「……ありゃあミロじゃねえな」
リムジンの車内でそうつぶやくギルに、セキュリティガードの一人黒人のジョン・スミスが尋ねた。
「では噂通り、あの少年は替え玉。そして本物のミロ・ベンディットは死んでるという事でしょうか?」
「そりゃ分からん。本物は生きてるかも知れん。いや、あいつが本物のミロという可能性だってまだある」
ギルは首を傾げながらそう言うが、三人のセキュリティガードたちはその言葉に顔を見合わせるだけだ。
「ま、三年会ってなかったわけだし、お互いそれほど親しい仲でも無かった。それに皇位継承者なんて、世間がそう認めればいいんだ。中身がどこの馬の骨だって気にしねえだろうさ」
「それは、まぁそうでしょうか」
そうは言うものの東洋系のセキュリティガード、タロウ・サトウは、いささか納得のいかない顔だ。
「あいつが誰であろうとも俺の邪魔をするなら容赦しねえ。それだけだ」
「それで殿下。次はどうしましょう」
白人セキュリティガードのイワン・イワノフがそう尋ねると、ギルは腕組みして考え込む。
「そうだな。正面から中等部女子寮に乗り込んでやってもいいんだがな」
「ターゲットの顔はご存じですか?」
スミスにそう言われてギルはようやく気付いた。
「そういえば分からねえな。何しろあったのは十年くらい前、パーティーでからかってやったくらいだ」
三人のセキュリティガードは無言だったが、ギルのこの様子に落胆したのは確かなようだ。
シュライデン家はここ数年、ルーシアをなるべく表に出さないようにしてきた。
前皇帝ヘルムートの血を引く事もあり、いざという場合の切り札になり得るからだ。本物のミロが持っていた写真も、実の兄故に所持を認めて貰ったもの。
個人情報として保護される公的な記録ならばともかく、一般に流通するマスメディアへは静止画動画はもちろん、音声や文字記録による取材さえ認めていなかったのだ。
ロンバルディ家は八方手を尽くして、ルーシアに関するここ最近の映像データを探したのだが、見つかったのはどう見ても同一人物とは思えない少女たちのもの。
シュライデン家が情報攪乱の為に流布させた偽のデータに引っかかってしまったのだ。
「昔の映像でも顔認識システムで本人かどうかは確認出来ます」
サトウがそう言うがギルは一度頭を振って答えた。
「それがなかなか見つかねえんだよ。なぁに気にすることは無い。自治会役員なら学生、生徒のデータは自由に引き出せると聞いている。自治会に直談判に行くとしよう。会長のカスガもいい女らしいから楽しみだぜ」
「自治会がこちらの求めに応じてルーシアのデータを提供してくれますかね?」
スミスのもっともな疑問にギルは親指で自分の顔を示しながら答えた。
「自治会長は女で俺は男だ。そして俺はギルフォード・ロンバルディ・ベンディットだ。俺がその気になれば女なんざ、いくらでも好きなように出来るのは分かってるだろう」
ギルのその答えにセキュリティガード三人は沈黙した。
ギルはそれを肯定と解釈したが、それは三人が他の反応をするなど夢にも思ってないからに過ぎなかった。そして三人のセキュリティガードはギルがこれまで女性関係で何度も痛い目に遭ってきたのを知っていたのだ。
セキュリティガード三人にとって気まずい沈黙が流れる中、突然、車載電話の呼出音が鳴った。学園宇宙船には送迎用のリムジンも用意されているが、今ギルたちが乗っている物はロンバルディ家の私物で、学園長を困らせた大量の持ち込み申請書にも記載されていた。
まだ持ち込みが正式に許可されたわけではないので、学園内に車載電話の番号を知っている人間はいないはずだ。
しかし車載電話受話器の小型立体ディスプレイを見たイワノフは意外な事を言った。
「場所データは学園内です。それもIDから察するにどうやら教職員ではなく学生か生徒のようです」
ギルと直接あった生徒、学生はまだミロとスカーレットだけ。あの二人には連絡先は教えていない。
他の生徒たちは連絡するどころか、ギルが学園宇宙船内のどこにいるかも知らないはずだ。
しかしギルには心当たりがあるようだ。一つ首肯してイワノフに言った。
「出ろ」
言われるままイワノフは受話器を取り、ひと言ふた言話をする。そしてギルの方へ向き直った。
「ハリントン侯爵のご子息キースさまよりの連絡です」
ギルはにやりと笑い、差し出された受話器へ手を伸ばしながら言った。
「自治会室へ行く手間が省けたかもな。美人会長さんとやらに会えないのは残念だが、俺が皇子だと分かれば向こうから股開いてくるのは分かり切ってるからな」
◆ ◆ ◆
「はい、正直、会長は殿下に対して余り良い感情は持っていないかと……。はい、なかなか身持ちが堅いのは事実で……。とんでもない、そんな大層な真似が出来るはず有りません。はい、はい。有り難うございます。こちらで準備は整えておきます。それでは近いうちにお目にかかりましょう。ギルフォード殿下」
そう言うとキースは電話を切った。電話の向こうにいたのはギル皇子。
自治会棟の一角にある通路の隅というのは意外に盲点だ。
後ろ暗い事をするならもっと良い場所があると誰もが考える。もっともこの場所を選んだのはキースでは無くアーシュラだった。
「誰もいないな」
電話を切ってからもう一度キースは周囲を見回した。
会長室は最上階の五階。ここはその一つ下の四階で、会議室がいくつか置かれているだけだ。
今も小会議室の一つでは何かの会議が行われているが、中から誰か出てくる気配も、そして会話が聞かれた様子も無い。
通路の向こう側にエレベーターがあるが、今のところ誰も出てこない。背後には階段もあるのだが、これは滅多に使われてないものだ。
「ああ、誰もいない。それに通りがかりに聞かれたところで、我々は後ろ暗い事などしていない。気にするな、キース」
壁にもたれかかりキースとギル皇子の通話を聞いていたアーシュラがそう答えた。
「会長に興味津々だよ、あの皇子さま」
電話をしまうとキースはぼやいた。
「だからお前に任せたんだろう? 私がかけていたら口説かれていたかも知れない」
冗談半分にそう言ってからアーシュラは真顔に戻って尋ねた。
「それで首尾はどうだ?」
「何とか納得してくれた。仕掛けは早い方がいいというのは、皇子も同意見だったようだ」
キースの答えにアーシュラは安堵した。
「それは一安心だな。この前のカスガの言葉では無いが、自分に有利に運べるなら、とことんそれを利用した方がいい」
「しかしアーシュラ、君はこれでいいのか? 今回の作戦がうまくいけば、ギル皇子が学園内で幅を利かせる事になる。カスガ会長の立場が危うくなるぞ」
そんなキースの心配をアーシュラは笑った。
「構わん。それで地位を失うような人間なら、これからも付いていく必要は無い。もっともあの皇子にカスガが後れを取るとも思えんけどな。それはお前も同じだろう、キース」
「まぁな」
キースも珍しく笑い返して続けた。
「ミロの正体がなんであれ、ギル皇子がいればそう派手に動くことも出来ないだろう。ならばギル皇子側に付く理由が僕にはある。ギル皇子の性格からして自治会長にはなれないだろう。自動的に予定通り僕が次期自治会長だ」
「頑張ってくれ。応援してるぞ」
冗談めかしてそう言うとアーシュラは寄りかかった壁から離れた。
「しかし考えてみれば、哀れなものだ。あの皇子さまも」
「そうだな。自治会長ばかりはもちろん、あの器では皇帝にもなれないだろう」
通路をエレベーターの方へ歩きながらキースは続けて言った。
「前皇帝の孫娘の件、ロンバルディ家は次のその次を狙っての事だろう。ギル皇子本人はやる気満々だが、支援してくれるはずの母の生家からも見捨てられている」
「あぁ、だから我がフロマン家もお前のハリントン家も存分にギル皇子を利用できる。なまじ皇帝になられでもしたら逆に大変だ」
「結局は利用されるだけの皇子さまか。皇位継承者というが、所詮は政争の道具に過ぎないというわけだな」
「せいぜい利用させて貰おう。なにしろ皇位継承者など、まだいくらでも代わりはいるからな」
後ろめたい
アマンダ・ブレアである。四階で行われてる会議で使う資料をまとめ終えたので、届けに来たところ、二人がギル皇子と通話しているところに出くわしてしまったのだ。
キースとアーシュラはエレベーターを視界に収め、誰かが出てきたらすぐに通話を止めるつもりだった。しかし避難訓練の時くらいしか使われない階段から誰かが来るとは、そして自分たちに気付いてもすぐに声を掛けないとは思ってもみなかった。
声を掛け来たならば、それがミロやカスガでないかぎり、キースやアーシュラも適当に誤魔化したり丸め込む自信は有ったのだ。
アマンダがダイエットも兼ねて最近は階段を利用している事、そしてギル皇子へのある言葉を気に掛けて声を掛けそびれてしまったなど、キースとアーシュラにとっては思いも寄らなかったのだ。
「……皇子さまでも、所詮は道具か」
アマンダは資料用の端末を胸の前で抱きしめてそうつぶやいた。