ある日の夕方。
目を覚ました私は、いつもなら隣で寝てるはずの彼女がいないことに気が付き、あたりを見渡す。
「んん…あれ、もう帰るの?」
「うん。明日は柚と遊びに行く予定なんだ」
「そうなんだ。なら今日は泊まっていけないね」
「ごめんね」
「別にいいよ。どうせ私は浮気相手だし、彼女さんと遊べるなら遊ばないとね」
「ありがとう。好きだよ、
「はいはい。気をつけて帰りなよー」
彼女はそう言って私にキスをすると、女の子特有の甘さと少し汗の匂いが混ざった部屋から出ていく。
「私も服着よう」
私は一人だけになったベッドから降りると、乱れてしまったベッドや髪を軽く直し、床に脱ぎ捨てていた服を着ていく。
そうして、自分の部屋を出た私はキッチンへと向かうと、冷蔵庫から適当な飲み物を取り出して喉の渇きを満たす。
「はぁ。おいし……って、まだ17時か」
今日は土曜日だけど、両親は二人とも仕事に出ているため、今の時間は私以外には誰も家にいない。
いや、正確にいえば、さっきまではもう一人いたんだけどね。
「ふぅ」
飲み物を持ったままリビングにあるソファーに座った私は、友人たちから送られてきたメッセージを眺めながら、少しだけ面倒だなと思う。
「あ、
友人たちにメッセージを返信し終え、あとは特にやることもないためスマホを閉じようとした瞬間、少し前に私の家を出て行った輝璃からメッセージが届いた。
「好きだよって…あいつ彼女さんがいるのに何言ってんだか」
私は輝璃からのメッセージに適当に返事を送ると、スマホをソファーに投げ捨て、暗いリビングで天井を見上げる。
「なんで……こうなったんだろ」
突然ではあるが、私こと
といっても、私の方が浮気相手であり、恋人がいるのは輝璃の方だけど……。
そう。私はただの浮気相手であり、二番目でも良かったのだ。
別に輝璃が好きなわけでも、彼女に愛されたいわけでもなかった。
ただ暇つぶしに、退屈な毎日が少しでも変わればと思って、あの日一人で泣いていた彼女から話を聞いた。
その後は退屈な日々を終わらせたくて、友達になった後はたまに遊んだりもして、とあることがきっかけで関係を持つようになっただけだ。
輝璃には付き合っている彼女さんがいて、お互い本気じゃなかったはずなのに。
いつからだろうか。輝璃の好きだという言葉に気持ちが込められ始めたのは。
いつからだろうか。私に向けられる輝璃の視線に、確かな愛情が感じられるようになったのは。
「もう、面倒だな……」
私は輝璃との複雑に絡まりつつあるこの関係を面倒だなと感じながらも、今はそんな面倒なことから逃げたくて、ゆっくりと意識を手放すのであった。
私と輝璃が出会ったのは、今から半年ほど前のことだった。
高校に入学してから二度目の夏休みに入る少し前、私は学校をサボりすぎたことで担任の先生に呼び出されると、これ以上サボると留年することになると脅されたのだ。
「はぁ。私だって好きでサボってるわけじゃないって。ただ授業がつまらなくて、受けてても眠くなるだけだから行かないだけだし」
これが屁理屈だということは自分でも分かってるけど、気持ちが乗らない以上、サボってしまうのも仕方のないことだろう。
それに、昔なんかで言ってたけど、生徒が授業をサボったり寝てしまうのはつまらない授業をする教師のせいで、生徒は悪くないって聞いたことがある気がする。
だから、私がいくらサボったとしても、私自身は悪くないと思うんだよね。
やっぱり、これって屁理屈かな?
「うっわ。この飴まずっ!伊織のやつ、絶対に自分じゃ食べられないから私に渡してきたでしょ」
そんなことを考えながら、友人に貰った『草原のような風流な味』という意味の分からない味の飴を口の中で転がし、日陰で休むために校舎裏を目指して歩いていると、突然どこからか啜り泣くような泣き声が聞こえてきた。
「えー、なに。もしかして幽霊とか?やめてよねぇ。私、そういうの得意なんだから」
私はもしかしたら幽霊に会えるかもしれないと思い、ワクワクしながら角を曲がる前にチラッと覗いてみると、そこには膝を抱えて一人で泣いている黒髪の女の子がいた。
「もしかして、ほんとに幽霊?」
「え、幽霊?」
女の子は私が幽霊と言った瞬間、少し怯えた様子で顔を上げると、あたりをきょろきょろしながら周囲を確認する。
「なんだ。普通に女の子じゃん。てか、君は同じクラスの夜月じゃん」
「あなたは確か…時雨さん?」
夜月は少し考える素振りを見せた後、ようやく私のことを思い出したようにそう呟く。
「そうだよ。てか、何で疑問系?」
「だってあなた、ほとんど学校に来てないでしょ」
「あー、確かに」
言われてみれば確かにそうで、私はいつも気まぐれで学校に来ているから、ほとんど関わりがない人に私のことを覚えていろっていうのも、結構理不尽な話だったかもしれないね。
「そういうあなたは、私のことを知ってるんだね」
「まぁ、知らない方が無理でしょ。だって夜月は有名人じゃん」
夜月輝璃は私の通う高校で一番と言っていいほどの有名人だ。
成績優秀、スポーツ万能、おまけに容姿も良くて胸もでかい。
ここ、大事なところなのでもう一度言うね。
胸がでかい!
そんな彼女は、男女分け隔てなく接するため女子生徒たちの憧れであり、男子生徒たちの理想にもなっている。
まぁ、男子生徒については彼女の容姿や胸のせいもあると思うけど。
とにかく、そんな有名人な彼女だから、いくら普段から学校をサボっている私でも、知っていて当然なのである。
ただ、完璧人間に対する憧れと理想は良いことばかりではなく、それは人と人との間に明確な壁を作り、意図せずして相手を孤立させてしまう場合もあると、私は思うのだ。
ここ、人付き合い関連のテストに出るよ?
「それで?そんな有名人さんがこんなところでどうしたの?」
「それは……」
彼女は気まずそうにしながら視線を逸らすと、腕を強く握って少しだけ辛そうな表情を見せる。
(ふーん。こういう顔もするんだ。おもしろーい)
そんな表情を見せる夜月輝璃という人間に少しだけ興味が湧いた私は、彼女の隣に断りもなく腰を下ろすと、肩が触れるか触れないかの近さまで距離を詰める。
「なんで、座ってるの?あと近い」
「んー?なんとなく。それより、何で一人でこんな所で泣いてたのか教えてよ。大丈夫!私って見た目より口が硬い方だし、何より学校にあまり来ないからどんな秘密でも話さないよ!あ、でも明日から学校に来ないと留年だって脅されたから、サボれないんだった」
「……なんかすごく不安だよ」
夜月は私を信じきれないのか、疑っているのを隠す様子もなくジト目というやつで私のことを見てくるが、私はそんな夜月の反応を無視して話を続ける。
「大丈夫大丈夫!ほらほら、話してみ?なんなら壁に話してると思ってさ」
「はぁ。もういい。私も誰かに話さないとやってられないし」
ようやく彼女が泣いていた理由について話してくれる気になったことを察した私は、どんな話を聞かせてくれるのかワクワクしながら夜月の話に集中する。
「こんなこと言ったら変に思われるかもしれないけど、私…彼女がいるだ」
「……ん?彼女?」
「そう、彼女。バスケ部の
「あー、確か同じ学年でバスケ部のエースだっけ?クラスは違うからどんな人かは知らないけど」
「柚を知らないなんて珍しいね。あの子はバスケ部のエースで有名なはずなのに」
「私ってあんまり他人に興味ないからさ。違うクラスの人ってなると、日本とブラジルくらい離れてる感じかな」
「それは人としてどうなの?」
夜月はあからさまに呆れた表情で私のことを見たあと、隠す様子もなく大きく溜息を吐く。
「別にいいじゃん。高校の友達なんて、卒業して大学に行けばほとんど合わなくなる赤の他人だよ?小学生みたいに友達100人なんて目指してるわけでもないんだし、深く関わるだけ無駄だよ」
「時雨さんは随分と達観してるんだね。でも、学校に来た時とかは友達と一緒にいることが多いじゃん。榊原さんとか」
「榊原?あー、伊織か。苗字なんて久しぶりに聞いたから忘れてたや。まぁ、伊織には仲良くしてもらってるけど、結局それって今だけじゃない?クラスが変われば関わることも減るはずだよ」
「そうなの?」
「多分ね。実際、一年の頃に仲の良かった子たちは、二年でクラスが分かれたらほとんど遊んだりしなくなったしね。まぁ、私が学校ザボってるのもあるけど。てか、それより夜月と彼女さんの話を聞かせてよ!」
「え?」
「私、そういうのってよく分からないんだよね。男の子とも付き合ったことないけど、レズビアン?だっけ?同姓と付き合ってる人とか会ったことなかったし、興味湧いてくるじゃん」
こんなことを言う理由は、本当にただの私の興味でしかない。
例えるなら、ある日コーヒーチェーン店で突然ラーメンの販売を始めたから興味本位で食べてみたいって感じの、そんな非日常のような出来事が目の前に現れたのだから、興味を持ってしまうのも仕方のない話だと思う。
「私たちの話?」
「そうそう。普段は何をしているのか、どこでデートをするのか、デートはどんな感じなのか、やっぱり人の視線は気になるのか。そして……どうしてこんな所で一人で泣いていたのか。よければ私に教えてよ」
この時、私は退屈な日々の中で新しい玩具を見つけたように気分が舞い上がり、困惑している夜月を無視して気になることを次々と尋ねていくのであった。