その日の配信は、特別に大きな事件も問題もなく終了した。
俺個人としては、緊張感は尋常ではなかったが、とにかく無事で良かったと思う。あんな事件の後だ。目を皿のようにしてステータス画面を見つめ、回復薬の数に気を配り、チャット欄の観察をする。
これらはとんでもない作業量ではあったが、《観測者》にとっては当たり前の作業だ。これくらい出来なければ、そもそも《観測者》として登録してもらえもしないだろう。
モニターを全て落としてやっと一息ついた俺は、パソコン前に座っている時だけつけている眼鏡を外して眉間を揉んだ。
あぁ、疲れた。ふぅーとため息を吐きはするが、アイラとソルの無事の帰還を見届けた後だ。悪い気分じゃない。
「お兄ちゃん、終わった?」
「また見てたのか、
「お兄ちゃんのパーティ、今凄い人気なんだよ? そりゃ見るでしょ」
グッとデスクを押し出すように身体を離すと、キィ、と音を立てて車椅子が動いた。
あの日、【STRAY-LINE】の中で足を潰された俺は目覚めても足を動かすことが出来ず、こうして車椅子生活になっている。
それでも命があった事は幸運だった。
そう考えることもあるけれど、完全に割り切ることは出来ないままだ。
車椅子を滑らせてベッドの前まで行くと、自分で這うようにしてなんとかベッドに横になる。そうすると、紬は腕まくりをして俺の両足を掴んだ。
紬は、母が再婚して出来た義理の妹だ。父親が外国人らしく、金色に近い茶色に灰色の瞳と、日本人とは少し違う面立ちの17歳。
彼女は一体何が楽しいのか、俺の足が動かなくなったと知るや、退院してから毎日こうしてマッサージをしてくれる。
配信のためにデスクの前に貼り付いている時間が長い俺にとってはありがたいことだが、なんで彼女がここまで甲斐甲斐しくしてくれるのかは、わからない。
黙々と足を揉んでくれている紬と俺は、年齢も6つ離れている。普通、このくらいの女の子にとってパソコンに貼り付いている俺みたいなヤツは、「オタクきも~い」とか言われるものなんじゃないだろうか?
いや、知らないけども。
『おっすおっす。配信乙~』
「あぁ」
ベッドに横になりながらマッサージを受けていると、通話アプリが立ち上がったので何も考えずに通話ボタンを押す。
俺の通話アプリのIDを知っているのは紬と陽、あとは母親だけだ。だから、画面なんか見なくても相手が身内なのはわかっている。
アイラにもIDを教えておけば? なんて言われたりはするけれど、俺は別にアイラとそこまで親しくなるつもりはない。何より、彼女は視聴者数100万人を越えた超人気VTuberだ。そういう存在とは、ある程度距離を置いておくに限る。
陽は、俺が中学時代からの友人なので別だ。無駄に頭だけは良かった俺といっしょの高校に進学したのが陽だけだったというのもあるが、付き合いは紬より長いだろう。
だからだろうか。紬は、陽からの通話が来ると露骨に嫌そうな顔をする。
『アイラも配信後の雑談配信枠立ててるみたいだぜ。お前はもうおやすみ?』
「あぁ、寝る。アイラが変なこと言わないように監視しててくれ」
『オッケー。いい剣落ちたからテンション高かったしな、アイラのやつ』
「こっちは人数が1人減って仕事が増えた。早めに追加を探さないといけないな」
『だな。せめて罠探知だけはお前に頼らないようにしないと』
一瞬だけ、紬の手がピクッと動く。紬は俺たちの配信を見ているから、当たり前だがあの子の死を見てしまっている一人だ。
まだ未成年だっていうのに、なんだってこんなグロだゴアだ言われそうなコンテンツを見ているんだか。
紬が揉んでくれた足のこわばりが弱くなっているのを感じながら、熱心に足を揉んでいる妹を見る。
「紬。お前確か、どっかの会社にプロに誘われたとか言ってなかったか。誰か【STRAY-LINE】やってるヤツとかおらん?」
『え!? マジかよ紬ちゃん、やったな!』
「な、なによ! 褒めても何も出ないんだからね!」
「褒められるのが苦手なのは、昔からだな」
そもそも分野が違うのよ! と顔を赤くしてギーギー言っている紬は、親同士が再婚した時にはすでにそこそこ名のしれた格ゲーマーだった。
俺は完全に分野違いだったので陽に言われて知ったが、史上最年少で国際的な大会で優勝した実績があるらしい。
今も昔も、俺は興味のない分野の話題は「へーふーん」とつい聞き流してしまいがちだ。だが、紬がプロとしてスポンサー契約をするのであれば、【STRAY-LINE】の配信部署があってもおかしくない。
俺はもう表舞台から姿を消したから、過去のコネクションは使えない。
……使おうと思えば、まだ使えたのかもしれないけど、俺はもう死んだ存在だから、前には出ないと決めている。
でも、紬経由で配信者を紹介してもらえるのであれば、ある程度の身元の保証もされるんじゃないだろうか。
思わず起き上がって紬を見ると、紬はオフの時に好んで結んでいるツインテールをモジモジといじってから、
「……考えといたげる」
と蚊の鳴くような声で言った。
これは、紬流の「了解」だ。俺はほっと息を落とすと、陽と通話越しにハイタッチした。
俺が頭を下げることでアイラと陽の安全が確保されるのなら、いくらだって頭を下げられる。
思わず、普段動かない表情筋が緩んだ気がする。
ボフッと枕に身体を倒すと、紬が俺のすぐ脇に寝転がった。
「お兄ちゃんだって、もっと褒められていいと思うんだけどな」
妹のそんな言葉に苦笑して、けれど俺は、何も返すことはしなかった。