この世界には、明示的に――つまり、「そうだ」と公式に定義されている存在がある。
それが、『霊』という名の、死者の残響だ。
たとえば、地縛霊。
生前に深い未練や執着を残し、その場から離れることを許されず、時間すら忘れてその土地に縛りつけられた魂。
やがて彼らは意識すら朧になり、周囲を通る人間を知らぬ間に蝕み、苦しめる“呪い”となってしまう。
たとえば、迷い霊。
地縛霊と似てはいるが、場所に縛られることなく彷徨う霊。
死後もなお未練を抱え、ただ歩き続ける――それだけの存在。
けれど、誰かの声に引かれ、想いに引かれ、ある日ふと災いをもたらすこともある。
たとえば、執念霊。
地縛霊や迷い霊が、怒りや妄執、憎しみや復讐心によって歪められ、攻撃性を持ったもの。
彼らはもはや、ただの霊ではない。人を傷つけ、人を殺し、そしてなおもこの世に留まり続ける、“闇そのもの”だ。
そう――この世界には、例を挙げればいくらでも出てくるほど、数多の『霊』が存在している。
目に見える者も、見えない者も。声を出す者も、ただ沈黙を守る者も。
それは誰かの隣に、今この瞬間も、静かに佇んでいるかもしれない。
……そして、そんな彼らを祓うのが、僕の仕事だ。
名前は神城風磨。16歳、高校1年生。
表向きはただの陰キャで、人付き合いも得意じゃない、冴えない学生。
だが裏では――『世界最強の霊能者』と呼ばれている。
これは、そんな僕が記録する、誰にも見せられない“配信日記”。
除霊と戦いと、ちょっぴり...いや、結構バズりたい僕の、奇妙で不思議な物語である。
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「……今日もまた、依頼か」
夜の十時。
学校から帰って夕飯を済ませ、宿題も八割ほど片付けたタイミングで、机の上に置いていたスマホが震えた。
ロック画面に表示されたのは、見慣れた文言――『除霊依頼』。
きっとまた、政府の裏側に潜む秘密組織――“陰陽庁”からだ。
スマホをスワイプして通知を開くと、やっぱりというか、予想通りというか。
「ふむふむ……ふん、なるほど……」
独り言を漏らしながら、届いた依頼内容を確認する。
■ 除霊任務:概要
対象霊種:東京都郊外神社に出現する“迷い霊”
状態:目撃・被害報告の増加により、“執念霊”への変質が懸念される。人型。
報酬額:2,000ドル(USD)
……いつもながら、やけに簡素だ。
もう少し危機感とか、切実さとか、依頼っぽさを演出できないのかと思う。たぶん庁内の誰かが、残業ついでにテンプレ文で送ったのだろう。
まあ、僕以外に受けてくれる人間なんていないって、わかってるんだろうけど。
とはいえ、僕の関心は別のところにある。
「……ほんと、毎回思うんだけど。なんで報酬がドルなの?ここ、日本だったよね?」
この些細な“違和感”は、実のところ、僕にとってかなり深刻な問題だ。
なぜならその報酬、僕の親が勝手に作って放置していたFX口座に振り込まれる仕様になっていて、日本円に換金するにはいろんな法律が絡んでくる――特に未成年の僕には手も足も出ないのだ。
結果、僕のFX口座には約5億円相当のドル資産が眠り続けている。
それだけの金があるのに、コンビニでゲームのプリペイドカードすら買えないというこの現実。
目の前に金があっても使えないもどかしさは、なかなかのストレスだ。
「はぁ……。行くしかないか」
重い腰を上げ、ベッド脇のクローゼットを開ける。
中には、陰陽庁から支給され、それを無断で改造した装備――“札束みたいに分厚い封印符”と、“強化術式入りの退魔棒”が入っている。
それらを手早く準備し、パーカーのフードを深く被った。
「ターゲットは“執念霊”の可能性か……いつもながら、面倒な奴ばっかり寄こしてくるよねぇ」
玄関を出る頃には、夜風が肌を刺すように冷たくなっていた。
僕は足音を殺し、静かに歩き出す。
その行く先には、闇の中に蠢く“未練”と、“怨念”と、そしてまた――人には見えないものたちの世界が待っている。
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その日、男はひとり、東京郊外の
男の名は――
道満なのか、晴明なのか。突っ込みどころ満載のこの名を掲げて、ネット上では
「はいどうも! オカルトの真理に迫り、いつかは神すらも見出す――
定番の挨拶を終えると、画面にはコメントが次々と流れ始めた。
:きたきたw
:またあのテンションかよw
:今回の心霊スポットはどこだ?
:神なんているはずないだろ、現実見ろっての
:はよ就職しろ
半ば罵倒にも似たコメントの嵐。だが、それこそが彼の配信が支持されている証だった。
「えぇ?
晴明はカメラにぐっと顔を寄せ、視聴者に語りかける。
それは彼にとって“信仰”というより、
「皆さん、覚えてますよね? 以前の配信、
:あれヤバかったよなww
:ただの紙屑かと思ったらマジで宝の山だった回
:
:↑まさかの専門家が『本物』認定してて草生えたやつね
:
そう、晴明は――かの有名な
彼の名は飾りではない。血は嘘をつかない。だからこそ、彼には
「しかも! あの書には、
:でもそれって実証不可能だよな?
:人間に
:
「そう……そこが問題なんですよねぇ」
彼は苦笑いを浮かべつつ、再び
「でもね、だからこそ僕はこうして動いているんです。証明するために。何より――
その瞬間だった。
カメラが、「ブツッ」と音を立て、画面に一瞬のノイズが走る。
風もないのに、背後の朽ちた
空気が、急に冷たく、重くなる。
:え、今なんか映った?
:背後、見ろ背後!
:音おかしくね?
「おや……?」
晴明が振り返った、その瞬間だった。
黒く、どろりとした“何か”が地を這い、彼の足元にまとわりついた。
「えっ……な、なんだこれ、ぬるぬる……? って、ちょ、動かない!?」
笑いに変えようとしたその声は、すぐに悲鳴に変わる。
足首に巻き付く
カメラが大きく揺れ、彼の叫びがノイズまじりに漏れる。
「や……やばい、これ、マジのやつだ……! 誰か、誰かっ……!」
:え? 冗談? ガチ?
:カメラのノリじゃなくない?
:これ台本じゃないの?
:助けてやれよ誰か!
視聴者がざわつき始めたその時――
そして画面は捉えるーー
ーー夜の闇を切り裂くように現れた、黒衣の少年の
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「えっ……なんでここに人がいるの??」
僕はその間に滑り込み、まず状況を整理する。
「え、民間人? それとも
一応、除霊は可能な状態だ。
対象の霊は、すでに
ただ、厄介なのは
以前の依頼でも、誤って除霊してしまって研究者に怒鳴られた苦い記憶がある。
……あれは本当に最悪だった。
「ということで、ちょっと確認」
僕は男性に向かって問いかける。
「すみません、念のため伺いますけど、
「
おそらく違うだろう。反応があまりにも素人すぎる。
ならば――
「了解。じゃあ、やっちゃっていいね」
僕はすっと息を吐き、
ーー《陰式 展延(てんえん)》
とはいえ、この術の効果は一瞬で、しかも
でもその
僕は足元に陰気を滑らせ、霊の
「隙あり」
そして、タイミングを合わせて回し蹴りを放つ。
霊も避けようとするが、ほんの遅れが命取り。
……だが、それだけで
「諞弱>諞弱>谿コ縺呻シ∵ュサ縺ュ?」
言葉にならない
異様に細く、鞭のようにしなる手足を振りかざして。
「ーー豁サ縺ュ繝?シ」
その黒い腕が、地を裂くように襲いかかる。
「これで終わらせる」
僕は身を捻りながら回避し、
ーー《陽式 一切合切爆天幟(いっさいがっさいばくてんのぼり)》
次の瞬間、僕の掌から迸る
霊の本体へと命中した
炎ではない。雷でもない。
それは、
「……よし、これで“お祓い”完了」
煙が晴れると、霊の姿はすでになく。
あの配信者らしき男は、ただ呆然と、僕を見つめていた。