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雨は、私たちを知っている
雨は、私たちを知っている
麻木香豆
恋愛現代恋愛
2025年06月11日
公開日
1.1万字
完結済
雨と既婚者の先生、そして彼女の淡い初恋の物語。

第1話 全てが弾けた

外は大雨。


 新しいクラスに入ったばかりで、まだ周囲に馴染めていない私。

 これは、誠也さんと身体の関係を持つ前――ただの生徒と先生だった頃の話。

 大雨の日になると、いつも思い出す。


 バス通学の私は、バス停まで少し距離がある。こんな土砂降りじゃ、傘を差していてもきっとずぶ濡れになる。

 でも――今日は絶対に濡れたくなかった。

 それなのに、よりによって、私の傘がない。


 雨脚はどんどん強くなっていく。いやだ、今日は早く帰りたいのに。


 だって、今日の音楽番組には私の大好きなアイドル、梨岡くんが出る。ソロで!しかも、まだデビュー前なのに!

 テレビ出演は超レアなのに、録画予約を忘れてきてしまった。


 バスに乗り遅れたら……アウト。絶対、見逃したくないのに!


 どうして今日に限って、私は図書館で雨宿りしてる最中に寝ちゃったんだろう。

 昨日の夜、梨岡くんの過去映像を見返しすぎたせいだ。授業中も眠くてボーッとしてた。


 司書の先生も、起こしてくれればよかったのに。

 毛布をかけてくれるくらい優しいなら、せめて「もう夕方よ」って声をかけてくれればよかったのに。


 ……いや、今さら誰を責めたってしょうがない。

 あーもう、誰を恨めばいいの?何に八つ当たりすればいいの?

 頭の中はぐちゃぐちゃ。焦りだけが溢れてくる。


「水城さん!司書の先生から聞いたよ。図書館で寝てたって……もう6時過ぎてるし、この雨だから、先生が送っていくよ」


 ――誠也先生だ。


 わりと無口で、どこかぶっきらぼうな人。

 私が140センチ台だから、40センチ以上も背が高くて、見上げるとちょっと怖いくらい。

 でも、その声は意外と優しくて、木偶の坊みたいな体格のわりに、安心感がある。


 助かった……。雨は一向に止む気配がないし、傘も無い。


「傘もないのか?じゃあ、ここで待ってて。車を入口まで回すから」


 そう言って去っていく先生の背中。

 担任とはいえ、ほとんど話したこともない人。

 タバコの匂いがふわっとして、話し出すと意外と止まらない――そんな、どこか人間臭い“大人の男”って感じの先生だった。


 車はすぐにやってきた。

 つやのある黒いセダン。車のCMに出てきそうなくらい、かっこいい。


 ……背が高い先生が、こんなに車高の低い車に乗ってるの、なんかギャップある。


 ――そんなことはどうでもいい!この車に乗れば間に合う!

 梨岡くんのソロ、リアタイで観られる!


 先生は車から降りて、私に傘を差し出してくれた。

 その間に、先生自身はびしょ濡れになっている。


「確か……氷見ヶ丘だったよね?あそこまで帰るの、雨だと大変だろ。バス停、屋根もないし」


「そうですね……行きは家から近いんですけど、帰りはちょっと」


 雨は止む気配がない。

 でも、よかった。助かった。

 あんな中を傘なしで歩くなんて、無理だった。


 ――ん?この車内で流れてる音楽……


「あ、家族の趣味でね」


 家族。あえて“家族”って言った。

 奥さんって言えばいいのに……いや、そんなことは考えなくていい。

 それより、この音楽――


「水城さんも好きなんでしょ?グッズとか、たまに持ってるの見かけたよ」


 ……バレてる。


 あまり周りには言ってなかったのに。

 グッズも、名前のロゴが入ってないやつを選んでたのに。見抜かれてた。


 恥ずかしくなって、思わず俯く。

 先生は気づいたのか、音量を少し上げてくれた。


 雨の音と、車内に流れる私の“推し”の歌。

 嬉しい……のか、なんなのか、自分でもわからない。


 ふと、先生の横顔を見る。

 いつもは教室で見上げてばかりの人。こうして隣に座って、ふと視線を向けると――

 意外とまつ毛、長いんだな……。


 なんだろ、これ。

 “赤い実が弾けた”みたいな。そんな表現、教科書にあったな、確か。


 いやいや、先生、40過ぎだし、既婚者だし。


「水城さんとは、あまり話すことなかったな。今度また、アイドルの話とか、しようか」


 ……気づいたら、家の前だった。


「あ、ありがとうございましたっ!!」


 勢いよくドアを開けて飛び出す。

 ……梨岡くんが観たいからじゃない。

 先生の、少しだけ微笑んだ顔に、胸がドキッとしてしまったから。


 玄関で親に「ただいま!」だけ言って、自分の部屋に駆け込む。

 梨岡くんのポスターだらけの部屋で、ベッドに飛び込んで、クッションを抱きしめる。

 ぎゅう、ぎゅう、ぎゅう――って、なんで私こんなに抱きしめてんの。


 ……あ、やばい。

 傘ささずに車から出たから、制服も髪の毛も濡れてる。冷たい。ひんやりしてる。


 バカだ、私……。


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