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傷ついた僕ときみの物語
傷ついた僕ときみの物語
朏猫
BL現代BL
2025年06月21日
公開日
3.8万字
完結済
あいつに再会したことで始まるのは果たして恋か、それとも―― 中学三年のとき「おまえ、ホモなの?」というひと言をきっかけに、僕はクラスメイトから無視されるようになった。そんなクラスメイトたちから逃げるように、遠くにある全寮制高校に進学した。大学で地元に戻ったものの、アルバイト先の蘭葡(らんぽ)さんに出会ったおかげで前向きな気持ちようやくなれた。もう大丈夫、そう思っていたのに最悪なことが起きた。「おまえ、ホモなの?」と最初に口にした男が目の前に現れたのだ。

第1話

 中学三年のとき、クラスメイトのひと言で僕は卒業までの十カ月近くの間クラスで浮いた存在になった。具体的に言うならいじめられていたということだ。

 それは何気ない、でもわずかに悪意を滲ませたひと言から始まった。


「おまえ、ホモなの?」


 そう言ったのはクラス一の、いや学年一の人気者、安藤聡史あんどうさとしだった。

 彼は運動神経がよくて恰好よくて、とくに女子からは後輩も含めてとても人気があるクラスメイトだった。明るくて誰とでも気さくに話をするからか男子からも人気があり、いつも人の輪の中心にいる絵に描いたような人気者だ。そんな安藤が、昼休みが始まってすぐに「ホモなの?」と口にした。

 最初は誰に向けられた言葉かわからなかった。それでも衝撃的な内容に僕は文庫本から視線を上げて安藤を見た。そのとき安藤が僕を見ていることに気づいて「え?」と声が漏れた。


(どうしてこっちを見てるんだろう?)


 なぜ僕を見ているのかがわからない。きっと偶然だろうと文庫本に視線を戻しかけたとき、「えぇー! 沢渡さわたりくん、そうなのぉ!?」という女子の声に体がビクッと震えた。そのとき僕は初めて「ホモなの?」という言葉が自分に向けられたものだということに気がついた。

 僕はただただ驚いた。そもそも僕はホモじゃないし、安藤にそんなことを言われるほど親しいわけでもない。僕のほうは人気者の安藤のことを知っているけれど、向こうが僕をクラスメイトとして認識しているかも怪しいくらいだ。

 それにホモだと言われるような言動を取ったこともなかった。いつも本ばかり読んでいた僕はクラスでも影の薄い存在で、友人と呼べる人もほとんどいない。そんな僕に安藤がわざわざそんなことを言ってくるはずがなく、だから自分のことだと気づかなかった。 驚いたような女子の声で、安藤の発言が僕に向けられたものだとクラス中に知れ渡った。


「なに、沢渡って男が好きなん?」

「え、マジで? もしかして聡史、告られたとか?」

「うわっ、マジか。いやいや、ないだろ~。聡史、めっちゃモテるじゃん! それなのにわざわざ男選んだりしねぇって」

「っていうか、コクるとか勇者だな沢渡。おまえ普段どこいるかわかんないくらい影薄いのに」


 安藤の周りにいた男子たちが囃し立てるように、そして馬鹿にするような言葉を口々に言い始めた。もちろん僕に心当たりなんてなくて困惑することしかできない。


(僕は安藤に告白なんてしてないし男を好きになったこともない)


 否定しようとしたけれど、蜂の巣を突いたような騒ぎに誰も僕の声なんか聞いてくれなかった。

 こうして僕は“モテ男、安藤にコクったホモ勇者”という酷いレッテルを貼られることになった。幼い偏見と興味本位、それに多感な時期という三重に悪いことが重なり、卒業するまで僕は薄く広く無視され続けることになった。


(直接何か言われるより無視されるほうがマシだ)


 無理やり何度もそう思い込もうとした。そうしなければ耐えられなかったからだ。それでも存在していないように扱われるのは精神的につらかった。

 それよりもつらかったのは、普段は僕のことなんて無視している人たちが急に話題にすることだった。ちょっと目が合っただけで「ホモ勇者に見られた! やべぇ!」と叫んだり「エロい目で見られた!」と騒いだりする。無視されるよりも、そういって話題にされるほうが何倍も心がつらい。


(あれがきっかけて女子が苦手になったんだよな)


 男子たちの馬鹿騒ぎも嫌だったけれど、女子たちの視線やヒソヒソ話にはゾッとするような怖さがあった。そのせいで大学生になったいまでも女子という存在は怖いままだ。

 僕はやや不登校気味のまま中学卒業を迎え、高校は実家から遠く離れた私立の学校に進学した。そこは寮生活が義務づけられているうえに学費も高く、地元の同級生たちがわざわざ選ぶ高校じゃないとわかっていたからだ。

 高校のことについてはいまでも父や祖母に感謝している。とくに祖母は、僕が学校で置かれている立場に薄々気づいていたのだろう。


「家のことは気にしないで、行きたい学校に行きなさい」


 一人で幼い弟の世話をするのは大変だっただろうに、そう言って背中を押してくれた。海外赴任中の父からは卒業と入学祝いが届いただけで、何も言わずに学費を出してくれた。

 こうして僕は地元とは関係ない環境の高校に進学することができた。最初は挙動不審になることが多かったものの、幸いなことに友人も少しできたし教師にも恵まれた。中学三年のときには想像もできなかった穏やかな学校生活を送り、無事に卒業することもできた。

 その後、僕は家に戻って地元の大学に進学し、今年二十歳を迎える。


「っていうかさ、何もしてないのにホモとか言うの、マジないよな。おまえこんなにいい奴なのにさぁ。中学のときの奴らって、ほんと見る目ないのな」


 ちょっときつい口調でそんなことを言うのは、高校三年間同じクラスだった松岡由樹まつおかよしきだ。寮の部屋もずっと一緒で、同じ大学に進学した唯一の親友でもある。


「そうかな」

「だってさ、高校のときはみんな卓也たくやのことちゃんと見てくれてただろ?」

「うん。とくに松岡がね」

「おう、俺は一目でおまえのこと気に入ったからな! で、何て言ったっけ……。あぁ、そうだ安藤だ。その安藤って奴、どう考えても調子に乗りすぎだろ」


 安藤という言葉にドキッとした。同時になぜか切ないようなチクッとした痛みを感じる。

 松岡は僕の中学三年のときのことを知っている。仲良くなり、松岡になら話せると思って高校一年のときに告白した。あのときの僕はずっと苦しくて、きっと誰かに聞いてほしくてたまらなかったんだと思う。

 松岡は静かに最後まで耳を傾けてくれた。十カ月近くに渡って起きた出来事を、まるで自分の痛みのような顔をしながら聞いていた。話し終わると「俺は卓也のこと好きだからな」と言って抱きしめてくれた。

 そんな松岡は、僕が昔のことを思い出すたびに「中学の奴らが悪い」と言ってくれる。いまも、女子に話しかけられてうまく返事ができず落ち込んでいた僕を励まそうとしてくれているのだろう。


「っていうかさ、その前髪と眼鏡、もうちょっとどうにかしたほうがよくないか?」

「そうかな」

「せっかく可愛い顔してんだからもったいねぇじゃん?」

「なに言ってんだか」

「いいや、断言できるね。おまえより可愛い顔の男はこの大学にはいない」

「あはは、松岡ったら相変わらずだなぁ」


 笑いながら、長くなった前髪の隙間から松岡を見る。


(前髪を切るのは、まだちょっと無理かな)


 地元に戻ると決めたとき、僕は前髪を伸ばすことにした。知り合いとすれ違ってもわからないように目が半分隠れるくらいまで伸ばし、それだけじゃ心配で伊達眼鏡も掛けるようになった。

 そんな僕を松岡は心配しているのだろう。気を紛らわせようとしてくれているのか、何かあるたびに「可愛いのにもったいない」と冗談を言う。そんなことを言う割には、無理に前髪を切らせようだとか眼鏡を取り上げようだとかはしない。そんな松岡の優しさが僕は好きだった。


「願わくば、もう少し笑顔が増えるとさらにいいと思うんだけどなぁ」

「僕が笑ったところでしょうがないって」

「いいや、みんなびっくりすると思うね! 惚れる奴がわんさか出るに決まってる」


 さすがにそれはないよと苦笑した。

 僕の顔が可愛く見える人なんて松岡くらいだ。服だってお洒落なものは一つも持っていない。インドア派だと丸わかりの青白い肌も、一七〇センチ弱の微妙な身長も、痩せすぎで貧相な体型も、自分でも呆れるほど情けないと思っている。今朝だって生気のない顔を鏡で見てギョッとしたくらいだ。


(そもそも自分でも見たくない姿なのに、誰かに見られたいなんて思わないし)


 中学のとき「女みたいな顔してるからホモになったんじゃねぇ?」と言われた言葉が、いまも僕の胸に突き刺さっている。それ以来まともに鏡で自分の顔を見たことがない。写真に撮られるのも嫌で、修学旅行で撮った写真はほとんどが風景だった。


(目立ちたくないし見られたくないから、いまのままがちょうどいいんだ)


 誰にも見られず、余計なものを見ないで済むいまが心地いい。好きな本に囲まれた生活ができればそれで十分だ。だから大学では文学部を選び、大勢と接することになるサークルにも入っていない。それじゃあ就活が大変だぞと松岡は言うけれど、現状で精一杯の僕に未来のことなんて考えられなかった。


「マジでもったいないと思うんだけどなぁ。って、そういや今日の午後って休講じゃねぇ?」

「うん。だからバイトに行くことにした」

「そっかぁ」

「どうかした?」

「ん~。用事ってほどじゃないけど、たまには一緒に飯でも食いたいなと思って」

「じゃあ今度遊びに行くよ」

「おう、そしたらまた飯作ってやるからな。いま丼ものに凝っててさ、味見してほしいんだ」

「やった。松岡の作るご飯、おいしいんだよね」

「もっと褒めろ。でもって、もっと食いに来い。おまえ、ほんと痩せすぎで見てる俺のほうが倒れそうだわ」


 そう言った松岡が、笑いながら「バイトがんばれよ」と手を振って学部棟のほうに去って行った。


(痩せすぎ、か)


 自分でもわかっている。もっと食べたほうがいいとは思っているものの、元々小食だからか太るほど食べることがない。それでも中学三年のときに比べたらマシになった。これもアルバイトを始めたおかげだと思っている。


(さて、そろそろ行くか)


 学部棟の前を通り過ぎて東門を出た。駅に向かう大通りを五分ほど歩き、古い商店街に入ってしばらくすると目的の古書店が見えてくる。そこが僕のアルバイト先だ。

 六十代後半の店主が細々と商っているその古書店は商店街でも古株の部類に入るらしい。店主は無口だけれど穏やかで、古い紙の匂いも相まって僕にとってはとても居心地がいい場所だ。

 一番いいのは滅多に客が来ないことだ。店としてはよくないことなんだろうけれど、店主がそのことを気にしている様子はない。店の本は好きに読んでいいと言われていて、バイト代をもらっているのが申し訳なくなるくらいだと思っている。


「あれ? 今日はバイトの日だったっけ?」

蘭葡らんぽさん、おかえりなさい」


 奥で店番をしていると、商店街の先にあるパン屋の袋を持った男性が顔を覗かせた。


「ただいま。じいさんは?」

「古書の仕入れだそうです」

「あぁ、それで留守番させられてるのか」


 まだ五月の連休を過ぎたばかりだというのに、今日はやけに暑い。うっすらと頬を上気させている蘭葡さんが、額の汗を拭いながら僕の隣に丸椅子を持って来て座った。そうして「はい、お裾分け」とメロンパンを差し出す。「ありがとうございます」とお礼を言いながら、あんパンを食べ始めた蘭葡さんの横顔をそっと見た。


(相変わらず綺麗な人だな)


 店主のお孫さんである蘭葡さんはとても綺麗な人だ。誰もが振り返る美人だけど女性じゃない。男性らしさも感じるのに、美人以外に表現のしようがない不思議な人だ。


(初めて見たときは思わず惚けてしまったっけ)


 そんな蘭葡さんはモデルや芸能人ではなく物書きをしている。年は聞いていないけれど、おそらく二十代後半といったところだろう。同じインドア派でも僕みたいな貧弱な体じゃないからか、物静かなのに生命力にあふれているように僕には見えた。


(とくに出会った頃の僕にはまぶしかったっけ)


 蘭葡さんに出会ったのは大学に入学したばかりの頃だ。

 あの頃の僕は、覚悟はしていたものの急激な環境の変化と中学時代のことを思い出して、すっかり気鬱になっていた。気がつけば「僕なんてこの世にいなくてもいいんじゃないだろうか」なんてことを考えていたような気がする。明確な死を考えたことはなかったけれど、たぶん抜け殻のような状態で生気も薄かったに違いない。

 そんなとある日、ぼんやり川を眺めていたときだった。「まだ寒いだろうから入水自殺はやめたほうがいいよ」と声をかけてきたのが蘭葡さんだった。


「あれ? 違った? それならいいんだけど」

「……」

「ねえ、俺の声、聞こえてる?」


 綺麗な顔に覗き込まれてようやく我に返った。見たことがないほど整った顔に、僕はその後もしばらく惚けていたような気がする。

 そんな蘭葡さんとは、その後も何度か顔を合わせるようになった。当時蘭葡さんが通っていた喫茶店と僕が徘徊していた場所が近かったらしい。そのうち少しずつ言葉を交わすようになり、気がつけば蘭葡さんの実家の古書店で働かないかと誘われるまでになっていた。そこから気がつけば二年弱のつき合いになる。人見知り気味の僕にしては珍しいことだ。

 そういえばバイトを始めてしばらくした頃、出会ったときの言葉の意味を尋ねたことがあった。


「どうして僕が自殺すると思ったんですか?」

「だって、玉川上水だったから」

「……もしかして太宰治ですか?」

「そうだよ」


 なんでもないことのようにそう話す蘭葡さんは少し変わった人だと思う。だけど、そういうところが僕と合っているのかもしれない。本の世界のことを世間話のように話す。そうしている間に段々と日常と非日常が混ざり合うからか、不思議と心が凪いだ。いい意味で現実世界のことがどうでもよくなるのかもしれない。

 蘭葡さんに出会ったおかげで、僕は前向きな気持ちで大学に通えるようになった。真面目に文学を勉強しようと思ったし、こうしてアルバイトを続けることもできている。

 ちなみに蘭葡さんの名前は、江戸川乱歩が好きだというお母様が名付けたのだそうだ。そう教えてくれたとき、「どうせなら乱歩のままならよかったのに。画数が多いから習字が嫌いになったよ」と顔をしかめていたのが印象的だった。


「適当なところで帰っていいよ。あとは俺が店番をやるから」


 そう言われて「ありがとうございます」と頭を下げる。


「それじゃあ、これ読み終わったら帰ります」


 メロンパンを食べ終えた僕は、机に置いていた文庫本を手に取った。


「乱歩の『D坂の殺人事件』か。明智小五郎登場ってやつだね」

「はい」

「そういえば、この前は泉鏡花の『外科室』を読んでなかったっけ」

「そうですね」

「うーん、ちょっと心配になってくる愛読書のラインナップだな」


 そう言いながらも蘭葡さんの顔は笑っている。こうして何気ない会話をするたびに、僕は蘭葡さんと話をするのが好きなんだなとつくづく思った。誰かと話をするのは得意じゃなかったはずなのに、蘭葡さんが相手だと気負わなくていいからか自然と言葉が出てくる。


(年上の兄がいたらこんな感じだったんだろうか)


 僕は心のどこかで蘭葡さんのことを家族のように感じているのかもしれない。きっと「卓也くんと話すのは祖父と話しているときのように楽しくて有意義だ」と言われたからだろう。それを僕は真正直に受け止め、こうして図々しくも蘭葡さんに纏わりついている。

 結局この日は本の続きを読むことはなく、蘭葡さんが新しく執筆する作品の話を少しだけ聞いてから祖母と弟が待つ家へと帰った。

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