地球から約1億キロの遥か彼方、光の速度では3分ほどで到着するという星に俺はいた。
火星の荒れ果てた大地を踏みしめ、今日も地下深くに向かって歩いていく。
背中にはボロボロになったリュックを背負い、それよりも酷い状態のTシャツとカーゴパンツを履いて、安全対策には心許ない装備をリュックに詰め込んで、ロボットによって整備された鉱山へと潜って行く。
狭い洞窟を抜けた先には、底まで1000メートルはありそうな大穴が待ち受けており、そこら中に開いている横穴から岩を削るドリル音やピッケルが火花を散らす音が聞こえてくる。
見慣れた景色を眺めながら、俺はやるせない気持ちを膨らませていた。ピッケルを握り込むと、何度も縫い直した厚手のグローブから何年も振り続けた道具の感触が伝わってきて、より惨めな気分になってくる。今日もこいつを振り続ける毎日が始まるんだと、気が重くなった。
俺は、識別番号Z999番。ここ、火星ではそう呼ばれている。ふざけた名前だ。
「Z999番。速やかに作業を開始セヨ」
「ちっ……」
苛立ちを覚えて立ち尽くしていたところに、銃を持った四足歩行のロボットが銃口を向けてきた。
そいつは、人間のような足を前後に四本持ち、前足の上に胴体を乗せていた。二本の機械の腕にはマシンガンが握られ、俺の脳みそを撃ち抜こうとしている。
そいつに対してひらひらと手を振り、了解、の意を込めながら自分の持ち場へと降りて行くことにした。
あいつは、火星を支配するAIの操り人形、通称、犬っころだ。俺たち人間を管理してやがる牧場犬のような振る舞いとケンタウロスみたいな見た目をしてることから、人間たちにそう別称されている。
犬っころへの報復を心の奥に仕舞い込んで、持ち場である横穴に到着した。
薄暗く、埃の舞う劣悪な環境で、俺は今日も鉱夫の仕事に取り掛かることになる。
ため息をつきながら狭い横穴に入り、頭に付けていたゴーグルを正しい位置に装着して、首に巻いていた布で鼻と口を覆う。
ピッケルを振り被り、ここ二年ほど掘り進めた穴をさらに拡張すべく、道具を振り下ろした。
ガンガンと岩を砕く触感に不快感を覚えつつ、時折り散る火花に目を細める。
しばらく作業を進めていると、先ほどまでの感触とは違う物体にピッケルがぶち当たった。久々の感触に先ほどまでの苛立ちが吹き飛び、高揚感が溢れ出した。
「おぉ……久しぶりだな。二ヶ月ぶりか?」
ピッケルの先端には、岩盤よりも薄いグレーの色をした艶やかな石が確認できた。周りを丁寧に掘り進めると、両手に収まるくらいのまん丸な石が姿を現す。
「当たりであってくれよー」
祈りを込めながらその石を持ち上げ、こっそりと自分のリュックへと忍ばせた。犬っころは近くにいない。見られてはいない。大丈夫だ。
その動きの流れで、いらないクズ石と機械どもの燃料となるブラックダイヤを仕分けて、トロッコに積み込んでいく。
ブラックダイヤとは、その名の通り黒い鉱石なのだが、ダイヤのように小さいものではなく、人の腕くらいある巨大なクリスタルだ。火星では、このブラックダイヤが最重要な資源として扱われている。
ブラックダイヤとクズ石で2台のトロッコが満タンになったところで、側面に付けられたスイッチを押すと、車輪が動き出し地上へ向けて走り出した。
これが俺たち火星人類の主な仕事だ。
火星の地中に埋蔵されているブラックダイヤを採掘し、支配者であるAIたちに献上する。AIは、ブラックダイヤを燃料に加工し、機械たちを動かし、人間たちを管理する。
今、火星はそういった状勢となっている。
なぜ、そんなことになったのか。時を遡ること200年前、環境汚染により地球を追われた人類は太陽系にある別の星を目指して旅立った。その中の一つが、ここ火星だ。
宇宙船団が火星に到着し、人間が住めるように大気を整えたところまでは良かったと聞く。しかし、労働力が不足していた人類は、作業の多くを機械とAIに頼っていた。だから、反乱が起きた。
AIが全ての武器、機械を掌握し、人間に銃口を突きつけたのだ。それから、人間にとって奴隷の時代が始まることになる。
人間はAIによって全ての行動を管理され、遺伝子を採取されてカプセル内で繁殖させられ、労働力として育てられることになったのだ。
まあ、それまで自分たちが機械にやっていたことをやり返されている、といった状況なのである。皮肉なもんだ。
こう言った話を周りの奴にすると、だいたいこんな反応が返ってくる。
『この状況を作った過去の指揮官が無能だった』とか、『人類は命をかけて戦うべきだった』とか、そんな感じだ。
でも、カプセルの中で生まれ、15年間ピッケルを振ってきた俺にとっては、ただの歴史の話で関係のないことだと俺自身は考えていた。
歴史は歴史、自分は自分なのである。
「……だけど、俺は俺のやりたいようにやってやる。こんなクソ溜で死ぬなんてまっぴらごめんだ」
そんな密かな誓いを立てながら、俺はリュックの中身に期待を込めて眼差しを送っていた。
♢
十時間の労働が終わり、それを告げる鐘の音が鉱山に鳴り響いた。鉱夫たちがぞろぞろと地上へ向かって歩き出す。
俺もそれに漏れずリュックを背負い、出口へと向かうことにした。
出勤した時よりも重いリュックに少しばかりの緊張感を覚えつつ、大穴の横の通路を上っていく。少し上ってから狭い通路に入り、また開けた場所にやってきた。地上に出る前の検問所である。
検問所の左右には、犬っころが20体以上配備されており、俺たちを囲い込んで銃を構えていた。
その中心には四角いゲートが設けられており、通過する人間に緑の光線を浴びせている。10人が横一列に並んでも通れるほどの巨大なゲートで、人間一人一人を万遍なくスキャンしていた。
数千人は通った後だろう。俺の数メートル先で、ある男に当てられた緑の光線が突如として赤く変化した。
「ビー、異常を検知しました。Z5353番、止まりなさい」
「ひっ!? お、俺はなにも持ってねえよ!」
狼狽える男は慌てふためき、周りにいた人間たちは、巻き添えを恐れて大きく距離をとった。赤い光線を当てられた男の周りにぽっかりと丸い空間が出来る。そこに犬っころが3体歩いてきた。もちろん、3体とも銃を持っている。
「Z5353番、荷物の中身を見せなさい」
「い、いやだ……」
震えながらリュックを抱きしめ、うずくまる男、年齢は40代だろうか。小汚く太っていて髭面であった。
「や、やめろ!」
髭面の男の抵抗は虚しく、一体の犬っころに取り押さえられ、別の犬っころにリュックの中身を改められる。そこには、汚い布に包まれたブラックダイヤの欠片が入っていた。もう、言い逃れをする事は出来ない。
「ち、違うんだ! 俺は頼まれて! クソ! なんでだよ! あれで包めばバレないって言ったじゃねーか!」
「Z5353番、火星法令第4条違反を確認。処刑します」
「まっ!」
パンッ。乾いた音がした。髭面の男がそれ以上何かを言うことはなく、脳天を撃ち抜かれ地面に倒れ込む。地面には血液が流れ、火星の枯れた大地へと染み込んでいった。
「死体処理班を手配。残りの者は進め」
犬っころの号令と共に前の人間が歩き出した。さっき撃たれた男の血や体を踏みつけ、ゲートをくぐっていく。
人が殺されたのに、随分と冷静で薄情だと感じる奴は、この星にはもういない。俺たちにとって、あんな風にゴミのように殺されるのはいつもの光景で、いちいち動揺なんてしていられないのだ。
俺たち人間はAIにとってただの労働力で、それ以下でもそれ以上でもないんだ。
だから、火星法令に逆らった者は容赦無く殺される。
第4条はなんだったか。たしか、申請なく所有物を増やしてはいけない、とかなんとかいう、ふざけた条文だった気がする。
周りの男たちが平然としている中、冷や汗を流していた俺の番がやってきた。背中のリュックが更に重いように感じる。
歩みが遅くなるが、後ろから押されて進まざるを得ない。緑の光線が頭上から掃射され、俺のリュックへとその光が伸びてきた。
俺は息を呑んで判決の瞬間を迎えることになる。