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君が空から降ってきた
君が空から降ってきた
雫石しま
BL現代BL
2025年06月12日
公開日
4万字
連載中
君が空から降ってきた その時僕は恋におちた 長谷川陸斗(15歳)と大谷伊月(15歳)の恋が始まる

第1話 白い羽ばたき

その時、空から君が降って来た。




 体育館裏の2階の窓から飛び降りた少年の白いカッターシャツが、風をはらみ、まるで鳥の羽根のようにヒラヒラと舞った。それは一瞬の出来事のはずだったが、彼の心の中ではスローモーションのようにゆっくりとその光景が刻まれた。


「きゃー!」

「誰か落ちたぞ!」


 体育館の外にいた数人の生徒たちは、驚きの声を上げながらその光景を見つめ、動きを止めた。ある者は少年の大胆さに感嘆し、別の者はその無謀さに眉をひそめた。遠くの校舎の窓から覗いていた教師は、慌てて階段を駆け下りようとしていた。


「おまえら、なにやってんだよ!」


 窓から飛び降りた少年は、その場にいた数人の少年を激しく罵った。そして、体育館の壁に押し付けられていた大谷伊月おおたにいつきに振り返った。


「おまえも、なに金渡してんだよ!」


 伊月を怒鳴りつけた少年の名前は長谷川陸斗はせがわりくと。胸ポケットの刺繍は紺色で中学3年生、伊月と同級生である事が見てとれた。陸斗は、少年たちの手から五千円札を取り上げた。そして、その中の1人を勢いよく桜の木に押しつけた。


「山田!もう2度とこんな事すんなよ!」

「わ、分かったよ、痛ぇよ!」


 彼は胸ぐらを締め上げられ、顔を顰めた。その衝撃で桜の木が揺れ、ハラハラと薄紅の桜の花が舞い落ちた。伊月は、桜の花びらの中に佇む、陸斗の鋭い目に吸い寄せられた。


「もう行けよ!」

「くそっ!邪魔しやがって!」

「うるせえ!」


 体育館の窓から少女たちは、陸斗の行動に目を輝かせ黄色い声で手を振った。陸斗は手に握り締めていた五千円札を、伊月に向けて差し出した。伊月は躊躇いがちに恐る恐る手を伸ばした。


「ほらよ!」

「ありがとうございます」


 シワクチャになった五千円札を手渡された時、陸斗の指先が伊月の手のひらに触れた。伊月はその温かさに驚き、頬を赤らめて思わず手を引いた。五千円札は地面に落ちた。陸斗はそれを拾い、『なんだよ、いらないのかよ』と目を細めて口角を上げた。伊月の鼓動は高鳴っていた。


「おい!大丈夫か!?」


 慌てふためいた教師が駆け付け、飛び降りた生徒が陸斗だと知るや否や、『また、おまえか!職員室に来い!』と叫び、彼の耳を摘んで連れて行った。


「なんだよ、長谷川かよ。懲りねぇなぁ」


 グラウンドで部活動の朝練に励んでいた生徒たちは、呆れ顔で蟻の子を散らすように姿を消した。その場に取り残された伊月は、引きずられるように職員室に連れて行かれる陸斗の背中を見送った。


(長谷川、くんっていうのか)


 伊月は陸斗から受け取った五千円札を手にし、その温もりを感じながら丁寧に折り畳んだ。そして、静かに生徒手帳の間にそっと挟んだ。


(長谷川くん)


 伊月の胸の奥に、小さな灯火がともった。


(お礼をした方がいいかな)


 普段の伊月は、窓際の一番後ろの席で静かに小説を読んでいた。気が向けばクロッキー帳を手に、パステルを握ると、中庭の景色や教室の賑やかさをスケッチして過ごした。彼は教室から外に出ることは殆どなかった。


(やっぱりお礼をしておこう)


 そんな伊月が席を立った。伊月が自からなにかをしようと思い、行動に移すことは珍しかった。彼は授業が終わると、賑やかな廊下へと足を踏み出した。そこには、壁際に座り込み、漫画雑誌を回し読みする少年たちや、窓に寄りかかってたわいもない会話を楽しむ少女たちの姿があった。


「あっ、大谷くんだよ!」

「珍しいね!今日もカッコいいなぁ」

「きゃー!こっち見たよ!」


 すれ違う少女たちは、伊月の面差しに黄色い声をあげた。伊月は端正な顔立ちで感情を表に出すことが少なく、中学生とは思えないミステリアスな雰囲気を纏っていた。その為か、クラスメートは伊月を遠巻きに見た。また、伊月も自から進んで周囲に関わろうとはしなかった。


(休み時間って、こんなに賑やかなんだ)


 伊月は、お祭り騒ぎのような廊下を足早に通り過ぎ、ヒヤリとした薄暗い階段を下りた。静けさが心地良い。どちらかといえば伊月は孤独を好んだ。購買には、白髪頭の女性が店番をしていた。


(なにが良いかな、ナマモノは腐ってしまうし)


 伊月は、焼きそばパンを手にして悩んだ挙句、棚に戻した。


(ノートは、嵩張るし)


 を探して歩くにはノートは嵩張ると思い、鉛筆を手に取った。


(うーん、でもシャープペンシル派だとしたら使わないよね)


 伊月の動きに、店番の女性は怪訝そうな顔で眼鏡を上下させた。伊月は慌てて、手元にあった消しゴムをレジに持って行った。


「はい、110円ね」

「ありがとうございます」


 伊月は、購買のセロハンテープが貼られた消しゴムをポケットに入れると、一段跳びで階段を駆け上がった。彼の心はなぜか踊った。


(ポケットの刺繍は紺色だから、同じ3年だよね)


 伊月は、先日の”飛び降り事件”の一部始終を見ていたサッカー部の部員を探した。クラスメートに自分から話し掛けるのは久し振りで、声が裏返った。


「このまえ、体育館から飛び降りた人、知りませんか?」

「あぁ、長谷川?3ーAだよ」

「A組、ありがとうございます」


 伊月は深々と頭を下げると、踵を返した。陸斗が隣の校舎の3ーAにいることはわかったが、彼はどうも落ち着きがなかった。休み時間、伊月が尋ねるたびにその場にいることはなかった。


(いつもどこに行ってるんだろう?)


 結局、伊月は何日経っても、陸斗の笑顔を見ることはできなかった。数日後、3ーAで席替えがあったらしい。伊月が窓の外を見ると、中庭を挟んで向かいの教室に陸斗の横顔が見えた。


(長谷川くんだ!)


 授業中、陸斗は居眠りが多く、教科書を立てて隠すように机に突っ伏していた。窓際のカーテンが4月の風に揺られ、無邪気な寝顔に影を作った。伊月の目はその姿に釘付けになった。


(ふふ、また怒られている)


 陸斗は教師に注意され、慌てて教科書を読み出した。それは逆さまだったらしく、チョークが彼の頭に飛んだ。窓から見ていた伊月は、思わず目を細めて小さく笑った。


「おい!大谷!よそ見をするな!」


 ハッ、と我に帰った。


「すみません!」


 陸斗に気を取られていた伊月も、教師に注意された。伊月と陸斗は中庭を挟み、並んで教科書を読み上げていた。



数週間後



 いつしか、校庭の満開の桜が葉桜になった。


(なかなか会えないな、もう忘れられているかも・・・)


 伊月は、陸斗に礼にゆくタイミングを逃していた。ある日の昼休みのことだった。給食を食べ終えた伊月の目の端に、光るものがあった。その眩しさに振り向くと、鏡を持った陸斗の笑顔があった。


「なになに、なんの光!?」

「あっ、あれじゃない?長谷川くんだ!」


 少女たちは、教室の窓から身を乗り出し、中庭を挟んだ向かいの校舎を指差した。陸斗が、伊月に向けて鏡で合図を送っていた。伊月が乱反射する光に目を伏せると、陸斗の『おーい!』と叫ぶ声が響いた。


「おーい!おまえ名前、なんて言うんだ!?」

「・・・・・?」


 陸斗の声が伊月には届かず、伊月が首を傾げていると、陸斗はノートに黒いマジックで<おまえ 名前 教えろ>と書き、伊月に見せた。伊月はクロッキー帳にパステルで名前を書いた。


< 大谷伊月です >


 陸斗は伊月の名前を読む事が出来ず、彼はノートにマジックで<待ってろ>と書き、伊月に見せた。


(待ってろ?なんのことだろう?)


 伊月は静かにクロッキー帳を閉じ、次の授業の準備を始めた。しばらくするとゴム底の音がキュッと鳴って、教室の扉が勢いよく開いた。


「大谷!いた!」


 陸斗は息を切らせ、伊月の苗字を呼んだ。


「おまえの名前、難しいのな。なんて読むんだよ」


 陸斗は生徒が座る椅子をガタガタと退けながら、窓際の机に座る伊月へと近づいて来た。伊月の胸は高鳴り、頬が熱くなるのを感じた。伊月は平静を装い、咳払いをした。


「早かったですね、ここまで走って来たんですか?」

「そう!俺は陸上部だからな!」


 陸斗は、伊月の机の前の席に後ろ向きに座った。


「廊下は・・・走ってはいけないと思います」

「先生みたいなこと言うなよ」


 そこで伊月は、以前助けてくれた礼だと言って、購買で買った消しゴムを手渡した。陸斗の眉間にはシワが寄った。


「なんだよ、こんなもん」

「こんなものとはなんですか?勉強には必要でしょう?」

「俺、勉強しねーし」


 伊月は呆気に取られ、陸斗の目を見た。まるで2人が見つめ合っているように見えた少女たちは、頬を緩めながら囁きあった。そこで陸斗は、伊月の机にあったクロッキー帳に気づいた。


「なんだこれ?」

「アッ!それは!見ないで下さい!」


 陸斗が伊月のクロッキー帳の表紙を開くと、背中に羽根を広げた少年のラフスケッチが描かれていた。凛々しい眉、鋭い目、きつく噛んだ唇、それは今にも羽ばたきそうな躍動感に溢れていた。陸斗はそれをまじまじと見ると、自身の顔を指差した。


「これ、俺じゃね?」

「そんなわけ、ないじゃないですか!」

「ふーん、でもこれ、俺だよな?」


 陸斗が伊月のクロッキー帳の次のページを開くと、中庭を挟んで向かいの教室で、居眠りしている彼のラフスケッチがあった。


「なにこれ、やっぱり俺じゃん」

「そ、れは」

「盗撮・・・」


 伊月は首まで赤らめて椅子から立ち上がり、陸斗からクロッキー帳を取り上げた。伊月はクロッキー帳を抱えると必死に訴えた。


「盗撮じゃありません!これは芸術です!」

「芸術ぅ?なんだそりゃ」

「ぼっ、僕は美術部なんです!」

「ふーん?」


 陸斗は伊月に、にじり寄った。周囲の少女たちは、2人のやり取りに興味津々で目を輝かせた。


「なら、俺が走ってるところ描いてみろ」

「走るところ、ですか?」

「俺、トッパーだから」


 陸斗は短髪を掻き上げて教室を見回した。そこでひとりの少女と目が合い、陸斗はニヤリと口角を上げ、ひらひらと手を振った。少女は視線を逸らすと頬を染めた。伊月の胸の奥がチクリと痛んだ。


「トッパーってなんですか?」

「110メートルハードル走」


 そう言って陸斗は自信ありげに目を細めた。伊月の心は突き動かされ、今すぐにでもパステルを握り、クロッキー帳にその笑顔を書き留めたいと思った。


「じゃあ、放課後な!グラウンドで待ってる!」

「は・・はい!」


 陸斗は手に消しゴムを握り、椅子を机に片付けた。そして笑顔で振り向くと小さく手を振った。陸斗との約束に、伊月の胸は高鳴った。


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