『――速報です。世界配信ランキング一位のスカーレット氏が、ダンジョン攻略中に行方不明となりました。
関係者によると、ボス部屋へ通じる“転移トラップ”に巻き込まれた可能性が高いとのことです。
この件に対し、現ランキング二位である天城ルクシア氏は次のように語って――』
またか……これで何人目だ。
画面から視線を逸らし、リモコンの電源ボタンを親指で押す。
ピッという短い音と共に、テレビが沈黙した。
「ちょっと先輩!? 今からルクシアちゃんのコメントが出るんすよ!?」
背後で後輩の安藤が叫ぶ。
振り向けば、彼は椅子から立ち上がって握り拳を作っていた。
俺は無言でため息をつく。
「知らん。ダンジョン配信は嫌いなんだ」
「えーっ、変な人だなあ……こんなに流行ってるのに。うちの
「しょうもないこと考える前に手を動かせ。お前、俺の半分も作業進んでないぞ」
「半分もって、無理っすよぉ。先輩みたいに毎日十五時間も働くとか、マジで意味わかんない」
蛍光灯の光が薄く瞬く。
室内の空気はコーヒーと電子機器の熱でじっとりとしていた。
この六年で、世界は変わった。
突然出現したダンジョン群。
命がけの攻略。
そしてそれを全世界に向けて生中継する“ダンジョン配信”が、今では当たり前の光景だ。
勝利した者はスターになり、死ぬ者は忘れ去られる。
命で上下するランキング。
そんな世界で、俺は戦闘支援AI――AIDAの開発を担当している。
俺の現場は戦場じゃない、ここだ。
モニターの前、指先ひとつで誰かの死を一歩遠ざけられるように、今日も俺は働く。
…………例えそれが、真っ黒けっけの違法労働であっても。
――プルルルルル
電話のコール音が研究所の静寂を破った。
深夜三時、鳴っているのは代表回線。
こんな時間にかけてくる物好きは、だいたい決まっている。
「安藤ー、電話だぞー」
声をかけても、返事はない。
振り返れば、安藤はヘッドホンを着けたまま椅子にもたれて、モニターの前で寝落ちしていた。
「お前さっきまで起きてただろ……」
ため息をついて作業を中断。
仕方なく、受話器を取る。
「もしもし、こちら首都魔力技術研究所、第五開発室……とかはもういいですね。はい、
「あ、
明るい声。
所長の
ちょうどよかった?
眠気も吹き飛ぶ嫌な予感がする。
「例の
「えっ!?」
前言撤回。
めちゃくちゃ良い報せでした。
俺は思わず体が前のめりになる。
「本当ですか!? AIDAの実地試験が?」
俺がAIDAの開発に着手して約五年。
ようやく形になってきた所だ。
そこで所長に頼んでいた次の開発ステップが、実地――すなわちダンジョンでの試験。
「うん、ようやく試験に協力してくれるストリーマーが見つかったんだ。
……それでね。ウチからスタッフとして、キミを送ることになったから」
「……は?」
前言撤回を撤回。
最悪な報せだ。
「流石にモノだけポンと渡して、お願いしまーすってわけにもいかないでしょー? それにキミ、昔さー」
「嫌です。安藤を行かせればいいじゃないですか。ダンジョン配信好きらしいですよ、アイツ」
間髪入れずに遮った。
あの頃の話なんて、今さら掘り返されたくない。
「あー、それがね。その日、彼休みの予定なんだよねー」
わざとらしく困ったような声。
悪い笑いを堪えているのが目に浮かぶ。
「てわけで、キミしかいないんだ。今から日程とか場所とか、諸々の情報チャットで送るから。んじゃ、よろしくー」
そう言い残して、一方的に通話は切れた。
「…………マジか」
耳元に残った電子音が、やけに冷たく感じられた。
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ダンジョン入り口前の広場は、朝からざわついていた。
軽装のスタッフがあちこちで準備を進めている。
俺はその光景の奥に、小さなパーティが立っているのを見つけた。
男女比はニ対ニ。
軽微な装備に、中途半端に整った髪型。
大学生くらいの若者たち。
「まさか試験対象ってあいつらか?」
荷物を肩に担いだまま立ち尽くしていると、一人の少女がこちらに駆けてきた。
「風間零士くんだねっ!」
満面の笑み。
揺れる赤色のショートヘア。
発光素材入りのジャケットが陽光を弾いてきらきらしている。
「ボクがこの“プリズム☆ライン”のリーダー、
ぴょこんと背伸びして手を差し出してくる。
手袋越しでも伝わってくる元気さと、どこか小動物めいた親しみやすさ。
溢れんばかりの若さが眩しすぎて、直視に若干の抵抗がある。
「……よ、よろしく。香奈、ちゃん? リンのママっていうのは……その、首都研の所長から?」
「うんっ! あ、私とリンは高校の時の同級生なんだけど、私が配信やってるよーって言ったら協力してくれたんだ!」
ははーん、と内心で呟いた。
なるほど。
これはつまり、滝沢所長が娘のリンちゃん、ひいては
「やれやれ……」
知らぬ間に、身内の顔つなぎに使われていたとは。
肩を落としてため息を吐く。
……まあいいか、俺の目的であるAIDAのテストさえできれば。
目の前の香奈はそんな俺の事情など露知らず、期待に満ちた瞳で笑っていた。
まったく、世のストリーマーってやつは、こういう天真爛漫な子ばっかりなのか。
俺はるんるんの香奈に案内され、パーティの面々が揃った待機場所へ移動する。
そこは簡易テントと機材で整えられた臨時ベースだった。
「スフィア・キャスターか」
荷物を置き、球体型のドローンに手を触れながら言う。
カメラ、マイク、通信装置などなどが全部詰まった、ダンジョン配信の基本ツール。
便利な機材ではあるが、臨機応変な移動やカメラワークは一切できない。
対象の後方上空を漂いながら、パーティの戦闘を俯瞰で映すだけ。
「えーっ! 零士くん詳しいんだ? 正式名称までちゃんと言える人あんまりいないよ?」
「……ああ、昔ちょっとな」
俺は香奈の質問に適当に返事をしながら、ジャケットの内ポケットから小さなケースを取り出す。
中に収まっているのは、イヤーカフ型の戦闘補助AI、AIDA。
俺の開発したモデルだ。
「じッとしてろ」
「ひうっ」
「……変な声を出すな」
「さ、触るなら先に言ってよっ!」
俺はそれを香奈の耳に装着した。
薄い金属の輪が、ぴたりと肌に吸い付くように固定されている。
「そいつが今回、君たちにテストしてもらう戦闘補助AI。名前は
「ほええ……AIDA……」
『――起動確認。AIDAオンライン。……リンク、正常です』
香奈の声に反応し、AIDAから機械音声が流れる。
音量的には装着者のみに聞こえる程度だが、今回は試験ということで、マルチポイント接続で俺のイヤホンと配信にもAIDAの声が聞こえるように設定してある。
『……ふむ、どうやら私、今回は無事に動いている様子ですね。……おや、今日は珍しくレディが』
「えへへ……レディですっ」
人工知能のわりに妙にこなれた、英国紳士のようなトーンが鼓膜に響く。
相変わらず生意気なやつだ。
言語反応部分を安藤に任せたのは失敗だったかな。
「はいはい、今日もよろしくな」
俺は端末を操作し、香奈たちの配信の状態をざっと確認した。
サブ画面にコメント欄が並び、すでに視聴者が続々と待機している。
視聴者数カウンターには【待機中:1312人】の表示。
「それじゃ、配信開始まで残り十秒ー!」
千人以上の視線が、もうすぐこの場所に向けられる。
香奈は指でカウントダウンを始めた。
「九、八、七……」
俺は深呼吸を一つ。
手のひらにじんわりと汗が滲む。
これは長年かけた研究の成果が、現実となって目の前に現れるからか。
あるいは、ダンジョンというミス一つで命が失われる場所への恐怖からか。
「……三、ニ、一」
ゼロを言う代わりに、香奈は背筋を伸ばして息を吸った。
そして太陽のような満面の笑み。
「こんカナ~! 今日も元気にダイブしてくよっ! それではそれでは、今日のタイトルは――」