恋も愛もいらない。
推しへの気持ちはもっと、崇高なものだ。
スマートフォンを握りしめ画面を見つめる瞳は、異常か正常か。無機質な世界に艷やかな華が咲く。
歌う彼は、私にとって救世主そのものだった。
ある日突然ネットの海を騒がせた、流星のように現れた歌い手。決して明るい歌詞の歌じゃない、希望より絶望、深い夜の底のような言葉で出来ている歌詞だ。
落花の如く囚われてしまった。
彼の歌を聞いた瞬間から、人生に彩りが生まれた。正直勉強も友達も疲弊しきって、投げやりになっていた。――鳥だって、羽ばたき続けるのは疲れるから止まり木に留まるのだから。
毎日ネットの海を泳ぐ。
彼を求めて。
彼のすべてに心酔している。
そんな日々を過ごしていた。
ある日学校へ行くと教室が騒がしかった。先生がいるいないに関わらず、いつも静寂に満ちていたのだが、この日は声に華が咲いていた。
「夜海くんって、歌い手のヨミに似てるよね。もしかしてホンモノ?」
「ニセモノなわけないじゃん! 動画で何万回も見てる俺が言うんだから、間違いないって」
――ヨミ。
あの、、、歌い手のヨミ…………!?
私は声に出して思わず叫んでいた。その場の勢いかもしれない。本人かすらわからないのに、それでも口にするのは止められなかった。
「夜海くんの歌聴きたい!!」
他のクラスメイトはぽかんとしていた。その中心にいる夜海くんだけが、表情を変えないままこちらを見つめていた。
心臓が歌う。
ヨミの歌を。
「――いいよ」
美しい笑顔だった。
あっさり肯定して、教室を出て行く。その後の教室がどうなったかは、知らない。慌てて追いかけていくと行き先は屋上だった。
鈍色の空と彼はパズルのピースのように、ぴたりと当てはまっていた。
「僕は“ヨミ”とそんなに、似ているの? ……真実だと思ってる?」
「雰囲気も声も全部“ヨミ”だよ」
「“ヨミ”を歌おうか。始まりと終わりに歌う物語を」
夜海くんの歌は彼の髪色に似ている。
夜明けよりほど遠い、昏い昏い夜の海。
彼の歌は夜の海へ、深淵へ、引きずり込んでいく。
………………あれ?
でもなんで“ヨミ”だと思ったんだろう。――そっくりさんってだけかもしれないのに。
ネットの海を彷徨う都市伝説のひとつ、かもしれないのに。