午前十時。迷駅ダンジョン前。
風は冷たいが、陽射しはやわらかい。人通りはそれなりにあるが、誰も“この場所”に特別な意味を見いだしてはいない。少なくとも、和樹以外は。
スマホを三脚に固定し、イヤホンマイクを調整する。
小さなバッテリーを確認して、配信アプリの画面をタップする。
「よし……今日も始めよう、迷駅散歩」
ぽちり。
映像が繋がる。
画面越しには、駅の構造やタイルの模様が映し出されている。前回の配信から何も変わっていない。
いや、ひとつだけ、明確に違っていた。
「視聴者:113」
「……は?」
思わず、声が漏れた。
「え、なんで……? 昨日って、十五人だったよね……?」
額に汗がにじむ。
別に恥ずかしいことはしてない。してないけど、してたかもしれない。いや、してたな、かなりしてたな。
「──お、おはようございます。今日も……迷駅の、魅力を語っていきます……」
声が震える。視線が泳ぐ。
そんな中、コメント欄が静かに流れ始めた。
「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」
「本物やんけ」
「ミヤノくん!? 推しです!!」
「もっと語ってくれ」
「今日のきしめんはどこですか?」
「……え、あ、はい。あの、今日は……きしめんじゃなくて、“ホームに残された時刻表”から始めます」
和樹はごくりと唾を飲み込み、スマホのカメラを“あの壁”に向ける。
「ここの時刻表、2004年の改定で撤去されたものなんですが、わずかに“取り付け金具の跡”が残ってるんです。これ、分かりますか? ほら、この錆びのライン──」
「マジだ……ある」
「うわー、気づかんかった……」
「オタクってすごい(褒めてる)」
「涙出てきた。2004年って俺が初めて一人で電車乗った年だ」
和樹は、目を細めた。
──何これ。めっちゃ、聞いてくれるじゃん。
「この駅、再開発のたびに“前の姿”を残さないようにしてるんです。でも、その痕跡が、ここには確かにある。これは、過去の名駅の“まぼろし”です。宝物は見つかってないけど、僕にとっては……この記憶のほうがずっと、大事で」
言いながら、自分でも気づく。
胸の奥が、ちょっと熱い。
「泣かすなや……」
「これはもう文化保存活動やろ」
「ダンジョンじゃなくてドキュメンタリー」
「この人が宝だろ」
配信終了ボタンに指をかけた瞬間、和樹はそっと呟いた。
「……なんか、楽しいかもしれない」