今日の現場は、Aランク指定ダンジョン「黒影の回廊」。
かつて繁栄を誇った古代都市の地下遺跡――。
……だが俺たちにとっては、ただの“死と隣り合わせの労働現場”だ。
撮れ高は命より重い。これが現場のリアルである。
今日も、胃薬と非常食を持参して現場入りである。
俺たちの任務は、ここで行われるAランクで最近人気上昇中の探索者チーム「ブレイブハーツ」の戦闘を記録すること。
配信タイトルは《ザ・ダンジョンドキュメント #609:黒影を裂く剣》。
どう見ても死亡フラグ満載なこの現場だったが。
じつはスポンサー案件と聞いた瞬間、俺らスタッフの士気はマイナス5割だ。
撮影対象となるブレイブハーツは、アタッカーでリーダーのガイルを中心とした五人パーティ。
魔法使い、ヒーラー、タンク、アタッカー二名というよくあるバランス重視の編成なのだが、問題は……
リーダーのガイルがけっこうイケメンでチャラいキャラだってところ。
そして見た目通り、ファンサービス精神が旺盛なタイプだった。
(間違いなく最強カメラマンが嫌いなタイプだよなあ)
イケメンだからとかそういう理由じゃなく、とにかくこの感じは……危険なんだよ。
「俺さ、カメラ映るとすごく映えちゃうっつーか。寄りすぎOK?」
ガイルが、俺に向かってにこりと笑いながら言った。
「そうですねぇ……とりあえずカメラは意識しないほうがいいですよ」
俺も笑顔を作りながら、心の中では絶叫していた。
(いいか!絶対カメラを見るな!この男を怒らせるな!)
ダンジョンは古代都市の遺構らしく、黒石のアーチと崩れた柱が不気味な影を落としている。
冷たい静けさに、足音がぐっと浮かび上がる。
空気には微かな圧迫感、振動はまるで別の次元から押し寄せるようだ。
俺はサブカメラを取り出し、ディレクションラインを確認しながらモニタ用のノートPCを膝に置いた。
その横で、最強カメラマンがモニタPCを覗きながら低く呟いた。
「あいつは声を出しすぎだ。緊張感が欠けると、ドキュメンタリーにならんというのに」
確かに彼は、ドキュメンタリー撮影者としての美学を常に背負っている。
“恐怖はドキュメンタリーの最高の演出”という言葉が、ここでも重く響く。
その時、前方から戦闘開始の号令が響いた。
剣士の咆哮、魔法詠唱の声、武器が抜かれる金属音が洞窟内に反響する。
俺が視線を上げると、頭上に刻まれた古代文字のような裂け目から、闇が染み出すように“それ”は現れた。
黒影──不定形のゴースト型モンスター。光を嫌い、音を裂き、影とともに形を変える異形の怪物。
無数の影が壁から這い出し、探索者たちに襲いかかる。
足元の石畳が魔力で震え、戦闘の熱気とともに冷たい風が吹き抜けた。
最強カメラマンはというと。一瞬でベスポジへ移動し、すでにカメラを回していた。
——さすがだ。
爆ぜる魔法の閃光、切り結ぶ剣の軌跡。
苦戦とまではいかないものの、攻防一体の白熱した戦闘が繰り広げられてる。
これはこれで緊張感のあるドキュメンタリーが……と思いきや
リーダーのガイルが一歩前に出て、大げさなポーズで剣を構えたかと思うと、突然カメラの方に向き直る。
そして、ド派手なガッツポーズをつくり、バッチリとカメラ目線をくれた。
「みんな見てるか?ここからがブレイブハーツの本気だ!」
その瞬間、空気が弾けた。
恐怖も緊張も、全部、ガイルの笑顔で吹き飛ばされた。
ダンジョンの空気が一瞬、バラエティ番組のように軽くなった気さえした。
これ……やばいぞ。
……すでに恐ろしい殺気を感じる。
(文章の欠落?) 。
殺気の主はもちろん、最強カメラマン・大林建造。
彼はカメラのファインダー越しにガイルを見据えたまま、わずかに顔を傾け、低く言った。
「……カメラ目線を寄越すな。今のは“作り物”だ」
その言葉と、S級ボスもびびる殺気にガイルの笑顔が一瞬で凍った。
——まずい、まずい、まずいなあ。
手袋の中で、俺の手のひらにじっとりと汗がにじむのが分かった。
カメラ目線は「ザ・ダンジョンドキュメンタリー」では言語道断。
狂人、いや最強カメラマン 大林にとって、それは“ノイズ”であり、“ドキュメンタリーの敵”なのだ。
「俺たちスタッフは空気で石ころだ。存在していないものとして扱え」
その気迫に怯んだガイルだったが、気を取り直し、怪訝そうに眉を寄せた。
「どうせみんな観てるし、今のでもう完全にバレてるでしょ?」
次の瞬間、最強カメラマンがカメラ越しに、もう一言だけ放った。
「三度目は無いぞ、次やったら、排除対象だ」
風が止まったようだった。
斬りかかるモンスターよりも、誰もが一瞬、そちらを見た。
最強カメラマンが射魔だと思えば、魔王すら「排除」されかねない。
「視聴者にバレる?お前の目線も声も、すでにカットしてるぞ」
その直後、誰かに目線を送る。
視線の先に立っているのは首からモバイル編集機を下げている黒衣の女性――
エディッター・
彼女は、素早くボタンを弾くとカメラにはほとんど背を向けたまま、黒縁の眼鏡越しに僅かに顔を向け、しずかにサムズアップする。
——その一瞬の、静謐の美しさったら。
ちなみに彼女は滅多に声を出さない。
しかも、彼女が発する言葉は、極限まで情報量を削ぎ落とした“2文字”だけ。
「あい」…OK =認識
「のぅ」…NO=ダメ、無理
「すぃ」…素晴らしいor凄い
「りょ」…完了or了解
「うぃ」…同意、そうだね
「ふぁ」…驚いた、まじか、厳しい
他にもあるみたいだが、これぞ究極のミニマム・コミュニケーション。
しかしその一つ一つには、確固たる意味と指示が込められている。
するとカメラに向かって再びガイルが叫ぶ。
「な、生配信で編集なんて意味ないだろ?!」
直後、「ミュー」と最強カメラマンが呟く。
――彼女はただ「りょ」とつぶやき、スイッチャーに手を伸ばした。
マシンのような素早さで映像を瞬時に選別、
映していいカットを判断し、切り取り再生。
その間、およそ5秒。まさに編集の達人。
生配信で編集なんて意味がない?——いや、その認識は間違いだ。
少し説明しよう。
現代では生中継と呼ばれるも番組のほとんどが、リアルタイムではなく数秒〜数分遅れたディレイ放送になってる。
当然この番組も“完全生放送”じゃない。正確には、1分間のディレイ(遅れ)で配信されているのだ。
なぜか? 理由は単純で、“不要な絵”をすべて切り取るためだ。
そして、それを無言で完璧にやってのけるのが――切れ味抜群の刃物のような存在「ミュー」
彼女の立ち姿は細く、どちらかと言えば頼りない。しかしその動きは、武術家のように無駄がない。
以前、サブモニタースタッフの影がわずかにに映った瞬間、ミューはぴたりと視線を止め、
“のぅ”と一言発し、何事もなかったかのようにその部分をカット。
ノールックで元のアングルに復帰させた。
その所作は、まるで静謐な忍者のようだった。
最強カメラマンはモニターを一瞥し、口元だけをほんの少し緩めた。
返事は言葉ではなく、“信頼の瞬き”。
それを受け取るミューはまた小さく「サムズアップ」のみ。
顔に微かな浮き笑いを表した——が、すぐに表情を戻す。
俺はその時心臓の奥が締め付けられるのを感じた。
なにひとつ指示しなくても、状況を掌握し判断し、即対応——まさに裏方のプロフェッショナル。
本物の職人は言葉よりも、動きで通じ合うのだ。
「そ、そんなの……リアルじゃないだろ!あんたそれでいいのか!?なあ!」
ガイルの叫びが洞窟に反響する。
その瞬間、大林の気配が変わった。
静かに、確かに、空気が凍る。
「何度言えばわかるんだ貴様……カメラを意識せず、真剣に戦え。そこに――ドキュメンタリーの命が宿る」
その言葉と同時に、最強カメラマンから、とてつもなく異様な“圧”が放たれる。
同時に魔王としか形容しようのない殺気と覇気が、洞窟全体を包み込んだ。
ガイルは目を見開き、息を呑む。顔面蒼白。
「う、うわ……真剣にやります……!」
その場で泣き出しそうになりながら、しかし剣を構え直す。
「いいぞ、それだ! その表情だ!」
背後で大林がカメラを回す声が、異様に楽しそうだった。
ガイルは涙と汗と鼻水をまき散らしながら、敵の影に飛びかかる。
恐怖に発狂した戦士のごとく出鱈目に剣を振り回した――
それが偶然にもモンスターの急所に命中したらいしく、黒影のモンスターが悲鳴をあげて崩れ落ちる。
こうして戦いは、終わった。
その場に尻餅をつくガイル。腰が抜け、もはや立てそうになかった。
……というか、明らかに失禁していた。
最強カメラマンがその背後からゆっくりと歩み寄る。
その表情は――カメラではとても映せない、狂気の笑顔だった。
「ミュー」
その言葉に応じて、背後の編集卓から控えめなキーストローク音が響いた。
カタカタ、タンッ。
ミューがサムズアップ。
最強カメラマンは満足げにうなずく。
「心配するな。そこはカットしておいた」
この日のガイルは、きっと人生でいちばん“素”だったと思う。
「ドキュメンタリーに嘘は要らない」――最強カメラマンがいつも言う言葉だ。
本気で恐れ、本気で泣き、本気で倒れ——
失禁までしてしまった彼の、あれこそがリアルだったのだと、俺は思う。
ただの演出でも、格好つけでもなく。
命を懸けた“生そのもの”が、モニターの中で光っていた。
……まあ、俺はあんな目には遭いたくないけど。
ちなみに、例の失禁シーンは“ザ・ドキュメンタリー”の公式SNSにて、
WEB班に切り抜きされ拡散されていたらしい。