠えますと、呼応するように理菜も金色に輝きまして、雄叫びをあげた。両者の妖力が高まりまして、いざっ!

 激突する姉妹の間に、もう一匹、狐が仲裁に入った。

 両者の腕を取り、強く握りしめる。

「姉ちゃん、このケンカ、預からせてもらおうか」

 この者、なんと菅野に憑依していた狐。

 四番目ながらも、鍛え方が違ったのか、姉たちよりは腕っぷしが強い。非常にマッシブな狐でございます。

 二人とも臨戦態勢を解きますと、四女狐は、

「面目ねぇが、あたしゃこのザマ。しくじっちまった。姉ちゃんたち二人しか、もう頼れねぇんだよ」

「三女、どうした?」

「あいつはハナッからどうしようもねぇ」

「だろうねぇ」

「あたしが頭下げて頼むのもおかしい話だが、どうか、コン活していただけやせんか? 母さんを安心させて、楽させてやりてぇ一心で、お頼み申します」

 すると理菜は、からからと笑いながら、

「何が安心よ、楽させてぇよ? あんた心配しなくたって、あの女狐はくたばりゃしないよ?」

「言わせておけばぁっ!」

 と、雲龍妃が牙をむく。

「ま、まぁ、まぁ。ここはひとつ、穏便に。姉ちゃんたちの言いぇこと、やりたいこと、わかっとりやす! わかっとりやすとも! でも、この場は。派手なことも波風たてるような真似も控えてくだせぇっ!」

 地べたに這いつくばって頭を下げる四女狐に、雲龍妃も少しは思い直した様子ですが。理菜のほうは、冷ややかな眼差しを向けるばかり。

「ちょっと見ない間に、たいそうな口を利くようになったもんだねぇ」

 理菜は、少し息を吸うと、じんわりと妖気を滴らせながら、こんなことを静かに述べたのです。

「情けないねぇ。そうやって、一族の掟に縛られて生きてくがいいさ。義理立てて、こんな小汚ねぇところまで出張っておとなしくしてたんだ。なのに、ケンカ売ってきやがって。今度はおとなしくしてくれだと? 聞いて呆れるね。こうなったら、あたしも意地だよ。コン活してやろうじゃないか。やるからにはねぇ……あたしは、あたしの好きにやらせてもらうよ?」

 理菜は威嚇するように二人を睨みつけた後、悠々と背を向けまして、この場を立ち去りました。

「おぃ、いつまで伏せてんだ。顔、あげろ」

「……姉ちゃん」

「まったく邪魔ばかりしやがって」

「ごめん、姉ちゃん」

「あいつを小突いて引っ叩いて、妖力をいただこうって算段だったんだ」

「え?」

「今、やりあうわけねぇだろ? ただ、あたいの企みがバレちまったかもしれねぇな。こりゃ、コン活も大変だ……あんたも手伝っとくれよ」

「も、もちろん!」

「早速だけどさぁ、ちょっと力を……」

「なぁに、姉ちゃん」

 と、尾をふったとき、四女狐の喉笛が裂かれた。

 妖力とともに鮮血が宙を舞い踊り、その血飛沫を浴びながら雲龍妃は恍惚の笑みを浮かべております。

「力を頂くぜぃ」



 所、変わりまして。

 珍しく三道部の部長が、校庭のあたりをうろうろしております。それもそのはず、理菜がどこかへ行ってしまったのを目撃してしまって、気が気でありません。

 狐に憑依されているのですから。

 胸騒ぎがおさまらない!

 校舎の裏手側から姿を現したところを目ざとく見つめ足て、ばたばたと駆け寄ります。

「あぁ、いたいたっ!」

「どうしたの?」

「どうしたもこうしたも、いきなり居なくなって」

「心配してくれたの? ありがとっ」

 縁が無いと、学校を卒業したら会うこともないと、そんなこと言われたって、はい・そうですか、と呑み込むわけにはいかないのです。狐だが何だか知らないが、黙って、指をくわえて言いなりなんて、冗談じゃない。

「今、ここで、理菜さんから離れてください」

「何を言い出すの? 枳くんの御相手が決まれば、すぐにでも出ていくわ」

「僕は狐に婿入りなんか、しない。理菜から出てってくれ」

「枳くんは、自分で何を言ってるのか、わかってるの?」

「わかってるさ!」

 すると、理菜の目が鈍く深紅色に輝いて。

「生兵法は怪我の元って、教わらなかったの?」

 部長は勢い余って出てけだの何だの、さも策がありそうな態度でしゃべっておりました。ところが、実際は何をどうしてよいやら、わからない。

 何の作戦も思案もなく、片思いの人を目の前にして、カッコつけちゃっただけでした。

 理菜は、意味ありげに微笑むと、

「じゃあ、見せてあげるね。聞かせてあげちゃう」

「な、何を?」

「さぁ……なんでしょう? それは、見てからのお楽しみよ。ねぇ、枳くぅん。あたしの目を、見てぇ……」

 言われなくとも、ふらふらっと、理菜の瞳に見入ってしまって。視界がぐるぐるぐるっと回りますと、彼女が見ていたであろう風景と、聞いていたであろう雑踏や話し声なんかが聞こえていた。

 なんど、部活の帰り、バス停で、理菜の記憶の視界範囲を共有しながら、いつかの自分の姿を見ております。彼女がスマホの画面を見たり、部活仲間と小声でおしゃべりしておりますが……。

 何を見て、何を聞いたのか?

 我等が三道部部長・枳夏巳は、がっくりと膝から崩れ落ちてしますと、そのまま突っ伏してしまった。目を見開いて、口をぽかんと開けて、魂が抜け出てしまったかのよう。

 理菜は何部長に言葉をかけることもなく、その場では何もなかったかのように立ち去ったのでした。

 数分後、なんと柳生雲龍妃があらわれて、

「ちくしょうめ、一足遅かった!」

 と、倒れている部長を発見しました。

 そこに、タイミングよく、あの二人もやってくる。

「ど、どどど、どうしちゃったの? おはぎちゃん、どうしよう?」

「とにかく、救急車を呼びましょう!」

 さらに、水晶玉で一部始終を覗き見ている松田の存在を忘れてはなりません。その傍ら、イワシの頭の虚ろな目は、何を見ていたのか、見当もつきません。



 枳は無事に病院へと搬送され、診断を受けました。強烈なストレスによる胃炎とか何とか、そんな結果がありまして。病室のベッドが空いていたものですから、点滴打って、一晩、安静に……ということになっております。

 呆けた状態からは回復したものの、とてもしんどい様子でありまして。晩御飯を食べる気力がなかったんですが、眠いんだか眠くないんだか。何かお腹に入れたいんだか、入れなくないんだか。自分でもよくわからない。

 ベッド脇の時計を見ますと、午前三時すぎ。学校とか狐憑きとか、どうでもよくなっちゃっていた。自暴自棄の一種、みたいなところですな。

 そんな心境でも、肉体ってのは正直なところがありまして。記憶回路が自動的に、最適な回答を導き出すものでございます。

 ココアを飲みたくなった。

 小銭入れを持ちまして、そっとベッドから出ますと、薄暗い廊下を忍び足で歩きながら、自販機を目指します。夜勤の看護師さんに見つかることもなく、同じフロアにありますデイルームへ行きますと、紙コップの自販機の前に立ちまして、あったかいココアを求める。

 小銭入れあったのは、五百円玉一枚。

 入れますと、からんっと硬貨が返却口へ落ちてしまう。何事かと思ったら、釣銭切れランプが点灯しておりました。こんなときって、ますます、欲しくなってしまうものです。病室に戻るのも、億劫に感じる始末。

 ため息さえも出やしません。

 窓の外は真っ暗で、間接照明の灯に浮かんだ自分のマヌケ面が硝子に映し出されております。小雨も降っておりまして。降ろされていないブラインドに、ちょっと違和感を感じておりました。

 崩れるように椅子に座って、背もたれに首まで預けながら、自販機のコンプレッサーの音に耳を傾けております。

まどろみの向こう側に手をかけたあたり、トンッと軽やかな音がした。

 テーブルの上に、湯気が立ちのぼる紙コップがありまして。匂いでわかった、あったかいココアでございます。

あっと思ったとき、すでに目の前には居た。

「熱いから気を付けて飲んで」

 理菜がおりました。さすが妖狐ですな。夜中の病院に忍び込んで、ココアをふるまうなんて真似は、そうそうできるもんじゃありません。

「……何しに来たんだ?」

「あやまりにきたの。やりすぎちゃったかなぁって。ごめんね、ホントっ、ごめんなさい」

 妖術によって見せられたものは、自分ではうすうす気づきながらも認めたくない現実でした。バスで気持ち悪がられていることや、実は付き合っている人がいることとか。彼氏ちゃんとのスマホでのやり取りも。

 何ひとつ知らなければ、憧れのまま、学生時代の美しい思い出として終わっていたことだった。

「狐の言う通りにしときゃよかったんだよな」

「そういうことだね」

 理菜の言葉を鼻で笑った枳に、理菜は切ない声で、

「枳くんに同情するわ。ほんと、かわいそう」

「なんだって?」

「だって、あなたのピュアな想いとは裏腹に……」

「それ以上、言わないでくれ」

「あんた男とやりまくっててさぁ。人は見かけによらないもんだね。まったく、枳くんも、この身体の持ち主の何が気に入ったっていうんだか」

「……今となっちゃ、どうでもいいことさ」

「どうでもいいわけないじゃない?」

 その声は、理菜のものではなかった。

 妖狐そのものの、聲だった。

「あのとき、婿入りしない、出てけって。あたし相手に、よくまぁタンカ切ったよ。無茶にも程度ってのがあるさ。ノープランだったんだろう?」

「でも、言わずにはいられなかった」

 枳は両手で紙コップを持ちますと、ココアを一口すすりまして、うつむいたきり、沈黙することを選んだのです。

 雨足が強くなっております。

「タンカきったとき、かっこよかったよ、あんた」

「何の話だよ」

「懇願でもない、命令でもない、脅しでもない。自分のせいで巻き込まれちまった女に、詫びてたよな、あんた。あんときの言霊は、そういうもんだった」

「……病室に戻ります。ココア、御馳走様でした。おやすみなさい」

 雨が容赦なく、窓ガラスを叩き続けております。

 枳は席を立とうとすると、

「まだ。あたしの話は終わっちゃいないよ?」

「もう眠いんです、勘弁してください」

「すぐに済むよ……枳くんは、まだ理菜のことが好きなのかい?」

 狐の声ではありません。

 手を伸ばせば、いくらでも触れることができる距離で、何か試されているようなことを問われたとき、枳の解答は決まっていても、言葉にすることができません。

「言葉が見つかりません」

 と、彼は降りしきる雨に向かって答えたのです。

 彼女に取り憑いた狐の思惑を推し量っていると、彼が良そうしていた言葉がもたらされました。

「わたしと契れ。さすれば、得られよう」

 病室へ戻ろうと枳はゆっくり立ち上がりながら、己の胸中で、罵るように問い続ける内なる声に耳を傾けてながら、下唇を噛んで、自らを制しておりました。

 自問自答の音が、狐の声と理菜の声も重なって、身体の中で乱反射が止まらない。

『貴様という男は、あの女に何を夢みて、今も尚、何を望んでいるのだ? 貴様は追いかけ、求め続けていたものは、己自身で生み出した幻ではないか? そうでないというのなら、なぜ、ためらう?』

 雨は止みそうもありません。

 女は、遠ざかる背中を追いかけることなく、見送ったのでした。



 翌日のことであります。

 我等が枳夏巳は、病み上がりの絶不調で午後から登校しまして、いつものように放課後は部室へ赴いたのであります。無理しないで、今日くらいお休みになればよいのに。

 いつもなら、椅子に座って窓の外を眺めるのですが。今日は様子が違う、違いすぎる。窓辺にもたれて、誰かの訪れを待っているようです。

 何やら言い争いながら、やってきたのは、

「だから、香道だってば」

「いや、書道だ」

「香道!」

「書道!」

 菅野と、狐に取り憑かれた雲龍妃でした。

 部室に来る前から、議論を始めているものですから、習慣化してるんではないでしょうか。

 言い争いに決着がつく以前に、部室に入るや、雲龍妃は部長の姿を見ますと、不敵な笑みを浮かべて、耳を出して見せちゃったりする。

「やっぱり、雲龍妃だったか」

「そういう態度だと、ちょっとやりにくいなぁ」

 などと、部長と言い始めるものですから、菅野は少々混乱しております。二人、目を合わせた途端に、格闘ゲームで対戦でもしそうな雰囲気でした。

 菅野は、

「あのぉ、今日はぁ……あたしぃ、お邪魔かなぁ? 込み入ったお話があるんじゃない?」

「俺が欲しいんだろ?」

「随分と挑戦的ね。一晩、病院で何か考えてきたの?」

 菅野は目だけ動かして、部長と雲龍妃をちらちら見ますと、

「あたし、お茶ぁ、買って来ようかなぁ」

「ここはひとつ、三道部部長として提案があるんだ」

「何かしら?」

 菅野は、困った顔しちゃった。

「ふ、二人の分も買ってこようか? お金なら、立て替えとくけどぉ?」

「三道、一本勝負。俺に勝ったら、この魂、くれてやる。負けたら立ち去れ……さぁ、道を選ぶがいい!」

 部長は、懐から五枚の封書を取り出して、雲龍妃の眼前へと突き出したのです。

「部長、病院いったら、キャラ変わった?」

 と菅野が驚いておりますが、雲龍妃はまったく気にしておりません。

「いいの? こんなゲームで決めちゃって」

「妖力を使って、この封書の中身を透視することだってできるんだろう?」

「そんな妖力の無駄使いはしないわ」

 と、封書の一枚を引きますと、雲龍妃は素早く封を切りまして、中身を確かめる。

 出てきたのは、紙キレ一枚。

『ハズレ』

 と、書いてあった。

 思わず、尻尾を出してしまう。

 硬直している姿をみて、菅野もけらけら笑い出してしまいまして。

「おのれっ! 愚弄するかぁっ!」

 どうも、雲龍妃に憑依した狐は、血気盛んといいますか何といいますか。

 我等が部長はといいますと、そりゃあもう涼しい顔で、

「こういう洒落っ気がわかってもらえねぇと、俺と夫婦やってくにゃ、前途多難ってもんだがねぇ?」

「なめた真似をしてくれる……」

「縁が無かったと思って、諦めてくれ」

 雲龍妃は、とっても怖い顔をしております。

 いつの間にか部室には、おはぎちゃん、来ておりました。

「はい、姉上の負けです。お引き取りくださいませ」

 ところが、変なところで負けず嫌いなところがありますから。このまま黙って引き下がるはずがない。

 成らぬなら殺してしまえ何とやら、と牙むいて、爪のばして、狐耳とがらせちゃった。

「姉上! ルール違反でございますっ!」

 なんて、おはぎちゃんの声は聞いちゃいない。

 ほんと、困ったもんです。

「貴様を半殺しにして、その血でもって婚姻届に判を押してくれようぞっ!」

 妖力も有り余ってますから、穏やかじゃありません。

 ところが、我等が部長ときたら、一向に動じない。不敵な笑みを浮かべて、拍手をしております。

「いい毛並みしてるねぇ。白銀に輝いているよ。それに牙や爪の鋭さ、頼もしいねぇ! よっ、お銀ちゃん! いいぞ、銀狐!」

 これから八つ裂きにしようって奴に、褒められちまったものですから、なんともバカバカしい。すっかり殺意が削がれてしまいました。

 それ以前に、部長は毛並みを見て、『おぎん』と呼んでしまいました。偶然にも、良いタイミングで名前を言い当てたんですな。

 こうなってしまいますと、雲龍妃、否、おぎんちゃんはへなへなとへたりこんでしまう。

「うううっ、一生の不覚」

 どこまでが部長の企みだったんだか、わかりゃしませんが、雲龍妃の憑依は解決しそうなところです。あとは、出てくだけなんですが。

 なかなか出ていってくれない。

「姉上も往生際が悪いですよ」

 と、おはぎちゃんが言いながら不用意に近寄りますと、しゃしゃっと尾が刃の如く振り回された! あわや、おはぎちゃん、一刀両断の……間一髪のところ、おはぎちゃんを抱いて飛びのいておりました。

 ナイス部長、ですな。

「おはぎちゃん、手負いの獣に近づいちゃいけねぇよ?」

「おのれ。妹の妖力を奪うこと叶わず……まぁよい、尾の一本分あれば、始末できよう」

 尾は銀色ではありません。

 四女狐から奪った妖力で生やした尻尾ですから、この尾を何とかするには、

「弱ったなぁ、困ったなぁ」

「参ったなぁ」

「あたしの往生際の悪さはぁ、一族で一番……」

「おりきっ!」

 と、菅野が叫んだんですな。

 うっすらと狐耳が見え隠れしております。

 菅野に憑依していた狐の名前は、おりきっていう。

 その名前でもって、無かったことにできちゃった。

 もう戦線離脱して、瀕死のまんま、空地に転がっているものだとばかり思っておりました。かぼそい妖力で、しがみつくように憑依していたものですから。弱すぎて誰も気づかなった。

「姉ちゃん、もう帰ろう」

「お前という奴は!」

「ここは、あたしらが居ちゃいけないところなんだよ。言うことを聞いとくれよ、姉ちゃん。聞いてくれないんなら、今度はあたしが、姉ちゃんの首をかききってでも、連れてくよ?」

「……そもそも、このコン活が間違いだったってことを認めちまうのかいっ!」

「そんなこと言ってないよ。あたしも、姉ちゃんも、部長さんとは縁が無かっただけさ。そこを無理矢理に通そうとしたのが、間違いだったのさ」

 しんみりした雰囲気に包まれた部室でしたが。

 ガラガラッと勢いよく戸が開きまして、やってきたのは油田でございます。

「おはよーっ! 部長、来てるぅ?」

 明るくて良い声なのですが、間が悪うございます。

 四人の虚ろな目線を浴びた途端、油田は、

「お呼びでない? お呼びでない? こりゃまた失礼しましたぁ~」

 彼女は部室を去りましたとさ。



 というわけでして。

 支え合うように、菅野と雲龍妃が部室を去りました。

「憑依したまま、行っちゃったんだけど?」

「たぶん、へろへろな状態ですから、自力で遠へ行けないんですよ。今日のところはお家へ帰って、一晩、寝て。明日の朝イチで、ねぐらに帰ると思いますよ?」

「なるほどね」

「こんなときですけど、部長? 食べます? カレー味ですけど」

「何を作ってきたんだい?」

「冷めても美味しい麻婆豆腐です」

 今回ばかりは部長も頭を抱えちゃった。

 カレー味の麻婆豆腐って、意味がわからない。

「麻ぁが婆ぉしてないじゃないか」

「カァがレェしてるから問題ありません」

 ますます意味がわからない。

 こんな感じの二人ですから、部長とおはぎちゃんでくっついちゃえば、万事解決しそうな気もしますけど。

「部長、食べますか? 食べないんですか?」

「いただきます」

 三道部なんかやめてちゃって、料理研究会とかにしちゃえばいいんじゃないでしょうか。

 その一方で、薄幸の美少女、松田は何をしていたかといいますと。

 とある神社に来ておりました。学校の裏手から、田舎道を通りまして、草深い道を参ります。ちょいと脇の小道を行きますってぇと、あるんですな。

 神社とはいっても、廃神社でございます。どこぞの企業が設立したものと思われますが、今となっては知る由もございません。小さな廃工場の残骸とともに、朽ちかけた鳥居が佇んでおります。

 殿の跡地まで、なんとかたどり着きますと、儀式でも始めるでしょうか。耳を出して、尾も出して、なんか不器用に動いております。こうしたこと、あまり得意じゃない御様子ですな。

 最後に、イワシの頭を掲げまして、音痴な歌声でもって、奇妙な動きをしております。祈祷なのかな、舞いなのかな、当人は真剣で、とても一生懸命なのですが、見るに耐えない。不得手なのでしょうな。

 でも、妖狐のはしくれ。妖力はございますから、それっぽい妖しい雰囲気は漂ってまいります。声は甲高くなり、動きも一層激しくなって、いよいよ最高潮を……迎えられませんでした。

 ちから尽きちゃった。

「もう、無理。絶対、無理。やっぱり、あたしに向いてない。こんなの続けてたら、やり切る前に過労死する」

 念と言いますか、気持ちは入っておりますが、そこに妖力を混ぜまして、がーっと成って、ばーっと成って、だーって成るんですけれども。

 その準備段階で頓挫しちゃったんですな。

 情けないし、悔しいし、こんな自分が恨めしい。

 しかし、彼女は涙を落とすことはなかったのです。やれるだけのことはやってみた。結局、ダメだったけれども、自己満足もならなかったけれども。

 あきらめる勇気は得られたのです。

 哀しいけれど、悔いはない。

「あの人は、この女の子に憑依していることすら、知らないまま。わたしはコン活から退くのよ。これでいい、これでいいのよ」

 それでは、お聞きください。

 貧弱で軟弱で病弱な妖狐が歌います、大好きな中森明菜さんの、あの曲を。

 難破船。



「部長?」

「おはぎちゃん、どした?」

「たった今、姉上がリタイアしました」

「へ?」

「なんか企んでたみたいですけど、うまくいかなかったみたいで、帰っちゃいました」

「そういうの、わかるもんなの?」

「人間がスマホとかで連絡を取り合っているのと似たようなもんです」

「なるほどね」

 なぁんてお話をしている部長とおはぎちゃんでございます。頃合いを見計らったんでしょうね、おそるおそる、ドアを開きまして、やってきたのは油田。

「部長って松田のこと、見なかった?」

「見てないけど」

「どこ行っちゃったんだろぉ」

 すると、おはぎちゃんは、部長の顔を見上げまして、ちょっと小首をかしげてみた。

 部長は、

「なんか、どっか、心当たり無いのかい?」

「ありすぎて困ってんだよねぇ」

「どういうことだよ?」

「説明してる暇はないのっ! もうなんか胸騒ぎ止まらないのよぉ!」

 油田は、こう見えてもカンの鋭いタチですから。部長も、少し心配になってきた。

 おはぎちゃんは、

「最近、何か変わったこと、ありました?」

「開運グッズ、あげた。イワシの頭!」

「油田が占いで探し当てればいいだろう?」

 と、部長が言ったものの、誰も聞いてない。

 すでに、おはぎちゃんと油田は、あぁでもない・こうでもないとおしゃべりしながら、鞄とか持っちゃって、部室を出て行こうとしております。部活どころじゃない、探しに行こうってんで。

「おぃっ! おぉいっ! 部長を無視して、どっか行こうとすんなぁっ!」

 突然、その場で、居なかった人扱いされちゃうこと。

 ありません? とくに男性の方。

 学校でも職場でも、なんか女性の方でお話が盛り上がったりして、よっしゃ行きましょう! なんてことになった途端、置いてけぼりにされちゃったりして。

 我等が部長・枳夏巳は、たまにあるんです。



 部室を出ました三名様。

 とある神社に来ております。学校の裏手へ行きまして、田舎道を通り、草深い道をずんどこ参りまして、小道を抜けますと、あるんですな。

「こないだ来たときより、不気味になってる」

 なんてことを油田は申しておりますが、それもそのはず。さっき、妖狐が素人館丸出しの不慣れな祈祷を中途半端にやっちまったものだから、素人が肌で感じられるくらい、妖しい気配に満ちている。

 油田は、いつの間にか巫女装束のような白い舞衣を羽織って、御幣を両手でもって、ハエでも追い払ってるような動きをさせながら、おはぎちゃんと一緒に鳥居をくぐった。

「こういうの苦手なんだよなぁ」

「後ろで誰か、何か言ってるよ?」

「たぶん、部長じゃないですか?」

「おはぎちゃーん、たぶんは余計だよぉ」

 そして聞こえてきた歌声。

 中森明菜のシングル曲メドレーだと思いますよ。

 今、二人静、歌ってる……松田さんが。

 跡地の真ん中で、寝転がって、地べたに置いたイワシの頭を見つめながら、妖しい気配に包まれて、彼女独自の世界へどっぷり浸りながら。

「松田って、変わった歌の練習する人なんだねぇ?」

 などと油田は言っておりますが。部長のほうは、穏やかじゃありません。

 確かに、松田さんは油田と、つるんで、部室に遊びに来る女の子だ。それは間違いない。しかし、狐耳は出てるし、尻尾は生えてるし。

「なんで? なんであの人に憑依してんの?」

 おはぎちゃんに、油田に気づかれないように聞いてみた。

 すると、

「縁がある、まぁ、関係性が深いからですよ」

「憑依するんだったら、油田のほうだろう?」

「相性というのもあるんですよ。逆に、油田という存在は、そういうのが寄ってこないと思います。あまり関わり合いたくないものです。オカルト・ウェルカム気質とでも言うんでしょうね。怪異に対して、畏怖の念より歓喜が勝っちゃうタイプ。あぁいうのに関わると、どっちが妖しい存在なんだか、こんがらがっちゃうんです」

 順応性とか、高ければ良いというものではないんでしょうな。そんな話をしている場合じゃございません。三人がやってきたことに気づかず、松田は歌っております。

 とても、話しかけにくい。

 おはぎちゃんは御案内終了と言わんばかりに、一歩、引いております。

 部長は、油田が駆け寄っていくものだと思っておりました。ところが、まったく行こうとしない。もしかすると、狐耳と尻尾が見えちゃってるのかもしれない。

 油田のほうはといいますと、歌い終わってから声をかけるつもりでした。途中で中断されるのって嫌だよね、というタイプなもので。

 もっと困っちゃったのは、松田のほうです。

 お三方の姿は、ちゃあんと視界には入っております。どうして此処にいることがわかったんだか、耳と尾は出てるし、歌まで聞かれちゃってる。ここで、

 歌うことをやめてしまったら、話しかけられるに決まってる。「ここで何してたの?」から始まって、いろいろ聞かれちゃう。

 殿方に気づかれぬよう、知られぬよう、悟られぬよう、消え去るはずだったのに、彼は来てくれたってわけだ。

 こうなったら、松田。やるしかありません。

 一世一代の大勝負!

 まずは、歌唱の終了。ブツ切りのところで停めた。瞬きしたいのを我慢して、虚ろな目線をキープして、乱れ髪そのままに、ゆっくり首から上半身を起こしてゆく。

 起こすときに、変な体制で寝てたものだから、三人を視界範囲におさめたまま動くには、腹筋が厳しい。もう一度、寝転がって、やり直したいけれど、そうもいかない。

 どうにか起こしたあと、目を伏せる。かよわいけれど、相手に聞こえるように、

「……」

 さて困った。なんて言おうか。閃いた三択、どれも正解じゃないような気がする。迷っている暇はありませんから、思いついたまま、言ってくしかない。

「もう何もかも手遅れよ? また、わたしを笑いにきたの? この姿を見られたからには貴方を殺さなくてはいけない」

 油田、わかっちゃった! って顔をしております。

「松田と部長って、デキてたの? デキあがっちゃってたの? いつの間に?」

 油田が叫んじゃった。

 困ったなぁと思いながら、ふっと脇を見ると、おはぎちゃんが居ない。どっか行っちゃった。察して退いたのか、逃げたのか。どっちでもいいけれども。

 アブラ相手に、どう説明してやろうかと答えあぐねていると、無言姿勢を事実肯定とみなしまして、油田は言いたいこと言いまくる。

「部長! 見損なったわ! おとなしいからって、なんでもいうこと聞かせて、貢がせて、弄んで、妊娠までさせて! はした金をつかませて……」

「待て待て待てぇーっ! 何を勝手に話、作ってんだ、お前!」

「作ってないわよぉっ!」

 油田、言い切っちゃった。

 なるほど、確かに、おはぎちゃんが述べた通り、憑依したくないタイプでしょうなぁ。

行間や空気や雰囲気を読み違えるのではなく、勝手にソウゾウして埋めちゃうんですから。多少、前後に矛盾が生じても、強引に整合性をくみ上げてしまう。偶発的に伏線回収までやっちまうものだから、厄介この上ない。

「乙女の恋心を踏みにじる不届者めっ、成敗してくれるっ!」なんてことを言い出しそうな油田でございます。

 ところが、成敗の支度が必要ですから。

 油田は、どんなタイミングでリュックから荷物出して、準備しようか考えてたわけでして。

 間が持たないものだから、つい、キョロキョロしちゃう。

 部長はといいますと、迂闊に何か言ったものなら、揚げ足取られて油田の妄想に燃料投下となりますから。どうやって、この場から逃走しようかと、じりじりっと足を弾いていんですな。

 松田は松田で、変な態勢のままですから、腕も腰も限界に近づいておりまして。後々に生じるであろう、問い合わせ対応せずに済ます打開策をひねり出そうとしております。

 先に動いたほうが、主導権を得る。

 なんとも変な状況になっておりました。

 さてさて。

 おはぎちゃんはと言いますと、血相を変えて、走っておりました。廃神社の鳥居をくぐりまして、表通りまで猛ダッシュしております。

 ところが、来た道を引き返していたはずが、なぜか鳥居の前に戻って来てしまう

「……」

 おはぎちゃんの背筋に冷たいものが流れまして、振り返ってみると、

 なんてことでしょう!

 永井先生が立っておりましたよ。教鞭を手に、ぺしっ、ぺしって手に打ちつけまして。良い音を奏でております。御仕置になれていらっしゃる。

「こんなところで何をしていらっしゃるの?」

「……」

「ここで、お話するものいいけど。学校へ戻りましょうか、おはぎちゃん?」

 おはぎちゃん、どうなっちゃうんでしょうか。

 その前に、片づけなきゃいけないのが、こちら。

 睨み合いが続いております、殿の跡地。

 もう身体能力の限界を越えて、辛抱できなくなった松田が立ち上がって、最大リセット効果がありそうな手段に打って出た。

 両手を広げて、空に向かって、大笑いだっ!

 ひとしきり笑いますと、イワシの頭を拾い上げまして、

「帰ろうっと」

 部長、ぽかんとしちゃった。

 そんな彼の態度を確かめて、苦虫をかみつぶした顔で睨みつけますと、油田は松田のあとを追っかけていきました。

 妖しい気配はそのままに、不気味に静まった廃神社でございます。また別の何かが沸いて出てきちゃいそうな雰囲気でございますが。

 油田のような奴がいたんでね。

 今回は賢明な判断をしたんだと思いますよ。

 もし、次があれば、どうなるかわかりゃしませんが。

 我等が部長はといいますと、やれやれといった御様子で。帰ろうか、と思ったものの、しくじったことに今さら気づいたのでございます。

「鞄、部室に置いてきちゃった!」



 我等が部長が学校へ戻りますと、今度は理菜が。

 窓際に佇んでおりました。

「枳くん、どこ行ってたの?」

「ど、どこって、まぁ、その、なんて言うか」

「部室に来たら、鞄がおいてあって。戻ってくるかなぁと思って、待っててみた」

 はにかむ彼女から漂う、せっけんの香に、枳は不思議な安堵を感じました。

「一緒に帰ろう」

 その一言に、ぞわっと体温が急上昇してしまう。

 憑依されているはずで、これはコン活の芝居で、理菜にはオトコがいて……哀しいかな、好いてしまった女の笑顔が、一直線に向けられますと、冷静な判断力を失ってしまう場合がございます。

 まして、思春期ですから。

「ねぇ、早くしないと。バス、行っちゃうよ?」

 と、部室を出ていってしまう彼女。振り向き様の、結ばれた後ろ髪が孤を描いたとき、

「ポニーじゃなくて、狐なんだよなぁ」

 などと意味不明なことを部長は呟いてしまいました。

 二人、並んでバスを待っております。他に生徒のひとりかふたり、どこかにいたほうが、世間話をしやすいものでございます。二人きりとなると、途端に気まずい。

 穴が開くほど見つめていたい彼女の隣で、そわそわしたい身体の動きを無理矢理に止めておりますから、肩とか首とか、もうガチガチッ。

 突然、彼女がフフフッと笑っちゃった。

「もう無理、面白すぎる。何をそんなに緊張してるの?」

「そ、そりゃあ、あの、その」

 助け舟ならぬ、助けバスが到着してくれまして。彼女がささっと乗り込むと、一番後ろの席のはじっこに座った。隣に座れと左手で、シートをぽんぽん叩いております。

 近くに座りたいけれども、人ひとり分は離れて座っておいたほうがいいような。もっと乗客が多ければ、いくらでも距離を詰められるのですが、他に誰もいない。

 彼女が叩いて触れたところの隣に位置する程度の距離感で座ってみた。すると、また彼女がフフフッと笑う。

 笑われたということは、彼女の意識を独占している証拠で、フフフッのあとも興味関心が自分のほうに、しばらく向いてくれる。

 それが、嬉しい。

 「まったく、どうしちゃったの? 枳くん、こんなに挙動不審な人だった?」

 なんてことを言われたときには、愚策であろうとも、疲れたふりをするものです。実際、座った途端に疲労感が押し寄せてくるものですけど。ここで、疲れ具合のサジ加減を間違いますと、お疲れの御様子でございますから御休みくださいませ、と終わっちゃいますから。

 ひどく疲れたわけじゃないけど疲れておりまして、会話のフックになりそうなことを言っておきたい。

「カレー味の麻婆豆腐がね、ちょっとね」

「なぁに、それ?」

「麻ぁが婆ぉじゃなくて、カァがレェなんだよ」

「意味わかんないよ」

「だよねぇ」

 ここで、べらべら麻婆豆腐について語り始めちゃいけません。理菜は、部室で待っておりました。この帰り道の間、きっと、何か話したいことを抱えております。

「もっと隣に来てもいいよ?」

「せっかくすいてるんだ、広々と使ってみたいよ」

「そういうものなの?」

「そういうものだよ」

「まだ、気にしてる?」

「何を?」

「あれがすべて現実だと思ってる?」

「……」

「うまいこと狐に騙された! なぁんてこと、思わないんだ?」

「騙された?」

「幻術とか、催眠術とか」

「だ、だって、あれは……」

「刺激もリアルも強すぎちゃった。あたし、上手すぎて。手加減しすぎて失敗するわけにもいかないし。手は抜きたくないのよね。やるなら、きちんとやりたい」

「俺が視たのは……?」

「枳くんは見たものって、実は、あたし知らないの」

「ど、どういうことだ?」

「種明かしするとね。あの幻は、本物と偽物がランダムに交じっている。ランダム要素に反映されるのは、枳くん、あなたが思っていることなの」

「ってことは!」

「タンカ切ったとき、もっと強く、激しく、命を投げ捨ててでも彼女を助けたいって思っていたら。もっと違うものを見たかもしれないんだよね」

「……」

「恐れていることが大きく反映されたんじゃない?」

 バスが信号待ちしております。

 もうすぐ、彼女の降りる場所だというのに、枳は無言のまま、自分の膝を見つめておりました。

 彼女は頬杖ついて窓の外を見ておりましす。

 やがて、ボタンを押し、行ってしまう。

「俺は試されたのか?」

「あなたを知りたかっただけ」

「……」

「相手を狐にするか、人間にするか。一族の今後を左右するんですもの。しかも前例無し、新しい試みだもん」

「なぜ、俺なんだ? 俺が何をしたってんだ?」

「それは知らない。どこの誰が見つけて、母上を焚きつけて、こんなことを始めさせちゃったんだか」

「それを承知で?」

「選ばれた男じゃない? あとは合うかどうか、それだけのことで。一夫一妻制とか、そんなもん無いしね。旦那の数が多かろうと、妻の数が多かろうと、あたしには関係ない。まぁ、数が少なければ、面倒じゃなくていいかもね」

 理菜は降車ボタンを押しました。

「なぜ、今になって、こんな話を?」

「どうしてかしら?」

「……」

「そうそう! 魂の融合のことって聞いてる?」

「なんだそりゃ?」

 すると、彼女から笑顔が消えた。

 厳しく眉間に皺をよせた一瞬を、枳は見逃さなかった。理菜は短く息をつくと、

「単なる狐憑きと違うのよ、今、やってることって」

「単なる狐憑きがそもそもわかんないけど」

「まぁ違うのよ……憑依してるとね、元の人間の魂はおねんねしてるんだけど。時間が経つとね、融合しちゃう。融合って、わかる?」

「なんとなくはぁ」

「えぇとねぇ、なんかのカードゲームであったじゃない? 場に、二枚あって。それを消費? まぁ、その二枚が場からなくなって、別な一枚になってる、そんな感じ?」

「ますます意味がわかんない」

「まぁ、ひとつになるの! それでね、融合がきちんと行われると、どうなると思う?」

「人間でもない、狐でもない何かになる?」

「うーん、半分正解かな?」

「女狐になるか、狐女になるか。みたいな?」

「言葉だけ聞いてると、どっちもどっちなんだけど」

「あぁ、そっか。化け猫になるか、猫娘になるか。どう? これだったら、想像しやすい?」

「ま、まぁ、なんとなく」

「その分岐において、枳くん、あなたが重要なカギになる。夫婦となれば、強い結びつきが生じる。お互いの愛し方と、愛され方が融合に影響する……っていう話」

 バスが停車しました。

「じゃあね、バイバイ」

 と、彼女が行ってしまう。

 タラップを降りて、振り向くこともありません。

 バスが走り出そうとしたところ、またドアが開きいまして、枳が降りてきちゃった。

「ま、待ってくれ! 話が途中じゃないかっ! このまま続きは明日って、そんなのはイヤだぁっ!」

 すると、物陰から姿を現した女子高生二名。

 なんと、こんなところで待ち伏せしておりますは、雲龍妃と菅野でございます。

「あら、お二人さん。お出迎えするなら、そんなに怖い顔をしないでよ?」

「おはぎちゃんの気配が消失した」

 菅野の声というよりも、元の狐の声ですな。

 柳生が指をパチンと鳴らしますと、枳も仰天の、異界化でございます。

 人間社会に御迷惑をおかけしないように、我々が住まう空間とは別の異なる空間を用意いたしまして、此処ではないけど此処だよ、という大変便利な妖術でございます。

 入念に御準備なさいましたので、わりと良い作りでございます。大暴れしても、現世への影響はほとんどございません……たぶん。

 そんな歓迎に感嘆しながら理菜は、おはぎちゃんの心配なんか、まるでしちゃいない。

「あら、それは大変ねぇ。でも、コン活はやりやすくなったんじゃないかしら?」

「そう言うと思ったぜ!」

 いやはや、困っちゃったのは我等が枳。

 おはぎちゃんはいなくなるのも心配だけど。

 目の前には三人の狐憑き、入れ替わり立ち替わり、次から次へと、よくもまぁ出てくるもんですね。五姉妹勢ぞろいの鉢合わせしてないことが、せめてもの救いでしょうか。

「おはぎちゃんと始末したのは、貴様以外、考えられない。どこでどうくたばろうが、残妖物があるもんだ。それすらも消し去る真似ができるのは、姉妹の中でも、お前だけだ」

「ザンヨウブツ?」

「ちょっと、部長は黙ってて」

 と、菅野に首ねっこを掴まれちゃって、すみっこへ連れて行かれちゃった。

「なんで部長までいるの? アイツと、そういう関係になっちゃったの?」

「こっちも聞きたいこと、たくさんあるんだよぉ?」

 でも、理菜と雲龍妃が無言の圧力で菅野と部長を睨みつけたのですから、二人とも肩をすくめて、おとなしく口を閉じたのでした。

「……確かに、あんたの言う通り。そんなすごいことできるのって、あたしくらいかもね?」

「おはぎちゃんをどうした? 隠したのか、それとも骨も残さず喰らいおったかっ!」

「話し合いできる状況じゃ無さそうねぇ。でも、殺り合う前に、あたしに、言わせてちょうだい?」

「フンッ、聞いてやろう」

「あなたたちこそ、何を企んでいるの? ホントにコン活する気、あるの? あったの?」

 柳生雲龍妃、からからと笑いますと、その手を広げまして、枳に見せつけるが如く、変容いたします。

 当人の趣味でしょうなぁ。無駄に豪華な銀色と青色で飾られたました脇に二本差し、女剣客といった姿になっておりました。

「人間の男など、誰が好くものぞ。かような者、こちらから願い下げよう。妹どもに暮れてやろう。さすれば、おはぎと仲が良き故に、縁を結んでやろうと思うたわ」

「ところが、居なくなった」

「お主の仕業に決まっておろう……まだ、惚けるつもりか? まぁそれも良い、貴様を八つ裂き、四肢をもぎとり、直に調べてくれるわ!」

 また喧嘩になっちゃった。

 部長は、菅野の両手で口をふさがれちゃって、どうにもできません。

 理菜はというと、戦う素振りを見せません。心配そうに、枳を見ております。当然、菅野も視界に入ります。もっとも、雲龍妃が劣勢となりますと、何をしでかすやら、わかったもんじゃありません。

「……死合う前に、もうひとつ、最後に教えて」

「何を問うか、よかろう?」

「三道部の顧問って、誰だ? 理菜は知らんのでな」

 永井とかいう教師と雲龍妃の言い終わる前に!

 電光石火の変容で、黄金色の狐耳女妖剣客となって、疾風迅雷の居合、理菜の首討ちか。対し、不意打ちも何のその、迸る抜刀は白銀にて氷雪のごとし。

 枳の目の前で、両者の一閃が交差、あっという間に勝敗はついた。先に膝をついたのは、理菜であった。しかし、どうっと倒れ伏したは、雲龍妃でありました。

「ったく、聞き分けのない奴だよ」

 血の滴る左脇腹を抑えながら、刀を杖代わりに立ち上がりますと、菅野を見やって、

「おはぎちゃんの始末は、あたしじゃない」

「……じゃあ、誰だっていうのさ!」

「もう一匹、雌狐が紛れ込んでいたようさね」

「お、おのれぇ」

 雲龍妃、立ち上がった。

 かなり、しぶとい。峰討ちの必要が無かったのか、入りが浅かったのか、加減しすぎたか。

「顧問が妖しいと思わなかったのか?」

「そんな悠長なことを言っている場合ではないぞ?」

「なんだって?」

「我が仕損じたとて、貴様の思うようにはさせぬ」

 と言い残して、もう一回、雲龍妃は倒れちゃった。

 もう、後には引けないんですな。一度、転がり出しちゃった運命の歯車は、部品のひとつやふたつ、無くなったところで機構を止めることはありません。

 この異界化された空間に、自然な流れで入ってきたのは、油田と松田のコンビだった。

「見つけたぞ! 部長! 松田のこと、責任とってもらうんだからね、覚悟しなっ!」

 探し歩いてたみたいですねぇ。その足の延長戦上に、空間的に接続できちゃった、という。高等妖術ですね、まったくすごいもんです。

 枳はというと、今度は菅野に羽交い締めされちゃっているから、どうしようもない。

「アブラ、ちょっと落ち着け、な?」

 と言ったものの、正気ではない目つきでございますから、聞き入れるはずもない。

 理菜も状況がよくわかりません。こんなことしてる場合じゃないんですが。枳をほっとくわけにもいかない。

 もっとも、妖狐としては、関わり合いたくない人間である油田が現れたのですから、理菜も慎重にならざるをえませんな。

 松田は、油田の腕を掴んで、

「乱暴な真似だけはやめて」

 と言ってくれる。それは助かりますが、

「松田! あんたも何か言ってやんな! それを聞いてから、とっちめるか、叩き潰すか、ズタズタに引き裂くか、コンクリで固めて海に沈めてやるか、決める」

 松田は困った顔をして、

「ごめんなさい、枳部長。こんなわけがわからないことになってしまって」

「いやぁ、まぁ、その」

「たぶん、あの人は感じやすいのかな? 廃神社の妖気にあてられて、おかしくなったんだと思います。しばらくすると正気に戻ると思うんですけど」

「しばらく待っていられません」

 松田が何か言おうとしたとき、油田は彼女の肩を掴んで退けますと、

「今生の別れは済んだだろ? こんな男に慈悲もクソも無ぇんだ、どうしてくれようか?」

 ぽかんっ。

 油田は後頭部を何者かに殴られてしまいました。

 彼女が気絶して倒れてしまいますと、理菜の刀の鞘を持った松田がおります。

「姉上、申し訳ありませぬ」

 借りた鞘を返しながら、松田は頭を下げる。

 正直なところ、誰もが苦手とされる人間を相手に立ちまわっておりました松田を見直したところございます。

「よくわかんないけど、まぁこれで、この人も此処から放り出せるだろ」

 油田はすぅっと消えてしまいました。

「で、いつまでお前は枳を抑えつけてんだ?」

 と、菅野は幸せそうな顔をしておりました。もう耳も尾もだらだらっとしちゃってる。

「抱き心地サイコー!」

「いい加減、もう離れろ」

「もうちょっとだけ、もうちょっと! あと五分、あと一分でもいい」

「寝起きが悪い奴の二度寝じゃねえんだよ!」

 と、引き上げムードが漂っておりますが、部長はおはぎちゃんが気にかかる。

「もしかして、おはぎちゃんって?」

「永井先生が関わってんじゃないかな」

「役者はそろったんだ、そろそろ、御登場願いたいもんだねぇ?」

 と、理菜は不敵な笑みを浮かべ言いますと、異界化した空間が激しく揺れまして、おさまったと思ったら、なんと部室にみんながいる。

 弾みか何か知りませんが、雲龍妃も渋い顔をしながら起き上がっております。

 部室の真ん中には、ぼろ雑巾のような狐が一匹、転がっております。松田と菅野は、ひゃぁっと驚いた。何せ、その狐。おはぎちゃんが無残な姿でありました。

 その傍で、教鞭ぺしぺしやってる永井先生の御姿。耳も尾も出ておりません。これっぽいちの妖気も感じられない。見事に、狐憑きを隠蔽しております。

 流石の理菜も、この有様に、

「血がつながって無いからって、育ての親狐でも、ここまで惨い真似はしないよ」

「あんたらの姉妹喧嘩よりマシです。それに、これは教育的指導ですから」

「何が指導だよ……」

「フンッ、この狐はね、親を出し抜いて、コン活騒ぎを利用して、こんな小汚い現世へ、あたしらを閉じ込めちまおうって魂胆だったのさ」

「なんですって!」

「留まれば、新たな縁も生まれちまう。現世のしがらみってのは、断ち切ろうったって、そう簡単にできるもんじゃないからねぇ」

 枳も利用されていたわけだ。

 何よりも、おはぎちゃんは憑依していたのではなく、狐が人間に化けていた姿だったのだ。

「部長さんとは七五三のときの縁だよ。三歳じゃ、何も覚えちゃいないだろうけどさ。おはぎの奴は、そんときから、たいそう入れあげてたなぁ」

 たまらず、枳はおはぎちゃんの側へ寄ろうとしますが、ビビビッと、教鞭から雷光のようなものが放たれて、近づくことができません。

「あたしらを現世へ呼び出し、部長さんを通じて縁を強めていった。融合なんて、わけわかんねぇことにも振り回されて、このまま居座ってたら、しがらみが強すぎて、元のねぐらに戻れなくなっちまう」

 実際、正直なところ、菅野と松田は戻りたくはなかった。妖狐として住まう場所では得られない刺激に魅せられ、心地よさを感じておりました。

「娘がどこでどうしようと知ったこっちゃない。現世でも何でも、好きにすればいいじゃないか。でもねぇ、小娘狐の浅知恵なんざ、通じないよ? まぁ、手の中で踊らされてみんのも悪かないね。娘たちの成長を肌で感じるにゃ、いい機会だったわけさ」

「おはぎちゃんをお仕置きしたのはわかった、でも……あたしたちなんかほっといて、さっさと戻ればいいじゃないっ! この期に及んで、何をしようっていうの?」

 と、松田が言うと、永井先生は高笑いをして、

「お前は勉強不足だねぇ? ご覧よ、三匹そろって身構えちゃってさ。何が始まるか、わかってんだねぇ?」

 松田は気づいてしまった。

 わなわなと震えております。

「あたしのほどの妖狐が此処にとどまるには、たぁくさんの妖力が必要なんだよ? コスパ悪いんだよ? 節約したって、焼け石に水ってもんさ」

 理菜も雲龍妃も、すでに構えております。

 菅野は枳と松田の前に歩み出し、拳を握りしめた。

「帰りの駄賃は、おはぎ一個分じゃ、足りないんだよ」

 と永井先生が悠然と言い放った。

「あら、それは我等、姉妹とて同じことでして」

「どのみち、これで幕引きだ」

「……やるしかないっ」

 ところが松田は訴える。母だけでなく、姉妹にも。

「どうして、どうして、どうしてっ、こんな親子喧嘩しなきゃいけないのっ! やめて! やめようよっ! こんなことしたって、いっちばん強い縁がある、我等が枳夏巳殿は幸せになれっこないっ! おはぎちゃんだって、きっと、あたしたちを裏切ってまで、殿を幸せにって……想っちまたから、いてもたってもいられなくなって、やっちまったんだよっ!」

 松田の訴えは理解すれど、もはや是非も無し。

「その男程度の縁など、戻りさえすれば、いくらでも結べるわ……戯言は終わりだっ! 参れっ! 娘どもよっ!」

 親狐と娘狐が四匹、妖力を爆発燃焼させまして、組んず解れず、暴れ回っております。

 このどさくさに紛れて、枳と松田は、どうにかおはぎちゃんを抱きかかえて、部室を逃げ出した。

 廊下を途中まで行きますと、松田が足を止めた。

「……部長さん、ほんと、申し訳ありませんでした。もう、いくら謝っても、謝り切れない」

「そんなことより、早く学校を出よう。おはぎちゃんも何とかしなきゃ」

 松田はおはぎちゃんを、枳に抱かせると、イワシの頭をおはぎちゃんの口に加えさせた。

 首を垂れて、松田は枳に向かって囁いた。

「さんざん迷惑をかけて、頼める義理もないけれど。どうか、祈ってください。詠唱は必要ありません。念じて、強く強く念じて。そして信じてくだされば、このイワシの頭が願いを叶えてくれます。この悪夢のような出来事を、終わらせてください」

「そんなこと、言われても……」

 御想像の通り、激しい戦いが続いておりますから、学校のあちこち、ぶっ壊れております。こりゃ、脱出するのも、なかなか難しい。

 すごい騒ぎになっちゃた。

 松田と枳にも瓦礫やら何やら降り注いでおります。

 そこは松田、妖狐のはしくれ、それくらいでしたら、何とかできないこともありません。傘のようなものを開きまして、しのいでおります。

「何をしておられますっ! 部長、早くっ! あたくしとて、長くは持ちませぬっ!」

「よ、よよよっ。弱っちゃったなぁ、困っちゃったなぁ」

 部長は、おはぎちゃんのニコニコを唐突に思い出した。

「参っちゃったななぁ」

 そんなおはぎちゃんの声が聞こえたような。

 部長は、おはぎちゃんがくわえたイワシの頭に念じました。

 無かったことにしちゃいたい。


 ♪


「書道でしょ?」

「いいえ、香道です」

「書道!」

「香道!」

 と、言い争う女子生徒が二名。

 雲龍妃と菅野であります。

 それが耳に届いておりますかどうか、、パイプ椅子に腰かけ、窓の外を眺めている男子生徒がひとり。

 三道部・部長、枳夏巳でございます。

「華道と茶道、もうひとつはね、道ってついてて、和風だったら何でもいいの」

 なんてことを答えましても、

「部長のあなたがそんなんだから!」

「ちゃんと部長らしく仕切りなさいよ!」

 そのとき、部室の戸が勢いよく開いて、誰かがやってきた。

「よぉ! 部長! ちょっと借りるぜぃ」

「……し、失礼しま……す」

 来訪者は二名。油田と松田でございます。

 一体、何を始めるんだか。

 部長は、部室を出て行こうと歩き出すと、背後から呼び止める声がする。

「うふふん、部長。どこ行くの?」

 枳は歩きながら、

「ここは騒がしいから、ちょっとね」

「校庭まで行くんですか? 練習してる理菜さんを邪魔しちゃいけませんよ?」

 理菜という名前が出てしまったので、慌てて振り向いた。

 片っ方では、口論が続いているし、もう片っ方は床にシート広げて、占いみたいな感じだ。

 秘密にし続けていた片思いの人の名前が聞こえたもんですから、胸中は穏やかじゃありません。

 ところが、あんなこと言いそうな気配が四人からは、まったく感じられないんですから。

 あれこれ考えても仕方ないことですから、部長は部室を出まして、校庭へと向かったのであります。

 日に日に募る想いは膨らみまくって、破裂しそうな勢いですから。そのせいで、変な幻聴が聞こえたのかもしれない、なんてわけわかんないことを考えた。

 いやいや、そんなことを考えるより、もっと別なことを考えようってんで。

 どうにか良いタイミングを作って、告白とか何とか。時期尚早な気もするわけですから。あと少し、もう少し距離感を縮めて、成就の確率をあげちゃいたいところでございます。

 どうしたもんかな。


 なんて、考え事をしながら歩いておりますから、足元御注意とは知ってても、二階から一階へ階段を使おうと思いつつ、

「こいつは弱ったぞ、困ったぞ……」

 ふわっと身体が宙に浮いた気がして、踏ん張ろうにも、身体は重量に逆らえず、そのまんま、階段を真っ逆さまに落ちてった。

「参ったぞ」

 いつ聞いても、首の骨の砕ける音ってのは、厭なものですな。


(了)

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