空きっ腹状態で床に座り込み、隣で同じように座るヴァレンティールにもたれながら、色々と話をした。
12階にいたヴァレンティールとペラグリアは、同時に私が暗黒女王に捕まった時の、心の中の叫び声を聞いた。13階だと気づき、2人とも階段を下りて駆けつけようとしたけど、ヴァレンティールは黒い霧のような物にはじかれ、ペラグリアだけは銀色の鎧のおかげか何とか13階に行けた。そこで私のバッグが落ちているのを見て何事かあったと直感し、14階に飛び込んだ。その瞬間、暗黒女王が私を足で蹴って床の穴に落とした。
激怒したペラグリアが暗黒女王に飛び掛かったけど、異様に素早く髪を掴まれ振り回されてから暗闇に投げ込まれ、「血縁者は暗黒空間で漂流状態にしてやった。簡単には見つけられないぞ」と嘲笑された。
――暗黒女王、命知らずにもほどがある。
そして12階の壁に大きな黒い渦巻きが突然出現して、子分の黒ウサギ集団の眼前でペラグリアが放り出された。もちろん怒り狂ったペラグリアは(それでもヴァレンティールと私の帰還を待っていた司書ウサギ達に「ナツキを救助してくれ」と頼み)それ以後、黒ウサギ達と14階を見張っている。
ヴァレンティールが溜息をついた。
「まさか、あの凶暴な姉上がここまで翻弄されるほど、暗黒女王が厄介だとは予想外だった」
「今は女王としても困った事態なのかもね。私のせいだって何やらひどく怒ってたし」
深海魚に何か手伝ってもらえないかな、とちらりと考えた。でも暗黒女王の存在が認識できないから無理か。それに深海魚、もう守護者じゃないし元々ダンジョンの現状には割と冷淡だし。まあいよいよとなったら相談してみよう……。
私は大事な事を思い出し、ヴァレンティールに言った。
「ヴァレンティール。長い話になるけどね、私は深海魚と色々話をしてダンジョンを大きく変えたの。それでヴァレンティールもペラグリアも、ダンジョンの1階の扉から出られるようになったから、覚えててね」
「それはすごいな。ナツキは本当にダンジョンを作り変えたのだな」
「うん、まあ。もう少しの我慢だよ。ヴァレンティールもペラグリアも必ず故郷に戻って欲しいから」
ヴァレンティールが優しく私の手を握ってくれた。
「故郷は懐かしいが、くれぐれも私達のためにと焦って無理はしないでくれ。私はナツキと一緒にいられるのならどこでもいいのだからな。まあ姉上は一度国に追い返す必要はあるが、父上の説教が怖くて渋るだろうな」
2人でくすくす笑っていると、ペラグリアの指示を受けた黒ウサギが、えっほえっほと頭に大きなお盆を乗せて私の元にやって来た。可愛い。
11階の宿泊処からのテイクアウトで、皿に山盛りにしたお握りと熱々フライドポテト、保温ポットに入った薬草茶。いい匂いだー! 受取りながら礼を言うと、えっへんと自慢げに胸を張って更に可愛い。料金としてレプリカ金貨を1枚渡して宿泊処への支払いを頼むと、またえっほえっほと去って行った。
とんでもなく空腹なので、行儀悪く床に座り込んでの食事である。止む無し。なにせ私は、どうやらダンジョン内の時間では3日ほど違う世界に行ってた事になるのだ。体感では10日ほどだし、その間あちらでは空腹も喉の渇きも感じなかったといえ、ほぼ飲まず食わずだったのだ。
ともかく、早く食べて体力を回復させて、14階に行ってペラグリアを手助けしたい。武力も腕力も無いけど、何か知恵ぐらいは出せるだろう。それにぶん殴るのはともかく、直接言ってやりたい事はたくさんあるんだ。
お握りを食べながら、ヴァレンティールと、様子を見に来てくれた司書ウサギから7階の崩壊時の話などを聞く。
夜の暗闇状態の中で、巨大な本棚が全て崩れて大音響がダンジョン中に響き、本棚の裏の世界も含む全てが揺れた。床までが崩れて8階に雪崩落ちたりしなかったのが奇跡的だと思えるぐらい、とにかく凄まじかったらしい。
私がライ麦畑で異変を感じて狼狽えた時かな。ヴァレンティールも、12階で私の微かな気配をずっと追跡してくれていたけれど、7階崩壊時は流石に驚いて集中できなかったらしい。
そして更に冷気が強まり、暗闇の中でダンジョンの皆は、いよいよかと諦めそうになった。
その時、昼が戻って明るくなり、冷気も徐々に消えた。ダンジョンが転移した瞬間だ。
「あの時は本当に嬉しかった。部下達と、血縁者がたった一人で本当にダンジョンを救ってくれたんだ、と歓喜した。まさに血縁者は英雄だ」
「え、うん。あの、ともかく間に合って良かったよ」
司書ウサギのしみじとした言葉と、うんうんと頷くヴァレンティールに焦ってしまう。どうも感謝されるのは照れ臭い。後でちゃんと説明しないとだけど、本当に転移を決意して良かった。でももっと早く深海魚の<夢>と会っていれば7階は何とか無事だったかな……ライ麦畑で父親と会ってたせいで遅れたかな。いや、父親と話したから腹をくくれたような気もするし……私はどうしてあの時、原風景に入り込んだんだろう? 書斎の深海魚と別れて、森の中を深海魚に会おうと歩いていたのに……。
ああ、そうだ。私は口いっぱいのフライドポテトを飲み込み、黒ウサギ集団が、壁の大きな黒い渦巻きの下に整列状態で座っているのを見ながらヴァレンティールに尋ねた。
「ヴァレンティール、鱗さんは4階の店?」
今のうちに一度会っておきたい。でもなぜか司書ウサギとヴァレンティールは顔を見合わせ、ヴァレンティールが言いにくそうに言った。
「店長は……その……いなくなった」
「え?」
私はどきりとした。転移の時に何かあったんだろうか。司書ウサギも珍しく口ごもりながら話してくれた。
「暗闇の時は、幽霊の姿で街灯ネズミ達と動ける範囲を見回ってくれていたのだが……昼が戻って明るくなったら、その、姿が消えていた。街灯ネズミも気が付いたらいなくなっていたと……あれからダンジョン内のどこにも姿を見せていない。気にはしているのだが……」
「そんな……」
ダンジョンが転移した後は、普通に出入りできるようになった筈だ。幽霊なのに深海魚の力で取り込まれていた鱗氏は、変化に気づいてダンジョンから出て行ったんだろうか? でも黙って去るのは鱗氏らしくない。やっぱり予想外の事があったとしか思えない。まさか、暗黒女王と何かあったんだろうか……。
心配で仕方ないけど、今はどうしようもない。でも顔を見て声を聞きたかったな……カップを握り締めて薬草茶を啜っていると、いきなりどこからか叫び声が聞こえ、壁のうねうねした大きな黒い渦巻きから「うぴー!」という悲鳴と共に、黒ウサギが勢いよく放り出され、黒ウサギ集団の眼前にもろに落下した。
慌てて駆け寄り、床に伸びている黒ウサギに声をかけると、ひょいと起き上がって頭をぷるぷる振った。見かけによらず頑丈で安心する。
「うーやっぱり駄目でしたか。おや血縁者。いえね真っ暗な14階を慎重にそっと歩き回って暗黒女王を探していたんですが、突然、首根っこを掴んで放り込まれて放り出されました。全く酷い女です」
「黒ウサギさんは暗闇でも見えるのに駄目なんだ」
「ほとんど見えない真っ暗闇です。我々が出入りしていた時は、薄暗いだけでした。<裂け目>の近くに暗黒女王はいつも、ふわふわ浮かんでいたんです。今は何も見えず上手く進めません」
歩けない暗闇か。ともかく15階に行くためにも状況打破だ。お腹もいっぱいになったし、頬をペシペシ叩いて気合を入れた。
司書ウサギ達と黒ウサギ達に、「もし地面が揺れたら、頭を守って焦らずじっとして」と地震対策を念押しし、他の住民にも伝えてもらうように頼んでおいて、私は13階への階段に向かった。
さっき放り出された黒ウサギに先導してもらい、マントを羽織り楽器を抱えたヴァレンティールと共に13階への階段を慎重に下りる。黒い霧のような物は消えているけど、陰気な感じは漂っている。私が帰還した気配を察して14階から出てきた暗黒女王、よっぽど腹を立てていたんだな。あの時は歩いてたけど。
もし深海魚の原風景に入り込むとややこしいので、ヴァレンティールに壁に近づかないように一応注意してから、私は妙な事に気づいた。
「永遠の塔」への扉が変化している……?
さっき見た時は、木製の重厚な両開きの扉で壁でロウソクも燃えていて前回と変わりなかった。なのに今は、何の飾りもない木製の一枚扉があるだけでロウソクも無い。ただ、やけに巨大な金色のドアチャイムが上部に取り付けられている。
なぜか気になって近寄って良く見てみたら、チャイムなのに舌が無い。こんなのドアが開いても音が鳴らないんじゃ……。
「ナツキ、どうした? 扉がどうかしたのか?」
ヴァレンティールの声で我に返った。
「ううん、何でもない。前に見た時とは形が変わっているから、変に思っただけ」
ヴァレンティールは、興味深そうに扉に近づいた。
「ナツキはこの扉の向こうに入った事があるのか?」
「うん、あるよ。こっちとは違う空間で、『永遠の塔』っていう物凄く大きくて、信じられないぐらい高い塔と繋がってる。中は石造りでちょっとダンジョンに似てるかな。最上階は広場みたいで、無限の記憶庫の番人っていう不思議な人がいてね、ダンジョンの事を教えてもらった」
「高い塔……扉の向こうから、何やら謎めいた恐ろしく強い力を感じるのだが。まあ異世界の巨大な建造物ならば、力が溢れる事もありうるか」
指先でそっと扉に触れながら呟くヴァレンティールの言葉を聞いた瞬間、何かがよぎった。
でもじっくり考える前に、ペラグリアが近寄ってきた。銀色の鎧は光り輝き、右手にいつもの棒を握り、首には私が贈ったタオルがしっかりと巻き付けられ、心なしか美しい銀髪がくしゃくしゃになっている。顔は思い切り渋面で黒ウサギに声をかける。
「ああ、やっぱり放り出されたか。無事で良かったが様子はどうだった?」
「はい、どうにもこうにもいきなりでした。あちらはふわふわ浮いているようで足音もしません」
「浮いて移動しているのか。厄介だな。私の挑発も無視するしな……ナツキ、体調は大丈夫か?」
暗黒女王の事で頭がいっぱいなのか、ペラグリアは扉には興味を示していない。
「はい、しっかり食べてきました。何か手伝えるかと思って」
階段入り口に、数人の黒ウサギが並んで耳をぴこぴこさせている。ペラグリアと一緒に見張っているのだろう。
「ナツキはダンジョンを良く知っているから助かる。私に閉じ込められた状態であの女も必死のようだが、一人でここに潜んでどうするつもりだか。ヴァレンティールと暗闇を消滅させる手段は考えたが、ここまで陰険な動きをするとはな。反撃してくればまだ戦えるが。つくづくしくじった」
「え、暗闇を消滅させる方法があるんですか?」
「ヴァレンティールの特技を使う。しかしこれも、ヴァレンティールがあの部屋の中央に立たないと効果が無い。とにかくあの女の動きを止めないと埒が明かん」
私は思わず横に立つヴァレンティールを見た。中央に立つ?
「ヴァレンティール、その、危険じゃないの?」
ヴァレンティールは私の手をしっかり握って微笑んだ。
「心配はいらぬ。危険など承知の上だし、何よりナツキはたった一人でダンジョンを崩壊の危機から救ったのだぞ。いずれ夫になる私が怯んでどうする」
ペラグリアが横目でヴァレンティールを睨んだ。
「私も軟弱な弟をもった覚えは無い。とはいえヴァレンティール、さっさと頭を絞って良い知恵を出せ」
「ずっと考えてはいるが、動きの速い姉上が逃げられている相手だからな」
私も首をひねって考えてみた。暗黒女王の動きを止める……うーん難しいなあ。その時、私はライ麦畑での父親の言葉を思い出した。
――暗黒女王はな、陰険だけども実は好奇心が恐ろしく強いんだよ。
暗黒女王の前に私が姿を見せて、何か好奇心を刺激すれば……ペラグリアの罵りは無視しても、血縁者かつ守護者である私がダンジョンを作り変えた話をすれば、あれこれ知りたがるかもしれない。私は念のためにペラグリアに質問した。
「ペラグリア、こちらが話しかけても暗黒女王には聞こえているんですよね?」
「ああ、聞こえている。少し前に私が暗闇に向かって怒鳴ったら、馬鹿にしたような返事をしてきたからな」
なら、私の声も聞こえるだろう。よし、やってみよう。でも小さくていいので灯りが欲しいな。
心配顔のヴァレンティールが、私の肩に手を置いた。
「ナツキ、まさか何かするつもりなのか?」
私はにっこり笑って頷いた。
「思いついた事があるから。ともかく急いで街灯ネズミを探して会ってみる」
ヴァレンティールはいよいよ心配顔になり、ペラグリアは目を輝かせた。