『オメガバース』という言葉を知っているだろうか。
『アルファ』は生まれたときからエリートで容姿も完璧。死ぬまで何不自由なく生活することができる。例を挙げるとするなら社長令嬢や御曹司、弁護士など。
ほんの一部だけが『アルファ』として生まれ、『アルファ』の人は将来を約束されたも同然である。
『ベータ』は平均値。ほとんどの人はこの『ベータ』タイプ。
そして最底辺と呼ばれ、世界から差別されているのが『オメガ』だ。まともな職に就くことはおろか、学校生活すら普通に過ごすのは難しいだろう。
『オメガ』は不定期に起こる発情期に耐えつつ自分の身を守らなければならない。何故なら、発情期中は自身のフェロモンを撒き散らすため、異性が寄ってきて本能のままに襲われるからだ。
抵抗すらできない『オメガ』が逃げる方法は二つ。発情期が来る前に抑制剤を飲むこと。だが、これは一時的にしか過ぎない。
もう一つは、世界のどこかにいる【運命の
二人はお互いに知っているのだ。惹かれ合う運命だということを。出会ってしまったが最後、離れることは決してないだろう。
☆ ☆ ☆
私は美人で性格もいい。ゆくゆくは金持ちの男と結婚してエリートまっしぐらな人生を送るはず。
―――そう、思っていた。
「九条さん。キミ、明日から来なくていいから」
「……え?」
私はいつも通り仕事場である市役所に向かった。が、席につくなり上司に呼び出された。
「キミ、今朝机に置いてあった紙見てないの? アルファは全員クビだよ」
「アルファがクビ……?」
なにかの冗談かと思った。だって、アルファはエリートなんだよ? そんなアルファを全員クビにするって、会社はどうなるの?
「だったら私の代わりは? 私の代わりは誰がやるんですか!?」
怒るつもりもキレるつもりだってなかった。だけど、あまりにも理不尽すぎる上司の言葉に、私は声を張らずにはいられなかった。
「今日からオメガがキミの代わりだよ。この会社だけじゃない。今日から世界のエリートはオメガたちだよ」
「なんですって?」
思わず聞き返してしまう。
「もう話しかけないでくれ。荷物は全部置いていってくれ。それと今月の給料も無し。用無しアルファはさっさと消えてくれ」
「っ……」
私はクシャクシャになったゴミを投げられた。今までこんなことがあればパワハラだと訴える事だってできたのに。それも、もうできない。
まさかベータである上司にまでゴミ以下扱いされるなんて屈辱だ。こうして、私は職を失うと同時に、エリートであるアルファの地位もなくなった。
☆ ☆ ☆
それから一年が経った。世界はあっという間に変わった。元エリートであるアルファたちは一気に職を失い、まともな職につけず路頭に迷った。
女は夜の仕事でも待遇がかなり悪い仕事内容でなんとか働ける者もいたが、男はもっとひどかった。
そんな中、私、
一日一食でもご飯を食べられたらマシなほうで、毎日生きるだけでも大変だった。明日になったら死んでるんじゃないか? そんなことを考える日々。
男を誘うにも平均値より下な容姿だと誰も食いつかず。以前なら顔も整っていたが、アルファが最底辺となった今ではそれもただの飾り。
たまに私の魅力に釣れたと思ったら、不定期に起こるアルファの発情期の匂いに釣られ、私を本能のままに襲うケモノばかり。
こんなにも生きるのがツライと思ったのは、これが生まれてはじめてだ。
こんなのはオメガに生まれた者が受ける待遇じゃないの……? あぁ、でも今はオメガがエリートなんだっけ。
これが夢だっていうなら早く覚めてほしい。
どんなに願っても、朝起きて目が覚めても、現実は何一つ変わってなくて。
「死のう……」
そう思うくらいには私の心は限界だった。
好きな人のためにと残してきた処女は私のことを愛していないケモノたちにあっという間に奪われた。
女が外で暮らせば、どういうことになるかくらい三十二歳の私ならわかる。
三十過ぎても、未だにイケメン王子様と出会えるんじゃないかって夢見てた時代が懐かしい。
私はビルの屋上に不法侵入をした。以前、私が働いていた市役所だ。警察に捕まるかもしれない? その前に飛び降りるからその心配はしていない。
クビを宣告した上司に見つかれば多少なりとも復讐ができるかもしれない。私の死体を見て驚く反応が今から楽しみね。
だけど、今死んだところでアルファである私はどんな待遇を受けるんだろう?
上司には「お前誰」状態かもしれない。
死体が見つかったところで、埋葬なんかしてもらえない。燃やされて、そこらへんの川に捨てられるのがオチだ。
燃やされるなら、まだマシなほう。そのまま山に捨てられ、野犬のエサが今の私にはちょうどいいだろう。死んだあとのことなんてどうだっていいけど。
「駄目です!」
「!?」
飛び降りようとした瞬間、グンっ! と反対方向に力が入った。私はそのまま引き寄せられ、死ぬことができなかった。
「な、にするの!? 離してよ!」
「嫌です。今この手を離したら貴女は死んでしまうでしょう!?」
「それがなんだっていうの? アナタには関係ないでしょ!」
「関係あります! 俺はオメガだから。貴女の気持ちが痛いほどわかるんです」
「っ……」
名前も知らない男性に抱きしめられた。……あたたかい。久しぶりの感覚だ。
優しくされるのは何年ぶりだろう? こんな私にまだ優しくしてくれる人がいたなんて。
オメガってことは今の私と同じように迫害を受けていたってこと?
それに、鼻をくすぐるような甘い匂い……。一体なんなの?
「どうせ死ぬつもりなら、俺にその命を預けてみませんか?」
「どういうこと?」
「俺の家で一緒に住みませんか? ってことなんですけど、駄目ですかね」
「……」
ダメもなにも、見ず知らずの人についていけっていうの?
顔はオメガっていうわりにはかなり整っていて……。普通にイケメンの分類に入るんじゃない?
そんな彼がなんでオメガだったんだろう? この顔面なら、オメガがエリートになった今、女が放っておかないだろう。
「お金の心配はいりません。貴女の生活費その他もろもろは俺が負担しますので。欲しいものがあればお小遣いだってあげます。って、大人の女性にお小遣いって表現は失礼ですね」
ますます彼がなにを考えてるのかわからなかった。見た目は少食系なのに実は肉食とか?
もしかして、彼の本当の目的は……。
「私の身体が目的だったりするわけ?」
「……え?」
「だって、ありえないじゃない。なんのメリットも無しに初対面の人を助けるなんて。ましてや私はアルファなのよ!? 女なら身体を差し出す以外、どうやってお礼すればいいっていうのよ!」
これでさっきの話はなくなった、な。彼は優しくしてくれたのに、私はそれを拒絶という形で返してしまった。さすがのイケメンでもこれは呆れたわよね。
「メリット無しに人を助けてはいけないって誰が決めたんですか? それに女性なら身体を差し出してお礼をするなんて……そんな、そんな悲しいこと言わないでください」
「え、ちょっと……。なんで泣いてるの?」
私の発言で彼を泣かせてしまった。どう慰めていいかわからずアタフタしてしまう。
「俺は貴女にそんなことを望んでいません。貴女には幸せになってほしいんです。俺、アルファとかオメガだとか関係なく仲良く出来ればいいなって思ってるんです」
なにを言い出すかと思えば、アルファやオメガ関係なく仲良くですって?
そんなことできるわけがない。
世界がもうそうなってしまったのに、今更変わるわけない。
差別されてきたオメガはエリートになって最初は混乱しただろうけど、きっと今ではアルファが地に堕ちて、いい気味だって思ってる。
けして言葉にしなくても、心のどこかではそうおもってる。
「俺が貴女を身体目的で拾ったかどうかは一緒に住む中で見極めてください。それと自己紹介が遅れてすみません。俺は
世界が変わるまで、オメガの俺は新聞配達や交通誘導のバイトをしてました。今は小児科の……不登校の子供たちをケアするカウンセラーをやってます」
私を襲おうと思えばこの場でできたはず。それをしないのは私を本当に助けようとしてるから?
少しは彼のことを信用してもいいの……?
オメガの彼と仲良く出来るわけないって思ってる反面、ここで彼に気に入られなきゃ私は捨てられる。
一度は命を粗末にしようとしていたのに……。ここに来て一筋の光が差してるのに、それを無下にしてはいけない気がした。
「私はアルファで……
自分で言ってて悲しくなってきた。
「美怜さんっていうんですか。とても綺麗なお名前ですね」
「っ……!」
さっきまで泣いてたくせに……。笑った顔まで国宝級イケメンとか反則すぎでしょ。
見た目こそ女を口説くことを知らなそうな顔してるのに、実は女慣れしてる?
「これからよろしくお願いします。九条さん」
「よ、よろしく……」
こうして、私はイケメンエリートである