結婚して三年、東雲初音(しののめ はつね)は妊娠した。
彼女は心から喜び、一刻も早くこの吉報を東雲たくま(しののめ たくま)に伝えた。たくまも同じように喜んでくれると思っていた。しかし、彼のさらりと放った一言が、初音をたちまち奈落の底へ突き落とし、結末を宣告した。
「処分しろ。」
「どうして…?」
初音の顔は一瞬で血の気を失い、心底から冷たいものが這い上がってきた。両手を強く握りしめ、体の震えを必死に抑えた。
こんな質問は愚の骨頂だと、彼女は分かっていた。たくまは自分を愛していない。
ずっと分かっていたことだ。
三年前、東雲宗一郎(しののめ そういちろう)が初音の想いを知り、無理やりたくまに彼女を娶らせなければ、たくまは決して自分を妻にはしなかっただろう。
自分を愛していない男が、どうして二人の子を望むだろうか。
たくまが初音を見た。
冷たいその瞳に、露骨な嫌悪が浮かんでいる。
「お前にはそんな資格がないからだ。」
そう、彼女にはそんな資格がなかった。この世で、白石香澄(しらいし かすみ)だけが、彼の子を産む資格を持つ女だった。
たとえあの女に深く傷つけられても、たくまは未だに彼女を忘れられずにいるのだ…
「四日間以内で処理しろ。俺に手を出させるな。」
初音はたくまが去るのを見つめていた。
顔には笑みを浮かべていたが、笑えば笑うほど、涙がこぼれ落ちた。
…待合室は薄暗かった。
長椅子に座る初音は、爪が掌に食い込み、紙のように青白い顔をしていた。
隣で同じように手術を待つ女たちの顔にも、恐怖と茫然の色が浮かんでいた。
ドアが開き、看護師が東雲初音の名前を呼んだ。
手術室に入ると、医師が器材の消毒をしていた。
言われた通りに手術台に横たわり、目をしっかり閉じ、両手をお腹の上に重ねた。
しかし、体は震えが止まらない。
「リラックスして。すぐ終わりますよ」
医師が彼女の手を掴み、静脈に針が刺されようとした瞬間、初音は目を見開いた。
「やめます!この子…産みます!」
これはたくまの子だけじゃない。彼女の子供でもあったのだ!
初音は慌ててドアを飛び出した。そして、冷たく硬い胸に激しくぶつかった。
見上げると、そこにはたくまが立っていた。
まるで地獄の鬼を見るかのように、初音は恐怖に震えながら哀願した。
「たくま、お願い…この子を産ませて!産ませてくれるなら、何でもするから!」
しかし、たくまは微動だにせず、眼差しの冷たさは変わらない。
「言っただろう。俺に手を出させるな」彼は、初音がぎゅっと握った指を、一本一本、無情にほどいていった。
そして彼女を、絶望の淵へと突き落とした。
この瞬間、初音はついに悟った。
間違っていた。
宗一郎に自分の想いを知らせたことが間違いだった。
たくまを愛した自分が間違いだった。
この子を失うことこそが、天が彼女に下した最大の罰なのだ。
たくま…もう、あなたを自由にしてあげる…
初音が目を覚ました時、彼女は聖マリアンナ医科大学の病床にいた。
手術中の大量出血で、辛うじて命は取り留めたものの、もう二度と、自分だけの子供を授かることはできないのだと知らされた…
結果を聞いても、彼女は泣き叫んだりせず、静に現実を受け入れた。
心が燃え尽きたなら、もう何にも縛られることはない。
病床で四日を過ごしたが、たくまは一度も現れなかった。
たとえ初音が死んだとしても、彼は何とも思わないだろう。
怒りも、悲しみもない。ただ、淀んだ水のような静けさだけがあった。
初音は静かに点滴の針を抜いた。
そして弱った体を引きずりながら、よろめきながら病室を後にした。
たくまが病院からの電話を受けたのは、会議中だった。
初音が独断で退院したと知り、彼はただ淡々と「そうか」と返事をし、電話を切った。
いつもながら落ち着きのない女だ。
こんな小手先の芝居で、自分の憐れみを買おうだなんて?
彼はいつも通り会議を進行し、業務を処理した。
途中、執事の黒田から電話があり、奥様が本邸に戻られたと報告があった。
たくまは鼻で笑った。やはりな。
***
仕事を終えて東雲家本邸に戻ると、初音はいつも通り玄関で出迎えた。
ただ一つ違っていたのは、彼女の憔悴した面差しと、かつてたくまのために星を灯していたかのようなその瞳が、今はかすみ、死んだように虚ろになっていることだった。
「たくま、話がある」
書斎には煙が立ち込めていた。
煙の向こうにたくまの荒々しい顔が浮かび、灰皿は吸い殻で山積みになっている。
「離婚か?また何か企んでるんだ?そんなことすれば俺がお前に惚れると思ってるのか?滑稽だ!」
たくまにとって、初音は命がけで自分を愛しているのだ。
離れることなど絶対にありえない。
離婚などと言い出すのは、単なる駆け引きに過ぎなかった。
初音自身も滑稽に思えた。
たくまを愛して七年。
嫁いで三年。
石だって温まるはずなのに。
しかし、彼女は間違っていた。
たくまには心がなかった。
彼は自らの手で二人の子を殺し、かつて彼を深く愛していた初音も殺したのだ。
初音は疲れた。
もう愛せない。
七年もの執着は、とっくに消え尽きていた。
「たくま…もう疲れたの。愛してもいない。離婚しましょう」
たくまの心臓が鋭く締めつけられた。
窒息しそうな感覚が一瞬走ったが、すぐに普段の自分に戻った。
初音が自分を愛していないはずがない。
これはきっと彼女の手段だ。
「ああ、明日にでも離婚だ。後で後悔するなよ。お前にはもう逃げ場はない」
たくまは、この女が本性を現し、泣き喚いて自分にすがりつく姿を待ち構えていた。
彼女には、自分なしでは生きられないのだから。
「絶対に後悔なんてしません」
初音の目に宿った断固たる決意が、たくまを不快にさせ、怒りをかき立てた。
「それでこそだな」捨て台詞を残すと、彼は怒りを露わにして立ち去った。
その夜、初音はたくまによって主寝室のドアの外に閉め出された。
彼女は冷たい廊下にただ佇み、まる一晩、動かなかった。
寒風の中で体は震えたが、心はもう冷たさを感じなかった。ただ、空っぽの抜け殻のようだった。