いなば海羽丸
BLファンタジーBL
2025年06月24日
公開日
3万字
完結済
春川衛人(はるかわえいと)は、山奥にある、亡き祖父の家を守るため、家族の反対を押し切り、移住計画を立てていた。
ある日、古民家同然の祖父の家の掃除と遺品整理をするため、十日間の休暇をとることに。
ところが、誰もいないはずの家には、人影が。
その正体は、仙狸(せんり)という中国原産のあやかしと、人間の間に生まれたハーフの男、猫田千里(ねこたせんり)だった。
千里は、親譲りのあやかしの力をわずかに受け継いでいる半妖。たくましい体に、美しい容姿をしていたが、気が弱く、それでいて無意識に、無差別的に人を魅了し、惑わせてしまうという悩みを抱えていた。
一方で衛人は、初恋の傷が原因で、恋愛そのものにトラウマを抱え、心にしこりを抱えている。
居場所のない千里を突っぱねることができない衛人は、安易な考えで、ひとまず祖父の家に置いてやることに。
だが、千里と過ごすうち、彼の色気と妖艶な魅力に急激に惹かれ、惑わされていく。
これは千里のまやかし……? それとも恋?
そして、「人間を好きになったことがない」千里の本当の気持ちは――?
初恋にしこりを抱えた青年、衛人と、人間社会で居場所を見つけられない半妖が送る、ちょっと和風な現代ファンタジーBLです。
プロローグ
音のない夜、灯りの消えた部屋の中には、彷徨うように、弱い蛍火が漂っていた。しっとりとした風が窓から入り、火照った衛人の肌をやさしく撫でていく。すでに夜は更けている。衛人は一面、古い畳が敷かれた広い居間で、仰向けになっていた。
「衛人さん、ごめんなさい……」
名を呼ばれ、謝られて、ほんのわずか、口を開け――だが、すぐに噤む。今、天井は見えない。なぜなら、衛人をここへ押し倒した男が、覆いかぶさっているせいだ。衛人は応える。
「大丈夫だよ」
彼は今、畳の上に手を付き、今にも泣きそうな顔をして、衛人を見つめている。長い髪がさらりと揺れる。ガタイのいい体格には、とても似合わない、どこか儚さを思わせる表情は、ひどくアンバランスだが、途方もなく美しかった。衛人はその頬に、そっと手を伸ばす。そうして気付かされた。やはり、この男は恐ろしいほどに美しい。
美しいものに、男も女もない。美しいものは、ただ、美しい。たとえそれが、人でなかったとしても、だ。そして、人はどんなに抗っても、美しいものには必ず魅了され、惚れ込んでしまうに違いない。だから、これはきっとまぎれもなく恋なのだと、衛人は確信する。
「千里、本当にきれいだな……」
思わずこぼれたセリフに、男が嬉しそうに微笑む。切れ長の瞳はわずかに潤み、衛人を惹きつけながら、愛おしいものを抱きしめるかのように、しっかりと捕えていた。