『本当にごめんなさい……こんなつもりじゃなかったの』
もう何度も読んだアイラからの謝罪の言葉を読んでから、紬からのマッサージに目を閉じる。
今日のマッサージはいつもより優しくて、丁寧な気がする。何度も「今日はいい」と言ったけれど頑として譲らなかった紬は、今は無言で俺の足を揉んでいた。
きっと、俺の心労を慮っての事だろう。
今日の俺といったら、延々と自分への罵倒を聞き続ける事になってしまった。
アイラは宣言通り謝罪配信をしたのだけれど、その配信の間中チャットには裏方――つまりは《観測者》である俺への文句が書き込まれていたんだ。
なんで? とは思わない。人気VTuberの配信なんてそういうものだ。
実際にそんな関係がなかったとしても、相手が人気のある相手であれば悪いのはこちらだ。
こんなに叩かれたのは、配信者を引退した時以来だろうか。
別に名指しで叩かれてるわけじゃないけれど、なんだか凄く精神的に疲れる。
「お兄ちゃんのこと、ちゃんとわかってくれる人もいると思うよ」
「……んだな」
一言だけだったけど、それがこの数時間で初めて、胸の奥に染み込んだ気がした。
アイラもずっと謝罪してくれているし、これ以上引っ張るのは明日の配信のテンションにも関わるだろう。
もう1人の仲間が見つかっていない以上、主戦力であるアイラのコンディションが優れないのは、命に関わる。
《観測者》は配信には出ないし、多少視聴者が減った所でダンジョンさえ無事に攻略できれば問題ない、はず。
元々俺たちのパーティは、【STRAY-LINE】の攻略をするために集められたんだ。くだらない事で内輪揉めしている場合じゃない。
こんなことでくたばってられるか――そう思っていたはずなのに、
自分の無力感ばかりが先に立って、結局なにもできていなかった。
「お兄ちゃん……あたし、お兄ちゃんのパーティ入るっ」
「はっ!?」
「今の状況で新しい人探すのはリスクありすぎじゃん。なら、あたしがやる。反射神経には自信があるんだからっ」
「バカ言うな! 遊びじゃないんだぞっ」
「お兄ちゃんが観測しててくれるなら、あたしは死なない!」
言葉を続けようとした俺は、紬のあまりにもハッキリとした言葉に息を呑んだ。
死なない、なんて、【STRAY-LINE】に最初にやってくるヤツはみんな言っている言葉だ。
死ぬのは弱いヤツだけだとか、自分は大丈夫だとか。そう言ってみんな死んでいくんだ。
初配信で死んだ配信者の断末魔が、今でもアーカイブで配信され続けるような世界。血が繋がっていないとはいえ、妹を巻き込む事に頷けるわけがない。
でも、紬の言う事が間違っていないのも、現実だ。
こんな炎上が起きてしまった以上、この先に入ってくるメンバーの事はみんな疑わないといけないだろう。
例え間にスポンサーを挟んだとしても、新メンバーが配信をし始めれば騒ぎになるのは目に見えてる。
ソレを考えれば、背後にすでにスポンサーが居るプロゲーマーである紬を入れるのは、決して愚かな選択ではないだろう。
まして紬は格闘ゲーマー。本人が言う通り、反射神経は抜群にいい。
でも、だからって、妹を巻き込むなんて……
「もうスポンサーと陽くんにメールしたから。よろしくね、お兄ちゃん」
そう言って、紬はにやりと笑いながら俺の顔の前にスマートフォンを突き出した。
そこには、陽とのチャット画面が表示されていて、思わず読んでしまう。
陽も俺と同じような事を言って紬を説得しようとしていたが、やっぱり紬の押しの強さに負けてしまったようだ。
まぁ、俺たちの両親の再婚も紬の一押しで決まったって聞いてるし、紬が一度言い出したら聞かないのも知っている。
「はぁ……わぁったよ。でも、本当に……覚悟はしておけ」
「うん。あたし、お兄ちゃんの命令は絶対に聞くから」
何でも指示して。
やっぱり紬はそうやってハッキリ言い切って、俺はベッドに横になり両手で顔を覆った。
スポンサーに登録して【STRAY-LINE】に入るには、必要なものがたくさんある。
保険の加入、遺書の準備、未成年の紬には保護者の同意書……
どうせ紬はそれらだってわかっているだろうし、もしかしたらもう用意もしてるのかもしれない。
もう、頼もしいやら悔しいやら。
俺は紬のスマホをパッと奪うと、紬と陽のチャットに「訓練に付き合え」とだけ送って、車椅子を掴んだ。
それを見て、紬もパッと顔を明るくして俺の部屋を飛び出していく。
配信の準備をするんだろう。【STRAY-LINE】は、格闘ゲームは別の設備が必要だから、もしかしたらスポンサーの所に行くのかもしれない。
「お兄ちゃん! 始めるの30分後にして!」
「わかった。お前のIDだけ先に送っておいてくれ」
「りょっ! 行ってくるっ!」
バタバタと飛び出して行った紬が、バタバタと服を着替えて外に飛び出していく。
ドアの前を通りすがりざま、まるで書き置きでもするみたいに、封筒が押しつけられる。――中身は「保護者同意書」と、封のされた遺書だった。
同意書にはすでに両親の名前が書かれていて、あと一人分の枠には薄く鉛筆で「お兄ちゃん」と書かれて丸がつけてある。
遺書はしっかりと封じられていて――俺の遺書と同じように、そこそこの分厚さがあった。
俺はペンを手に取り、妹の同意書に名前を書く。
手が震えて、ペン習字を習っていたはずなのに凄く情けない文字になってしまった。
あぁ俺は……親友たちだけじゃなくて妹まで死地に追いやるのか。
デスクの上で握りしめた手を、キーボードの上に叩きつける。
たったそれだけのことで、ショートカットが反応したのか【STRAY-LINE】へのログインテキストが表示された。
LOG-IN...........................OK
観測者ユニット:起動
接続安定率:97.6%
同期開始……戦術支援モード起動。
《Now observing:Nothing》
《ノード接続先:不在/沈黙》
《現在地点:訓練施設/安全地帯/深度0》
《全ルート映像リンク:展開中》
《配信モード:OFF》
――観測、開始。