やあ、見てるか? 画面の向こうのお前ら。
はじめまして、こんばんは。……いや、もしかしたらこれ、朝イチで見てる奴もいるのかな。ま、どっちでもいいか。今夜は特別だ。なんてったって、これが俺の最初で最後の配信になる予定だからな。
あー、自己紹介いる? 一応やっとくか。俺は
ああ、チャットが流れてる。
「マジでダンジョン行くのか?」
「やめとけ、命は大事にしろ」
「自殺配信きたwww」
うるせぇ、わかってる。どうせ俺みたいなやつ、誰も本気で心配なんかしちゃいないんだろ? でも、たまにはいいよな。何もかもどうでもよくなって、命まで軽く感じる夜があってもさ。
で、なんでダンジョンかって? 理由は簡単。「今、ダンジョン配信バズってる」って、まとめサイトで読んだからだ。バズればスパチャ、投げ銭、アフィリエイト。運が良ければニュースにも出る。
ま、どうせ俺は運の悪い側の人間だし。何も残せなかった人生の最後くらい、他人の記憶の片隅にでも残してやろうってわけ。
ほら、リュックも用意してるんだぜ?
スーパーのセールで買った水とカロリーメイト、あと、昔バイトしてたホームセンターでもらったLED懐中電灯。どうせスマホのバッテリーのほうが先に切れるだろうし、これくらいあれば十分だろ。
おっと、チャットがまた盛り上がってるな。
「ほんとに行くの?」
「バカすぎwww」
煽るな煽るな。お前らも面白半分で見てんだろ。でも、俺もその面白半分でここにいる。
画面越しでもいいから、誰かに見られていたい。最後くらい誰かにバカだなって笑ってもらいたい。それだけ。
よし……外はもう真っ暗だ。
ダンジョンゲートまでは歩いて十分。ほら、ほら、今から向かうから。画面ブレるけど我慢してくれ。あ、そうそう、自撮り棒もないから手持ち。手が震えてても勘弁な。
……いや、こうして話してると、本当に俺、いま生きてるって感じ。
普段は誰とも話さないし、こんなに自分の心臓がドクドクいってるのも久しぶりだ。
じゃあ、これから行くぞ。
死ぬのが先か、バズるのが先か。
もし生きて帰れたら……。そのときは、また配信しようかな。……なんて、あり得ねぇか。
というわけで、みんな、準備はいいか?
これが俺の人生最後の冒険、ダンジョン配信の始まりだ。
◇
ゲートの入口、こんな夜中なのに妙に明るいな。街灯と、メディア用に設置された監視カメラの赤いランプ。
テレビやネットで見るだけだった異空間が、今、俺の目の前にある。
冗談みたいだけど、本当にこんなところに入口があるんだな。誰でも入れる代わりに、自己責任。
知ってるか? 週に何人も行方不明になってる。帰ってきたやつの多くは怪我か病気、運が良けりゃちょっとした戦利品。
ほとんどは消えるか、ネットのネタになるだけ。俺もその一人になりに来たってわけ。
おーい、配信映ってるか?
画面、暗いだろ。でもこの暗闇がリアルってやつだ。
「やめとけ」
「今なら戻れるぞ」
優しいな。まあ、心配かけてすまん。でも今さらやめるのもカッコ悪いだろ。
何も残さない人生の終わりが、ネットの片隅にでも引っかかったら、それで十分だ。
いくぞ、入るぞ!
ほら、ダンジョン特有の空気。湿ってて、埃くさくて。
配信で伝わるかな?
「くっさ」
「これがリアルw」
「草」
足元がゴツゴツしてて、まっすぐ歩くのも一苦労だ。
最初のフロアはただのコンクリートの廊下、でも向こう側、見えないほど暗い。
ライトを点けると天井のパイプから水がポタポタ、音が反響して気持ち悪い。
俺、ダンジョンなんて入ったことないから、初心者ムーブかもしれん。
でもこれが俺の初配信、まあ新鮮さだけは本物だろ。
……おっと、左の壁にでっかいシミ。
近づくとカメラに映るな。ほら見てみ?
「グロ!」
「何の跡?」
前に来た誰かの「失敗」の痕跡か?
いや、気にしないで進む。死体が転がってないだけマシだ。
右手の廊下は行き止まり。左に曲がってみる。
……ドキドキしてきた。
いやマジで、みんなわかる? 俺、手が震えてる。
「ビビんな」
「そのまま進め!」
お前ら無責任すぎるって。
でもな、不思議と悪くない。誰もいないはずのダンジョンの奥で、こうやって誰かと繋がってる感じがするんだ。
あ。足元で何か蹴った。空き缶だ。
先客の忘れ物? それとも……。
いや、やめとこ。ホラー配信じゃないからな。
さあ、最初の分岐。左がさらに暗い、右は妙に風が抜けてる。
「左はガチでヤバそう」
「左行け」
「いや、左だろw」
煽りばっかり。でも、今日くらいは従ってやるか。
じゃあ右に行こう。
「ビビったw」
「まあ正解かもな」
廊下が狭くなってきた。壁にひび割れ。上から埃がパラパラ落ちてくる。
足元には木片。昔の誰かの装備かもしれないな。
ちょっと拝借。拾ってみる。
「そんな装備で大丈夫か?」
大丈夫……じゃないかもしれないけど、素手よりはマシだろ。一応自分の身くらい守りたい。
……あれ、妙に静かだな。
さっきまでゴトゴト鳴ってたのに。
ま、気のせいか。
いや、違う。空気が急に冷たくなった。
こんな場所で「嫌な予感」なんて漫画みたいだけど、やっぱり本当にあるんだな。背筋がゾワッとする。
「早く進め」
「止まるな」
チャットの文字がやけに早くて全部追いきれない。
俺のこの人生、こんな風に誰かに応援されること、あったっけ?
いや、どうでもいいか。どうせすぐ死ぬんだ。
だろ?
よし、進もう。
ダンジョンの奥、何があるのか知らないけど、
今日くらいは、やけくそで突っ込んでやる。
行くぞ……。画面の向こうの、お前たち。
見届けてくれ。俺の冒険の続きを。
◇
あれ、今、なんか聞こえたよな……?
ちょっと待て。おい、お前ら、音拾えてる? マイクに雑音入ってたらコメントくれ。
いや、これ、配信のノイズじゃねえよな。生き物の……足音?
やっぱり、俺ひとりじゃなかったみたいだ。
どうするよこれ。まさか最初の小部屋でエンカウントするなんてな。
見てくれ、ほら、壁の向こうの暗がり……。ライト当てるぞ……。
うわ、マジか。おい、見えるか? でけぇネズミ……? いや、これ、普通のじゃない。
目が赤いし、歯がやたら長い。
おい、これがモンスターってやつか。冗談だろ?
ゲームなら雑魚敵だろうけど、現実だとめちゃくちゃ怖いな。
どうする、どうする。落ち着け、俺。
「戦え」
「逃げろ」
意見バラバラかよ!
お前ら、こういうときは助けてくれるんじゃないのか。でもな……。
こっち来た。やべ。うわ、近い! 牙が光ってる!
冗談抜きで死ぬかも。
足が勝手に動いてる。俺、逃げてるよな?
すげえな、俺、笑ってやろうと思ったのに本気でビビってる。
心臓バクバクいってるの分かるか? ほら、画面ブレてるだろ。
これ、俺の手が震えてるせいだから。
ああもう、カメラ落としそう。
階段! 下に降りる、ジャンプするぞ!
……痛て、くそ、膝やったかも。でも、今はそれどころじゃない。
後ろ、まだネズミ来てる? 見える? 誰か、コメントで教えてくれ!
「大丈夫、もう映ってない」
本当に? ああ、助かった……。
なんかもう、涙出てきそうだ。
俺、死んでもいいって思ってたくせに、今は本気で死にたくない。
おかしいよな、こんなところで、こんな奴らに殺されるのだけは、絶対に嫌だ。
「情けねーw」
「でもよく逃げた」
ああ、そうだな。
逃げるのも、悪くないかもしれない。
ちょっと落ち着かせてくれ。呼吸整えないと……。
はぁ、はぁ……ああ、何してんだろうな俺。
でも、さっきよりちょっとマシな気分だ。誰かに「頑張れ」って言われるの、こんなに嬉しいもんなんだな。
ありがとう。なあ、お前ら、今日は俺の命の恩人だぞ。
でもさ、まだ始まったばかりだろ?
やべえよ、こんなペースで心臓持つかな……。
まあ、死にたくないって思えた自分にちょっとびっくりしてる。
さっきまでどうでもよかったのに、今はちょっとだけ「続きが見たい」って思ってるんだ。
だから、もうちょっとだけ付き合ってくれ。
よし、進もうぜ。一緒にな。
◇
よし……さっきのネズミはいないな。
ほら、今度は静かだろ? ……なんて、油断したとたんにまた来そうで怖いんだけどな。
お前ら、まだ見てるか? 大丈夫か? コメント止まったら本当に一人きりになりそうで、
それが一番怖いかもしれない。……意外だろ? 俺もびっくりしてる。
さて、と。ライトの電池、まだ持ちそうだな。
カロリーメイト……は、後回し。緊張で腹減らねぇし。
とにかく、奥に進む。どうせ、途中で引き返す気はないしな。
今さらだけど、お前ら、俺がどこまで行けるか、最後まで見届けてくれよ。
おっと、今度は何だ……え? 床がちょっと濡れてる。
足元注意な。配信的には滑ってコケたら美味しいシーンかもしれないけど、俺は死にたくないからな。
……うおっ! 言ったそばから足滑らせた……。
「ナイスボケ」
「アホすぎwww」
「大丈夫か?」
おい、笑いすぎだろ。でも、こうやって誰かがツッコんでくれるの、なんか……。
バカみたいに安心する。
画面越しに一人じゃないって思えるんだ。
変な話、今までずっと一人でいるほうが気楽だと思ってたけど、
いざ本当に命が危ないと、人間って誰かに見ててほしくなるもんなんだな。
さて、今度は分岐だな。
左は真っ暗で空気が冷たい。右は壁にヒビが入ってる。
どっち行く?
「左行け」
「右はヤバそう」
いや、どっちもヤバそうなんだが、今の俺は素直だぞ。
左だな。よし、行くぞ。
「急に素直になってて草」
「ビビりすぎだろw」
うるせー。
……でも、そうやって笑ってもらえると、ちょっとだけ、本当にここから生きて帰りたくなるから不思議だよな。
さっきまで、どうせ俺なんか、なんて思ってたくせにな。
っと、今度は目の前に小さな扉。
見てみ? まるでアニメの秘密基地みたいなやつだ。
あー、ロックもかかってない。そろそろ罠が来そうだな。
お前ら、もし俺が消えたら、後で伝説にでもしといてくれよ。
いくぞ、開けるぞ……!
……何もない。ただの倉庫みたいな部屋か?
でも何だこれ……床の一部、変に沈んで……。
うわっ!?
落とし穴だこれ!
ちょ、マジで足滑って……。
ヤバイヤバイヤバイ!!
スマホ落とすな、配信止めるな、俺死ぬな!!
……止まったか?
画面……映ってる? 俺、今……落ちた?
「映ってるよ」
「おい、生きてるか!?」
「笑わせんなw」
笑い事じゃねーよ。マジで腰打った。
でも、何か、こうやって誰かに心配してもらえると、それだけで価値あることみたいに思えてきた。
くだらねぇって思うだろ?
ふう……何だよ。
ここ、抜け道みたいになってるな。
出口、どこかに続いてるはずだろ?
おい、もし俺が生きて帰れたら……。
いや、帰りたい。マジで、今はそう思う。
こんなバカみたいな配信、でも、お前らが見てくれてるから、俺はもう少しだけ、先を見てみたいって思ってる。
だから頼む、もうちょいだけ、一緒にいてくれよな。
◇
ふう……今ので体力半分くらい削られた気がするぞ。
お前ら、画面揺れてないか? 腰、マジで痛い。
でも、これが現実のダンジョンってやつだよな。
なんか、ちょっとずつ慣れてきた気もする。
あれだけビビってたのに、不思議と今は「この先に何があるのか」って、少しだけワクワクしてる。
なあ、こういうのって「生きたい」って気持ちなのかもな。
さて、穴から這い出して……。
あー、埃まみれ。ほら、カメラに顔寄せるから見てみろよ、泥まみれだぞ。
「汚すぎ」
「ゾンビじゃん」
お前ら、失礼だな。
でも笑ってもらえると、なんか元気出るわ。
よし、奥に進む。
通路がまた細くなって、天井も低い。
あ、今度は床に錆びたトラバサミ……罠だな。
昔の冒険者のやつか? 下手したら俺もやられてたのかも。
みんなもダンジョン入るときは足元見ろよ。
「お前が一番油断してる」
「次は絶対踏む」
……余計なフラグ立てんな!
左に曲がって、また階段。
下に降りると空気が変わった。冷たい、湿った匂い。
あと少しで最奥だな、って感覚がなんとなく伝わる。
おい、チャットも空気変わってない?
「やばそう」
「引き返せ」
「いや、もっと奥だ!」
あいかわらず煽りと心配半々だな。でも、どっちも嫌いじゃないぞ。
うわ、今度は扉に鎖……鍵?
どうする?
「壊せ」
「回り込め」
「鍵探せ」
どれも一理あるけど、こういうのは力業だろ!
よし、リュックの中身で一番重いの……懐中電灯でガツンと!
あ、開いた。案外脆いな。
「脳筋」
「やるじゃん」
……褒めてくれてありがとな。
……あ、今、何か動いた。
見えた? 奥に何かいる。
さっきまでのネズミと違う。
影が……でかい。
音も鈍い。ズシン、ズシンって。
なあ、お前ら、これ絶対ヤバいやつだろ。
「逃げろ」
「隠れろ」
「近づけ!」
おい、どれが正解だよ。
でも、今さら引き返すって選択肢、俺の中にないんだよな。
どうせなら最後まで突っ込むしかないだろ。
よし、ゆっくり近づくぞ。
ほら、カメラのズーム、最大な。
画面、ちゃんと見えてるか? 暗いけど、何か、鎧みたいな……。
いや、でけぇなこれ。
ボスだろ、これ。
ああ、足が震えてる。声も震えてる。
でも、今の俺、逃げたくない。
ここで「やっぱ無理だ」って引き返したら、たぶん一生、何もできない気がするんだ。
なあ、お前ら。
もし、ここで俺が死んだら、
ちゃんと伝説にしてくれよな。
……って言いながら、
ほんとはまだ、死にたくない。
だから、最後まで、見ててくれ。
こっから先、マジでヤバいかもしれん。いや、今までも十分やばかったけど。
今、俺の目の前にいるこいつ、もう完全に終わり、みたいな感じがする。
ほら、カメラ映ってる? でかいだろ。
鎧みたいな殻、目は真っ黒。あれ多分、虫か爬虫類系だな。
ああ、ゲームのボスって、だいたいこういうやつだよな。
笑えねぇ。ゲームならリトライで済むのに、現実は一回しかねぇんだ。
……ヤバい、動いた。
でっけぇ腕みたいなの振り上げてる。
おいおい、冗談じゃねぇぞ。逃げろって?
わかってる、でも今、足が動かねぇんだよ。
こんなところで、死にたくねぇって気持ちしかない。
まだ、終わりたくねぇ。
やべっ、壁が崩れた。
粉塵で目の前が真っ白だ。
うわ、手が滑ってスマホ落としそう……。
落ち着け、落ち着け。
「右に通路」
「足元見ろ」
ああ、ありがとう、そっち行く!
……なあ、お前ら、俺の息遣い聞こえるか?
はぁ……はぁ……。マジで死ぬかと思った。
ヤツ、まだ追ってくる。
さっきから通路の天井も低くなってるし、暗いし……。
頼む、電池切れだけは勘弁してくれよ。
ちょ、またあの影……!
壁に張り付くな。あの体格でよく動けるな、マジで。
ほら、石投げてみるぞ……。
お? 気を引けたか?
今のうちに反対側に……。
わ、まじで来た!やべぇ!
なあ、俺、本気で死にたくないんだよ。
もう、どうでもいいとか、嘘だった。
今は心の底から、生きて帰りたい。
……痛っ、足を捻ったかもしれねぇ。
でも、止まったら終わる。
「上に何かある」
「天井、何かぶら下がってる」
マジか、カメラ上げるぞ……。
なんだこれ、紐みたいな……。ロープかこれ。
でも、使えるかも。
あのボスの動き、パターンある。大振りのあと、一瞬止まって、こっちに向かって突進してくる。
だから、こっちに誘導してロープ引っ掛けて……それで?
いや、やるしかない。
俺は、もう一回だけ勇気出してみるわ。
近づくぞ。
ああ、心臓がうるさい。
なあ、お前ら、見ててくれ。
この一瞬、逃げたくない。
今だけは、俺は生きてるって叫びたいんだ。
……よし、タイミング合わせて……!
今だ! ロープ!
……やった、首にひっかかった!
暴れてる!
今のうちに出口へ……!
走れ、走れ俺!
……追いかけてくる音が、だんだん遠ざかる。
出口、あれだ!
ライトが切れそう、でも、もうすぐ……!
◇
……外だ。
外の空気だ。
うそみたいだ。
俺、生きてる。
本当に生きてるよ、俺!
……ああ。
痛っ! すまん、足の力が抜けて尻もちついた。スマホ持つのもしんどいわ。
……俺、今どんな顔してるかな。泥だらけで見えないか。
でも、もうどうでもいい。涙が出てきた。
お前らのコメント、いっぱい、ちゃんと見えてるぞ。
「生きててよかった」
「やば、泣ける」
「ナイスファイト!」
「すげえ、伝説」
お前ら、ありがとう。
本当に、ありがとう。
最初、俺なんか、死んでもいいって思ってた。
でも違った。
本当は、生きていたかった。
こんな俺でも、生きてていいって思える瞬間が来るなんて、
マジで、想像してなかった。
……なあ、お前ら。
今日だけは、言わせてくれ。
俺、もう少しだけ、生きてみるわ。
……まだ息が整わねぇ。
画面の向こう、みんな見えてるか?
いま俺、泥まみれで、たぶん人生で一番みっともない顔してると思う。
いや、泣いてる。泣いてるのかこれ。
涙と汗と埃と、もうぐちゃぐちゃだ。
でも、それでも、今……
本当に生きてるって感じてる。
ああ、死ななくてよかった。
俺、死ぬつもりでここに来たのに、
最後は死にたくないって、そればっかり考えてた。
コメント流れるの、ちゃんと見えてるぞ。
「ナイス生還!」
「マジで伝説」
「よくやった」
「生きててえらい」
ありがとう。ありがとう。
こんな言葉、こんなに嬉しいなんて思わなかったよ。
ほら、見てみろよ。
手、震えてる。膝もガクガク。
情けないだろ? でもさ、俺、今この瞬間だけは、「生きてるだけでいい」って心の底から思ってるんだ。
……なあ、俺、思い出した。
子どものころ、学校の帰り道でさ、
川に落ちて、必死に泳いで……。上がったときも、こんなふうに泣いたっけな。
あのときも、生きててよかったって、思った。
ずっと忘れてたけど、人間って、死にたくない生き物なんだな。
頭じゃわかってたつもりだったけど、
こうやって体の底から、実感する日が来るなんて思わなかった。
おい、チャット止めるなよ。
一人にしないでくれ。
こんなこと言うの、カッコ悪いけど、今の俺は、弱くて情けない自分を、全部さらけ出してる。
ちょっと水飲む。
あー……。こんなにうまいと思ったの初めてだ。
なあ、これで俺の配信は終わり……。って思ってた。
でも、今は、ちょっとだけ違う気持ちだ。
こんな俺でも、温かく見守ってもらえる場所があるってわかったから、もう少しだけ、この世界にいたい。
いや、カッコつけてるわけじゃない。
本音だよ。
また明日、生きて、配信して、みんなともう一度会えたらいいなって、心からそう思ってる。
見ててくれて、本当にありがとう。
最後までバカな俺に付き合ってくれて、ありがとう。
じゃあ、今日はこれで。
配信、切るぞ。
◇ ◇ ◇
やあ、見てるか?
なんか、久しぶりだな、配信画面の前にこうして座るの。たった一週間ぶりなのに、ずいぶんと時間が経った気がする。
コメント、すごい量だな。ちょっと待ってくれ。
今日は俺が、ひとりで、ゆっくり喋りたいんだ。
あれから一週間。
嘘みたいだけど、俺、まだ生きてる。
前回の配信、覚えてるか?
死にかけて、泥だらけで、泣きながら「生きててよかった」って叫んで……。
今でも、正直に言うと、自分があのとき何を感じていたのか、全部は説明できない。
ただ、あの夜から、世界が少しだけ違って見えるようになった。
次の日の朝、目が覚めたとき、最初は夢だったんじゃないかと思った。
見慣れた天井、ぼやけた蛍光灯。
俺はそこにいて、生きていた。
生きてるって、こんなに静かなことだったんだな。
心臓はちゃんと動いてて、息を吸うたび、空気の重さがわかる。
背中は痛いし、体中あざだらけで、こんなにボロボロになってたんだって笑った。
それでも、不思議と嫌な気分じゃなかった。
むしろ、体のどこが痛んでも、それだけ、俺はここにいるって、しみじみ思えた。全部が「生きてる証拠」みたいでさ。
外に出たとき、太陽がやけに眩しかった。
駅前のロータリー、なんてことない景色だったはずなのに、その日は違った。
空が広くて、どこまでも青くて、やたらとくっきり見えた。
コンビニで買った缶コーヒー。
大してうまくもないのに習慣で飲んでるやつ、口に含んだ瞬間、舌の上がビリビリして、「ああ、これが味ってやつか」と思った。
どこにでもあるような缶コーヒーの苦さと甘さが、その日はちょっとだけ、特別なものみたいだった。
そのまま街まで歩いた。
大通り、人混み、スーツ姿のサラリーマン、制服の高校生、カートを押して歩くおばちゃん。
それぞれが、誰かの一日を生きていて、一人ひとりが、どこかへ向かってる。
今までの俺は、こういう人たちを「ただの風景」みたいに思ってた。
でも……違うんだな。
この中の誰もが、昨日があって、今日があって、それぞれの理由で、ここにいて、きっとそれぞれの悩みや願いがあって、小さな喜びや痛みを抱えてる。
たとえば、駅前のベンチでスマホをいじってた若い子。
もしかしたら俺と同じで、誰かの一言を待っているのかもしれない。
公園の滑り台を駆け上がる子どもたち。笑ってるけど、きっと明日にはまた違うことで泣いたりするんだろうな。
俺は……そのとき初めて、「世界は俺のものじゃない」って気づいたんだ。
いや、俺が主役じゃない、でも俺もその一部なんだって。
小さな歯車でいい。
ただ、この大きな世界のどこかに、ほんのちょっとの居場所があればいい。
そう思った。
その日は、昼飯に牛丼屋に入った。
牛丼なんて、何年ぶりだったかな。
カウンター席で注文して、出てきたばかりの丼の湯気をじっと見てた。
箸を持った手が震えてて、自分でも情けないと思ったけど、口に入れた瞬間、「うまい」って心の底から思った。
本当にうまかった。
あの柔らかい肉の甘さと、タレのしょっぱさと、白いご飯の熱さと、その全部が、「生きててよかった」って思わせてくれた。
店を出るとき、店員が、「ありがとうございました」って言ってくれた。
その声を聞いたとき、なんだか、自分がこの世界に歓迎されたみたいな気がした。
笑うだろ?
たったそれだけのことで、俺は「このまま、ここにいてもいいのかな」って、ちょっとだけ思えたんだ。
前は、道を歩く人みんなが、
俺を無視して通り過ぎていくように思えた。
誰も俺のことなんか興味がない、世界は俺に冷たいって、本気で思ってた。
でも今は違う。
みんながみんな、自分のことで精一杯で、俺が何者かなんて、きっと知らない。
それでいい。
他人が主役の人生だって、俺の人生と同じくらい、本気で生きてる。
俺も、俺なりに、これから生きていこうと思う。
前の配信、ちょっとバズったみたいで、ネットでいろんなコメントを見た。「また配信してくれ」って言ってくれる人もたくさんいた。
驚いたよ。俺のことなんか、誰も見てないと思ってたから。
でも、たとえ一人でも、誰かが俺のことを待ってくれてるなら、そのためにもう少しだけ頑張ってみよう、って思った。
前みたいに、毎日が嫌で、
全部投げ出したいって思うこともあるだろう。
でも、一度「死にたくない」って思った自分を知ったから、俺はもう簡単にはあきらめない。
なあ、聞いてくれ。
今の俺、「やりたいこと」ができたんだ。
たとえば、あのダンジョン、もう一度だけ挑戦してみたいと思ってる。今度は「死ぬため」じゃなくて、自分がどこまで行けるか、本当はどんな景色が見られるのか、それを自分の目で確かめてみたい。
それから……できれば、もう一度だけ働いてみたいとも思う。
どんな仕事でもいい。
牛丼屋でも、コンビニでも。
どこかの誰かと同じ時間を過ごして、「おつかれさま」って言い合えたら、それだけで、たぶん十分幸せだ。
いつか、この配信を見てる誰かと、どこかですれ違ったりする日が来たら、そのときは、こっそり心の中で手を振ってくれ。
なあ、人間って、案外しぶとくて、案外弱くて、でも、本気で何かを感じたとき、世界が違って見えるものなんだな。
俺は、たった一回、ダンジョン配信をしただけで、別に、何かが劇的に変わったわけじゃない。
今も、無職だし、明日のことだって何も決まってない。
でも、それでもいいと思える自分がいる。
何も持っていなくても、何も誇れなくても、「生きてるだけでいい」って、今なら本当に、心からそう思える。
ありがとう。
本当に、ありがとう。
前回の配信のとき、死ぬのが怖いって言ったけど、今はもう、生きるのが楽しみになってる。
みんなも、もし今つらいなら、自分の息の音を聞いてみてくれ。
自分の手を心臓に当ててみて、それが生きてる証拠だって、思い出してみてくれ。
……さて、そろそろ締めるか。
コメント、読まなかったけど、ちゃんと届いてる。ありがとう。ひとつひとつのコメントにお前らの顔が見える気がして、全然ひとりで喋ってる気がしなかった。
またそのうち、配信すると思う。
今度は、新しい景色を見つけたら、その話をしに来るからさ。
そのときまで、みんなも……。
どうか、生きててくれ。
じゃあ、今日はここまで。
またな。