目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第31話

 祈司の研究室では、二人の男性とともに中年女性が一人、テーブルに着いていた。

 彼女はドアをあけた陽香里らに手を挙げる。

 素直に二人は席に近づき、挨拶もなく対面する形で席に座った。

 「私が鋳口祈司、後のはうちの助手達よ。座りなさい」

 祈司は唐突に優しげな物腰と声で、少女を手招く。多少の当惑があったが、陽香里は抗わなかった。

 彼女は助手の一人に声を掛けた。

 すると、他の技術者が全員、何らかの作業を始める。

 「黒い砲列車の話しよね。あれは古御名のものよ。あなた達、古御名に興味があるの?」

 「古御名ってなんです?」

 彼女が惚けて、訊いてみる。

 「黒い砲列車は古御名のものよ」

 祈司は言った。

 「ああ、あれなら私も動かしたことがあります。何故かはわかりませんが」

 「動かしたっ?」

 祈司は驚く。

 「なぜ、貴女が?」

 「以前、黒い影みたいのに襲われた事があるのです。それ以前から、記憶がないのですが、その時、僅かに取り戻しました」

 「なるほどね。その影というのは、古御名の種よ。それと融合したというなら、興味深いわね。呼んだ甲斐があったわ」

 「どういう事です?」

 「せっかくの被検体の一人だわ。丁度良い、その記憶というものを取り戻させてあげるわ」

 彼女が指示をだすと、技術者は一斉に何かの作業を始めた。

 タンクポットの一つの扉が開く。祈司は、陽香里の腕を軽く取って立ち上がらせると、ポットのほうへと連れてゆく。

 陽香理は大人しく従う。

 助手数人の後ろで、深戯は片手を腰の後ろにやり拳銃を握ったまま立つ。

 ポットの中に入ると独特の匂いがした。陽香里が収まると扉が閉じる。

 技術師達が忙しげに指を動かし始めた。

 内部に水でも入るのかと、陽香里も深戯も思っていたが、それに反して、注水はされなかった。

 ほぼ、透明な一面の扉から透けて見える私服の彼女の回りで、光の発火が瞬く。

 内部が輝きに満ち、何か声が発せられたような気がした。

 急にどこかの発動機が止まるような音とともに、ポットの扉は内部から焼けて煤け、真っ黒になっていた。

 「……おいっ!」

 あわてて深戯が警告の声を出す。

 「大丈夫よ。ちょっとショックは強いけど、うまく行ったわ」

 一人の技師のディスプレイを覗きながら、祈司が言う。

 「説明が少しもないぞっ!」

 「したってわからないでしょ?」

 祈司は醒めたような、専門家らしい態度をみせた。

 「とにかく、この子は半日は寝てるわ。部屋は用意する。運ぶけどあなたも来る?」

 わざわざ訊く。

 「当たり前だ」

 『そう』と応えて祈司は数人を呼び、ポットの扉が開くまで待たせる。

 陽香里は中で丸まるように座り込んで、意識を失っていた。あれだけの電気の発火らしきものがあったようにもかかわらず、衣服に焦げ目、汚れは一切ない。

 少女を技師達が抱えて、繋がった隣の別室に運ぶ。

 ベットが一つあるだけの、まるで病室のような場所だ。

 寝かせて掛け布団を被せた彼らは、あっさりと部屋を出てゆく。

 残されたのは、深戯一人だった。祈司も居ない。

 仕方ないので、陽香里の顔が目に入る傍の壁に背をもたれかけて、立っていた。

 深戯が疲れて、膝を折り頬杖をついて、二時間も経った頃、微かに彼女の息づかいが乱れた。

 「……お兄ちゃん……」

 聞き取られるかどうかの、小さな声が発せられた。

 うとうとしかけていた深戯が、飛び上がるように足を伸ばす。

 陽香里は多分、その音でだろう。彼のほうに首を向ける。

 少女の目に、袖の下から深戯の左手首に傷が有るのが見えた。

 「起きたか? 具合はどうだ?」

 「……深戯……閣下……?」

 顔をしかめて陽香里は、困惑気味に少年の名を呼ぶ。

 「ああ。大丈夫か?」

 「……目眩がして、吐きそう……」

 「まて、いや、掛け布団の上になら……」

 深戯は、ドアを開けてバケツはないか怒鳴る。

 「あー、大丈夫。そんなに酷くないから」

 「そ、そうか?」

 振り返った彼は、また同じ所に戻ってきた。

 陽香里は室内を見渡すと、何となく察したようだった。

 「もう一眠りしていいかな……?」

 少し苦そうに笑いながら、訊く。

 「ああ、ゆっくりしなよ。待ってるから」

 「うん」

 頷いて、瞼を閉じたのを確かめると、深戯は、また同じ場所で同じ格好になった。

 祈司に訊きたい事は多々あるが、今は少女が第一優先だった。

 祈司のいう半日が経つ。

 陽香里が自然に上半身を起こすと、深戯はそのまま寝入っていた。

 彼女は全てを思い出していた。

 何故、地球から炭燈楼に来たかも。何故、氷阜岱途が殺され、その組織である申煌祇(しんこうし)にいたかも。祈司が何者かであるかも。自分の名前が、夕梨花(ゆりか)ということも。そして、古御名とは、何かをも。

 記憶は固い決意となっていた。

 陽香里は自分の意志に迷いは無かった。

 深戯を起こさないようにベットから降りると、ゆっくりとドアの隙間から部屋を出た。

 足元のふらつきが若干あるが、助手達が開くディスプレイが乱立する中を、机についていた祈司の所まで行く。

 「……祈司さん」

 「あら……思い出した?」

 彼女は本から顔を上げた。

 陽香里はすっと目を細める。

 バルーンスカートの中の太もも部分に帯びていた拳銃を素速く抜くと、祈司の顔面に向けた。

 「っ?」

 一言もなく、少女は祈司の顔面に銃弾を二発叩き込み、振り返って研究所の技師達を見渡した。

 「全員、伏せろっ!」

 叫んだのは、深戯だった。

 拳銃を室内の至る所に向け、背後を壁にしながら、陽香里の所まで来る。技師達はゆっくりと床に身体を倒した。

 そして、稼働しているタンクに弾丸を数発発射した。その一つは、舞結が入ったものだった。出来た穴から赤いものが混じった溶液が流れ出す。

 「どうしたっ?」

 彼は思わず訊いた。

 陽香里は力なく拳銃を握った手をおろした。

 「なんでもない……」

 言って、深戯に対して場に不釣り合いな満面の笑みを浮かべた。

 「じゃあ、帰ろうか、閣下」

 「……ああ」

 彼は陽香里の正面に立って庇いながら、研究室を出た。



 芙蝉の立場は明らかに足元からぐらついていた。

 今度の敗戦は粛正後に行ったもので、それに対しての糾弾は少く済むはずだったが、確実に内部よりも特に外部からの影響が強かった。

 彼女は多少錯乱しつつ島徳の意志を継ぐとして演壇に上がり、会員と全国放送で宣言した。

 「我々は、常にマフィア組織の驚異に晒されている。これは、密かに地球からの支援があり、その為に我々が虐げられてい為だ。今、反マフィア組織として存在しているのは、葦楼人民救済財団だけである。私はここに宣言する。反地球、地球からの完全な独立を。なぜならば、マフィア組織を全て否定する必要があるからである」

 事務所で、これを見ていた世良はため息を付いた。

 「芙蝉の奴、完全に追い込まれたな」

 「どうなるのかしら?」

 真由は、テーブルでコーヒーに口を付けた。

 「地球が介入してこなければいいのだがなぁ。まあ、今は奴らはそれどころじゃないだろうが」

 地球では、威紅理(いくり)が猛威を振るっているらしい。

 最近の行動に派手さが現れている。それもかなり過激なものだ。

 何かあったのだろう。

 そこに、陽香里が通信を入れてきた。

 「やあ、久しぶりだな。慣れたか、そっちは?」

 『ひさしぶり、世良』

 ディスプレイで送られてきた映像では、元気そうに見える。

 今迄あったどこか暗い影のある雰囲気が無くなっていた。

 『いままでのこと、思い出したよ』

 「ほぅ」

 『世良は申煌祇(しんこうし)の事で、復讐したいらしいけど、間違いだよ』

 言われて、世良は眉を寄せた。

 『兎袋は、前申煌祇(しんこうし)のボスを、私のお父さんを古御名のせいにして殺したけど、あれは完全な乗っ取り計画だったの』

 「どういう事だ?」

 『古御名を利用すれば、氷阜は申煌祇(しんこうし)を完全支配出来た。でも、兎袋は祁譜璃(ぎふり)からの要求で氷阜を、お父さんを消したかったの』

 「おまえ、岱途の娘だったのか……」

 『うん』

 「祁譜璃(ぎふり)の兎袋への要求って……?」

 『ただの領土抗争。お父さんが、古御名を制御出来たら、祁譜璃(ぎふり)の立場が危ないって。知ってる? 兎袋は借金がとんでもない額になってたってこと。それで、あなたを焚きつけて、氷阜を殺し申煌祇(しんこうし)のボスになった。さらには、あなたに申煌祇(しんこうし)の復讐をさせようとした』

 「待てよ、ってことは、兎袋は生きているのか?」

 『生きてるよ』

 世良は絶句した。

 『会いたい?』

 「ああ……」

 『いま、祁譜璃(ぎふり)に匿われているよ』

 「……わかった」

 世良の口調は静かだった。

 通信が終わり、世良が立ち上がると真由は、彼を見上げた。

 「他の二人には言っておくわね」

 「ああ、頼んだ」

 「早まらないでね」

 「そうする」

 世良は彼女に顔すら向けない、事務所を出た。

 通信機で、歩霧逢に連絡を入れる。

 『これは、世良じゃないか。久しぶりだな』

 相手は嬉しそうな声である。

 「兎袋に会いたい」

 世良は余計な言葉を排して用件のみ伝える。

 『ああ、そこまでわかっていたか。なら、本人を外に出させる。どこかで待ち合わせでもすればいい』

 場所を確認し、通信は終わった。

 そこは第一歓楽街にある、喫茶店だった。

 世良は一目で祁譜璃(ぎふり)の構成員が、各所で警戒しているのを察知する。

 それも気にする事無く、彼は超然といつもののんびりとした様子で店に入てゆく。

 店内には、和服を着てボックス席に座る兎袋以外、誰もいなかった。

 無言で正面に座ると、兎袋は懐かしげな笑みを浮かべた。

 「良く生き残ったな世良」

 「それは、こっちの台詞ですよ」

 皮肉でもなく世良が言う。

 「一体、どういう事です? 兎袋さん」

 「なんてことはない。古御名から、炭燈楼を守る為だった」

 兎袋は淡々としており、世良に対する罪悪感めいたものは何も伺えない。

 「炭燈楼じゃない、自分たちの土地でしょう?」

 世良が訂正する。

 「その通りだ。その為に、私は申煌祇(しんこうし)を犠牲にした。だが、おまえがいれば何とかなると思っていた」

 「どうして、私には手をつけなかったんです? 何を期待していたんです?」

 一番訊きたい事だ。

 世良には列師だというのに、指揮を執らない理由がある。

 「おまえがいれば申煌祇(しんこうし)の存在を曖昧に出来る。それに、分をわきまえているから、無茶はしないだろう」

 つまりは、完全に利用されたのだ。

 怒りを通り越して、世良は自嘲した。

 「どっちにしろ、おまえは良く役に立ってくれたよ。陽香里と共にな」

 「古御名がそんなに怖かったんですか?」

 「あれは驚異だ。発動すれば、炭燈楼の運命が問われる」

 「わかっていますが、誰も今更、あんなものを動かそうとはしないでしょう」

 「氷阜はやろうとした。祁譜璃(ぎふり)を脅そうとしたのだよ」

 「……なるほど。で、結局我々は、どうすればいいのです?」

 あえて不遜にな世良が問う。

 「今まで通りで良い。何も変えなくて良い」

 「……それが、申煌祇(しんこうし)と祁譜璃(ぎふり)の考えなんですね?」

 「ああ」

 「では、葦楼はどうします?」

 「もちろん始末するさ。地球を敵に回すなど、とんでもない。おまえにも手伝って貰う」

 世良はやや時間をおいて頷いた。

 「その後に申煌祇(しんこうし)は新たに、項舞申(こうぶしん)の名前で復活させる。その時はおまえもただの事務所住まいではなく、組織に入って貰う」

 「兎袋さん……」

 毅然とした世良は言う。

 「ウチは変わらず、事務所を開いてそれで生活していきますよ。まあ、お世話になりますけどね」

 兎袋はしばらくの間、彼に親し気な視線を送る。

 「相変わらずか」

 「そうですね」

 世良は意に介していないように頷く。

 「ただ、炭燈楼の現状には賛成です」

 「ならいい」

 「項舞申(こうぶしん)、楽しみにしてますよ」

 「ああ、私もな」

 挨拶代わりに、世良が心にも無い事を言ったのをお互いわかっていながら頷きあい、彼らは別れた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?